エピローグ
六月に入ってすぐの木曜だった。亮くんの夕飯作りを手伝うためにキッチンに立った。
「
「あ、うん……えーと、嫉妬、じゃないよね?」
「嫉妬?」
「ごめん、亮くんの脳内を宇宙に行かせちゃった。う、うーん。正直、亮くんが会いに行こうと言いだすとは思わなかったから」
「俺、そんな薄情な人間じゃないよ!」
「仕事の人間にそういうこと話すもんじゃないと思ってた。最近やっと伝えられたから、さ」
亮くんの腕が僕の腰に触れる。
「んー、なんとなくだけど、一緒に行動してないと光臣さん一人で行っちゃいそうだから」
「……連絡取ってみるよ。一緒に行こう」
唇を一瞬求めて、彼から奪われるように舌の奥まで絡んだ。
「あの、来週の土曜、会えないかって。けっこう朝早い時間を指定されたんだけど、来れそう?」
「んー、金曜の夜から前乗りしないと難しそう?」
「うん、K県の西の方で。教えられた住所を検索したけど、山が近い」
「じゃあ、初めての旅行になるね」
そう言われて首から上が熱い。
「いや、別に、そ、そういうんじゃないから」
「いーじゃん。新婚旅行だよ?」
亮くんの答えが軽くて、肩にしなだれた。
「二人で長距離移動するのマジで初めてじゃん」
「……そ、そうだっけ。そっか、そうかも」
亮くんの仕事の予定をいくつかリスケジュールしてもらって、駅構内の新幹線改札前で待ち合わせる。
「光臣さん! お疲れ」
「あ、あ……うん」
「車内でアルコール飲みますか?」
「いい、お茶にする」
「わかりました」
「亮くんはどうする? 僕の荷物少ないし、乗るまでに自販機で買ってくるよ」
ミネラルウォーターをお願いされた。カバンからエコバッグを取り出すと僕の分を含めて多めに購入する。
自販機から離れて元の場所に戻ろうとすると見あたらない。待合室に入ると亮くんがスマートフォンを触っていた。
「お待たせ」
「そんな遠くないんだから、たくさんはいらないですよ」
「いいの。足りなくなるかもしれないし。そろそろ行こうよ」
緊張と不安が駆けめぐる。動いてないとイライラしそうだ。
車内を暑く感じて、シャツの上ボタンを開けてパタパタと仰いだ。
宿泊する部屋の料理を食べてから、お風呂にしようと話す。部屋の数は多く、和洋折衷のような部屋だった。
お互いがシャワーを浴び始めると二人の時間はあっというまで、明日の朝は早いというのに時間を忘れて求めた。
最寄り駅からはタクシーで行った。運転手は戻るときも優先的に車をまわしますよと言ってくださった。あんなとこまで寄る人は少ないから、と。
朝の突き抜けた青空の他は茶色が多かった。田園風景と言ってしまえれば良いが、寂しい、味気ない風景とも言えた。
「すみません、お知らせしていなかったのですが、今日は相手の方を連れてきていまして」
「
「これはご丁寧に。
ふんわりとした天然パーマは白髪で覆われていた。背は平均ぐらいで、笑顔が似合うおっとりとした方だ。
「お上がりください」
「失礼します」
「え? じゃあ、鰐カラ先生の一言が出会いの発端だったの?」
「そうですね。鰐カラ先生には感謝しかありません」
「ふふ、まぁ鰐カラ先生のことだから、善知鳥くんが報告できるまで時間がかかるようなことがあったんだろうけど」
「あ、えーと、そういうわけではありませんが」
「天池さんは善知鳥くんのどこに惹かれたの?」
「そうですね、笑顔が可愛いところです」
「ああ、そうだね。知ってるよ。一枚だけ昔の写真があるんだ。ちょっと待ってくれ、すぐ戻るから」
あったあったと声がすぐに聞こえる。あの頃はもう忘れたい。
「ほら、善知鳥くんの若い頃」
「わ、可愛い!」
「私は……いいです」
「そうか。もうこちらの両親は亡くなってしまったけど、善知鳥くんにもひどいことを言ったみたいだね」
「いいんです、もう。それに第四を作ってくれたから、こうやって私の未来が拓けました」
「うん、結婚の報告が聞けて良かったよ。あいつと全然違うタイプの人間が現れたから安心した」
「その言葉が聞けて私も安心しました」
「あいつ、今、福祉事業所で農業を手伝っているんだ。物陰からで済まないが一目だけでも頑張っているところを見てくれないか」
突然の申し出に顔を見合わせた。
「いや、戸惑わせて済まない」
「……わかりました」
僕が承諾したら、亮くんも続けて肯定の言葉を発した。
上司が運転する車の後部座席で前を向き続けた。福祉事業所の近くだという駐車場に車を停めた。先ほどよりは住宅が多い。
「すみません、作業時の見学をお願いします」
「今日は寒いので外で活動したがらなかったのですが、どうします? 事業所の中から見学します?」
「いや、気づかれたらすぐに移動したいから外がいいかな」
「わかりました。ではご案内します」
僕が黙ってついていくと、亮くんに手を握られた。隣を歩いてくれる彼と視線が合う。だけど、どうしてか意識は畑に集中する。
「あ! あうー! だー!」
「寒いけど、元気に頑張ろうね」
案内してくれた方と農作業の横で声をかけている男性がアイコンタクトを取った。
「善知鳥くん、あいつ喋れなくなっちゃったんだ。だから退院後も善知鳥くんと連絡できる手段はしばらくなくて……両親が施設に入るまで家に引きこもり状態で、それから福祉事業所を探してね。頑張って生きてるから、君たちも」
体の震えが止まらなかった。必死に声を押し殺して泣いた。亮くんが手を離して肩に腕をまわしてくれた。周囲にどう思われても良い。
「あ? あー! おー、さーん」
「ごめん、見つかっちゃったみたい。駐車場まで逃げよう」
駐車場まで戻り、最寄り駅まで送るよと後部座席に押しこまれる。
「あの……この車でいつも送迎されてるんですか?」
両手で顔を覆う。泣いちゃダメだと思うほど、涙が溢れた。亮くんの声が聞こえる。
「いや、今日だけ。今はグループホームに住んでるから。あいつ気づくかな。そこまで考えてなかったよ。それに……ただ、元気なんだよ、心配しないでって伝えたかったんだ」
「俺は幸せそうにみえました」
「そう? そう言われたら、嬉しいよ。あいつも……喜ぶ」
宿泊先の新幹線が停車する駅まで送ってもらった。
「善知鳥くん、ごめんね! それから鰐カラ先生によろしく! あいつも大好きで読んでるんだ! じゃ! 読者の声、届けたよっ」
そういって、ぎゅんとハンドルをまわして戻っていった。
「なんかあんな運転する人じゃなかったのに、変わるのかな、人って」
「そうだね。幸せな方向に変わっていくことのほうが多いんじゃない?」
「亮くん、あのさ、もう一泊しない?」
「特別ですよ。始発で帰りましょう。約束してくれたら一緒にいます」
「わかった」
改札内の売店で白湯のペットボトルを購入してから車内に乗った。
「今朝、メッセージもらってたみたいで」
「ん?」
「僕たち二人の写真が見たいって、結婚式の写真ならなお嬉しいと言ってくださって、送ってもいい?」
「うん。そのために式挙げたんだし」
「あ、うん、うん。送りたい写真は決まっているからすぐ送る」
スマートフォンをスクロールして、写真をぽちぽちと押した。
「ふぅ。文章は打てるんだって。昨日、僕がいたと気づいたらしくて、結婚してるからと諭してくれたそう。そしたら、証拠の写真が見たいと返信があったんだって」
「でも、送る写真は決まってたんだ」
「……絶対、信じてくれる写真あるから」
「んー? なんだろう。俺には全部がそうなんだけど」
「ねぇ、見て。『うーちゃんがしあわせなら、おれもしあわせ』だって! 送って良かった」
「うーちゃん?」
「僕。善知鳥だから」
亮くんが僕をお姫さま抱っこして紙吹雪が舞っている写真と、誓いのキスの瞬間を送った。
「決めてたの、この写真?」
視線が合った瞬間にキスが始まった。
END.
ふたりのるりいろ 川上水穏 @kawakami_mion
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