第2話
退室してからすぐに、俺はあのシミを探した。あれは……俺の影だ。
どういう風に考えればいいのか分からないが、俺なんだ。
後を追うように探すと、影は前に見た場所よりも、さらにずっと先にいた。
コルクボードの横の壁だ。たくさんある写真が張られている中の一枚を見つめている。佐倉と村山が写っている、あの写真だ。
私服姿の佐倉と村山の二人は、楽しそうな笑顔を見せて並んでいた。どうしてあいつはあの写真を見ているのだろうか。
影が自分自身だと考えておきながら、気持ちが良く分からなかった。
どうしようか。こいつ、ずっとここにいるつもりか?
考えていると、ふいに影が動き出した。壁伝いに、自動ドアの前まで移動する。外に出るつもりだろうか。
自動ドアの前に立つと、開いてしまったのでそのまま外に出る。このカラオケは二階建てのビル内にあるので、広い駐車場が目に入った。そこに、見覚えのある人物がしゃがみ込んでいる。
「……佐倉?」
近づいてみると、女子の横顔が見えた。
「やっぱり佐倉だ。どうした、具合でも悪いのか?」
「えっ? あ、一ノ瀬君? びっくりした。えっと、蝶の幼虫がいたから移動しようと思って……」
佐倉は言い訳をするように立ち上がって、またすぎにしゃがみ込む。足下を見ると確かに黒と黄色のシマシマの芋虫が動いていた。
「ここ、駐車場だから……車に跳ねられちゃうかなって」
「そっか。じゃあ、車が来ない様に見張ってるよ」
俺の言葉に、佐倉は愛らしく微笑んだ。
彼女は手に木の葉を持っており、そこに乗せようとするが、幼虫は嫌がって明後日の方向を向いてしまう。俺は車が来ないか、肝を冷やしながら道路を確認する。
ふと思いついて、ボディバッグからメモ帳を取り出した。
「こっちの方が大きいから、乗るんじゃないかな」
「いいの? ありがとう!」
メモ蝶を一枚破って、幼虫の足元に忍ばせる。やがて幼虫はメモの上に自分からよじ登り、佐倉は近くの花壇にまでそいつを移動させた。
「ありがとう、一ノ瀬君」
「いや、別に……夕方になると冷えるから、佐倉もいつまでもこんなところにいない方が良いんじゃねぇの? 一人か?」
「うん。さっきまで友達といたんだけど、ちょっと具合が悪くなっちゃって……先に帰ることにしたんだ」
少し、ドキッとした。さっきの自分の事を言っているのかと思った。
「具合悪いって、大丈夫か?」
「外に出たら、良くなっちゃった。そしたら蝶の幼虫がいたから……」
そういえば、俺もいつの間にか頭痛が治っていた。
だんだんと陽が落ちて来る。春先とはいえ、夕方になると冷え込む。
「蝶の幼虫って、良く分かるんだな。俺には蝶とか蛾とかの幼虫の区別なんてつかないよ」
「あの子はキアゲハだよ。うちの庭で見かけた幼虫が蛹になっててね、羽化までしたから覚えてるんだ」
「へぇ……なんか、いいな。そういうの」
「本当? ありがとう」
佐倉は照れたように笑った。その笑顔は、カラオケのコルクボードに貼り付けられていたものよりもずっと可愛かった。
「一ノ瀬君も、ひとりなの? ヒトカラ?」
「いや、俺も……友達と来てたんだけど、抜けて来たんだ」
「えっ……具合でも悪いの?」
「いや、もう治った」
佐倉は不思議そうな顔をしている。そりゃそうだろう。俺だって、すごい偶然だと思う。二人して同じ状況で鉢合わせをするなんて。
「一ノ瀬君は、これから……」
「佐倉。これからどうすんの?」
今度は言葉が被った。
しばらく二人とも無言だったが、先に佐倉が笑い出した。俺もつられて笑う。
夕暮れの中、二人の影が伸びている。
そうだ。俺の影はどこへ行ったのだろう。佐倉に気を取られて、すっかり忘れていた。辺りを見回すが、どこにもいない。ただ長い影が伸びているだけだ。
「わっ」
急に佐倉が声を上げた。「どうした?」と問いかけると、彼女は少し怯えた顔で地面を指さした。
「そこに、人型のシミがあるよ。一ノ瀬君の足元」
「えっ?」
足元だを慌てて確認すると、確かにあいつがいる。俺自身の影とは別に存在していて、俺から二人分の影が伸びているようにも見えた。
それから、スーッと俺の足に本来の影として繋がったかと思うと、いつの間にか消えてしまった。
「……ん? あれ……? ごめん、私の気のせいかも」
佐倉は口元に指を添えると、首を傾げながら俺の足元を見ている。タイミングからして、俺と同じものが見えていたようだった。
……ひょっとすると、この影は見える人間と見えない人間がいるんじゃないだろうか。霊感とか、そういうものかもしれない。間宮やカラオケの女性店員には見えなかったようだが、俺や佐倉には見えている。
――翔太は?
翔太には、見えていたんじゃないだろうか。
あいつが蹴った場所には、虫なんていなかった。あったのは俺の『影』だ。
翔太は、あれを何だと思っていたのだろう。
俺は、途中で自分の『影』だと気がついた。足をクルクルと回す癖を見て、少なくともそう認識した。
翔太は……?
あいつは、あの影を俺だと思って何度も足蹴にしたのか?
俺には見えていないと思って。
少なくとも、今までの俺には見えていなかった。でも、急に今日見えるようになった。
……今日は、はじめから「帰りたいな」と思っていた。佐倉のことを言われたせいかもしれない。どうしてか、佐倉の話題をあの二人にされたくなかった。揶揄されたくなかったのだ。バカにされたくなかった。
あの影は、俺の本心だったのかもしれない。あそこから離れたかった。でも、せっかく友達と遊びに来ているのに、クラスの女子の事でからかわれたくらいで……と無意識で我慢してしまった。
間宮の言葉も、仲が良いから言っているんだと決めつけたが、本当は気分が悪かった。
俺は、本当はずっと帰りたがっていたのかもしれない……。
「……どうしたの? やっぱり、具合悪い?」
声にハッとして前を見ると、佐倉が心配そうに俺を見つめていた。「家まで送ろうか?」と聞かれてしまい、どっちが女子だよと苦笑いをする。
「いや、平気……」
そうやって手を振ると、足元の影がまた二つに割れた。佐倉は気付いていない。
目前に見える俺の影は、隠れた感情のように感じた。
「……あのさ、佐倉はこれから帰るの?」
そう問いかけると、また影は一つに戻る。そうだな。もう少し、彼女と話がしたいんだよな、あいつは。
「それ、私も聞こうと思ってた。一ノ瀬君は?」
佐倉は控えめな笑顔を浮かべる。俺は勇気を出して、こう言った。
「丁度時間が空いててさ。一緒にメシでも行かないか?」
問いかけると、佐倉は「うん!」と嬉しそうに頷いてくれた。影が見えなかったら、遠慮して聞けなかったと思う。
影が俺に勇気をくれた。そう考えると、この不思議な現象があって良かったと思う。間宮や翔太のことを含めて、全部。
夕日はどんどんと落ちていく。遠くに小さな星が見えて、どこか自由になれた気がした。
影 日守悠 @sunstar_8
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