猫かぶり

日に夜

ユメちゃんは猫かぶり

 誰が何と言おうと、私はアオ君の彼女だ。

 アオ君とは入学式に知り合って、それからすぐに恋人関係になった。

 部屋の壁に貼った写真には、幸せそうに笑う私。そしてバックハグしながら微笑むアオ君。私は自分を奮い立たせるように、にっこり笑うとキッチンへと向かった。


 お砂糖と牛乳をたっぷり入れたコーヒーを飲みながら、大学に行く支度をする。頭に——前下がりのボブヘアーをした女の横顔が浮かんだ。それから本棚の端っこに、数ヶ月借りっぱなしのまま置いてある、傾いた本を見た。


「ヤだな。あの女に借りた本を返さないと」


 私は目を閉じたまま、鞄の中へ本を突っ込んだ。


 今日のトップスは、アオ君が置いていったオフホワイトのパーカーにしよう。アオ君は私のお腹を触るのが好きだから、重ね着しない方がいいかな。下はこの間お家デートで褒めてくれたスカートがいいね。よし、完璧!


 部屋のチャイムが鳴った。

 インターフォンを確認すると、前髪を整えるアオ君の姿が映っていた。

「あれ、予定より早い」

 私は玄関の施錠をはずす。するとすぐに扉が開いて、アオ君が入ってきた。


「ユメちゃん、おはよう」

「おはよう」

 う、の形が動く前に、唇にアオ君が触れた。それから少し、玄関先では激しすぎるくらいのキスと愛撫。重ね着しなくて正解だったね。


 背の高いアオ君の顔が、すぐそばにある。

「まだ学校行くまでに時間、あるだろ?」

 何だか余裕が無さそうに聞いてくる。私は頷くと、アオ君から体を離した。


「少し待ってて。部屋を片付けるね」


 私はアオ君に背を向けて、テーブルの上を片付けようとした——後ろから、ギュッと体を包まれる。

「そんなのいいよ、ユメちゃん」

「だってアオ君激しいし。コップ割れちゃう」

「ダメ?」

 私はアオ君のバックハグに弱い。きっとアオ君も気が付いている。私の首筋に触れるか触れないかの距離で、切ないフリをした吐息まじりの言葉をこぼす。ずるいなぁ。本当にずるい。


 本当は言ってやりたかった。

 でも、二人きりの時にだけアオ君が見せる、子犬みたいな顔に私は弱い。


 それに。

 まだ、醒めない夢の中に居たいんだ。



 ※


 一時間ほどして、家を出た。

 大学に着くと、

「俺、今日はこっちの棟で授業だから」

 そう言って、爽やかな笑顔でアオ君は手を振った。後ろ姿を見送って、スマホの時計を確認する。

「ヤバい、授業開始五分前」


 教室に入ってすぐ、授業開始のチャイムが鳴った。この先生はチャイムと同時にプリントを配り出すから、遅れて入ると面倒なんだ。


「おい、美杉ミスギ

 私の苗字を呼ぶ、低い声がした。空いている席を探す私に、黒髪の男子が綺麗に揃えた手を挙げている。カノウ君だ。

 近づくと、私の分の席とプリントを確保してくれているようだった。


「叶、気が利くね。助かる」

「美杉はもっと余裕を持って来いよ」

 私たちはお互いの苗字を呼び捨てにしている。唯一の同じ高校出身者だったのが、話すようになったキッカケだったっけ。

 私の交友関係で、こんなに背筋が良くて、真面目な顔をしたヤツはいない。


「余裕を持って準備はしていたんだけど……」

 私は叶君の痛い視線を感じながら、正面を向いた。先生がプリントの説明を始めている。


「前から思っていたけど、美杉って」

「何?」

「男見る目無いよな」

 叶君の言葉に、私は思わず噴き出した。時々私の心に爆弾を落としてくる。


「アオ君は顔が良くて、優しいよ」

「愛情表現も露骨だしな……次の授業、あの女先生だろ。首のキスマーク、マズいんじゃないの」

 私は出がけに、アオ君におねだりしたキスマークを撫でた。

「叶のえっち」

「俺はえっちですよ」

 真顔で冷ややかな返し。何だろう。私はこのやり取りがいつも楽しい。


 叶君が何て言おうと、私はアオ君のことが好き。他の女にうつつを抜かしていても。

 今日、本の返却ついでに言ってやる。アオ君に相応しいのは私だって。

 

 授業終わりのチャイムが鳴った。

「美杉、これ使えよ」

 叶君が鞄から出したものを私のそばに置いた。

「絆創膏?」

「次の授業の為に貼っておけよ」

 叶君はそう言って、筆記用具を片付けた。私がキョトンとしていると「何? 俺に貼れって言うの?」と叶君はギョッとした顔になる。私はようやく意味を理解して笑った。


「自分で貼るよ、絆創膏。トイレに行きたいし」

「それであの本、返しに行くのか?」

 叶君は昨日のやり取りを知っていた。アオ君が前下がりのボブヘアー女——私の友達だった女と出来てるって。


「本と一緒に、アオ君も渡しちまえよ」

 少し乱暴に叶君が言った。

「アオ君は私の彼氏だよ」

「浮気するヤツは、浮気を繰り返すぞ」

「……経験者は語るね。言葉に説得力あるわ」

 叶君は、前の彼女に何度も浮気されている。


「それじゃ、叶、またね!」

 私だって頭では分かっている。叶君の言う事は正しい。それでも、アオ君と離れられない私は馬鹿だ。

 好きな人に好きな人がいるなんて、信じたく無い。後もう少しだけでいい。猫をかぶって、間抜けなフリして。夢から醒めたら、沢山泣くんだ。


 トイレの鏡の前に立つ。アオ君が付けた首筋のキスマークに、叶君がくれた絆創膏を貼る。

 私は自分を奮い立たせるように、にっこりと笑った。





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猫かぶり 日に夜 @hiniyoru

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