Happy pre-valentine's day

幸まる

スパイシーココア

バレンタインデー前の日曜日。

甘いチョコの香り漂う台所の扉を薄く開けて、恨めしそうにこちらを覗く父に気付き、日向子ひなこは眉を吊り上げた。


「もう! やめてよそういうの!」

「だって、日向子ぉ、それ誰の為のチョコなの」

「だから! ウザいっ!」


“ウザい”と言われてわざとらしくショックな顔をする父を押しやり、日向子はバタンと大きな音を立てて扉を閉めた。



「もうサイアク! ごめんね寿鈴すず


日向子はポニーテールを大きく揺らし、ぷりぷり怒りながらテーブルの方へ戻ってきた。

テーブルでは、高校のクラスメイトであり親友の寿鈴が、笑いながらチョコレートとバターの入ったボウルを湯煎にかけている。


今日は日向子の家で、バレンタインデー用のチョコレート菓子を作っているのだ。


「ううん、大丈夫。でもお父さん、あんな風に邪険にしていいの?」

「いいの、いいの! もー、寿鈴とバレンタインのお菓子作るってお母さんに話してるの聞いてから、ずっとあの調子だよ? ウザすぎでしょ!?」


日向子は、心底ウンザリという様子で大きく溜め息をついた。


日向子には中学生の頃から彼氏がいたし、バレンタインデー前には友チョコを含め、毎年チョコレート菓子を用意していた。

ただそれは、母に手伝ってもらいながら、市販のビスケットやマシュマロにチョコを塗ってデコレーションする程度で、本格的に一から菓子を作ることは今回が初めてだ。

寿鈴がバレンタインには彼氏に手作りのお菓子をプレゼントするのだと聞き、じゃあ一緒に作ろうと誘ったのだ。

一緒に作ろうと言いながら、お菓子作りが得意な寿鈴に、全部教えてもらおうと思って持ち掛けたのではあるが。


そして、どうもそれが、父の中の何かを刺激したらしい。

「日向子は誰にあげるの」「お父さんには作ってくれないの」と、やけに絡んできて鬱陶しいったらないのだ。



「ウザい……のかな。私には、ちょっと羨ましいけど」


笑って、寿鈴が言った。

ゴムベラを置いて卵を割り、慣れた手つきで殻を使って卵黄と卵白に分ける。


日向子は強く顔をしかめた。


「えー、羨ましい? どこが!?」


寿鈴の眉下でまっすぐに揃った前髪が揺れ、その下で手元を見つめる目が、無情に閉められた台所の扉を、一瞬だけチラリと見た。


「どこって、色々だよ。運動会にも来てくれてたし、この前も急に大雨が降った日、連絡したわけじゃないのに、仕事帰りに学校まで迎えに来てくれてたでしょ。日向子のお父さん、日向子のことすごく大事にしてる。大好きなんだよね、きっと」


“大好き”と言われて、嫌ではないがなんとも言えない居心地の悪さが込み上げて、日向子は唇を歪めながら肩をすくめた。


「別に、そんなの普通だよ。一人娘に甘い父親なんて、いっぱいいるでしょ」

「そんなことないよ。すごく優しいと思う。私のお父さんは、運動会に来てくれたことなんて一度もなかったよ」


口調も変えずに続けられた言葉を聞いて、日向子は歪めていた唇をゆっくりと戻した。



寿鈴の両親が離婚していることは、以前に聞いたので知っているが、その理由までは詳しく聞いたことがない。

しかし、一人娘の小中学校の運動会を一度も参観していないというのなら、子供に対して関心の低い父親だったのかもしれない。


「そっか……。それはそれで、なんか寂しいかもね」

「うん、あの頃は寂しかったよ。バレンタインのチョコもね、初めて自分で手作りしたのは、お父さんにだったんだ」

「そうなんだ? 喜んでくれた?」

「受け取る時は、喜んでるように見えたの。でもね、ずっとお父さんの部屋の机に置かれたままで、結局食べてくれなかった」


日向子は粉を振るっていた手を止めて、溶けたチョコレートとバターのボウルに、卵黄を落とす寿鈴の顔を見た。

手元に視線を落とした彼女の表情は、学校の家庭生活部でお菓子を作る時と同じに見える。


「……それって、娘が作ってくれたものを、勿体なくて食べられなかったってことじゃないの?」


控え目に言った日向子の言葉に、寿鈴は申し訳なさそうな顔をして笑う。


「その考えね、日向子がお父さんに大事にされてる証拠だと思うな。日向子がプレゼントしたもの、お父さん何でも喜んでくれるんでしょ」

「え、うん……」

「私があげたのはね、生チョコだったの。目の前で冷蔵庫から出して、お父さんに渡した。でも、ずっと部屋に置かれてるままだったの。……きっとね、箱も開けなかったんだと思うんだ。そのまま置いてたら傷んで食べられなくなるなんて、考えもしなかったんだろうね」


寿鈴がボウルの中で、泡立て器をゆっくり円に動かした。

艶のあるダークチョコレートブラウンに、黄身色の筋が渦を巻く。

同系色のはずなのに、すぐに混ざり合わずに筋を残していく様は、甘い香りの中で、不自然に浮いたように見えた。



「意外だな〜。初めて手作りのチョコあげたのって、大樹だいき君にじゃなかったんだ?」


なんだか居た堪れない気持ちになって、日向子はわざと明るく言って、からかうように寿鈴の顔を覗き込んだ。


「えっ?」

「だって、幼馴染だったんでしょ。ずっと好きだったなら、とっくにあげてると思ったけど」


大樹は他校の男子生徒で同い年。

そして、寿鈴の初めての彼氏だ。

幼馴染の関係だと言い張っていた寿鈴が、ようやく大樹を彼氏だと認めたのは、去年の終わりに近かった。

日向子は寿鈴と入学後すぐ仲良くなって、大樹の話もたくさん聞いてきた。

聞けば聞くほどじれったかったし、関係が変わった今も随分初々しくて、日向子はついつい突っ込んで余計なことを言いたくなってしまうのだ。


「友チョコはクラスの子と一緒に渡したことあるよ。……でも、手作りは渡したことないの」

「そっか〜、彼氏になって初めてのバレンタインデーってわけだ」

「う、うん……」


大樹彼氏の名前を出せば、今まで淡々と話していた寿鈴は急に顔を赤くして、手の動きを早くする。

さっきまで二色に分かれていたボウルの中で、黄身の混ざりきったチョコレートは、甘く温かな色に変わっていた。


「よし、じゃあ美味しいの作ろうね!」

「うん! あ、日向子、粉こっちに入れて」

「了解」


振るった粉をボウルに入れながら、二人は楽しそうに笑い合ったのだった。






バレンタインデー前日、日向子は自分の部屋で、明日渡す菓子をパッケージしていた。

手の平サイズのベーキングカップで焼いたガトーショコラは、彼氏に渡すもの。

あらかじめカップとセットで買っていた箱に入れて、赤いリボンを掛ける。

友チョコ用は、寿鈴とチョコクッキーを作り、先に袋詰めしてある。


リボンをキュッと結び、日向子は可愛らしくパッケージされた菓子たちを眺めた。

この中に、父に渡すものはない。

父用には、母と買い物に行った時に一緒に選んで買っておいた。

二人からだと、明日母が渡してくれることになっている。



小学生の頃は、日向子は母とは別に父にチョコレートを渡した。

市販のものだったけれど、「食べるのが勿体ないなぁ」と言って、嬉しそうに毎日少しずつ食べているのが可笑しかった。


父の日。

誕生日。

勤労感謝の日。


そういう日には、幼い頃から決まって何かを手作りしてプレゼントした。

クレヨンで描いた落書きみたいな似顔絵。

折り紙で作った歪な花束。

今見れば恥ずかしい手紙だって、父は机の引き出しに仕舞っているはずだ。


中学生からは、母と一緒に選んで買ったものを渡しているだけだけれど、それでも、嬉しそうに受け取って、どれも大事に使っているのを知っている。



ずっと、は、当たり前だと思っていた。


親が子を大事にするのは、当然のことなのだと。


 

中学生になって、親の干渉を嫌がる周りの傾向を見て、なんとなく自分もそうなった。

鬱陶しいと表しても、悲しい寂しいと言いながら変わらず寄ってくる父を見て、邪険にしたって大丈夫だと思った。

それは、父が自分のことを嫌いになるはずがないと、どこかで安心しきっているからだったのかもしれない。


……でも、本当は違うのかも。


母が、父が、私を大事にしてくれるのは、当たり前に見えてとても特別なことなのかもしれないと、日向子は初めて思った。




日向子は二階から降り、台所に入った。

収納スペースからホーローの小鍋を出し、純ココアの袋を手にする。


袋のジッパーを開ければ、濃い焦茶色の粉が覗く。

ナッツのような香ばしさと、僅かに酸味のある香り。

この独特の香りは、いつも胸が躍る。



ティースプーンで、四杯。

砂糖は同量より、やや少なめ。

少しだけ首を傾げて、上目に考える。


よし、今日はシナモンを効かせよう。

小瓶の香辛料が並んでいる壁の棚から、シナモンパウダーを取って数回振り入れた。


ポットのお湯を少量垂らし、鍋を傾けて弱火にかけ、細いゴムベラでゆっくり練る。

丁寧に練られたココアは、鍋の隅で艶のあるペースト状になっていく。


日向子の一番好きな飲み物はココアだ。

だから必ず、このひと手間を欠かさない。

こうすることで、口当たり滑らかで、コクのある美味しいココアに仕上がるのだ。

この味を知れば、お湯を注ぐだけの調製ココアは飲めない。


均一によく練れたら、牛乳を少しずつ注ぎながらココアペーストを溶かしていく。

混ぜながら、沸騰直前まで。

火から下ろし、二つのマグカップに分け入れた。

戸棚からマシュマロの袋を取り出し、ココアの上に一つずつ、そっと浮かべる。

茶漉しでココアを振り、再び香辛料の棚から一味を手に取った。



「日向子、ココア入れてるの?」


扉の方から、父の声がした。


ほら、やっぱり来た。

日向子は笑いを堪える。

日向子がココアを入れていると、匂いにつられてか、いつも父がやって来る。

そして必ず言うのだ。


「お父さんも日向子の入れたココア、飲みたいなー」


父は日向子の側に寄って、手元を見た。

同時に、日向子はココアパウダーの散ったマシュマロの上に、一味を振る。


「えっ、ココアに一味入れるの!?」

「そ。ピリッとスパイシーで温まるの。……飲む?」

「ええぇっ!? いいのっ!?」


大袈裟に驚く父に、日向子は苦笑いした。

まあ、仕方がないか。

いつもは「自分で入れれば」と言って知らんぷりしているのだから。



日向子はマグカップの端にそっとスプーンを差し込み、テーブルの上で父の方へ取っ手を向ける。


「これ、今年のバレンタインの分だから」


バレンタインデーに改めてチョコレートを渡すのは、抵抗があり過ぎる。

でも、まあ、感謝していることは確かだから、これはその気持ちだ。


一日早い事も、形に残らないものである事も、ピリリと辛味を効かせたことも、……ちょっとした抵抗なのかもしれないけれど。



「飲まずに明日まで置いておこうかな……」


マグカップを両手で持って本気でそんなことを言う父に、日向子は顔を強くしかめた。


「バッカじゃないの!? 熱い内に飲まないと、二度と作ってあげないからね!」



自分のマグカップを持って、ぷりぷりと怒りながら台所を出て行く日向子の口元は、それでも少し、緩んでいるのだった。




《 終 》

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