九相蟲
古野愁人
本文
あなたは最悪の選択をした。
一度や二度ではなく、数えきれないほど幾度にもわたって。
最初の過ちは思い出せない。何故なら、産まれてきたこと自体が大きな間違いだったのだから。
あなたが産まれてこなければ、妻と出会うことはなかった。彼女は他の男性と恋に落ち、満ち足りた人生を送れただろう。
そうすれば、娘が生を享けることもなかった。目に入れても痛くない、この世のなにより大切なひとり娘も。
そんな最愛の妻子をあなたは手にかけた。同情の余地など一切ない、きわめて身勝手な理由で。
あなたの目の前には彼女らの死体が横たわっている。
あなたはここでも最悪の選択をした。早いうちに自首していれば、死体が傷む前に荼毘に付すことだってできただろう。
しかし、あなたはそうしなかった。やるべきことをせずに、ただ彼女らの死体を眺めていた。
眠りもせず、食べもせず、泣きもせず、渇いた瞳でひたすらに彼女らを見守った。
死体が腐敗して途轍もない悪臭をまきちらしても、蛆が沸いてそこらじゅうを這いずりまわっても、あなたは身じろぎひとつせずに彼女らの死体をずっと見つめ続けた。
気が付くと、あなたの体にも蛆が沸きはじめていた。大小さまざまな蠅があたりを飛びまわり、耳障りな葬送曲を奏でている。
あなたはほとんど骨ばかりになった指先で自らの臓腑をほじくり、体内に蠢く蛆を口に運んだ。
それは腐った血の味がした。
次に、あなたは妻の死体に沸いた蛆を掬い、咀嚼した。
それは澄んだ夜空の味がした。
最後に、あなたは娘の死体に顔を埋め、腐った肉汁に溺れる蛆を口いっぱいに吸いこんだ。
血をわけた我が子の死体に沸いた蛆は、練乳のように甘ったるい味がした。
あなたは娘の死体にまとわりつく蛆を食べ尽くした。
それはあなたがくだした最初で最後の正しい選択だった。
九相蟲 古野愁人 @schulz3666
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます