飢餓

「お疲れ様です、先生。体調不良なのに、あまり寄り道しちゃダメですよ」


「何でここに……」


「何でって……心配になってお見舞いに、と。すいません、来ちゃいけませんでしたか?」


 口調は心配そうにしていたが、助手席に乗っているウイスキーのボトルやつまみをチラッと見ると明らかにからかうような表情になり、助手席のドアを開けると素早く乗り込んできた。


「先生、体力おありなんですね。体調不良なのにお酒買って、今から一杯……ですか? 大人って凄い。私も酷くお腹空いちゃってるので、ご一緒してもいいですか?」


「いや……これは……」


 しどろもどろになりながら必死に言い訳を考えていたが、すぐにそんな自分が滑稽に感じられた。


「このくらいは……いいだろ。そもそもそこまで詮索される筋合いは無いんじゃないのか。お見舞いは嬉しいが、そもそも生徒が教師の家に来るのはどうかと思うぞ」


 文乃は両手を膝の上におき、丁寧に頭を下げた。


「すいません、その通りです。ただ、契約違反もどうかと思いますよ。忘れましたか? 血を与える事への拒否については、事故や長期の旅行、生命の危機に瀕する病気の際は可能。と書きました。でも、私の記憶違いでなければ項目に『仮病』や『立てこもり』なんて無かったと思います」


 その言葉には僕よりも13歳も年下の少女とは思えない、落ち着きと有無を言わせぬ迫力があった。

 そのため僕は恥ずかしながら動揺してしまった。

 そして、やっと一言いう事が出来た。


「……すまない」


「いえ、いいんですよ。きっと、昨日の今日だから怖くなっちゃったんですよね? 分かります。だから見なかった事にしてあげます。私もアフターケアが不十分だったと反省してるんですよ? これでも」


 僕は何も返せなかった。

 そんな中でふと、文乃の顔を見るとどこと無く青白い。

 そして、冷や汗が滲んでいるように見える。

 まるで彼女の方が体調不良みたいだ。


「……おい、大丈夫か?」


「……大丈夫な訳……ないですね。お昼も血を飲んでなくて、そのまま夜も19時半。昨日お伝えした『極度の飢餓感』と言うやつです」


 そう力なく言うと、彼女は僕の方にもたれかかってきた。


「おい……ちょ……ここはマズイって!」


「じゃあ、先生の部屋まで連れて行ってください。ゴメンなさい。私のマンションまで戻ったら多分……途中で気を失います」


 え……

 僕は慌てて周囲を見回した。

 文乃を見ると、すでに顔は土気色になり額からは汗が多量に出ている。


「分かった。じゃあ……ちょっとだけゴメン」


 そう言って僕は一旦車から降りてアパートの鍵を開けると、戻って文乃を抱きかかえた。

 そしてドアを何とか開けると、中に入り必死の思い出彼女をベッドに寝かせる。

 こんなのほかの住民に見られたら、一巻の終わりだ。


 それから車に戻ってカバンなどを持ってくると、タオルで文乃の汗を拭く。


「先生……凄く、焦って……ましたね。見られたら……大変ですもんね。ふふっ……今日のおしおきに……なったかな」


 そう言うと、彼女はそのまま目を閉じた。


「このまま……夜中になったら私は……意識を失います。そのまま二日もしたら、死ぬ……のかな? 確認してないから……分かりませんが」


 意識を……ちょっと待った。

 教師の自宅のベッド上で生徒が意識不明になって救急搬送……どんな冗談なんだ?

 それこそ出世云々どころじゃない。


 僕は血の気が引くのを感じながら文乃に言った。


「……どうすればいい?」


 文乃は僕を見ると力なく笑った。


「血を……下さい」


 もうやむを得ない。

 疑惑がどうこうは後だ。

 どう見ても文乃の状態は普通じゃない。

 彼女自身が言うように、このままでは彼女は意識を失うだろう。

 それで目覚めなかったら……終わりだ。文字通り。


 僕は慌ててワイシャツの袖を捲り上げると彼女の前に出した。

 だが、文乃は力なく首を振る。


「すいません……もう……ここまで弱ると……それでは」


「……じゃあどうすればいい」


「首から下さい。そっちの方が血液量が多いです。さもなくば先生ご自身で……腕の血管を切っていただき、そこから……」


 いやいや、そんなのはゴメンだ。

 冗談じゃない。


 僕はスーツを脱いでシャツの首元を下ろすと、文乃の近くに持っていった。


「好きにしてくれ。意識を失う前に……早く」


「有難うございます。……すいません……先生を労われませんので、ご了承を……では……頂きます」


 彼女がそう言った直後。


 僕の左側の首に勢いよく文乃が噛み付き、次の瞬間激しい痛み……肉を食い破られるような痛みを感じ、思わずうめき声を上げた。

 だが、文乃には聞こえていないようで、荒い呼吸と何度も歯を立てる感触が首に伝わり、それは子供の頃に買っていた犬に噛み付かれた時を思い出させた。


 そして、事ここに及びようやく僕は理解せざるを得なかった。

 彼女の言葉は……嘘じゃない。


 血をすする激しい音と共に、僕の肩から胸に暖かいものが伝い落ちてくる。

 血か文乃の唾液か。

 恐らくその両方だろう。

 なぜなら僕の意識もぼんやりとしてきており、昨日彼女の言っていた酩酊状態に近くなっていたのだ。


 まだ……やるのか?

 昨日よりも時間が長いように感じられる。


 永遠とも感じられる時間の後、ようやく文乃は僕の首から口を離した。

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王女 京野 薫 @kkyono

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