羽と化す

サトウ・レン

突然、羽が生えてくる。

 私は片翼のもがれた天使を思い出す。

 彼女は少女のような外見をしていた。



 昔の話だ。のちに羽化と呼ばれるが、この頃はまだ誰も現状を把握などしていなかった。今も別に、理屈は誰も分かっていない。分かっているひともいるのかもしれないが、すくなくとも私は知らない。私が初めて見た羽化は、隣のクラスの紗良だった。紗良はガールズバンドのボーカルをしていて、ひと際目立つ赤く派手な髪が魅力的だった。自由な校風だったので、その髪の色は校則違反ではなかった。奇抜なファッションを好む紗良だったから、羽化をして最初の頃は、周囲から奇抜なファッションの一環と思われていた。


「勝手に生えてきたんだ」

 と紗良が言っても、冗談くらいにしか。それほど、あの頃はみんな、羽化に対して、無知だったのだ。


 今でこそ羽化によって背中に生えた羽は、『美しさ』の象徴のように捉えられているが、当時は得体のしれない怖いものだった。私にだって、『あんなふうに羽が突然、生えてくる日が来るかもしれない』と怯えていた時期があった。


『羽化は、選ばれし天使たちなんだよ!』

 机を強く叩き、唾を飛ばしながら語ったのは、国内でも指折りの有名なアイドルプロデューサーだった。その言葉をきっかけに、羽化によって羽の生えた十代の少女たちで、アイドルグループを作るプロジェクトがはじまった。私がそのプロデューサーの発言を見た時にはすでに、紗良の羽化から、五年ほどが経っていた。私はすでに二十歳だった。このプロジェクトがあと数年早かったら、私も羽化したアイドルの一員になれたのかな、と羽が生えてもいないくせに、そんな夢想をすることもあった。


 羽化に性別は関係ない。男でも生えることはあるし、女でも生えることはある。心なしか女性のほうが多いような気もするが、実際に取られた統計では、ほぼ五十対五十とのことだ。とは言っても、それがどこまで信頼の置ける統計なのかは分からないのだが。


 アイドルのオーディションを追う番組が開始し、私は毎週、その番組を録画して観るようになった。観ながら、『理不尽だな』と私は思った。たかが羽が生えていないくらいで、スタートラインに立てさえしない者がいるなんて。ある芸能人が私の想いを代弁するようなことをワイドショーで語っていて嬉しくなったが、その芸能人の発言はSNSで拡散されて、大きく炎上していた。


『羽が生えていないアイドルグループだって、変わらず活動しているし、募集もしているんだから、持ってない奴はそっちで頑張ればいいじゃないか』

 という論旨で、その芸能人の言葉を批難する奴らは、たぶん本質が見えていないのだ。あるいは羽化という現象後のアイドル事情に疎すぎる。羽の登場は、それまでのアイドルをアイドルと呼べないほどに、古い存在にしてしまったのだ。あまりにも『偶像』と呼ぶにふさわしすぎるアイドルの登場は。


 オーディションの応募者の中に、偽物の羽を背中に付けて応募した女性がいて、嘲笑の対象になったことは記憶に新しい。その女性の審査の際の映像が、Xで拡散された時、私の周囲の人間も馬鹿にしたように笑っていたが、私はまったく笑えなかった。私がもしあと五歳若かったなら、同じことをしたかもしれない。正直、そう思った。その女性の気持ちを彼女自身の口から聞いたことがあるわけではない。だけど私は手に取るように、彼女の真意が分かった。


『スタートラインに立てないだけだ。立たせてもらえれば、私はもっともっと、誰よりも輝ける』


 同僚だった女性に、羽の生えていたひとがいる。

 確かにそのひとは美しかった。衆目の一致するところだ。


 あまり社内の雰囲気に馴染めていなかった私に、いつも優しく話しかけてくれたひとで、名前は飯浦さん、といった。私よりもふたつ年上で、三年ほど前に、まだ二十代の若さで鬼籍に入った。二十、三十代の若さでひとが死ぬ、とちょっと前までは、まず自殺を疑われることが多かったものだが、羽化現象が起こるようになってからは、死の報せを聞くと、「そのひと、羽でも生えてた?」という話になることも多かった。


 羽は命でも吸い取るのか、羽化した人間の寿命は総じて短い。

 美人薄命を一字変えて、羽人薄命などと言われて、その言葉は結構、流行った。その流行りとともに、羽人、という呼び方が定着した印象さえもある。それまでの平均寿命の半分くらいしか生きられない羽人は、人間の平均寿命を大きく下げたが、寿命の統計を取る時、羽人は別の枠に入れられるので、〈人間〉自体の枠にはめられないことが多い。


『これを差別ではなく区別だ、と言う人間がたまにいます。嫉みを伴った区別ですね。ははは、人間は、羽人と違って、心まで醜いのですね』

 と言ったのは、舌鋒鋭い発言で羽人のオピニオンリーダーとして、大多数の関心を引いた羽人のタレントだ。あるテレビの番組で、彼は長くコメンテーターをしていた。ならば私たちもあなたたちを明確に区別してやりましょう、とそんな態度を崩さない彼の言葉は、多くの共感と批難を生んだ。


 飯浦さんの葬儀に参列した時、私は彼女の死に顔を見ている。

 その顔は決して、美しい、とは言えないものだった。死に化粧を施されていても、隠しきれないほどの醜さがあった。見た瞬間、私は吐きそうになった。なんでこんなことをしたのだろう、と私はそれまで話したこともなかった彼女の両親に怒りを覚えた。憎しみさえも覚えた。ただ、今ならば私はふたりの気持ちが分かるような気もする。


 飯浦さんの羽は切り取られていた。

 羽人は羽をもがれると、突然、顔が崩れたように醜くなる。実際、羽人の美しさがフィーチャーされた頃、嫉妬だったり悪ふざけだったり、と理由は様々だが、羽をちぎったり、切ったりする事件が相次いだので、よっぽどの世間知らずでもなければ知っている。それは死者であっても、例外ではない。


 羽を切る行為が厳罰化されてから、通り魔的な犯行は減った、と聞いているが、今でも事件のニュースは時折、耳に入ってくる。


 綺麗に背中の羽は切除されていた。彼女の両親のたっての希望だったそうだ。『最期は人間として死なせてやりたい』と彼女の両親は涙ながらに語っていた。だとしたら、羽のない両親は、羽以外、それまでと変わらない娘を、羽が生えてきた瞬間から、『人間ではない』と思いながら接してきたのだろうか。羽化を経ていないオールドタイプの〈人間〉はそんなにも偉いのだろうか。私は嫌だ。できるなら羽人になりたい。羽を背中に生やしたい。もっと多くのひとから憧憬のまなざしを向けられたい。だけど、なれないから、この姿で我慢しているのに。


「そんなに良いものじゃないよ。長生きもできないし、ね」

 飯浦さんが一度、寂しげにそう笑ったことがある。


「太くて短い人生のほうが、私には魅力的に思えます」

「『太くて短い』と表現できるほど、すくなくとも私の人生は、そんなに太くないよ。代わってくれるひとがいるなら、代わって欲しいよ」


 たった一度……たった一度だけ、飯浦さんに殺意を覚えた瞬間がある。それがこの時だ。本人にどれだけ複雑な想いがあろうと、それは得られなかった人間を逆撫でする言葉でしかないのだ。もしもあの日、私の手にナイフがあったなら、彼女の羽の生えた背中に、切っ先を突き立てていただろう。


 羽人たちのみで構成されたアイドルグルーブの名前は、『エンジェル・ウイングス』と呼ばれて、人気を博した。どこかチープなグループ名も、その懐かしさが良かったのか、好意的に受け入れられた。男性グループ、女性グループ、男女混合グループと様々な派生のグループもいて、全員例外なく、顔が美しく、ダンスも歌も上手かった。彼らの人気絶頂時に、多感な時期を過ごした、アイドルに憧れる少年少女の多くは、『私にもなれるかも』とわずかな希望に縋り、そしてそのほとんどは、絶望に打ちひしがれたはずだ。だって羽がなければ、スタートラインに立てないのだから。


『アイドルってのは、そもそも選ばれた者しかなれないんだよ。誰でもなれる存在に、価値なんか生まれないんだ』

 選民思想はとかく嫌われる。鼻に付く。これはもう理屈ではない。

 だから事あるごとに、『エンジェル・ウイングス』の生みの親である、かのアイドルプロデューサーはそう反論したが、批難の声は止まなかった。理屈ではないからだ。仮に彼の言葉が正論であったとしても、だ。


『ルッキズムを履き違えた馬鹿な奴らなんて無視するよ』

 ある雑誌にインタビューでそう答えた翌日、彼は死んだ。刺されて殺されたのだ。犯人はいまだに捕まっていない。とある組織化された犯行グループの仕業という噂もあるが、本当のところは分からない。


『立ち上がれ、同志よ。羽人どもを根絶やしにしろ。まずは、エンジェル・ウイングスからだ。傲慢に振る舞ってきた奴らに、怒りの鉄槌を』

 そんな動画が、拡散された。有名アイドルグループへの殺害を扇動する内容で、すぐにその動画は削除されたが、一度外に出たものを完全にふさぐことはできない。そして動画に感化された人間によって、『エンジェル・ウイングス』のメンバーのひとりが襲撃された。一命は取り留めたが、首を切りつけられたらしい。ハスキーな歌声が魅力的だった彼女は、もう歌えないかもしれない。


『私たちはなりたくてこんな姿になったわけじゃないのに。怖い。助けて』

 グループのリーダーでもある少女は、大粒の涙を流しながら、そう語っていた。涙まで美しかった。憎らしいくらいに。


 その言葉を聞いて心底、傲慢だ、と私は思った。


 なりたくてなったわけじゃない、と言いながら、その姿で名声を得てきたくせに。本当にもしも代わってくれるとしても、代わってなんてくれないくせに。本当に都合の良すぎる生き物だ。羽人は。


 たぶん同じことを思った人間は、私だけではないはずだ。

 大規模な『羽人狩り』の歴史について考える時、間違いなく起点はここだ、と私は考えている。


 暴動が起こった。


 私もとどめておけない感情に突き動かされるように、外へ出て。羽人を探した。

 ひとりの少女を見つけた。羽人だ。知っている、私はこの少女を。愛らしい少女のような外見をしているが、本質は、傲慢な悪鬼か何かだ。私たちはもう知ってしまっている。怯えたまなざしを私に向ける彼女の顔半分は崩れている。片翼がもがれているからだ。ほら、醜い。剥ぎ取られた、本質はやはり悪鬼に過ぎないのだ。


 確か、こいつもエンジェル・ウイングスのメンバーだ。


「な、なんで、こんなひどいこと」

 なんでだろう、と思った瞬間、私の頬にひとすじの涙が伝った。


 だって私はなれなかったからだ。だから奪う側に回るしかなかった。

 私はお前らが大嫌いだからだ。そしてこんな私も大嫌いだ。

 だから私は――――。



 もう片方の羽を、私は引きちぎった。

 彼女は、痛みに叫び声をあげていた。

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