3、羽根ペンの秘密

 漆喰の壁が夕日に染まる頃、ジュキは肩を落として家路に着いた。


 村中を走り回って探しても、魔法の羽根ペンは見つからなかった。ふわりと羽ばたいて飛び去った最後の瞬間が、幾度も脳裏をよぎる。


「風魔法が使えたら、空を飛んで追いかけられたのに」


 魔法を使えない自分が情けない。


 鼻先をくすぐるトマトとオレガノの香りに、ふと顔を上げる。家の煙突から夕食の香りが広がっていた。


 涙をこらえて木の扉を開けると、ランプの黄色い灯りに照らされたテーブルに、ルッコラのサラダと数種類のフレッシュチーズが並んでいる。


「ジュキちゃん、おかえり。――あ」


 母さんの隣でパスタをゆでていたアンジェリカが、ジュキの手元を見て小さく声をもらした。


 ジュキは真っ二つに割れた石板を抱きしめて、怒られる覚悟でぎゅっと目をつむった。


 だがアンジェも母さんも、ジュキを責めるようなことは言わなかった。


「大丈夫よ、神父様に謝れば分かってもらえるわ」


 姉の言葉に驚いて顔を上げる。アンジェはジュキの心を落ち着けるようにほほ笑んでいた。




 だが夜になってベッドに入っても、ジュキの心はざわついていた。


 石板を壊してしまったと打ち明けたら、神父様はなんとおっしゃるだろう? いつも温和な神父様は怒ったら、どんな顔になるのだろう?


 ブランケットをかぶり、かすかに震えながら目を閉じると、神父様に謝る自分の姿が心に映し出された。今日一日、懸命に想像するのが習慣になっていたせいかも知れない。


 ――ごめんなさい。ぼく、石板を落として割ってしまいました。


 隠したりごまかしたりせず神父様に向き合っている自分が、そこにいた。


 ジュキはハッとして薄闇の中で目を見開いた。


 ちゃんと謝ってるぼく、かっこいい。


 魔法を使えるようになりたかったのも、イーヴォに勝ちたいからじゃない。すごい力を手に入れて見せびらかしたいわけでもない。憧れの自分になりたいからなんだ!


「明日、ちゃんと謝る」


 決意を口に出すと、ふっと心が軽くなった。


 


 翌朝ジュキは、オートミールと果物にヨーグルトと蜂蜜をかけて流し込むと、すぐに家を出た。


 神父様は朝のお祈りを終え、大きなほうきで教会の中庭を掃いていた。


 ジュキは昨晩想像した通り、割れた石板スレートを差し出して謝罪した。頭の中で何度も予行演習をしたせいか、心は凪いで、恐怖心は霧のように薄れていた。


「ジュキエーレ、ちゃんと正直に言えて偉かったね」


 神父様は柱廊の古びた柱に庭帚にわぼうきを立て掛けて、穏やかな笑顔のまま、割れた石板を受け取った。


「物はいつか壊れる。落とせば割れてしまう。この石板はジュキエーレに大切なことを教えてくれただろう?」


 神父様は静かに言葉を紡いだ。


「悲しい思いをしたからこそ、君は昨日より、物を大切にできる優しい子になったはずだ」


 神父様の大きな手が、ジュキのやわらかい銀髪を撫でた。




 ――勇気を出してよかった!


 教会を飛び出したジュキの心は、神父様と話す前とは打って変わって明るくなっていた。胸のつかえが消えると、ジュキの脳裏に疑問が浮かんだ。


 ――でも、どうして羽根ペンは飛んでいってしまったの?


 答えを知るために、ジュキは再び魔道具屋を訪れることにした。


 大きな広場から細い路地へ入り、傾いた看板がみすぼらしい店の前に立った。不愛想なおばあさんを思い出すと扉にふれる腕が重くなる。でもジュキは意を決して扉を押した。


 店の中は相変わらず薄暗く、骨董品のような古臭いにおいが充満している。


 おばあさんはカウンターの奥で椅子に腰かけ、編み物をしていた。ジュキが近づくと、針を止めて顔を上げた。


「また来たのかい、坊や?」 


「うん。お話ししなくちゃいけないことがあって」


 ジュキは一歩前へ出て、勇気を振り絞った。


「昨日ブレスレットと交換してもらった羽根ペンが、飛んで行っちゃったんです」


 おばあさんはどういうわけか、まったく驚かなかった。


「そうかい。坊やにはもう必要なくなったんだろう」


 まるで予想していたかのように答え、再び編み物を始めた。


 取り付く島もないおばあさんの態度におびえながらも、ジュキは引き下がる気にはなれなかった。


「ぼく、まだ羽根ペンでいっぱい遊びたかったよ? どうして飛んで行っちゃったの?」


 おばあさんはじっとジュキを見つめ、ふっと口角を上げた。


「坊やはなぜだと思う?」


 ジュキは眉をひそめた。困惑する少年に、おばあさんはヒントを出した。


「ペンが舞い上がった直前のことを思い出してごらん」


 言われた通り、ジュキは昨日の記憶をたどってみた。


 魔法の羽根ペンを握って炎を描いたときのこと。炎の絵は本物になったけど、石板を落として割ってしまった。それで石畳に石板の絵を描こうとしたこと。


 その途中で我に返って、ぼくは――


 羽根ペンがふわりと羽ばたき、空へと飛び立った光景が脳裏によみがえる。


 あのとき、ぼくは何を考えていた?


 思い出した。


 魔法を操る未来の自分を、ありありと思い描いていたんだ!


「ぼくは、理想の自分をリアルに想像していた――」


 ジュキがつぶやくと、おばあさんは編み物の手を止めた。


「坊やが想像の羽を手に入れたから、役目を終えた羽根ペンは自分のおうちへ帰ったのさ」


 返す言葉を失うジュキに、おばあさんはゆっくりと語って聞かせる。


「よくお聞き、坊や。わしらは誰でも、心に魔法の羽根ペンを持っている。好きなことを自由に思い描いて、実現できるんだ」


「そんな魔法みたいな話、ぼく信じられないよ」


 ジュキは小声で反論した。


 おばあさんは黄色い歯を見せてニヤリと笑う。


「実は坊やは、最初から魔法が使えるのさ。知らなかったかい?」


 おばあさんは皺の刻まれた指で、ジュキの額をちょんとついた。


「わしらはみんな、願いを叶える魔法を使えるってわけだ」


 おばあさんの笑い方には凄みがあって、ジュキは口をつぐんだ。


「坊やに羽根ペンの秘密を教えてやろう。あのペンは、想像したことが現実になるまでの時間を極限まで短縮していただけなのさ」


「どういうこと?」


 難しい言葉を使わないでほしいと頼みたかったが、口には出せなかった。


「わしもお前さんも、いや誰だって、想像したものを現実にする力を持っているってことだよ」


「想像したものを?」


「魔力燈ひとつとってもそうさ」


 おばあさんは、カウンターを照らす古びたランプを指さした。


「誰かが『こんな魔道具があったら便利だな』と想像したから、時間をかけて現実になった。想像力イマジネーションこそ創造クリエーションの源泉なんだ」


 おばあさんがまた難解なことを言い出して、ジュキは居眠りしそうになったが、次の言葉で目を覚ました。


「だから坊や、夢を見なさい。たくさん望みなさい。そうすれば願いは実現するのだから」


 今度はおばあさんの言いたいことがはっきりと分かった。


 神父様に謝るのは怖かったけど、正直に話す自分を心に描いたら、その通りに行動できた。


 そういうことか――!


「ぼくは逃げたりあきらめたりせず、理想的なぼくの姿を何度も想像しながら眠ったんだ。そしたら今日、なりたい自分になれた!」


 おばあさんは満足そうにうなずき、ジュキをまっすぐ見つめた。


「忘れてはいけないよ、本当の羽はお前の心に生えているんだ。想像力の翼を羽ばたかせなさい」


 ジュキが目を輝かせてうなずくと、おばあさんはカウンターの引き出しを開けた。


「羽根ペンが戻って来たからね」


 謎めいたことを言いながら、小さな袋を取り出す。


「これは返しておこう」


 袋の中から現れたのは、子供っぽいブレスレットだった。ジュキはハッとして、姉からもらったブレスレットを大切そうに握りしめた。


「おばあさん、ありがとう!」


 魔道具屋を出ると、真上で輝く太陽から放たれた光芒が、細い路地まで届いていた。


 石畳が白く照り返す広場では、色とりどりのパラソルの下、男たちが昼から酒を飲んでいる。


 ジュキは村人たちに手を振って、意気揚々と広場を横切った。 


 ――馬鹿にされても、何を言われても、ぼくはあきらめない。自分を信じるんだ。だって願いは、ぼくの心の魔法で必ず実現するんだから。


 ジュキは目の前の道を力強い足取りで歩き始めた。




 §




 扉が閉まると魔道具屋の店内に静けさが戻った。


 おばあさんは棚から一冊のノートを取り出した。古びた表紙は糸でしっかりと閉じられ、使い込まれたページには光り輝く文字がつづられている。


 カウンターにノートを広げると、淡い光をまとった羽根ペンが、店の奥から飛んできた。


 輝く二枚の羽を閉じてノートに舞い降り、すらすらと文字を書いてゆく。ペンの穂先が紙の上をなめらかに滑るたび、おばあさんは、


「うん、うん」


 と相槌を打つ。


「そうかい、そうかい」


 おばあさんは目を細めて何度もうなずいた。


「お前も、あの坊やもがんばったんだね」


 褒められたことを喜ぶかのように、羽根ペンはふわりと小さく羽ばたいた。


 おばあさんはくすりと笑って、静かに椅子にもたれる。




 こうして今日もまた、新しい物語が綴られてゆく――




─ * ─




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