ウィングカーレース
敷知遠江守
スズカ・ニッポン
地を這っていた車からタイヤが無くなってもう久しい。
それは車にとっては四度目の革命であった。
一度目は馬が曳いていた車にエンジンが積まれて自走するようになった。
二度目は燃料がガソリンから電気へと変わった。
三度目は自分が運転しなくても車が運転してくれるようになった。
そして四度目の革命としてタイヤが無くなった。
タイヤの代わりとなったもの、それはガラス繊維と炭素繊維、特殊プラスティックからできた素材で笹の葉状に模った物。それを高速で上下に仰ぐ事で浮力を得るのである。これにより、降雪時も問題無く走行できるようになったし、チェーンなどでアスファルトを傷つける事が無くなった。
元はトンボの羽の研究から生まれた技術で、そのため開発時のコードネームはそのまま「トンボ」であった。これが「ドラゴンフライ」や「リベレン」でないところからも、どの国が開発したのか察しがつく。
二輪だった単車は四枚羽、四輪の普通自動車は六枚羽、バスが八枚羽、トラックが十枚羽。
羽はシャシの下の突起に付いており、五分の一ほど車体からはみ出ている。当然羽が大きければ大きな推進が得らえるのだが、それだとそれまでの車幅では対応できなくなるので、羽の数の方を増やしたという感じである。
ただ、残念ながらこの「ウイング」と呼ばれる方式では、最高時速百三十キロをなかなか超える事ができなかった。その為、F1のようなレースでは引き続きタイヤを履いていた。
ところが最近になって羽の向きを変える事で最高速度を上げられる事がわかった。
十枚の羽の前四枚と後ろ四枚を斜めに配置し、真ん中の二枚を上下ではなく前後に羽ばたくように変更し、最高時速三五十キロを叩き出す事に成功したのだった。
その発表から世界の有名自動車メーカーは一斉にレーシングカーの開発に着手。
レーシングカーの開発に成功した日本の二つの自動車メーカーは、世界に向けてウィングカーによるレース開催を呼びかけたのだった。
こうして既存のフォーミュラレースとは別に、ウィングカーによるレースが今日開催される事になった。
場所は日本の鈴鹿サーキット。参加メーカーは八社。
周回はタイヤ式のフォーミュラレース同様五十三周。天候は晴れ。ただし少し風が吹いている。
地元日本からはT社とH社が参加、海外からはイタリアのA社とF社、英国のA社、ドイツのM社とP社とB社、フランスのR社、アメリカのF社が参加している。
各社それぞれ自社のカラーに塗装された車体に十枚の羽を生やしてコースに乗り入れている。羽は基本的に透明なのだが、そこにも各社のカラーがほんのりと染められている。
旅客機のタイヤのようにシャシの下に収納可能な車輪があり、普段は羽を保護するため、その車輪が支えている。エンジンを始動させ羽が動き出すと、ゆっくりと上がって収納されるようになっている。
今回、H社はこのレースに並々ならぬ思いで参加している。
そもそも、このウィング式の車でレースを開催したいと望み、研究に研究を積み重ねて来たのはこのH社なのだ。
是が非でも初回の王者に輝きたい。それがH社のチーム全員の思いであった。
発走一分前。
ドライバーがスタートスイッチを押すと、各車体からブーンという虫の羽音が鳴り響く。観客席では近くに大量の蜂か蠅がいるかのような錯覚を覚えている事だろう。
目の前の計器の上に置かれているAIコンソールに「レーシング・アシストシステム・スタンバイ(スズカ・ニッポン)」の文字が躍る。
発走時刻がせまる。
一斉にスタッフがコースから出て行く。
ブイーンという先ほどより少し高い羽音がけたたましく鳴り響く。
一番左の信号が点灯、二番目の信号も点灯、三番目の信号も点灯、四番目の信号も点灯、一番右の信号も点灯。
全ての信号が消灯し青信号が点灯。
それに合わせて各マシンが一斉にスタートを切った。
フォーミュラレースよりも加速が速く、一気に加速して最初のコーナーに突入。
アシストAIが車体を持ち上げ、さらに右に傾かせながらコーナーを曲がって行く。見ている側からは、各車がまるで横滑りしているかのように見える。
各車は名物であるS字コースに突入。ここもアシストAIのプログラムの見せ所である。アクセルを踏み込み、少しだけ通常より車体を浮かび上がらせる。速度を落とさないようにアシストAIが車体を左右に揺さぶる。その姿はまるで波間に揺れる木の葉のよう。
続くコーナーは最初のコーナーよりも大きく、各車大きく車体を縦に傾けて進んでいく。それを過ぎるとコの字のカーブとなる。ここは最初のコーナーのように車体を傾けながら進んでいくのだが、車体が元に戻るとすぐに次のカーブとなる。乗っているドライバーは体を大きく二度も揺さぶられる事になる。
上空にコースを見ながら直線コースをアクセル全開で突き進むと、このコースの難所ヘアピンカーブへと突入する。ここまでほとんどアクセル全開で突き進んできた各車だが、ここで一斉にアクセルを緩める。その後ハンドルを一杯に切ってアクセルを踏み込む事でサポートAIがヘアピンカーブだと認識し、あまり車体を傾ける事なく姿勢制御を行い、くるっと車体を前後反転させる。ここでは後続の車が下がって来る事があるので要注意である。
そこからドライバーは次のコーナーに向けてアクセル全開で突き進む。スプーンカーブに突入した各車は先ほどのコの字のカーブのように車体を二度横に傾けて滑るように曲がって行く。
そこからは長いバックストレート。ここまでで羽を傷めているとここで上手く速度が出ず後続に抜かれてしまう事もある。
バックストレートを抜けると緩いカーブの先に短いストレートがあり、もう一つの難所トライアングルと呼ばれるクランクに突入する。ここはどれだけ速度を落とさずに抜けられるかが鍵で、一番の勝負ポイントでもある。
トライアングルを抜け、緩い最終コーナーを過ぎると、観客席前メインストレートとなる。
五周が終わった時点で首位は英国A社。日本のH社は四位であった。
コースの幅が狭く、なかなか抜かれもしないが、こちらも抜けないという状況が続く。
徐々に羽を路面にこする車が出てきて、十周過ぎたあたりから直線でのスピードが落ちて抜かれるという事が起き始める。
ここからはどこのタイミングでピットインするかというチームの判断が重要となってくる。
ピットインすれば羽の交換ができ、速度は元に戻る。だが交換そのもので大きなタイムロスが発生する。
「ディレクター! アシストAIからの情報で右三、左五の羽に亀裂が入ったそうです。少し早めの交換が必要かと」
スタッフからの報告にディレクターと呼ばれた人物はレース映像をモニターで見ながら口をへの字に曲げた。
できる事ならピットインはなるべく少なく、できれば十四周を目途に交換したい。素材の関係でタイヤよりも羽の方が消耗しやすいのだ。
現在周回数は十一周。悩ましいところである。
「いや、まだ良い。左右一枚づつなら、うちのアシストAIであればその二枚を十分カバーするように走れるだろう」
ディレクターの読みが正しかったのか、周囲が軒並みピットインする中、H社は予定通り十四周を走り切ってピットインした。
四人が車体を持ち上げ、四人が車体下に潜り羽を外して行く。用意された羽を車体下に差し込んで固定していく。フォーミュラカーのようにタイヤが車体の外にあるわけではないので思った以上に交換に時間がかかる。
交換が終わると、ドライバーは指示に従いピットロードへと車体を進ませる。許可が出たところで再度レースに戻る。
その後、左の羽を三枚破損してしまい、予定を早めて二十七周でピットイン。その後は四十一周でピットインした。
これで残りは十二周。
四十五周目にアクシデントが発生した。
トライアングルで強引に追い抜こうとしたドイツのB社が英国のA社と接触したのだ。首位の車と二位の車はそれぞれ大きく羽を損傷し、アシストAIのサポートで辛うじてコースアウトは免れたのだが、緊急のピットインを余儀なくされた。
代わって先頭に躍り出たのはイタリアのF社。次いで日本のH社。
残り三周というところで、H社のディレクターの判断が大きく効いてきた。前回のピットインからH社は九周目、対してF社はこれが十一周目。
どうやら羽を損傷したらしく、バックストレートでF社の速度が上がらない。
バックストレート後の緩いカーブでついにH社はF社を抜いてトップに躍り出た。
とはいえF社も諦めてはいない。執拗にH社を追い詰める。
ここでアクシデントが起きる。
ヘアピンカーブで少し下がったH社の羽にF社の羽が接触したのだ。F社の車は右前の羽を損傷、H社の車は左後の羽を損傷した。
アシストAIが瞬時に羽の制御を変更するが、それでもバックストレートでは伸びを欠いた。だがピットインの命令は無い。
残り一周。
メインストレートを走る中、ドライバーはヘルメットの中で口角を上げた。ちらりと見えるサイドミラーにF社の車の影が無かったのだ。どうやらヘアピンでの接触が向こうにとっては致命的だったらしい。
H社のドライバーは丁寧に残りの一周を回り終えると、市松模様の大きな旗の出迎えを受けたのだった。
ウィングカーレース 敷知遠江守 @Fuchi_Ensyu
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