花あかし

坂水

 神社前のアスファルトに赤い染みが散っていた。それはてんてんと落ち、境内へと続く。

 慌てて僕は自転車を飛び降りた。半日悩まされた頭痛も忘れ、停める暇も惜しく、鳥居下の砂利に横倒しにして駆け込む。

 赤い目印に導かれ、参道の脇へと入る。

 一月下旬の神社は真冬だというのに、そこには鬱蒼と緑が茂っていた。それら常緑樹の下に、赤く点在する染み、黒い髪、紺色のコート、プリーツスカートが広がっている。学校帰りの女子学生。

「**」      

 この世で唯一、己の声帯を震わせる異性の名前を呼ぶ。地面に仰向けに横たわった女子学生は動かない。まさか、今度こそ。

 ふすっ、と。鼻から抜ける空気の音がした。次の瞬間には、ふふ、ふふふと確かな笑い声となる。

 我知らず、強ばっていた肩から力が抜けた。

 なにやってんだと、わざとぶっきらぼうに告げる。

「答え合わせ」

 女子学生――妹は時々わけのわからないことを言う。

 けれど、彼女に言わせれば僕の考えが足りないだけで、材料はすべて出揃っているらしい。

「サザンカ」

 そう呟いて、仰向けになったまま閉ざされていた目蓋を押し上げる。

 今、妹の視界いっぱいにうつっているのは顔を青褪めさせた兄ではなく、花盛りの常緑木らしい。桜ではない。もっと濃い鮮紅の、大ぶりの花。

「ツバキくびから、サザンカばらばら」

 物騒な物言いに、けれど、ああ、と得心の声を漏らしてしまう。

 妹はしてやったりの笑みを浮かべた。


 この神社は僕らが通う高校の途中にあり、時々、ここで兄妹は落ち合っていた。

 僕は自転車、妹は向かい風がきついとか、髪型が崩れるとかで季節や気分によって徒歩で通学していた。そして帰りには、荷物が重い、歩き疲れたとかで呼び出されるのだ。

 同じ学校なのだから、連れ立って学校を出れば良いと思うものかもしれないが、それは兄妹の沽券に関わる。他人がいる時はなるべく身内同士でひっつかない、それが暗黙のルールだった。

 神社という場所柄なのか、空気は清冽だった。今日は曇りで底冷えしている。つきつきと頭痛もぶり返す。

 前に神社へ呼び出されたのはまだ陽射しの暖かな十月の頃。

 ――この木、なんの木?

 当時、鳥居の下で落ち合った妹に兄は〝気になる木〟とも返せず、黙り込んだ。

 艶光りする厚い葉、なめらかな木肌、そしてそちこちにびっしり付いた蕾。そう、あの頃、花はまだ固く閉じていた。

「ツバキ……いや、サザンカかな」

「どっち?」

 年長者として教示するため携帯端末で画像検索をかけたが、判然としなかった。

 葉の特徴や、葉の付け根である葉枝に細かい毛が生えているかどうかなどで見分けられるそうだが、並べて比べるならともかく、片方だけで判断するのは難しい。

 開花時期にも違いがあるそうだが、この固い蕾がいつ開くのかなんて神のみぞ知る。

「そもそもツバキもサザンカもツバキ科ツバキ属で判別するのは難しい、なんならツバキの漢名は山茶花サザンカでややこしいったらありゃしない――」

「一番わかりやすいのは散り方だって」

 ツバキは首を落とすようにまるっと落ち、サザンカは血を撒くように花弁を散らす。

 兄が情報の海に飲まれている間に、妹は自分でも携帯端末を取り出し、最短で最良の答えに辿り着いているのだった。

 ……あれから三か月。三月も前の答え合わせ。わざわざ赤い染みまでこしらえて。

「お兄ちゃんは、わかっていて騙されるよね」

 別に本気で妹が死んでいると思ったわけじゃない。ほんの少し焦っただけ。決して騙されたわけではなく。

 笑う妹とは対照的に憮然として兄は口を開く。

「……血、掃除しとけよ、不敬だろ」

「トマトジュース、水持ってきてるから流しておく」

「……ずっと倒れたまま待ちぶせていたのか」

「角曲がる時、絶対ベル鳴らすでしょ」

 妹はまだ立ち上がろうとしない。話しているそばから赤い花びらが数片、髪に、肩に、起毛したコートに降り積もる。

 このまま、積もって、積もって、降り積もったなら。メメント・モリ死を忘れるな——ふいにそんな言葉が浮かんだ。

「ここで夜を明かす気か」

「花明かし、風流だね」

「ツバキだったら、どうする気だったんだ」

 まさか生首になるわけにもいかないだろうに、けれど妹は楽し気だった。

「それも面白かったかも」

 束の間、想像する。

 赤い花弁に黄色い花心の握りこぶし大の花が一面に落ちた中、馴染みの顔が何の気なしに一緒に並んでいるさまを。ころりころりと風に吹かれる様子までを思い描いて。

 ――僕らが気に病む必要は無いんだ。

 喉元まで迫り上がった言葉を飲み込み、代わりに中腰になって腕を差し出す。

 コートに包まれた腕がゆらり伸ばされ、掴み、引っ張り上げる。

 さほど力は要しなかった。妹はほとんど自身の腹筋で身を起こして立ち上がったから。

 そして髪やコートにひっついた、砂利やらゴミやら鮮血――ではなく、赤い花弁を払い落とす。

 夕飯の食材あったっけと呟きながら、妹はサザンカの根本に放ってあった鞄を拾い上げた。かよう、妹は日常に戻る術も長けていた。

 妹が希死念慮じみたものをにじませるようになったのは三年前。僕らの母親の死が関係しているのは間違いない。

 母は、兄妹がそれぞれ中三と中一だった頃、交通事故に遭った。

 教育熱心であり、少々気難しく、癖のある人だった。受験生の僕は厳しい管理下に置かれ、塾に予習にテストと、日々ノルマに追われていた。

 ――お母さん、お腹痛い。お薬ちょうだい。

 中学生になり初潮を迎えていたらしい妹が母にそう願い出たのは、半分は妹自身のためであり、もう半分は哀れな兄のためだったのだろう。

 僕らが好きな海外ドラマ(毛むくじゃらな居候エイリアンが騒動を起こすホームコメディだ)が放送される夕暮れ三十分弱の時間を確保するための。母は霙まじりの雨の中、不満げではあったが出掛けた。

 兄妹はリビングのテレビの前でポテトチップスを摘まみつつ笑い転げた。その夜、電話が鳴り響くまで。

「冷凍庫に、赤魚と餃子があったはず」

「赤魚の煮付けにしよっかな。でも野菜室からっぽだったかも」

 この半年、妹が夕飯当番を5:2の割合で担ってくれているのは、不肖の兄が受験を控えているからだろう。

 僕は県外と県内の大学を併願していたが、受かったとしてどちらに進学するか決めかねていた。

 妹はてんてんと落ちる赤い染みにペットボトルの水をかけつつ鳥居前まで移動する。僕は倒しっぱなしだった自転車を起こす。

 用意の良いことに、妹は使い古しの歯ブラシを鞄から取り出し、やや大きめの染みとなっている鳥居前のアスファルトに水を溢して磨き始めた。

「……付き合うよ」

 何をとの呟きに、花あかし、と短く返す。

 妹の手が止まる。

 あの日、母がドラッグストアに行ったのは薬箱に鎮痛剤がなかったからだ。

 鎮痛剤は、中学に上がって天気が悪いと頭痛に襲われるようになった僕の部屋にあり、単純に返し忘れていた(母は子どもの偏頭痛というものを疑わしく思っており、いつもぶつくさ言ったのち規定の半量しかくれず、ゆえにこそこそと持ち出していたのだ)。

 僕は母が使用している車のタイヤの溝が浅くなっていることに少し前から気付いていた。

 けれど、本来必要のない買い物に出掛ける母を止めなかった。

「ハルジオンとヒメジョオンの見分け方知ってる?」

 振り仰いできた妹に、けれど、僕はそれらの植物らしき名前についてぴんとこなかった。無知な兄に、妹は心底残念な顔をする。

 そうして彼女はアスファルトにもう一度水を流してペットボトルを空にして、携帯端末に映し出された白く小さな花を見せてきた。一重の白い菊に似ていて、しばしば道端で見かける。けれど並んだ二つの花は画像では見分けがつかない。

「茎が空洞なのがハルジオン、詰まっているのがヒメジョオン。切れば分かる」

「……切らない方法もあるんだろう。葉とか花とか、なんらか違いが」

「見比べたらわかるかもしれない。でも、開花時期が被るのは六月頃だから」

 ――もういないでしょ。

「いるよ、ここに」

 言外の言葉に、自分でも驚くほど素早く反応した。

 ここにいて、花あかしをする。妹と。

 県外の薬科大学と県内の国立大学。この瞬間あっさり心は決まった。

 妹は驚いた顔をしていた。兄が妹にこの表情をさせるのは稀で、多少の満足を覚える。

 妹は携帯端末をしまうと僕の自転車のカゴに鞄とペットボトルを入れ、じゃあ、と言う。何が、じゃあ、なのか不明だけれど。

「カネイチ寄ってこ」

 そうして、すたすた歩き出す。

「私は野菜買ってくるから、そっちはドラッグストアで鎮痛剤とハンドソープお願い」

 ――買い置きもう無かったよ。

 カネイチは、近所のドラッグストアが併設されているスーパーで、僕は妹の背に向かって頷く。見えてるはずもないのだけれど。自転車を押して、従者のごとく。

 買い置きがもう無かったのは鎮痛剤かハンドソープか、それともその両方かわからない。けれど妹には僕の頭痛はお見通しであり、そのわりにわざわざ呼び出して雑に扱うかと思えば、僕自身以上に僕の体調管理を気に掛けている――そう感じるのは兄妹の贔屓目だろうか。

 唐突に主が、あ、と声を上げて振り返り、僕は自転車に急停止をかけた。

「やっぱり私がドラッグストアに行く。お兄ちゃんはもやしと小松菜、ブロッコリ百五十円切ってたらそれも買い。それと〝チョコどっぷり〟も!」

 注文が多い。野菜の値段を気にするのにお菓子を買うのはどうなんだ。兄の不満顔を確認したはずなのに、妹は素知らぬふりで歩みを再開する。

 その肩から赤い花弁が落ちる。鮮血がしたたるように。

 ……鎮痛剤じゃない。

 瞬間、僕は気付いた。

 彼女が、彼女らが買い求めたのは薬ではない。

 もっと差し迫った、異性である自分にはやや頼みづらいもの。霙まじりの雨が降っていようと、切らしていたなら、買いに出ないとならない衛生用品。鎮痛剤があろうとなかろうと。

 そも、母は子どもに薬を飲ますのを嫌っていた。病は気からと、時には叱り付けて。

 この三年間、妹と分かち合ってきたと思っていたそれが、まぼろしだったと知る。

〝お兄ちゃんは、わかっていて騙されるよね〟

 もう一枚、二枚、花弁が灰色の景観に舞い、妹の言葉が甦る。

 知らぬ間に止まっていた足を速めて空いた間を埋める。赤い目印は捨て置いて。

 畢竟、解き明かされた罪の重さは、サザンカとツバキほどの違いもない。少なくとも見た目上は。

 僕は妹の隣に並んだ。

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花あかし 坂水 @sakamizu

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