時空の魔女と8時間後にまた逢いましょう
鳥辺野九
時空の魔女と8時間後にまた逢いましょう
それにしても眠い。初めて友達ができそうで、柄にもなくはしゃいでしまったか。
ふと講義室の大窓を見やれば、山々を越えて斜めに差し込む朝日が眩しかった。ソルレッタは思わず眼鏡の奥で目を細めた。きゅうっと眉間にしわが寄る。
「ハイ、皆さん。それでは、お待ちかねの編入生を紹介しますよ」
今日の朝日は目覚めたての時間のように柔らかい。しっとり吸い付くような肌触りだ。まだ誰にも触れられていない時間の朝日は毛並みが真っ直ぐな刷毛のようで、眼鏡のレンズをいとも容易く貫いてくるから厄介だ。
年齢をほどよく折り重ねた担任教師が億劫そうに編入生を教壇へ促す。新顔の魔女は柔らかく腰と膝を落とし、教壇へ一歩登った。
扇状の講義室、時空の魔女たちが教壇に注目する。十三人の魔女たちのさまざまな色した瞳がキラキラとまばゆい。それぞれが小さな早春の朝日のようだ。
今度はしくじるなよ、わたし。彼女は胸を張り、第一声をりんと飛ばす。自信を持て、わたし。
「ソルレッタ・マルチナです。クオリビュネ地方という海しかない田舎の出身ですが、皆様と一緒にいろんなことを学びたいと思います。どうぞよろしくお願いします」
ローブドレス制服の裾を摘んで、頭の上に咲く黒髪の花を揺らす程度に頭を下げる。ほら、早速しくじったな、わたし。
せっかくの初対面挨拶だと言うのに、眼鏡の奥で目を細めて朝日を眩しがるだなんて。笑顔とはほど遠く眉間にしわを寄せて無愛想過ぎやしないか。
朝日の眩しさの中に顔を上げる。編入生を迎える魔女たちも口々によろしくと言ってくれている。
「皆さん、仲良くしてあげてくださいね」
老齢の担任教師は慣れた手付きでソルレッタに最後列の机をあてがった。扇型に広がった講義室の一番後ろ、柱が朝日を邪魔して影になっている机がソルレッタのためにぽつり空いている。
時空の魔女たちは新たに加わった学友を笑顔で迎えてくれた。日陰で少し寒そうな自分の席へ向かう段上、相変わらずしかめっ面で階段を踏み外さないよう慎重に歩むソルレッタへ、すらりとしなやかな手が差し伸べられる。
「なんてきれいな黒髪なんでしょう」
一人の魔女がしとやかに口を開いた。ソルレッタはつと歩みを止める。とても眠そうな、それでいて眩しそうに、朝日を背負うように笑みを浮かべるシルバーブラウンの髪色の魔女を見つめた。
「とても艶のあるジェットブラック、素敵です。私はミューミュー。こちらのクラス委員長を任されています」
ミューミューは自在な広がりを見せるシルバーブラウンの髪の隙間からソルレッタを見上げていた。海に揺れる海藻のようになびき、しなやかに流れる髪が美しい魔女はソルレッタへ細い手を差し出したままだ。
「よろしく。ソルレッタさん」
「よろしく。ミューミューさん」
二秒ほど遅れて、差し出された手が握手を求めているものだと悟るソルレッタ。何とか不器用に笑顔をこしらえてミューミューの手を握る。
ずいぶんと冷たい手だった。
クラス委員長の魔女は一部の隙もないにこやかな笑顔で、しかし意外と力強くその手を握り返してくれた。
「あとで学園を案内してあげる。地方からやってきた編入生には、この学園は少々広すぎでしょう?」
ソルレッタへ時空の魔女たちの視線が集中する。月曜の朝日よりも表面が荒くざらついて、チリチリと皮膚を逆撫でるような肌触りだ。
ミューミューの嫌味のない澄んだ声。そしてクラス委員長としての責任と、珍しい地方からの編入生への興味。それらを混ぜこぜに優しさを上乗せして押し付けられる。
編入生としてクラス委員長の言葉には絶対服従だ。この魔女に逆らえば、クラス内での居場所がなくなる。ソルレッタは直感した。
「ええ、それは助かります。まだ右も左もわかりませんから」
ソルレッタはミューミューの目を見ないように頭を下げた。シルバーブラウンに輝く髪の森に佇む威圧感のある瞳を見つめ続けたら、時空の檻に囚われて抜け出せなくなる。このミューミューが醸し出すざらついた肌触り、陽の光に晒されて焦げた時間のようだ。
ここは魔女の学校。王立ミレネイア魔法学園。王国中から集められた魔法の素質を持つ少女たちが各種魔法を鍛錬する学校施設である。
大陸随一とも謳われる優れた魔法指導と高度な教育環境の下で、少女たちは高位級魔女となるべく日夜勉学に励んでいた。
数ある魔法教科の中でも特殊な素養を必要とする時空魔法科は極めて高難易度魔法のため生徒の数も限られていた。選ばれた者だけが時空魔法を学び、研究している。
時空の魔女の数は十三人。今、十四人目の魔女が講義室の魔女たちを睨み返していた。
講義室の階段席を一つ登れば、また別の手が差し出された。色白で、やはりしなやかにソルレッタを待っている。
「それでは、お昼休みにわたしたちとランチしません? ソルレッタさん」
それでは? ソルレッタは眉をひそめたままの顔をその白い手の持ち主へ向けた。何に対して「それでは」なのか、新たな魔女は余計な情報を喋りそうにない意志の感じられる口調で続けた。
「学園案内はクラス委員長にお任せして、ランチしながら学園での過ごし方を教えてあげるわ」
「学生食堂があるとは聞いていましたが、おすすめランチとかあるんですか? ソルレッタです。よろしく」
痩せているせいか、少し硬めの手を握る。それでも白い手にはちゃんと血の通った温かさが感じられた。
「ここは魔女の学園。何でも好きなものが用意されるの。あなたの地元の料理だって、きっとね。わたしはカトレア。どうぞよろしく」
ストレートヘアで明るい赤毛の魔女はにこやかな顔でソルレッタの手を握り返してくれた。
この魔女も、わたしを見ていない。油断は禁物だぞ、わたし。
さらさらとした樹皮を剥いだばかりの材木のような手触りの時間に、思わず身を委ねたくなる親しみを感じる。でも、相手は時空の魔女なのだ。握手の時間を共有しているのに、彼女はソルレッタを見ていない。表面上は目玉を向けてはいるが、焦点はソルレッタを通り越してその向こう側で結ばれている。
「わたし、お魚の田舎料理が好きなので、お昼休みが楽しみです」
ソルレッタは頭のてっぺんで結ばれた黒髪を揺らす程度に頭を下げた。ほら、まただ。しっかりしろよ、わたし。
十四人目の時空の魔女は、講義室の階段席をようやく登り切り、日陰の自分の席に座ることができた。
編入の挨拶もそこそこに月曜の一時限目からいきなりクラス内派閥抗争に巻き込まれるなんて。朝日を眩しがる愛想のない表情から始まり、笑顔の作り方に四苦八苦する壇上の挨拶。まだ一時限目でこれだ。今日という日はやっぱり忙しい転校初日になる。
自分の席は一番上段の一番端の席なので、魔女たちのクラス内上下関係がおぼろげに見えてくる。彼女らの背中だけ見れば、みんなすでに歴史の授業に集中しているように見えるが、はたしてその心情やいかに。
新顔を配下においてクラス委員長としての地位をより強固にしたい者。その支配階級から手下を奪い取りあわよくば取って代わろうと画策する者。ここは魔法学園の最高学位時空魔法科。なるほど、一筋縄ではいかない少女たちが集っているわけだ。
ふと、ソルレッタは見つけた。隣の席に座る時空の魔女が猫背の姿勢で頬杖をつき、ノートにさらさらと鉛筆を走らせて落書きしている。クラス政治に無関心な魔女もいるのか。ここに漂う時間なら肌触りも悪くないかもしれない。
「クラスでの立ち位置を模索中?」
誰にも聞こえないような小さな声。落書きしている時空の魔女の囁きだ。
「別に。田舎者だから、身の振り方を知らないの」
「わかるよ。あたしもど田舎の出身だもん」
魔女の手元をこっそり覗き見れば、クラス委員長ミューミューのシルバーブラウンで自由奔放な髪型をスケッチしている。扇型の階段席一番後ろはクラスのパワーバランスを観察し放題というわけだ。
「時の運には抗えないもの。流れに身を任せるだけね」
時空の魔女っぽいことを呟いてみる。
「そういうの好き」
枯れた小麦のような黄色い髪色の魔女は歯を見せて声を出さずに笑ってくれた。
「上手ね、それ」
「これ? あの子の髪、自由でいいなあってね」
黄色い髪色の魔女が操る鉛筆は勤勉だ。小声でヒソヒソやりながらもミューミューのシルバーブラウンに跳ねて巻く奔放な髪をノートに再現していく。
「あたしはミャルヒ。少なくとも、あなたの味方になれるかも」
ミャルヒは頬杖をついたまま鉛筆を放り捨て、その片手をソルレッタへ伸ばした。枯れた小麦のようにばりばりに強張った黄色い髪がぴんと跳ねる。
「味方ってことは」
ソルレッタは黒鉛に汚れたその小さな手をためらうことなく握った。
「敵もいるのかしら」
「かもね」
「思ってたより、魔法学校ってめんどくさい」
「あなた次第よ」
ここの時間は居心地がいい。ソルレッタは胸の奥に凝り固まった重たい吐息をようやく掻き出すことができた。乾いた麦藁を敷き詰めてごろんと寝転んだような肌触りの時間に満ちている。ミャルヒが纏う時間のせいか。日陰にぽつんと取り残された座席のおかげか。
「あたしなら、もっとうまくやるけどね」
ミャルヒが唐突に視線をそらす。
「時間差なんて、やることがずるいよね」
意味のわからない言葉を綴り続ける。
「この手、離しちゃ嫌だよ」
ソルレッタを置いてけぼりにした二人きりの会話はミャルヒの小さな一言で終わりを迎えた。
「時空の魔女は、容赦がないものよ」
せっかく触り心地のいい時間を見つけたというのに、ざわり、時間の手触りが変わった。ソルレッタはうなじがチリッと鳥肌を立てるのを感じ取った。
時空の魔女は時間を自在に操作する。時間を制するものは空間を掌握する。
優れた時空の魔女は王国にあまた存在する魔法使いにとっての最高峰の栄誉を手にすることができる。その席はたった一つしかない。首席時空魔法官。王国を動かすことができるたった一つのその席を巡り、今ここに十四人の魔女たちが集い、時空魔法を学んでいる。
「手を離さなければいいのね」
ソルレッタは強がって見せた。相変わらず愛想のないしかめっ面で、眼鏡の奥から黄色い髪の魔女を睨みつける。
「できる?」
ミャルヒはそう言ってはじめて背筋を伸ばした。背はそこまで高くないようだが、ごわついて飛び跳ねる黄色い髪のせいで大きく見えた。
ソルレッタは視線に気が付いた。誰かが、見ている。ソルレッタとミャルヒ、二人の秘密のヒソヒソ話を覗いている。とても嫌な圧のある視線だ。
ふと、前髪に風を感じた。朝日が斜めに滑り落ちて居心地のいい時間が通り過ぎる。肌触りの悪い空気だけを残して、ソルレッタの時間が押し進められたのが感じ取れた。大切な時間が強引に切り取られる。精密な時計の針が無理矢理に回される。
気が付けば、ソルレッタは孤独だった。
「わたしの時間を勝手に消費してるの、誰?」
しゃっきりとした朝日がとろけるような夕陽に変わった。日の差す方角が長い影を引き摺り回してぐるりと巡る。世界の色味まで変わってきた。新鮮な朝の透き通った青色がくすんだオレンジ色に色褪せていく。
「夕陽? もう下校時間?」
朝日差す講義室の日陰の席に座っていたはずのソルレッタは、いつの間にか夕闇迫る放課後の校門に立ち尽くしていた。
「ミャルヒ! いるの?」
誰もいない。魔女も、学園職員も、人っ子一人いない。いや、もうすでに帰寮時間だ。下校中の学園生徒はいる。学園職員の姿も見つけられる。ただ、ソルレッタの時間に関わりを持つ者は誰もいなかった。それは世界でひとりぼっちに等しい。
「誰が私の時間を?」
肌触りが柔らかい生まれたての朝の時間を奪い取られ、粉まみれのぬるま湯を浴びせられたような肌触りの夕暮れを押し付けられた。体感と誤差がある時間の中に放り込まれて眩暈がする。立っていられない。
時空酔いに襲われたソルレッタに降り注ぐ夕陽が不意に遮られる。大きな何かが接近していた。学園生徒を乗せたスクールバスだ。
走り出した一台のスクールバスがよろめくソルレッタの方へ突き進んでくる。避けろ。でも、眩暈がして、真っ直ぐ立っていられない。
スクールバスに轢かれるか。それとも跳ねられるか。
どちらでもいい。眼鏡の奥で夕陽を睨むソルレッタは覚悟を決めた。編入初日からこうなるって予見はできたはずだ。対抗策を打っていなかった自分にも落ち度はある。今は流れに身を任せろ。あとで時間を巻き戻せばいい。ソルレッタの時間を勝手に使った奴を探すのはそれからでも遅くはない。
それよりも、この手だ。
「この手、離しちゃ嫌だよ」
ミャルヒの声。この手は味方だ。離さないでおこう。ソルレッタは眼鏡越しに迫り来るスクールバスを睨み付けた。中途編入生への洗礼にしてはずいぶんと荒っぽいが、時空の魔女としてはこの程度のインシデントをクリアできないでどうする。
スクールバスがエンジンを空吹かしして速度を緩めた。まるでソルレッタへ、獲物を見つけたぞ、と唸りを上げるように。
「私に逆らったらどうなるか、教えてあげましょうか?」
誰かの声がエンジン音にまぎれて聞こえる。
そして、酷い眩暈でまともに歩けないソルレッタへ白い手が差し伸べられた。ミャルヒとは見えない手でずっと繋がっている感覚がある。しかしこの白い手の持ち主は顔が見えない。誰だ。
身体は霧の向こうにぼやけて見えない白い手が告げる。
「どっちにつく? 返答次第では助けてあげてもいいけど」
ソルレッタは答えなかった。迫り来るスクールバスにも、宙に浮かぶ白い手にも。
ただ、彼女の手だけは離さなかった。
緩いスピードのスクールバスが空気圧を感じるほどに迫る。その瞬間、白い手が不意に襲いかかり、背中を押した。よろけるソルレッタの華奢な身体がスクールバスの大質量に接触する瞬間、ソルレッタの時間は返却された。時空魔法のキャンセルが発動していた。
ソルレッタの時間が巻き戻される。本人の意思と関係なく、世界の理論と因果もなく。そして結果だけが残滓となってそこに漂い、ソルレッタはザラザラと肌触りの悪い時間に取り残された。
「あとで学園を案内してあげる。地方からやってきた編入生には、この学園は少々広すぎでしょう?」
クラス委員長のミューミューがにこやかな笑顔で言った。シルバーブラウンの優雅に跳ねる髪を傾げて、ソルレッタの返答を待つ。
「ええ。助かります。まだ右も左も、自分の身の置き方すらわかりませんから」
出来るだけ愛想良く答えたつもりのソルレッタだが、彼女はどうにも作り笑いがヘタクソだった。握りしめていたはずのミャルヒの温かい手は、いつの間にかミューミューの冷たい手に変わっていた。
「あら? もう帰ってきたの?」
握手をしながらミューミューは微笑んだ。とても自然な笑顔だった。
「何のことですか? まだ編入初日で、右も左も、敵も味方もわかりませんわ」
ソルレッタは笑わなかった。朝日がやけに眩しかったから、眉間に皺を寄せて、しかめっ面を傾けて、ミューミューの笑顔へキラリと眼鏡のレンズに朝日を反射させる。
「いいんじゃないかしら。そういうのも」
ミューミューはすでにソルレッタに興味を失ったかのように彼女の手を離した。ソルレッタもためらうことなくするりと冷たい手から抜けて、階段席を一歩登る。
さて、次は。ソルレッタがひと呼吸置くと、視界の端から白い手が差し伸べられた。
「それでは、お昼休みにわたしたちとランチしません? ソルレッタさん」
赤毛が真っ直ぐに美しいカトレアだ。
「学園案内はクラス委員長にお任せして、ランチしながら学園での過ごし方を教えてあげるわ」
念のため、白い手も握っておく。相変わらず眼鏡の奥ではしかめっ面のままだが。
「学生食堂があるとは伺っていましたが、おすすめランチとかあるんですか?」
カトレアの手はミューミューと比べて血が通った温かさはあるが、痩せているせいで少し硬めの手だ。白い肌のせいであったかい石膏像と握手している気になる。
「ここは魔女の学園。何でも好きなものが用意されるの。あなたの地元の料理だって、きっとね」
「考えとくわ」
さらっと握手を済ませて、ソルレッタは階段席を登り切った。誰が敵で、誰が味方か未だにわからない。いや、一つだけ確かなものがあった。あの日陰になる柱の側の席。あそこの時間だけは居心地がいい。
顔を上げる。そこには枯れた小麦のような髪色の魔女がニヤニヤしながらノートに落書きしている姿があった。
「わたしはソルレッタ。隣同士、仲良くしましょう」
今度はソルレッタから手を差し出した。
「お帰り、ソルレッタ。あたしはミャルヒよ」
よろしく、ミャルヒ。ソルレッタはようやく笑顔になれた、気がした。
時空魔法科は全寮制であり、時空の魔女候補生たちは学校が終わると皆寮に帰る。寮室は二人一部屋充てがわれて、ソルレッタはミャルヒとルームメイトになった。
編入初日。やることいっぱいでとにかく疲れた。ぐっすりと深い眠りにつくために身支度を整えて、パジャマ姿でベッドに飛び込むソルレッタ。
「あー、もー、疲れたー」
「おつかれ、ソルレッタ」
時空魔法科のローブドレス制服を脱げば、時空の魔女も普通の少女へと戻れる。緊張の糸もやっと緩める。寮の自室にはルームメイトのミャルヒしかいない。乾いた陽の香りがする干し草の上に寝っ転がってるような、そんな肌触りが清々しい時間だ。
「ルームメイトがソルレッタでよかったよ」
隣のベッドでミャルヒがつぶやくように言った。髪色と同じく黄色いフリフリがついたパジャマでベッドにうつ伏せで潜り込む。
「なんで?」
「あたしと同室だった子、学校辞めちゃったの。ソルレッタの席に座っていた子」
あの空席か。ソルレッタは日陰の時間を思い出した。それであの席の時間は肌触りが良かったのか。
「頭良くて真面目でいい子だった。でも、ちょっと融通が効かなくて、風当たり強くて枝がポッキリ折れちゃったって感じ」
シルバーブラウンの自由奔放な髪と赤毛のロングストレートが風になびく様子が思い起こされた。ソルレッタは黒髪を解いて撫で付けながら言う。
「それでわたしが編入できたってわけか」
「そうね。もっと枝をしならせて風をいなせば、辛い思いせずに済んだのかも」
「枝が強くても折れちゃったら意味もなし、ね」
「あたしみたいにのらりくらりやってれば楽なのに」
少しだけ沈黙を置いて、ミャルヒは話題を変えた。
「ソルレッタは早起き得意? あたしっていつもその子に起こしてもらってたの。朝、苦手なのよね」
「わたしを目覚まし時計代わりにするつもり?」
ミャルヒが醸し出す時間の手触りは悪くない。そばにいても圧を感じさせない清々しさがある。きっと学校を辞めたその子とミャルヒと、仲の良い友達関係を築けていたのだろう。ソルレッタは思った。わたしはその子の代わりにはなれないけど、わたしにしか作れない時間があるはず。ミャルヒにとって、それが柔らかい居心地の時間であればいい。
「あらためて、仲良くしましょ。ソルレッタ」
「わたしが先に起きたら、仕方ないから起こしてあげるよ。ミャルヒ」
ベッドから身体をずらしてめんどくさそうに片手をうんと伸ばすミャルヒ。ソルレッタは温かくて、気怠く眠そうな手と握手を交わした。
「よろしく」
「うん、よろしく」
ソルレッタにとって初めての友達との握手は、お互いごろんと寝っ転がったままでのだらしない握手だった。
温かい手を握っていて、ふとソルレッタはミューミューの冷たい握手を思い出した。血が通っているのか不安になる冷たさだったが、あの子は意外としっかり力を込めて握ってくれた。
ミャルヒがノートに落書きしていたシルバーブラウン色した後頭部の跳ねっぷりを思う。
ミューミューって握手の後、こっちをチラリとも見なかった。見ていたのは誰?
わたし、編入の挨拶の時から間違っていたかも。
「ソルレッタ、まだ寝ないの?」
ソルレッタはまだ眼鏡をかけたままだった。うつ伏せに枕に突っ伏してミャルヒが眠そうに聞いた。
「うん。ちょっと、今日の復習しとかないと」
「そう。ほどほどにね。おやすみ」
「おやすみ」
ミャルヒが目を閉じて、やがて軽い寝息を立てる頃。ソルレッタは眼鏡の奥で眼を開けたままだった。
夜の時間の手触りは好きだ。ソルレッタは時間の肌触りを確認した。いろんな出来事に晒されて少し毛羽立っているように感じられるが、その分だけ細かい起毛が柔らかく肌を撫でる。
寝静まった時間はピリっと静電気が走るような感触を纏っている。それを集めてやればいい。様々な方角を向いた時間の繊維を鷲掴みしてもいい。毛並みを整えてやるように時間の向きを揃えて、長さを合わせ、荒れた時間の行き先を見定める。櫛で梳かすように時間を撫でて、行きたい時間の手触りを思い出し、それを近付けてやれば、猛獣のような時間でさえも暴れずに言うことを聞いてくれる。時間は生き物だ。肌触りを思い出させてやれば、素直な羊の群れにもなる。
ソルレッタの解かれた黒髪がざわりと揺れて、頭のてっぺんで結ばれて黒い花を咲かせる。夜の空気がやがて細かい光を帯びて、ソルレッタの身体をぐるりと巡り、空間を斜めに切れ込むみたいに引き裂いていく。眩しい。夜の空間から朝の陽の光が溢れ出した。
今日の朝日は目覚めたての時間のように柔らかい。しっとり吸い付くような肌触りだ。まだ誰にも触れられていない時間の朝日は毛並みが真っ直ぐな刷毛のようで、眼鏡のレンズをいとも容易く貫いてくるから厄介だ。
ソルレッタは月曜の朝、編入生として教壇に立っていた。十三人の時空の魔女たちがキラキラと輝く朝陽を浴びる彼女を見つめる。
今度はしくじるなよ、わたし。彼女は胸を張り、第一声をりんと飛ばす。自信を持て、わたし。
「ソルレッタ・マルチナです。皆さんからいろんなことを学んで、この国で一番の時空の魔女になりたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします」
朝陽が眩しくても、眼鏡の奥で真っ直ぐ受け止めて笑ってやれ。ソルレッタはヘタクソな作り笑顔でローブドレス制服のスカートを摘んで魔女式の会釈をした。
老齢の魔女である担任教師がまた億劫そうにため息をつく。
あの階段席の隅っこ、居心地のいい日陰の席へ向かう途中、まずはミューミューだ。
「あとで学園を案内してあげる。地方からやってきた編入生には、この学園は少々広すぎでしょう?」
冷たい手と握手を交わす。
「スクールバス。わたしにぶつける寸前、スピードを緩めてくれたでしょ」
「さあ。何を言っているのかわからないわ」
「その詰めの甘さ、勉強になります。これからもいろいろなことを教えてください」
「そういうの悪くないわ。よろしく。ソルレッタさん」
「よろしく。ミューミューさん」
次は赤毛のストレートヘアが美しいカトレアだ。
「それでは、お昼休みにわたしたちとランチしません? ソルレッタさん」
白くて痩せた小さな手を握る、その前に。
「あんたがわたしの下につくってんなら、ランチを一緒にしてあげてもいいわ」
しかめっ面気味の作り笑顔でびしっと言ってやる。ソルレッタは白い手のすぐ横に手を差し出した。最初の出会いからどちらが握手を求める立場か、はっきりさせておいた方がいい。
カトレアは予想外の言葉に目を剥いて見せて、握手には応じなかった。すぐに目線をそらして、何事もなかったかのように振る舞う。
「そう。よろしくね、ソルレッタさん」
「それでいいよ。カトレアさん」
やりたいことをやり切って階段席を登るソルレッタ。また、居心地のいい日陰の席に帰ってこれた。そして隣の席にはちゃんと枯れた小麦の髪色の魔女がいる。何かおもしろいことでもあったのか、ニヤニヤが止まらない様子だ。
「ひょっとして、もう何度目かの朝?」
ミャルヒはノートに落書きしながらちらっとソルレッタの表情を覗いた。そこには満足げなしかめっ面があった。
「何言ってるかわかんないわ」
歌うようにソルレッタは答えた。ミャルヒの手元を見れば、鉛筆でソルレッタの花咲くような髪型をスケッチしているようだ。
「上手ね、それ」
「そう? あなた見てたら、描きたくなったの」
ふと振り返れば、時空の魔女たちが全員彼女を見上げていた。
「やることいっぱいで退屈はしなさそうね」
ソルレッタは小声でミャルヒに告げた。
それにしても眠い。初めての友達ができそうで、柄にもなくはしゃいでしまったか。
時空の魔女と8時間後にまた逢いましょう 鳥辺野九 @toribeno9
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます