都市伝説「六価クロムの受験生」の真相

鬱ノ

都市伝説「六価クロムの受験生」の真相

入学試験の日、テスト開始時刻に遅れそうになった中学生が、近道しようとメッキ工場に侵入した。工員に見つかった少年は理由を説明し、強引に通り抜けようとする。しかし、彼は誤って工場内の六価クロム槽に落ちてしまった。六価クロムは、触れるだけで重大な化学火傷を引き起こす危険な化学物質だ。工員は、溶液が満ちた槽内から少年を引き上げて救急車を呼んだが、少年は逃走した。警察の調査でも少年の足取りはつかめず、それらしき行方不明の報告や全身に薬傷を負った患者の情報も見つからなかった。

以降、地元の高校の受験会場には、時折受験生に混じって、全身が赤くただれた男が現れるという。「六価クロムの受験生」と呼ばれる、ローカルな都市伝説だ。


入試試験の真っ最中、その話が突然僕の脳裏に浮かんだ。左隣の席から漂う強烈な薬品の匂いが原因だ。さっきまで無人だった席。ポタリポタリと水滴の垂れる音と、苦しそうな息遣いが聞こえてきた。頭を動かさないように、視界の左端に意識を向ける。誰かが座っている。いつのまに。机の上に置かれた右手らしき部分が、辛うじて見えた。色がおかしい。皮膚が真っ赤だった。化学火傷を負ったように赤くただれている。都市伝説で聞いた、六価クロムの受験生そのままだ。


だがおかしい。


都市伝説では、六価クロムの受験生が現れるのは高校受験、僕が今受けているのは大学入試、無関係のはずなんだ。他の受験生や試験官は、何の反応もしていない。僕にしか見えていないのだ。視界には、彼の右手しか入っていないが、顔はどうなっているのだろう。もし、ケロイドに覆われた顔で僕を見つめていたら。想像すると、恐怖で頭が真っ白になる。よりによって、試験の最中にこんな目に遭うなんて。何も集中できない。

ふと彼が、静かに立ち上がった。僕は一瞬身を硬くしたが、テスト用紙から目を離さないよう、自分に言い聞かせた。彼はカンニングを見張る試験監督のように僕の傍らに立っている。僕は何とかして試験に集中する。苦しげな息遣いと薬品の匂いが、集中力を妨げる。


問題は一問も解けない。当然だ。僕は、「六価クロムの受験生」の真実を知っている。

都市伝説は、大抵事実を捻じ曲げて生まれるものだ。試験に遅れそうになった中学生が近道しようと、メッキ工場に侵入し、工員に見つかった。ここまでは、噂と同じだ。少年は理由を説明し、強引に通り抜けようと工員を突き飛ばした。結果、工員が六価クロム槽に落ちたのだ。少年は逃走。今も捕まっていない。重度の薬傷を負った工員は、数日後亡くなった。

それが3年前の事故の真相だ。もう終わった話のはず。どうして今になって。男は何をするわけでもなく、傍らに立っている。あの日見た作業服のままで。きっと彼は毎年、受験会場で犯人の少年を探していたのだろう。そして、ついに見つけたのだ。大学入試の会場で。

彼は今、ケロイドに覆われた顔で、笑っているのだろうか、それとも怒りに打ち震えているのだろうか。荒い息遣いと、水滴の垂れる音以外、何も聞こえない。


僕はテスト用紙から、顔を上げることが出来ないでいる。


(了)



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