出会い頭にぶつかったのは、馬車道のインフルエンサーでした。
あおいたくと
出会い頭にぶつかったのは、馬車道のインフルエンサーでした。
とある1月土曜の午後。
少し前までこの一帯では雨が降っていたようで、曇り空の下のアスファルトは、まだまだ濡れている。
フラワーショップから受け取ったブーケを手に、高校時代からの親友・
目の前に、関内大通りの広々とした交差点が見えてくる。ここから入船通りを抜けて相生通りを目指していくうちに、目的地へ辿り着けそうだ。
ここは直進で、次の交差点を右?
まあどっちでも辿り着けるか。なんて、スマホに目をやりながら、右に曲がってみたときだった。
「わっーー」
「ふぉぅっ!?」
変な声出ちゃった、とか思う間もなく、進行方向で誰かとぶつかる。
そう認識した時には、奏はもうバランスを崩し、後ろへ倒れる。
反射でスマホは落とさないようにと、右手は身体へ引いた。
そうなると自然に左手は、転倒の衝撃を抑えようと反射で地につく。
そう、左手は地につこうとした。
「あ」
目をやると、道端の段差でゆるくできた溝へと、乾ききらない雨水が溜まっていた場所へと、運悪く、花側からブーケがダイブしている。
これでは確実に、花が濡れ汚れているだろう。
「すみません、大丈夫ですか!? ケガはないですか?」
低い男性の声が、前方から飛んでくる。
ブーケから意識が離れると、衝撃を分散しきれなかった尻や、ついた手の痛みでじんじんする。
「こちらこそ不注意ですみません。ケガというほどのことはなさそうですが、ブーケが」
半泣きになりそうな声を、奏は尻もちをついたまま、声のした方向へ向ける。そして、固まる。
ブラウンコートをラフに羽織り、クリーム色のトレーナーとデニムパンツを纏う同年代くらいの男性に、くしゃっとしたパーマの下で光るその瞳に目を奪われる。
なんだこの人、顔が良すぎる。
じゃなくて、この人、どこかで、見たことないか?
「自力で立てそうですか?」
「大丈夫、です。立ち、ます」
膝を折り、奏に目線を合わせてきた男性は、手を貸そうか躊躇している。
それすら全てが画になりすぎる人を前に、助けを求めるのもおこがましい心地になり、奏は慌てて立ち上がる。
ブーケにも手を伸ばし、体の脇で逆さまに傾けてみると、そこまで泥水が入ったわけではなさそうだ。ただ、全体的に花が濡れており、色合いが曇ってしまっている。
「ブーケ、どなたかへのプレゼントですか?」
ラッピングを見てか、目の前の男性はなおも質問を重ねる。
「はい。これから、友達へ誕生日プレゼントにって、渡しに行こうと思ってて」
奏は手元のブーケを見下ろして、語尾が細くなっていく。
開けたパーキングエリアを曲がっており、完全に自分の前方不注意である。
慣れないことを、慣れない土地でしなくてもよかったか。
「近くにお店があるか探してみます。私の不注意なので、気になさらないでください」
さっきのお店には戻りにくい。近隣の別の店を検索して、即席で購入できるブーケを見繕うかと、会釈して歩き出そうとしたときだった。
「あっ待って!」
両手をストップのように軽く前に出され、男性に呼び止められる。
「ブーケ、僕が勤めてる店で代わりのものを用意させてください。ここからすぐ近くの花屋の者です、付いてきていただけませんか?」
「ええっ!? いやそのっ、申し訳ないし」
「僕もぼーっと歩いてしまってたので。ご友人と待ち合わせとかしてます?」
「えっと、15時で」
「もうすぐじゃないですか、行きましょう」
時刻は14時半を迎えようとしている。時間が迫っていることを知るや否や、男性は奏が進もうとした関内大通りの道を振り返り、歩き始める。
「すみません、歩きながらで恐縮なんですが」
「は、はい」
歩き始めた矢先から、ヒアリングのような質疑応答を男性と二人で交わし、奏は歩く。その横の車道をひっきりなしに車が行き交っているものの、男性の声は不思議とよく通った。
「いま貴女がお持ちのブーケとほぼ同じブーケをお作りして、お渡しすることもできます。
でもそちらはおそらく、貴女がオーダーしたというより、3,000円程度で店側が出してるセットブーケのようなものではないですか?」
まさに、だった。
「ず、ずばり。その通りです。セミオーダー、といったものでもなく、デザインが気になったのでこちらを選んでみてました」
なおも、質問が続く。
奏は、早紀が花好きとは昔から聞いていて、誕生日に直接会うのも久々だったので、ブーケを贈ってみたくなった。本人に迂闊に質問できず、どんな花が好きかまでは聞けていない。
好きな色も、これといって思い浮かばず、虹を探して歩くくらいには、虹が好きだとは聞いたことがあったような。
「ほう、虹色ですか!」
ふと、虹という単語がそうさせたのか、前を歩く男性の声が弾み、振り返ってきたその瞳に焦点が当たる。
「よかったら、そちらのブーケと系統は違いますが、レインボーブーケをお贈りしませんか?」
「レインボー、ブーケ? そ、そういうの、できるんですか?」
「できます。作り慣れているものなので、5分でお作りします。お待たせもしません、いかがでしょう?」
ブーケを作るにも、時間がかかるものだと聞いている。
それを5分で、と言い切るくらいには、この人はそこまで作り慣れているということか?
目の前の男性からは、むしろぜひ作らせてくれと言わんばかりの高揚感を感じる。
なんだかやはり、どこかでこの人を見たことがあるような。どこで?
「お、お言葉に甘えても、いいのでしょうか?」
「もちろん。さあほんとに急ぎましょう」
「は、はいっ」
それから一分ほど歩いたところで、男性が看板を示す。
「こちらの店です」
奏は、あんぐりと口を開けて、理解した。
「さっき手をついたりしてたと思うので、パウダールームもご案内しますね。さぁ、入りましょう?」
看板に掲げられた文字は、店名の「Flower Paradis SAKUYA」。
そしてこの、自発的に光合成をしている勢いで眩しすぎる男性。
この人をどこで見たことがあるか、それはSNSだ。
"華やげるフローリスト”とは、きっとこの人のことを言う。
馬車道に降り立った花の君、
SNS総フォロワー数20万人超えの、日に日に注目度が上がっていくインフルエンサーその人だった。
店内に
「いらっしゃいま……あれ、お前まだ休憩じゃね?てかこっちから入るの珍しくね?」
自動ドアが開いて間もなく、観葉植物に囲まれた右手前のカウンターより、推定50代前後の男性が声をあげた。
マスクとエプロン姿のはずなのに、勝手なイメージ、バンドマンに居そうなセミロングヘアのイケオジ(推定)である。
「店長ごめん、休憩ずらして緊急でサービス、一つ出す。この方をパウダールームに案内してあげて、あと持ってるブーケも引き取っていいか聞いて」
この方、で、スッと奏を示され奏自身はビクッとするものの、華月は気にせず店長と呼んだ男性との会話を続けていく。
「俺ぶつかって、ブーケダメにしちゃったから急ぎで作る」
「なるほど。まあ花も多めに仕入れてるから、今日作る予約分には支障ないとは思うわ」
「他の花もいくつか使うから、後でいろいろ立て替えとく。超緊急だからそっちも緊急でお願い」
「おう」
言い終えるやいなや、カウンター横の『Staff Only』と書かれた扉の向こうへ、華月は颯爽と入っていく。
「お客さん、ブーケのプレゼント、お届けの時間までもう少しとか?」
「はい。15時に待ち合わせてて」
「ほんとにもうすぐじゃん」
店長の声に意識をカウンターへ戻され、奏は受け答えをする。
その矢先に、先程華月の入った扉が開く。
コートを脱ぎ、紺のエプロンとグレーのマスクを装着した華月が颯爽と出てくる。
奏や店長の横を音も立てず通過し、華月の登場に再び沸く声の方向へ会釈。華月はそのまま、奏が振り返った先にある『Staff Only』の細長い仕切り板の向こうへ進み、姿が見えなくなった。
目の前には、上からつるが伸びる観葉植物が釣られている。噴水のような緑の棚へ、段々と多肉植物の鉢植えを始め、色とりどりの花が半ドーナツ状に並んでいる。棚の周りをさらに、一輪からでも買える花々がぎっしり敷き詰められたバケツが、いくつも置かれていた。
そのどれもに小さく値札が付けられているが、アート作品を見せられているような心地になる。
この向こうに、スタッフ専用の作業場があるのかもしれない。長身の華月に噴水棚の向こうも、何があるかは分からない。
「あーこのブーケ、確かに泥水被っちゃってますね」
店内の花々に見惚れかけた奏の意識を、店長へ再度引き戻される。
あ、大事なことを訂正しなければいけなかった。
「あっ、あのっ。さっき、華月さんは俺がぶつかって、みたいに言ってくれてましたけど、"私が”前をよく見てなくて、華月さんにぶつかっちゃったんです。だから、ほんと、私がいけなくて」
私が、を強調して、奏は店長へ訴えかける。
サービスで、とは言ってくれてるけど、ぶつかったりブーケを守れなかったりと、こちらが悪い。早紀の家に行ったら、またここに戻ってこよう。
「あーなるほど。えっと、華月ってね、お客さんみたいに素直で正直な人にしか、こういうことしない奴なんで。気にしないで。で、そちらのブーケは、こちらで引き取ってもよろしいですか?」
「えっと、このブーケについては、預かっててもらってもいいですか?」
「ほう、預かる、ですか」
店長が意外そうな顔をする。
「いただいたブーケを友人に渡したら、またお店に寄らせてください。正直私、このブーケが好きになってきて。家で飾るのに、持って帰ろうと思います」
「なるほど。っと、いけね、いろいろ気になるけど、すぐ華月も来ると思うんで。手を洗ったりなんなりは、あちらのパウダールームへどうぞ」
店長は、さきほど華月が出入りしていた扉の向こう、噴水棚から見れば左手奥にある、女性のシルエットが描かれた扉を示して奏を促す。
奏は店長へブーケを託し、パウダールームへと入っていった。
ホテル並みの内装に驚きつつ、奏は着ていた紺のコートやボトムスの汚れを確認し、手を洗ってパウダールームを出る。幸い、服に汚れは付いておらず、手の擦り傷も絆創膏を貼るほどではなかったのが救いか。
奏が扉を開けると、おお、出てきた、という店長の声を、耳が拾う。
店長がカウンター後ろから出てきて、奏へと近付いてきた。
「華月から、ブーケが出来上がったってことなんで、受け取ってください。こちらからのサービスですので、お気になさらず」
ふ、と、視線を左に動かすと、カウンターの外側で寄りかかり、組んだ腕の間にラッピングされたものを手にして、うつむき加減に立っている華月がいた。
えっ、と、撮影中か何かか?と言いたいほど、ひたすらにもはや存在が尊い。
奏に気付いた華月が、顔を上げて目元をほころばせる。
「こちらもお待たせしました」
はい、と差し出されたブーケへ、奏は近付く。
花の上までぐるりと、淡いベージュのラッピングペーパーに包まれていて、どんなブーケか全容が見えない。
まるで大型の賞状ケースを持つように、斜めに抱きかかえる大きさのブーケを、左手を上にして受け取る。
「当店の、というか、僕のオハコブーケです。ほとんどかすみ草で、白は今日の誕生花のスイートアリッサムにしてます。でも、かすみ草と混ぜてもあまり違和感ないでしょ?」
どれどれ、と、左手はそのままに、少し右手を動かして、花束を見下ろしてみる。
ほうっと、溜め息が漏れ出た。
まさに、七色の、レインボーブーケだった。
着色された色鮮やかなかすみ草が、束になり舞っている。
確かに、白い花は、かすみ草とは形が違う。これが華月の言う、スイートアリッサムか。
それでも、小粒な花の雰囲気は似通っており、違和感なく溶け込んでいる。
色鮮やかで、かつ、誕生花もさりげなく混ぜてくるとは。
「すっごく、素敵です。ほんとに、ありがとうございます」
「それはよかった。さあ、もう15時になるから急いで。んで、これからどのへんまで?よかったら道教えますよ」
「えっと、このマンションまで行きたくて」
ここからまたウロウロ歩くのも危ういので、奏は相生町のマンション名を挙げる。
そこ下に飲食店が入ってるとこだから、この看板目指してこう歩いたほうが楽だと思うよ、と、横から店長も入ってきて教えてくれた。
ここからあと5分もあれば着きそうだ。本当に、誇張なく。
奏は華月と店長へ礼を言い、店を出て歩き出した。
奏は早紀の部屋を後にし、来た道を戻るように馬車道通りをずんずん突き進む。
あれから15時ギリギリに、早紀が住むマンションへ無事辿り着いた。
だいたいが奏から贈ったブーケの話になり、奏は早紀とのほとんどの会話を右から左へと流した。
とてもじゃないが、サービスしてもらっていいブーケではないと分かってしまったからだ。
馬車道通りから常盤町通りに入り、突き当たりの交差点を左へ。
少し直進するうちに、目的地へと戻って来る。
「いらっしゃいま……ああ、さっきのお客さんですね」
時刻は16時を回り、カウンターのイケオジ(らしい)店長が、奏に気付き微笑んだように見えた、が、すぐにその目元が奏の気迫に気圧されて怯む。
「はい、さっきのです。えっと、さっきのブーケのお支払いをさせてもらいたくてっ」
「あー、あれかな、知らなかったけど知っちゃったパターン?」
「知ってたら超遠慮してましたがっ!」
「まあ、とりあえず、お預かりしてたブーケを、渡しま」
「そちらも引き取りますが、先にさっきのですさっきの!」
カウンターの向こう側に顔を出しそうな勢いで、奏はまくし立てる。
いまは混雑のピークが過ぎたからか、華月が不在の時間だからなのか、先ほどはいた他の客がいなくなっているのが救いだ。
空調と落ち着いたBGMが交錯する店内に、奏の声が響き渡る。
「さっきのレインボーブーケ、予約待ち3ヶ月以上の、最低予算5,000円以上でないと買えない大人気ブーケじゃないですか!知ってたら、持ってたブーケと同じようなものをお願いして」
「えーでも、それ相手の方から聞いたんでしょ?そこまでご存知だったんなら、プレゼントした人も喜んでたでしょ?」
「ええそれはもうすごく。定期追加予約枠も瞬殺で埋まるし、記念日にこのブーケは諦めてたって喜んでました。
あと、華月さんに会えるのは激レアだけど、店長さんもイケオジだから、ときどきこちらで一輪挿しのお花買ってるとも話してました」
「文句なさすぎるじゃねえか、合格」
「いや合格とかじゃなくってっ!」
「それじゃあ、ここは折衷案として、ブーケのお直し代をいただくということでいかがでしょう?」
カウンターでワイワイ話していたら、後ろから声をかけられる。
どうも、一時間前にも華月が入っていった、おそらく作業場に続いてると思われる細長い仕切り板から、華月がひょいと顔を出している。
え、今の聞かれてたん??と、奏が口をパクパクさせている間に、マスクとエプロン姿の華月が、ラッピングシートに包まれたものを手に近付いてくる。
奏が預かってもらっていたブーケに形は似ているものの、ラッピングシートがシャンパンゴールドへ変わり、端にゴールドが入った紺色のリボンが巻かれている。
「こちら、お預かりしてたブーケ、勝手ながら汚れたラッピングを取り替えさせてもらいました。あと、グリーンは水拭きさせてもらいましたが、花をいくつか替えさせてもらってます」
こちらはあなたに、と、手渡されたブーケは、ラッピングこそ変われど、奏が別の店から受け取ったブーケとほとんど変わりない。
変わりないが、なぜだろう。
「買ったとき以上に、素敵になってる……?」
中央に鎮座する赤いバラや、その周りを扇状に広がるグリーンはより艶めきを増し、雪のような白さを、かすみ草と、レインボーブーケにも入っていたスイートアリッサムがそっと演出している。
きっと華月は、ラッピングを取り、束を解き、グリーンを拭き、バラやかすみ草などを、汚れていないものと替えて、束ね直してくれたのだろう。
花材の一つ一つも洗練されていて、束になるとより美しさが引き立つ。
こういった仕事ぶりの一つ一つが、きっと華月や店の評判にも繋がっているのだろう。
「褒めていただけるのは光栄ですね。どうぞお持ち帰りください」
まるで愛くるしい子犬を見ているようだ、華月の瞳が笑みの形に細められている。
見惚れてしまいそうになるが、奏は大事なことは忘れないぞとなおも言葉を重ねる。
「えっと、改めてこのブーケ、すごく気に入りました。ありがとうございます。で、お直し代ですが」
「ご友人の夢が叶ったってことで、エンジェルナンバーの777円で」
とても軽やかなトーンで返されて、ブーケを手にしたまま奏はずっこけそうになる。
「ちょっと待って!? なんだかいろいろおかしい気がしてくるんですけど、桁とか!」
「いえ、こちら生花をいくつか入れ替えさせてもらっただけで、グリーンはそのまま使っています。妥当なようなものですよ?」
「いやだから、もっと工賃とか、レインボーブーケの分とかーー」
「こちらのブーケを日常で愛でてもらって、また違う花を貴女の傍に置く機会ができたら、ぜひまたご来店いただければと」
なんだか、とてもナチュラルに、華やかでふわふわした言葉を、言われたような気がする。
「あ、こいつ、こういうことをよく言いそうな奴に見えるかもしれませんけど、人間より花に興味を全振りしてる変わり者なんで、お客さん相当華月に気に入られたんだと思いますよ」
「ちょっおじさんっ! そういうこと言わないで!」
「え?」
「あ、お会計どうぞーって話ですから」
「ん?」
おじさんと呼ばれた店長が、飄々と何かを話しかけてきた。が、目尻を真っ赤にした華月が大声で遮る。お客さん相当華月に何。
ただ、華月の反応を見るに、もう一度とは聞きにくい。
華月が軟派なリップサービスで言ったわけではなさそうだということを、受け取ったほうがいいの、か。
せめてこれでと、財布の中から千円札を一枚渡し、問答の末、しっかり店長から223円のお釣りとレシートを渡され、渋々財布の中へしまう。
「お客さん、何線で動く人かは知らんけど、ここを出て紳士服の看板を目指したらすぐに、地下鉄関内駅の改札があるから。結構ここは通いやすいと思いますよ?
またご友人なり、誰かへのプレゼントや、お客さんの部屋に違う花をお迎えする機会ができたら、ぜひまた当店へお越しいただければ」
店長がさらに、こちらはセールストークだろうとは思いつつも、土地勘がない奏を気遣って声をかけてくれる。
当初はスマホを片手に、地下鉄関内駅を出てから、ブーケをオーダーした店を探してうろうろ歩いていた奏だった。今となると、なぜ違う店へお願いしようと思ったのか、というほど、この店のアクセスは抜群に良い。
「さっき友達の家まで行くのに通ったので、さすがにもう覚えました。そこの関内駅で乗り降りするほうが動きやすいので、このへんに来たときはまた寄りますね」
「ぜひに!」
なぜか横から、奏の言葉に華月がキラキラした瞳で応じる。
「それでは、今日は本当に、本っ当に、ありがとうございました」
奏は華月へ、店長へと順々に、深々と礼をする。
「貴女に喜んでいただけたなら何よりです」
「こちらこそ、またのお越しを」
右を見ても、左を見ても、眩しい。
「また来ます」
「その際はぜひ、事前にご連絡いただければ」
いや、さすがに華月のSNSアカウントへ"今日行きます”なんてDMできんし。
なんて言葉が出かけたが、あ、あはは、と、苦笑いで返す。
「華月はだいたい、奥の作業場で仕事してるか、その先の裏口から出たり入ったりしてるんで、店内では基本気配を消してるんです。
まあ俺も、お客さんのことは覚えたんで、またお見かけして気が向いたら華月を呼びます」
「いえ毎回絶対に呼んでください、いや呼んで?店長」
なんだ、店長を見据える華月の視線が、急に据わったように細められる。美しい圧かこれは。
「だって大型とか束ねてる最中には、さすがに呼べねえじゃんよ」
「というか、予約がいっぱいって、華月さんいつもお忙しいのでは」
「いや、そこっ、勝手に遠慮しないでくださいね?」
おずおずと奏も会話に割り込んでしまったが、華月に食い気味にツッコミ返される。
「僕は確かに、オーダーブーケの制作や撮影でだいたい一日過ごしてますけど、10分20分程度ならスケジュール調整しますから。
今度はぜひ、一輪からでも、貴女の好きな花が当店で見つかればいいなと」
「あ、こういうことも、こいつ普段言いませんので。基本花のことにしか興味ない奴なんですけどね、お客さんやっぱり華月に気に入られて」
「店長っ!」
やっぱり華月になんなんだ。
まあ、長居してても仕事の邪魔になりそうだ、本当にそろそろ出よう。
「それでは、失礼します」
「あ、僕、駅までお送りしますよ」
「いえほんと駅すぐ近くなので大丈夫です。華月さんも、お仕事の合間にブーケの手直しもしていただいて、ありがとうございました」
「う」
再度一礼して、顔を上げると、目に見えてしょんぼりと、元気を失くした子犬みたいになった華月に奏は怯む。その横で店長がぷっと吹き出している。
16時半を過ぎ、曇り空も夜に向かって暗くなり始めている。といっても、まだ陽が落ちきったわけでもない。
もう一度、では、と二人に会釈して、奏は微笑む店長と、うるうるした瞳を向ける華月から離れた。
ブーケを花瓶に飾ってからご飯の調達をしようと思い、奏は地下鉄関内駅から東神奈川駅近くの自宅まで、一旦まっすぐ帰宅する。
キッチンシンク下にしまっていた、細長いガラスの花瓶を久々に取り出す。軽くすすぎ水を入れ、奥のリビング兼寝室のテーブル上へブーケと一緒に運んだ。
花束のリボンを、ラッピングペーパーを外し、束になった麻紐の部分を掴む。
どうも帰り道で検索してみると、この束ねている紐やゴムといったものは、付けっぱなしだと茎が痛みやすくなるらしい。
早めに取ったほうがいいらしいが、取るとこの形が崩れてしまいそうなので、今晩はこのまま水につけておくことにした。明日の朝に、紐は外そうと決める。
花束を花瓶へ移そうと、持ち上げたときだった。
ちょうどグリーンの間から、小さな名刺サイズの紙が飛び出し、テーブルの上に落ちる。
ん、とは引っ掛かりつつ、花束を花瓶へ入れる。もともと縦長にまとめてもらっていたからか、花瓶の中へ抵抗なく入っていった。
謎の紙を拾い上げ、書かれた文字を見てみると、
『本日はありがとうございました。またご来店いただけるときは、ぜひこちらまで事前にご連絡ください。
合わせて、メッセージアプリのものと見られる、IDが載っている。
あ。事前に連絡って、こういうこと、か?
虹色という言葉にワクワクと熱を乗せた瞳、ふわふわした言葉たち、目尻を赤くした焦り、去り際のしょんぼりしたような表情。
今日見てきたいろんな華月の姿をいっぺんに思い出した後、奏はいったん、腹ごしらえをしてから考え直すことにした。
もう一度スーパーへ行くために家を出る準備をする。
だって、何がどうしてそうなって、華月に好印象を持ってもらったのかが、奏には壮大な宇宙を紐解くくらい、謎すぎたからだ。
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ネット投稿開始21周年記念も兼ねての短編でした!
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楽しく書かせていただきました。
出会い頭にぶつかったのは、馬車道のインフルエンサーでした。 あおいたくと @blacktact
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