第7話 大団円
マンホールの穴は。それから、しばらく開いていた。
しかし、その時の発想というものは、二度と自分に降りかかることはなかった。
それから、自分のまわりで、
「ドッペルゲンガーを意識する」
ということも、そして、
「三すくみを感じさせる」
ということもなかった。
しかし、何か、違和感があったのだ。
「どこかに何かを忘れてきた気がする」
という、何か気持ちの悪いということを感じさせる発想であった。
そう感じると、
「同じ日を何度も繰り返している」
という発想だけが残っていた。
それは、
「リピート」
というものであり、
「なぜ、何度も繰り返しているのか分からない」
と感じながらも、その先にあるのは、
「リピートには限りがある」
ということであった。
「もし、その限界を超えてしまうとどうなるのだろう?」
と感じた。
「死んでしまう」
ということになるのだろうか?
普通に考えれば、
「人間で一番の恐怖」
というもは、
「死」
というものではないだろうか?
そんなことを考えていたが、実際に、そうではない。
「死ぬことができずに、永遠にこの世をさまようことではないか?」
ということに気づいたのだ。
だから、もし、これが、
「リピートだ」
ということであるのなら、
「限界が来て、そのまま死んでしまう」
ということか、
「この世から消滅してしまう」
という方がいいかも知れない。
いつまでも、
「どうして同じ日を繰り返すのか?」
というその意義も理屈も分からないまま、生き続けるのは、
「これ以上のむごいことはない」
と考えさせられる。
「意義が分からない」
というのは、まだしょうがないとして、
「理屈が分からない」
ということは、勘弁してほしいと考えるのであった。
ただ、そんなことを考えていると、さらに疑問が頭をもたげるのであった。
それは何なのかというと、
「本当に、俺は自分なのだろうか?」
と考えた。
「俺の方がドッペルゲンガーなのではないか?」
と考えたのだ。
しかし、この考えは自分に安心感を与える。
というのは、
「俺がドッペルゲンガーであれば、近い将来死ぬということはないだろう」
ということであり、
「本当の俺は死んでしまっていて、今の俺は、意識ごと、上書きされたのではないか?」
という発想であった。
そう、これこそが、
「タイムリープの正体ではないか?」
ということであった。
( 完 )
時間の三すくみ 森本 晃次 @kakku
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