空の故郷
太刀川るい
第1話
血管のように入り組んだ配管と配管の間にねじ込まれるように、小さな建物が並んでいる。屋根がないのは雨が降らないからだ。乱暴にボルト止めされた鉄骨の枠組みに、錆びかけた薄い鉄板がネジ止めされている。
鉄網製の通路は、一部取れかけており、歩くと、派手な音を立ててうるさく響く。昔のままのその音に、私は思わず頬を緩めた。
帰ってきたのだ。ここに。
上を見上げると、どこまでも続くように建物が伸びている。岩の中の隙間に水晶が育って生まれる晶洞のように、360度、すべての方向から伸びゆくビルは、経済的な理由を元に中心までの中ほどでその成長を止める。
子供の頃から見慣れている光景も、地球で暮らすようになってから見てみると奇妙なものだと思う。ただ、これが私にとっての故郷なのだ。
私の故郷、オニール1が出来たのは、80年ほど前のことだ。増えすぎた人口を宇宙に植民させることになり、軌道エレベーターの建設と合わせて作られた人類最大の公共事業。
直径5キロ。長さ10キロの巨大な鉄合金の円筒はバレリーナのように回転し、人工的な重力を産み出す。私達はそこの内側にへばりつくようにして、生まれ、育ち、そして死んでいった。多くの人生がここにある。いや、あったというべきか
「主任、そろそろ時間ですよ」
「ええ、少し待っててくれる? 行きたい場所があるから」
部下にそう答えると、私は、懐かしい通学路をもう一度歩き始めた。故郷を歩けるのは、これが最後になるだろうから。
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通学路はあの頃のままだった。雨が降らないから、劣化が遅い。多少錆が増えたかなと思える程度なもので、記憶のままだった。ただ、違うのは、人がいないこと。通学路の途中で飲み物を買った店も、皆で歌った広場も、全くの無人で私の足音だけが虚しく響く。
私が生まれた時に衰退はすでに始まっていた。いや、本当はもっと前から兆候はあったのかも知れない。人類が宇宙に進出した時代はもう終わり、地球は少子化に悩まされている。国家は縮小し、かつて宇宙に人を送り込んでいた国々は私達を呼び戻している。
私の成長と反比例するように、街は衰退していった。
あの角を曲がると、高校だ。わたしは目をふっと閉じる。瞼の裏にはあの日の思い出と、友達の顔がありありと浮かぶ。
「あっ……!」
一歩踏み出した時、思わずそんな声が出た。懐かしい校章がついた門の前に、見覚えのある顔が立っていた。
懐かしいその子は、振り向くと、一瞬驚いたような顔をして、そして微笑んで言った。
「カノン、久しぶり」
「元気してた? アカネ」
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「他の子は?」
「皆地球にいるよ」
「そうか、逢いたいな」
「皆、待っているよ。アカネのこと」
「そういえば、子供は?」
「預けてきた。今日はちょっとここにいたくて」
もう動かない自販機の前でアカネと話す。この自販機の電源が落ちてからしばらく経つ。撤去費用の関係上残されているわけだけれども、もう補給が行われないまま、文字通り永遠に残り続けるのだろう。この街と一緒に。
高校に入学した時、コロニーの廃止が決まった。
私達は、なんとかこの場所を残したくて色々と活動したけれども、衰退は止められない。私達の代ですら、子供はもう私達ぐらいしかいなかったし、私達より下の世代はとっくにコロニーを見限って地球に移住してしまった。
私は卒業して、コロニー公社に入った。もしかしたらなにか手があるかも知れないと思ったからだ。でも内情を知れば知るほど、不可能だということが分かった。私はコロニー公社の終焉を見届け、そして今日、コロニーを終わらせるためにここに来ている。
「どう? 久々のコロニーは?」
「やっぱり、故郷だなって感じ。でも今見ると、なんかゴミゴミして、雑多で、ちょっと汚くて……」
「そっか」
「でもそこが良いんだ。故郷だもの」
私はそう言うと、コロニーの雑多な町並みを眺めた。なんという捻じくれた街だろう。コロニー公社の初期の構想がいかに的はずれだったのかがよく分かる。
円筒形の世界には田園が広がり、緑の大地に、三方に空いた窓から光が差し込んでいる。牛や馬がのんびりと草をはむ牧歌的な理想郷。そんなイメージをコロニー公社は宣伝のために利用していた。
実際は、窓なんてものは作られなかった。太陽光発電で生まれた電気を使ってLEDをつけた方がずっと効率が良い。床は全て居住のために利用され、増えすぎた人は、空間効率を最大化するべく上へ上へと伸び続けた。
本当は、都市計画のようなものがコロニーにも必要だったのかも知れない。だが、居住を制限するべきコロニー公社は手を打たなかった。出来なかったというのが正しいのだろう。宇宙は規制に縛られないフロンティアだと言う考えが強くて、介入を拒み自治を要求した。結果生まれたものは、20世紀の地球の九龍城の様に、各々が勝手に建設を行う、迷宮のように伸び続ける巨大な空間だった。
高さ一キロを超えるビルは、お互いに接合され、円筒の中をスポンジのように埋め尽くす。がん細胞の様に増え広がる街は、お互いに絡み合い、自然発生的に広場や商店街を生み出し、そして衰退して廃墟となった。
かつてこの街を広げていた熱気はもう存在しない。コロニーはかつての時代の残響を残したまま今はただゆっくりと錆びていく。
「入ろうか」
私はそういうと、鍵を取り出した。校門の鍵だ。アカネは少し驚いたような顔をしたけれども、すぐにあの頃と同じ、いたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
学校の中はあの日のままだった。廊下を歩くだけで泣きそうになる。ここはおそらくこれから永遠に残っていくのだろう。
教室の前に来た時、アカネと私は、しばらく何も言わずに突っ立っていた。
あの日、みんなで寄せ書きをした壁も、記念撮影のために動かした椅子や机も、全てあの日のままに残っている。
空気までが残っている気がして、教室の中になかなか足を踏み出せなかった。まるで私達の足が入ると同時にこの空間自体が壊れてしまうような。そんな気がした。
「あの日のままだね」
「うん……」
二人で手を繋いで教室に入る。椅子や机には手を触れないように慎重に動く。
「ねぇ、私達、頑張ったよね」
アカネがぽつりとそういった。
「そうだね」とだけ私は言って、そして泣きそうになった。
壁には私達のシンボルマークがまだ描かれている。三日月と、その影の部分に浮かぶ星。おそろいのTシャツはまだ家のクローゼットの一番下に入っている。
突然サイレンがなって、私達は顔を上げる。
時間が来たのだ。
「主任、もう限界です。空気抜きがそろそろ始まりますよ」
部下からそう連絡が入って、私達は教室を出た。
コロニー最後の日は、ゆっくりと進んでいった。
電源が一つ一つ落とされ、中の空気がゆっくりと抜かれる。ほぼ真空に近い状態で、コロニーは永遠に保存される。私達の思い出も一緒に。解体する案も出たけれれども、解体費用がかかりすぎるため、これが一番安価なのだ。それに我々人類はコロニーを解体するような巨大な事業をまだ一度も経験したことがない。これから経験することもないのだろう。
軌道エレベーターへ向かうシャトルの窓から、私達はコロニーをじっと眺めた。
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「これが地球なんだ」
軌道エレベーターから降りて地球の土を始めて踏んだ時、アカネはそう呟いた。熱帯のぬるい風が頬を撫でる。もう太陽は沈み、あたりは薄暗い。
アカネの子供は、地球が珍しいのだろう。キョロキョロとあたりを見回している。
この子は多分コロニーで生まれた最後の子供なんだ。アカネがそう紹介した子供は、まだ8歳だけれど、アカネに似てとても可愛らしい。
きっと、地球で立派に成長していくに違いない。
「これが……空なんだ」
アカネは無限に広がる暗闇を見上げて呟いた。コロニーの蓋をされたような内向きの世界に比べて、地球は外向きだ。空は、はるか大宇宙に向かってどこまでもどこまでも開放的で、ふと怖くなる。
アカネの気持ちが私にはよく分かった。だから、私は空を見渡してそれを探す。それを見つけた時、私は少し微笑んで、アカネの肩を叩いた。
「ねぇ、アカネ。私も最初は地球が怖かった。星を見るたび、広い世界に放り出されたような気がしてさ。でも、安心して、あれを見てよ」
私は空を指差す。アカネは少し間をおいて理解すると、「本当に見えるんだ」と声を弾ませた。
空には、今にも沈もうとしている三日月がある。その影の部分に、ほのかに光る、小さな光点が見えていた。月の中に光る星。地球と月の間のラグランジュポイント1に浮かぶ、巨大な人工物。
「三日月の中に、星が見えるイラストっておかしいじゃない? だって影になっているだけで、月はそこにあるから、星が見えるわけがないよ」
私達のマークを作った時、誰かがそんなことを言ったことを思い出す。でも、地球から来た仲間の一人が、そうじゃない。と説明してくれた。本当は一つだけ、そこに見えるものがあるのだと。
そして、それは本当だったことを私は地球に来て知った。空を見上げれば、いつでも見える。あの頃の私達の思い出が。
「ママ、あれ何?」
アカネの子供がそういうと、アカネは子供を抱き寄せて一緒に空を見上げた。
「ごらん、あれが故郷よ。わたしたちの」
空の故郷 太刀川るい @R_tachigawa
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