世界というには程遠いつぎはぎの庵にて

かなぶん

世界というには程遠いつぎはぎの庵にて

 朝を告げる小鳥の声に、ノーラはゆっくりと焦げ茶の目を開けた。

 カーテンから漏れる朝日が見慣れた自室に輪郭を与えている。木造の小さな机と椅子、同じく木造のクローゼット。いつかはもっと彩りのあるモノに買い換えたいと思っているラグやカーテン、布団といった布類は、まだ使えるという理由だけで地味な色合いのままだ。

 代わり映えのしない光景から遠ざかるようにゴロリと寝返り、休日はいつもそうしているように二度寝に落ちかける寸前、

「いや違うでしょっ!?」

 思い出した用事から一気に起き上がっては、勢いの良さにめまいまで引き起こしてしまい、一度ベッドに腰かける。茶色い長い髪の毛を払いつつ、額に手をやりながら思い起こすのは、昨日張り切って仕事を頑張り終えた、今日という日のこと。

 祝祭の日――。

 遠い昔、魔王という脅威を勇者が討伐したという由来から制定されたこの日は、あまりに昔過ぎるため、詳細を知る者、知ろうとする者はノーラ始めほとんどいない。ただそういう文献があるのみだ。

 それでもノーラが休日の二度寝を諦め、そそくさと着替えに立つのは、由来はさておいても、娯楽が少ない村にあって重宝される祭りではあるためだ。

 何せ祝祭の日が大々的に行われるのは、この国の首都なのだから。

 ノーラの住む村と首都とは、一応近隣という扱いになる程度の距離感ではあったが、それでも年頃の娘が一人でおいそれと遊びに出て行ける場所ではなかった。道中の治安諸々の心配も確かにあるが、輪をかけて気になってしまうのは、流行の最先端である首都に気楽に行けるほど、ノーラには上等な服の持ち合わせがないこと。

 それが祝祭の日になった途端、開催が国規模だからだろう、あらゆるところから様々な衣装を身に纏った、さまざまな階級の人間が集まるのだ。余程汚れた服でなければ構っている暇もなくなる。

 祝祭の日に必要なのは、日々の生を謳い、賑やかに楽しむ心と――相応の金だけ。

 ノーラは、支度の最後にこの日のために貯めてきた金を確認すると、逸る心で頬を緩ませながら部屋を出て行った。



 友人たちと待ち合わせしている乗合馬車乗り場へ向かう道すがら、仕事場である雑貨屋へ寄ったノーラは、店主兼叔父から「あんまり羽目を外しすぎるなよ」というありがたい忠告を受け取った。それには生返事をしつつ、祝祭に参加しない叔父へ「お土産は?」と聞いたなら、「気にせず楽しめ」という言葉が返ってくる。

 家にいる叔母も同様の答えだったため、案の定という気持ちだったが、「分かった。行ってくるね!」と手を振って店を後にした。

(二人していらないって言うなら、好きに買って来よう)

 早くに両親を亡くしたノーラにとって親代わりの二人である。せっかくの楽しい祝祭ならば、お土産話だけではなく記念の品物も持って帰りたい。

 今年はどんな物が出品されるだろう。

 去年の記憶を振り返っていたノーラは、手を振る友人に気づくなり、一端お土産から頭を切り替えて駆け寄っていく。


 さすがに毎日ではないが、狭い村の中ならよく会う顔ぶれ。

 だというのに、馬車の中では終始尽きない会話が続いていた。

 この話は言ってたっけ? という、聞き覚えのある話もあれば、実はさ……と切り出される初めて聞く話。中でも一番盛り上がったのは、友人二人から近々結婚するという報告だった。

 もちろん、この中で二人の関係を知らなかった者はいない。それでも村で聞くよりもめでたく思えるのは、祝祭という特別な日のせいだろう。

 祝祭が終わっても約束されている新しい門出に、ノーラまでワクワクしてきたなら、忘れては困るとばかりに祝祭に沸く首都に到着した。



 早い時間を目指しての出発だったが、やはりというべきか、首都の人混みは思っていた以上だった。見慣れない衣装の人々が行き交い、活気づく色とりどりの露天商の上では常に紙吹雪が舞っている。

 初めて見た時は人の多さや露天商の物珍しさよりも、この量の紙吹雪に降られたら掃除が大変、と他人事ながら青ざめていたノーラ。後に紙吹雪は全て魔法で作られたモノであり、地面に着いた途端に消えてしまうと教えられてからは、あまり気にしなくなったものだが。

(そう言えばあの時、叔父さん言ってたっけ。祝祭は確かに楽しむべきものだけど、同時に、地方や周辺国へ、首都にはこんな大がかりな魔法を祝祭みたいな、言ってしまえば娯楽に、際限なく当てられるくらいの国力があるんだぞー、っていうアピールでもあるって)

 あるいはそれは、時折首都の客を相手にする叔父の皮肉だったのかもしれないが、幼い頃のノーラはよく分からず、記憶だけ残ってしまった今のノーラは、なんとも言えない気持ちになった。

(……ダメダメ。ついうっかり思い出した話に引きずられてどーする。だとしてもそれは私たち庶民が考えたってしょうがない、というか、なんなら私たちを守ることにもなるのかもしれないんだから)

「どうした、ノーラ? 突然頬なんか張って」

「ううん。ちょっと気合い入れてた」

「ああ、そうだな。一年ぶりの祝祭なんだから、しっかり気合い入れなきゃだな」

 自分の奇行に理由をつければ、いい具合に同意してきた友人。

 これに乗っかる形で頷いたノーラは、首都の賑わいに負けない笑顔で店を回る。



 日も傾き始めてきた頃。

 回りきるだけ回った祝祭の街並みは、それでも尽きることなく賑わい続けている。

 対するノーラたちはと言えば、さすがに体力がつきかけており、夕方発の馬車に合せて、目的を観光から土産探しに移行していた。

(良さげなお土産、良さげなお土産は……)

 観光がてら既に目星をつけていた店のいくつかを巡るノーラだが、改めて見た品物には違和感があったり、売り切れてしまっていたりと、中々買えずにいた。

(時間もあまりないけど、だからって妥協はしたくない)

 なまじ雑貨屋の店員であるためか、人にあげる品物を見る目は自然と厳しくなっている――ような気がしてきた。

 いっそ食べ物の方が良いかもしれない。

 そんな風に考えを変え始めた頃、ノーラの目の前でハンカチが落ちた。一目で上質と分かる布地に慌てて手が伸びたのは、土産探しに没頭していたせいか。思わず拾ってしまったが、落とし主を確認した瞬間、ノーラは後悔する。

 色彩に満ちた祝祭の光景と真っ向から対立するような黒い礼服と、その後ろを影のようについて歩くひょろ長い灰色の礼服。二人の男。

(げ。見るからに貴族じゃん。しかも隠す気もない従者連れ)

 歯に衣着せぬ商売人の叔父曰く、貴族は最も相手にしてはならない客だという。

 騎士の称号持ちなら多少横柄でも言葉は通じるが、生粋のお貴族様という奴は、そもそも碌な金銭感覚を持ち合わせていないうえに、庶民にとっては人外の言語でお話しなさるのだそうで。

(それでももし、万が一にでも話しかけなければならない状況に追い込まれてしまったなら……なるべく使用人に話しかけろ、だったよね)

 できればこのまま見なかったことにして、さっさと土産探しに戻りたい。いや、本音を言えば土産探しさえ諦めて、友人たちを待つ時間さえ惜しんで、一人で村に帰りたいくらいだ。

 だが、こうして拾ってしまった以上、渡す以外に道はない。

 ヘタに他の場所へ置いたり、地面に戻そうものなら、目ざとく見つけた誰かが、お近づきになろう、覚えめでたくあろうと、あの貴族にノーラのことを告げ口するかもしれないのだから。

 それくらい、目の前の主従の姿は他を寄せ付けない雰囲気に満ち満ちていた。

(……仕方ない)

 どうか、相手が記憶力の良い方ではありませんように。ああ見えて実は祝祭に浮き足立っていて、貴族とバレていないから、庶民が気安く声を掛けてきても訝しむ方ではありませんように。

(どなたでも構いませんので、この瞬間だけは、私に格別のご慈悲を!)

 落とし物を拾って届ける。

 それだけのことで、かつてここまで祈りを捧げたことなどあっただろうか。

 いや、ない。

 ただひたすらに、それだけを願ったノーラは、人混みに消えそうな背中を追う。

「あ、あの、すみません!」

 上擦らせながら声を掛けても、これだけの人通りがある中では、自分のことだとは思って貰えず。とても勇気のいることではあったが、ほんの少しだけ、追いついた灰色の裾を引いてみた。

 気づかれても、気のせいで済ませられる、そのくらいの力加減。

「っ!?」

「!!」

 しかし、予想に反して従者は振り払うような動きと共にこちらを向き、つられたように主人までもがノーラを視界に入れてきた。真っ黒な視界に。

 途端に硬直したノーラは青ざめた顔を下に向けると、供物でも捧げるようにハンカチを両手で掲げた。

「あの、ハンカチ、落としてます」

 決して早足で近づいたからではない息切れ混じりに、要件だけを告げる。

(は、早く受け取ってください! 本当にそれだけで、他意も何もないんですっ!)

 相手には聞こえない心の中にも関わらず、敬語で申し開きをするノーラ。

 だというのに、絶妙なタイミングで従者からと思しきため息が聞こえたなら、大袈裟なくらい身体が震えてしまった。

 と、程なく掲げたハンカチの布が張る。

 受け取られた、そう頭で理解するまでに数秒。その間に上がった頭がハンカチを掴む従者の白い手袋を見たなら。


ばくっ


 低く響く音を最後に、ノーラの感覚全てが閉ざされた。


* * *


 水辺の椅子に座り、片手に本を、片手に細い糸を握るヒトは、叩きつけるように扉を開けた者を振り向くことなく静かな声で言う。

「シヨウ、そんな乱暴にしなくとも、そこの扉の立て付けは悪くないよ」

「……知っている」

 ヒトのいつもと変わらない様子を知ってか、シヨウが感情を押し殺した声を返す。

 そうして隣まで来ては、高い背丈が作る影を落としてきた。

 ヒトはこのまま読書を続けても構わなかったが、そうするといつまでもシヨウは待ち続けるだろう。もちろん、それでもヒトは気にせず読書に没頭できたが、それなりに付き合いが長い分、少なからず哀れに感じもする。

 閉じた途端に消えた本から糸へ視線を移したヒトは、張り詰める様子もない緩んだ先をなぞる。そこには、大きさも形もまばらなタイルのような板が、遠近も統一性なく宙に散らばっており、板と板の間には、これまた全く違う質感の空間が覗く。糸はその内の一つから垂れており、ガラスのような水面につくかつかないかの揺れを見せつつ、ヒトの手に握られていた。

「また、行ったのか?」

 疑問符はありながらも、確認でしかない問いかけにヒトは頷いた。

「ああ。それが今の彼……いや、彼女だったか。そう、今の彼女の望みだからな。この庵に在って明確な目的があるのならば、ぬしとして協力は惜しまない」

「それが不可能に近いことであっても?」

「ああ。可能性の問題ではないからな。彼女がこの庵で生きるなら、目的は大事だろう。ただ生きている、思考できるだけというのは、限りある命だった者には辛いことのようだから。私や君にはあまり実感できないことではあるが」

 シヨウも分かっているだろうことを改めて言葉にしてやれば、ぎゅっと拳が握られるような音がした。

(彼女と真実同じ構造ならば、歯がみをしているのかもしれないな)

 ぼんやりとそんなことを思っていたなら、弛んでいた糸がピンッと張り詰めた。

「おっと」

 ヒトごと引っ張る強さはないそれにすぐさま腕を動かしたなら、糸が出ていた空間から何かが飛び出し、そのまま水面に落下した。

「ヒト! もう少し加減をしろ!」

「そんなこと言われても加減をしたら加減をしたで遅いと――って、相変わらず早いな、君は」

 言葉が終わる前には水面に飛び込んだシヨウ。

 程なく出てきた腕には、青ざめた顔色の人間が抱かれていた。

 茶色の髪をそっと除けてやれば、焦げ茶の瞳が薄く開かれてヒトを見る。

「今日も、見つけられなかった……」

 濡れもしない水は、沈めたところで身体を冷やすことはないが、震える唇は青い。

 それが空間に限界まで潜った代償と知るヒトは、勤めて優しく頭を撫でてやる。

「そうか。でも、今日は疲れただろう? ゆっくりおやすみ、ノーラ」

「…………」

 コクッと頷いて目を閉じた人間は、自分を抱えるシヨウを見ることはなかった。

 シヨウも黙ってヒトと人間のやり取りを見ているだけ。

(仕方ないか。彼女にとって、シヨウは私の従者で、彼女を邪魔だと、殺したいと思っている者、そうなっているのだから)

 本当は、こうして優しげな言葉や仕草を心がけている自分よりも、シヨウの方が彼女を思いやっているなど、言ったところで聞き入れはしないだろう。こうして壊れ物のように抱き上げたところで、ヒトが命じたことと思っているに違いない。

(まあ、それもこれも全部シヨウ自身が招いたことだから、どうしようもないが)

 それでも、とりあえずシヨウが自分の従者ではないということだけは分かって欲しいとヒトは思う。

 根気よく伝えれば、彼女ならきっと理解してくれるはずだ。何一つ知らなかった世界の外――この場所と、自分の世界に起こったことを知った時のように。

 今だって、細い糸を命綱に「世界喰い」を探し続けているのだから。


 世界喰い――。


 遭遇を知覚した者にとっては現象に近しい存在。

 理由も頻度も不明だが、外から世界を感知できなくさせることができるソレは、祝祭の日のあの時、ノーラがハンカチを渡した瞬間に、ノーラのいた世界を呑み込んだ――らしい。

 らしい、というのはノーラの推測ではなく、教えてくれたヒトの話だ。

 正直なところ、「世界喰い」に呑み込まれた世界がどうなるのか、どうなったのかはヒトにも分からないという。喰いという言葉の通り、食されてしまったのかもしれないし、実は「世界喰い」の内部で変わらず存在し続けている可能性もある、と。

 本来であればノーラもそんなことを知る由もなく、世界共々呑み込まれるはずだったのだが、何の悪戯か、その瞬間にたまたま通りがかっていた世界の外の存在――ヒトとシヨウ、とりわけシヨウとハンカチを介して繋がっていたために、弾き出されてしまった訳だ。

 最初の時こそ、自分だけがこうして、言ってしまえば生き残ったことに対して絶望していたノーラだったが、たまたま耳にしたシヨウの言葉に、このままではいけないと「世界喰い」探しを始めることになる。

 ――世界を標的とする「世界喰い」は世界の外を放浪している。

 この情報だけを頼りに、「世界喰い」の「食べ残し」で造られたという庵から、その主であるヒトに糸を垂らして貰い、世界の外を探し続ける。

 自然と訪れる死から見放された今のノーラには、それしかできることがない。


「いっそ息の根を止めてやればいいのに」


 それはシヨウにとって、ある種、慈悲に似た想いから出た言葉であった。

 世界の外に息づく大樹。世界には分類されないはずの存在。

 その一部であったシヨウは、ある日、唐突に自分以外の全てを「世界喰い」に喰われてしまった。何故という思いと共に降りかかったのは、一部のままなら必要がなかった消失の苦しみと、課せられた命の期限。

 命の期限はいい。いつか朽ちるというのは、抱えきれない消失に苦悶するシヨウには救いのようであったからだ。

 ただ、永劫から切り替わった期限は、あまりに永すぎた。

 永すぎて――まさか、似たような境遇の者と出逢うことになるとは思わなかった。

 しかも自分が原因になってしまうとは。

 痛いほど分かる彼女の絶望に、シヨウはいたたまれない気持ちからヒトに頼んだ。

 本当は自分こそがそうして欲しい。しかし、ヒトでも大樹の一部であったシヨウの命を絶つことは難しく、せめて彼女こそはそうしてやって欲しいと願った。

 ヒトの力ならば、苦しみもなく穏やかに死を迎えられるから――と。

 ヒトの答えは簡潔だった。

「それは君や私が決めることではない」

 その内に、彼女は「世界喰い」を探し始めるようになった。

 探してどうするのか、復讐でもするのか。

 どうせ見つからない、そういう存在だ、そう諭しても彼女は頑なだった。

 世界の外を知らなかった身で世界の外を巡るのは、ヒトの守りを得たとしても苦しいはずだ。実際、外へ出て帰ってくる度、彼女はいつも疲れ切っており、今も部屋へ運ぶシヨウの腕の中で、苦悶の表情を浮かべている。

「いい加減、諦めればいいのに」

 勝算の薄い賭をしているようなものだと思いながら、ポツリと呟いた言葉。

 その言葉を彼女が聞いていることを、シヨウはまだ知らない。

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