ポジティブ・ニュース 〜繊細女子とそうじゃない同期くん〜

夏野梅

同期のふたり

 繊細、という言葉にあなたはどんな印象を持つだろうか。


 世の中には、生まれつき感覚が過敏で刺激を受けやすい人がいる。環境の変化にすぐ気がついたり、他人の機嫌に振り回されやすかったり。大きな音にびっくりしやすかったり、映画やドラマの暴力的なシーンが苦手だったり。雑にまとめれば、良くも悪くも、とても敏感で繊細な人ということになる。

 そんな気質の人はHSP――Highly Sensitive Personと呼ばれるのだが、病気でもなんでもなく、ただの気質、すなわち生まれ持った特徴を指す言葉に過ぎない。ちなみにHSPは統計的には15〜20パーセント、五人に一人の割合で当てはまると言われている。


 私、坂田美星もそんなひとりだ。


 そんな私が愛用しているニュースサイトがある。


 それが「ポジティブ・ニュース」だ。


 このサイトにはその名の通り、明るいニュースだけが集められている。景気が悪い、誰が殺された、何人死ぬ事故があった――そんな暗いニュースは一切掲載されない。星座占いまでもランキングはおろか、悪いことは一切書かず、ラッキーアイテムだの何座と相性がいいだの、前向きなことだけ書く徹底っぷり。


 そして私は今年の春、そのサイトを運営する会社に新卒採用され、「ポジティブ・ニュース」の運営を担当する部署に配属されたのだった。


 ――とはいえ、運営というのは甘くない。


「部長、このニュースはどうですか!? 『江東区で五棟が焼ける火事、死傷者ゼロ』!」

「んーっ、ダメだね!」

「いや、五棟も全焼してるのに怪我人すら出てないんですよ!? すごくないですか!?」

「そもそも火事がアウト。五棟とか燃えすぎ」


(瀬尾くんまたボツにされてる……)


 私はデスクから、同期入社の瀬尾くんと編集長のやりとりを聞いていた。


 このサイトの運営を行うチームのメンバーは、私と瀬尾くんを含めてたったの五人。

 編集長、釧路大次郎(五十一歳)。

 副編集長、鳥谷野貞子(三十?歳)。

 もうひとり頼れる先輩がいるが、現在は育休中だ。


「くそっ」


 悔しそうに頭をガシガシ書きながら、瀬尾くんが隣のデスクに戻ってきた。


「記事の選定、難しいよね」


 私はフォローするように、瀬尾くんに話しかける。


「編集長の合格ライン、厳しすぎ……」


 瀬尾くんは腕を組んで、椅子に座ったまま天を仰ぐ。

 その時、昼休み開始のチャイムが鳴った。


「坂田さん、昼メシ行こ」

「えっ、私、お弁当で……」

「んじゃ、外で食べよ。天気いいし」


 私は半ば強制的に、瀬尾くんに外へと連れ出された。





 オフィス街にはベンチが多く、ランチを摂る場所には困らない。

 私は膝の上にお弁当を広げ、瀬尾くんはオフィスビルの一階にあるコンビニで買ったサンドイッチの袋を破った。

 夏の暑さが落ち着いて、風が爽やかさを取り戻し始めている。外で食べるのも悪くないと私は思った。少し、人通りが多いけれど。


(でも、なんで私……?)


 瀬尾くんはちょっと雑で軽いところはあるけれど、明るくて人望があり、同期の中でも目立つ存在だった。他部署の友達ともしょっちゅう飲みに行っているらしい。

 ランチだって、一緒に食べる人には困らないだろうに。

 いつも自分のデスクで食べている私を心配しているのだろうか。


「坂田さんが拾ってくる記事って、あんまりボツんないよなぁ」


 黙々とサンドイッチを頬張っていた瀬尾くんが突然切り出したので、私はビクッと肩を跳ねてしまった。箸から唐揚げがこぼれたが、落ちた先がお弁当箱の中でホッとした。


「え、そうかな……?」

「なんかコツとかあるの?」


 問いかける瀬尾くんの目は真剣だ。

 きっと、さっき編集長にボツにされてからずっと考えていたのだろう。


(意外と……って言ったら失礼だけど、真面目なんだな)


 そもそも、なぜ瀬尾くんが「ポジティブ・ニュース」の部署に配属されたのか、私にはずっと不可解だった。新人研修の時、瀬尾くんが金融関係のサイト運営に携わりたいと言っていたのを私は覚えている。「ポジティブ・ニュース」の部署への配属を希望したとはとても思えない。


 だけど、最近ちょっとわかってきた。

 多分、瀬尾くんは会社期待の新人なのだ。きっとこれから出世コースをひた走るのだろう。上の人間は今のうちにいろんな部署を経験させたいに違いない。


 そして、少なくとも、私のような繊細さんではない――明らかに。


「私、入社する前から『ポジティブ・ニュース』よく見てたから、なんとなく傾向がわかるのかも」

「んー、そうかぁ。まだまだ俺の勉強不足ってことか」

「そんなことないよ」


 本当に、そんなことはないと思う。瀬尾くんが努力家だということは、短い付き合いでも感じている。今だってお昼休みなのに、こうして仕事のことばかり考えている。


 ただ、見えている世界が最初から違うのだ。


 五人に一人はHSPと言うと多く聞こえるかもしれないが、逆を言えば八割の人間はそうでない。

 八割の人には、私が感じている世界は理解できないのだ。

 それに繊細と一言で言っても、その中身も度合いも人それぞれ、みなバラバラなのだ。私が平気なものだって、誰かには苦痛なのかもしれない。


「星占いだってさ、悪いなら悪いって言ってもらったほうがよくない? 事故に遭いそうって言われれば、気をつけようとか思うじゃん?」

「そうだねぇ……でも、そればっかり気になっちゃって落ち着かない人もいるのかも」

「そうかあ……?」


 瀬尾くんの言いたいことはよくわかる。ちなみに私は星占いで悪いことが書かれても気にしていない……つもり。

 瀬尾くんはサンドイッチを食べ終えてコーヒーを煽ると、小さく唸って言った。


「暗いニュースから逃げ続けて生きていけるほど、世の中優しくないっしょ」


 ズキン、と胸が苦しくなった。


 それは私が自分に何度も言い聞かせた言葉だった。



 私だって、好きで繊細な気質に生まれてきたわけじゃない。

 それに私にも夢があった。


 本当は、弁護士になりたかった。


 だから一生懸命勉強して、大学は法学部に進学した。

 だけど、弁護士になるということは、時に凄惨な事件や事故と向き合わなければならない。弁護士になるための勉強をしていく中で、自分がグロテスクな証拠写真や証言される暴言といったものにひどく心を掻き乱されることに気がついた。


 本当は、もっと前から気がついていたのかもしれない。

 テレビやスマホの眩しい画面から溢れる暗いニュースに、私の気分はいつも引きずられた。

 罪もない人が無差別に殺されたニュースを見れば、自分も同じ目に遭うかもしれないと出かけるのが怖くなった。小さな子供が事故で亡くなったニュースを見れば、胸が痛んで涙が出そうになった。老後の資金が足りないと聞けば、無性に不安になって落ち着かなくなった。


 でも、そんな暗いニュースが世の中からなくなることはない。

 私は慣れが足りないのだ、そう思った。

 だから毎日、選り好みせずにニュースを見るようにした。なんでも「自分ではない誰かの出来事」であり「ただの事実」だと、感情的にならずに受け入れられるように。


 結局、慣れることはなかった。


 心が壊れる寸前に、私は自分の性格を受け入れた。そして、弁護士になるという夢を諦めた。




「坂田さん?」


 回顧からハッと我に返ると、瀬尾くんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


「ご、ごめんね、ぼーっとしちゃって。そうだよね、暗いニュースは避けて通れないよね。……でもね」


 半分以上中身が残ったお弁当箱を見つめたまま、多分、私は笑っていただろう――自嘲的に。



「真正面からぶつかっていたら、心が壊れちゃう人もいるんだよ」




(……あれ?)


 鼻で笑われると思っていたのに、一言も返ってこないので、私は顔を上げて横にいる瀬尾くんを見た。

 瀬尾くんは精悍な顔つきで私をじっと見ていた。


(あ、これはバレたかな)


 自分が人一倍繊細だなんて、別に隠すつもりはないけれど、わざわざ言おうとも思わない。

 だけど、普通の人からはどう見えるのかは気になってしまう。

 幻滅されるだろうか、笑われるだろうか。どちらにせよ、それなりに傷つくのだけど――。


「なるほど、勉強になった」

「えっ?」


 瀬尾くんはコーヒーを飲み干してすっくと立ち上がると、空になった紙カップを握りつぶした。


「ありがとう。俺、先戻るわ」


 そう言った瀬尾くんの目は、真剣そのもので。

 ポカンと口を開けたままの私を振り返ることなく、瀬尾くんはオフィスビルに戻って行った。





「あー、これいいんじゃない? 鳥谷野さん、どう?」

「……まあ、許容範囲だと思います」


 釧路編集長がノートパソコンの画面を見せると、副編集長の鳥谷野さんは暗い顔のままボソッと言った。鳥谷野貞子――名前がぴったりすぎて困る。だけど悲しいかな、私はこの人から同じ匂いを感じている。

 ちなみに私は、ホラー映画は一切見ない。金を積まれたって絶対見ない。


「これ採用」

「っしゃ! ありがとうございます!」


 瀬尾くんが午後イチで編集長に見せに行ったニュース記事が、見事採用されたらしい。

 私がお弁当を食べ終えてフロアに戻った時には、瀬尾くんはもうパソコンに向かっていた。

 そんな瀬尾くんの頑張りが功を奏したなら、私も嬉しい。


 デスクに戻ってきた瀬尾くんと目が合った。


「坂田さんのお陰。さんきゅな」

「えっ?」


 予想外の言葉に私が肩を跳ねると、瀬尾くんはクックッと喉を鳴らして笑う。


「坂田さん、すぐびっくりするよな」


 呆気にとられる私をよそに、瀬尾くんは再びパソコンに向かいキーボードを叩き始める。

 私はまだ、少しだけ心臓がドキドキしていた。




*****


【あとがき】

お読みいただきありがとうございました!

今回は短編として執筆しましたが、機会があれば繊細女子・坂田さんとそうじゃない瀬尾くんの今後(恋模様…?)も書いてみたいなぁなんて考えています。

その際はぜひまた読みにいらしてくださいませ〜!

(いつになるかわからないけど〜!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポジティブ・ニュース 〜繊細女子とそうじゃない同期くん〜 夏野梅 @natsuume8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画