神童かただの人か
ハナビシトモエ
案ずるより産むがやすし
就学時から兄貴は絵画の人だった。
学校でずっと絵を描いていただけの子ども。中学生の時に美術の先生から才能を見出され、油絵を始めた。当時は神童だと言われて、賞もたくさんとった。高校は美術系の高校に進んで、大学はもちろん
行けなかった。
行かなかったではなく、行けなかったのだ。
予備校には天才がゴロゴロいた。兄貴は意地っ張りだった。
積み上げてきた実績や家族や中高でお世話になった教師の期待も意地っ張りに拍車をかけた。
行くなら東京藝大だ。他は認めない。浪人を続けて三回目で周りの関心は新進気鋭の高校生画家に移った。正月の度に「お兄ちゃんはまた落ちたのか」と親戚に言われるのは少し可哀そうだった。
一方、僕は兄貴はすごいのにお前はと言われ続けて、反骨精神で旧帝大に合格した。学業と向き合う為に実家には帰省しないというのはお盆や年末年始に実家へ集まる親戚が兄貴の浪人をネタに余計なお世話で兄貴を刺し、静かに傷つく兄貴を感じたくない気持ちがあったからだ。
後に聞けば僕が高校を出て、帰省をしなかった三年間、兄貴は変わらず、美術展で賞を取った時に大工の父さんが建築した十二畳のフローリングの温度管理や湿度管理も出来る半地下のアトリエにカンバスをいくつも置いて、絵を描いていたらしい。
油絵しか出来ない。
生活力も自立心も無く、母がアトリエの前に置いた食料を食べて、食べ終わったものはアトリエの出入り口に置く。母が取りに来るまで放置をする。
身なりも気にせずいつもボサボサ頭で、トイレだけ母屋に移動する。
母屋にいてもかかってきた電話は取らない。
天才という人はこういうものかと感心もするのだが、絵画の仕事は全く来ない。中途半端な忘れ去られた天才画家だった。
両親はこのまま終わっていく兄貴を見ていられなくなり、他の才能を伸ばす働きかけをした。
これが僕が二十一で兄貴が二十六の頃のことだった。公務員採用を目指して二年の頃から学内のセミナーに参加していた。兄貴の様に何かは出来るのに何も出来ない人物になりたくなかったのだ。
二十六の兄貴の身の振り方を二十一の弟に相談する両親も僕は嫉妬した。期待されている兄貴、東京藝大に通う為に授業料を払い続ける両親。僕もお金を払って貰ってる手前、相談も無下には出来ずに度々話を聞いていた。
兄貴は美術に対してプライドはあったが、同時に絵画を愛していた。それは自分の作品も同じだった。破って捨ててしまう画家もいる中、アトリエの大きさで置けなくなる絵をどれにするかを悩んでしまうくらいに苦しむ。
年末大型ゴミに出す時に業者の車を見えなくなるまで見送るのは年中行事の中で我が家では年越しそばよりも重要な事だった。
そこが兄貴に関する相談を捨て置けない一つだった。
僕は絵ばかりを作ってきた人間を一般就職させる専門家ではない。そういうのは本来、学校の仕事だ。僕はいつも両親に対して、兄貴のプライドを強固な物にしないことを提案する。兄貴が予備校を辞めて一年が経ってしまっていた。
滅多に顔を見ない実家にやってくる親戚は𠮟咤激励という仮面をかぶって、アトリエにまで茶々を入れに来るらしく。両親も仲人をやってもらった手前、無下に扱えないという。
アルバイトでもさせてみればいいじゃん。
言ってから社会復帰は難しいだろうな、コミュニケーション能力も乏しいし、何たって絵ばかり描いてきた人間に工場でおせちに昆布巻きをのせる短期派遣は難しいと思っていた。
母から年末に帰省して来ないかと何度か催促があった。
兄貴を守るのはまっぴらごめんだし、今の社会的地位は明らかに僕の方が上だった。弟は旧帝大に通っているのに情けないとは兄貴の立場なら言われたくない。
「お兄ちゃんがアルバイト始めたの」
電話口でこれには驚いた。思わず声が出てしまって、母に「知りたいなら帰って来なさい」と言われてしまった。私鉄特急で二時間の距離に住んでいたので、帰ることは出来るが毎年帰らなかった。
ただ兄貴が何をして給料を貰っているのか興味があった。仕方ない、年始は防波堤になろう。
実家に入ったのは三年ぶりだった。居間にはせかせか動く母と、年賀状を書いている父がいた。
「おかえり、寒かったでしょう」
壁には兄貴の新しい作品は無かった。家具の上には僕たちの入学式や卒業式の写真と兄貴の初めての受賞作品の前で撮った家族写真だった。
テーブルの上には出来上がっていくおせちと複数枚の写真が重ねられていた。
「それよそれ、見て」
母に菜箸で差されて行儀が悪いと言いながら、写真を拾いあげた。
兄貴が草刈りをしている写真だった。ある時は老人とある時は学生や子どもと、一緒に草刈りをしていた。
一緒に写る人は笑顔なのに、兄貴は仏頂面で少しおかしかった。場所も違うようだ。畑や農園、庭もある。
「草刈り派遣っていうんだって、庭や畑って、すぐに雑草生えるらしいの。業者さん呼んで機械でやるにしては大層だけど、お年寄りや子どもの手だけでは難しいから、若い人やリタイヤしたお年寄りが時間のある時に時給を貰ってするの。いい写真でしょう。土日はみんなでやろうがモットーらしくて、みんなで写っているでしょ」
「こんなのどこから」
「ハローワークにあったわよ。お兄ちゃんに新しいところに連れて行くときには絵の材料になるかもっていうの。最初は渋ったけど行くだけでって言ったの」
そのうちに初めて担当になった人がどうで、短時間ならと一通り話してくれたらしい。
それを母が隣でうんうんと聞きいて、兄貴が渋々決定したと。
母に「お兄ちゃん、今描いてるから見に行けば?」と言われしまった。居間に新作の写真が無いのに絵は今も描いているのか。
「お兄ちゃんの宝物だから、そっとね」と。
必要もないのに縁側をそっとおりて、半地下になっているアトリエの扉を少しずつ開けた。
アトリエは地面よりは少し低い。上からのぞけるのが利点だ。窓から陽が落ちている。さらさらと鉛筆の音が聞こえる。下書きをしているのは珍しく、思いついたらすぐに描いてしまう兄貴にしては意外だった。
真剣な兄貴のデッサンを見たくて、ゆっくり体を入れた。対象は小さな丸い円盤か、影になっていないので、よく見えた。なるほど輝かしいそれには笑みがこぼれた。静かに扉を閉めた。居間の母に伝えた。
「草刈りのアルバイト良かったね」
「そうよ。子どもたちから色んなところで貰うから日付入りのジッパーに入れて、貰って描くの。可愛いわよね」
僕は結局公務員にはならなかった。院に進み論文を書いている。兄貴は草刈り派遣を五年続け、草刈り派遣の小学校で知り合った女性教師と結婚をした。草刈り派遣をしながら、新居で絵の仕事をしているそうだ。
神童かただの人か ハナビシトモエ @sikasann
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます