上を向いて歩こう

清瀬 六朗

第1話 春の日


 日射しが明るくなったのは、曇り空でも雲が明るいことからわかる。

 でも、春が来るのはまだ先だ。

 瑞城ずいじょう女子中学校卒業式の日が開かれたのはそんな一日だ。

 その式典が終わった後、運動場の端。

 校門に向かうコンクリートの段を上がるすぐ手前のところに、二年生四人と一年生三人が整列している。

 こちらをちらっと見るのは、卒業生やその親、在校生の中学生たちだ。瑞城女子高校の生徒もいる。今日は卒業式ということで中学生に貸しているけれど、もともとこちらは高校の領分だ。

 コートも着ずに横一列、というのは目立つ。

 とくに、胸元は、襟なしジャケットの下、白いシャツ一枚だ。

 それが、さっき、高校体育館での中学校卒業式でちょっとした騒ぎを起こした中学生たちだと気づいている人が、どれぐらいいるだろうか。

 そのことを考えると、赤尾あこう竹柏なぎは、いたずらっ子がいたずらの成功か失敗かを見届けるときのような、わくわくした気もちにもなるが。

 寒い。

 両脚から入った寒さが、腰の後ろでひとつになって上に上がり、体の中心の温度を下げている。

 「寒い?」

と、大柄な上西うえにし永遠とわが聞く。

 うん、と、小さくうなずいて、笑って見せる笑顔。

 もっと、笑った。

 前なら。

 竹柏と、上西永遠子と、与那よな白子はくこ

 三人で、心の底から、体の底から、何の気兼ねもなく、笑った。

 友だち三人で大声で笑うのに「気兼ね」が必要なんてことは想像したこともなかった。

 一日に、何度も、何度も、繰り返し、そんなふうに笑った日々。

 二度と戻らない。

 永遠子に対してはもちろん、与那白子に対しても、もうあんなに身構えずにいっしょに笑うことはできない。

 まして、ほかの子に対しては。

 運動場の向こうでは、卒業生の先輩たちが集まって何かを話していたり、親子連れであいさつをしていたりする。

 その向こうから出て来た卒業生五人組が、スキップをしながら、こちらへやって来た。

 二歳下の自分たちよりも、もっと子どもに見える。

 このまま校門に向かって、外に行くつもりだろう。荷物は持っていないから、どこかに行って、また学校に戻って来るつもりなのだろうけど。

 瑞城の中学校は、卒業式と言っても、大半の子が「エスカレーター式」に瑞城高校に行くので、そんなに緊張感はない、と聞いていたけれど。

 それでも、卒業生の最初の一人が校門を出るために、その手前の土手を越えようとする、そのときに歌を始める、と決めていた。

 「行くよ」

と、山影やまかげ孝美たかみ先輩が小さい声で声をかける。

 左の隣で、与那白子がうなずいたのがわかった。

 ハミングで、山影先輩と反野そりの果穂かほ先輩が歌い始める。

 音合わせもなしの、一発勝負。

 問題なく、合う。

 山影先輩のアルトと反野先輩のメゾソプラノ。

 いまは二人だけなので、反野先輩がメゾソプラノよりもう少し高い音域を出している。

 それを、あと二人の二年生の先輩が引き継ぐ。

 幸い、というのか、何なのか。

 ここに並んでいる女の子たちが歌い出した、と気づいた人は、親や先生たちも、中学生も、高校生も、まだだれもいない。

 ハミングから離れた山影先輩と反野先輩が、「ぼん、ぼん」と低めの音でリズムを作る。

 歌詞のあるとこ、入らなきゃ。

 ソプラノで。

 だれが入るんだっけ?

 あ?

 わたし?

 わたし?

 ほんとに?

 一年生なのに?

 そんなことばがくしゃくしゃっと丸まって竹柏の頭の中を通り過ぎる。

 呼吸を整える間もないまま、竹柏は歌い出した。

 曲は「上を向いて歩こう」。

 最初の一フレーズは、竹柏が一人で歌わなければいけない。

 でも、緊張は忘れていた。

 声量は、じゅうぶんだ。

 音程も、もちろん自信がある。

 この曲は、まだ小学校の竹柏が、合唱をやろうと心に決めたときの出会いの曲。

 そして。

 この曲で、竹柏は合唱という舞台から去る。

 たぶん、一生戻って来ない。これから何十年生きるとしても。

 その曲。

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上を向いて歩こう 清瀬 六朗 @r_kiyose

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