第5話:夢を見せるマッチ

 ローエングリンは、円卓の騎士という組織に所属する父親のもとに生まれた。円卓の騎士はワンダーランドの罪人を裁く組織であり、罪人を裁く際には決闘による死をもって贖わせるのだ。罪人が騎士を殺せば、罪人の罪は一度放免される。

 円卓の騎士には掟があった。素性を知られてはならないというその掟は、家族にまで及ぶ。エルザはそんな彼の素性を聞き出そうとし、ローエングリンに薬物を盛った。彼はエルザに自身の素性を話してしまう。

 事の重大さに気づいたローエングリンは、エルザを脅し逃がした。エルザだけでも円卓の騎士の追求から逃れられるように。


 しかし、状況は変わった。

 城内に安置されていたエルザの弟のソルトとソウルを元に、知り合いの呪術師であるノーベアに復元を依頼した。この世界では、ソルトとソウルが揃っていれば蘇生が可能なのだという。


 蘇った彼女の弟は、自分を殺したのはエルザだと述べた。

 すぐには信じられなかったが、執事の証言が決定打となった。執事は言った。


「私、見てしまったんです。エルザ様が黒い巨鳥の姿に化けるのを」


 悪魔となったエルザが弟を殺し、伯爵を謀殺。動機はあくまでも弟の推測でしかないが、彼曰く「父が次期領主に僕を指名したから」だそうだった。

 エルザは愛を囁きながら弟を殺し、伯爵を殺し、そして今度はローエングリンを殺そうと画策しルイス達に近づいた。


 静かに聞いていたルイス達に、ローエングリンは体を折る。


「どうか、どうか力を貸してはくれないだろうか」


 彼の声には、必死さがあった。少なくとも、ルイスにはそう聞こえた。嘘偽りない必死の言葉。その言葉に返すべき礼は、ただ一つだけだ。

 しかし、気がかりもあった。


「いいのか? 愛しているんだろう」


 ルイスが言うと、ローエングリンの鎧がカチャリと音を立てた。しばらく止まっていたが、ゆっくりと体を起こし精悍な顔つきをルイスに見せた。


「彼女が殺しを愛というのなら、俺はそれを与えよう。彼女が赦しを愛というのなら、俺はそれを与えよう」

「言動からして前者でしょうね」

「ああ、覚悟の上だ」


 ルイスは短く息を吐き、笑みを浮かべる。ワンダーランドに記憶を刻みはじめてから、初めてのことだった。


「もちろん、力を貸すさ」

「うん、協力させてちょうだい」

「感謝する」


 ルイスとメイジーが自身の名を告げると、ローエングリンはこくりと頷き、執事を呼んだ。執事から手鏡を受け取り、ルイスはそれをじっと眺めた。


「その手鏡があれば、貴方がた自身が灯した焚き火に移動できます」

「すごいな、それは」


 理屈はわからなかったが、とにかくそういうことらしいと自分を無理やり納得させ、手鏡をメイジーのカバンに収納する。


「俺には彼女の行き先に心当たりがあるが、準備が必要だ。お二方はひとまず拠点に戻るといい」

「そうね、そうさせてもらうわ」

「準備には3日ほどかかる。その後にまたここに来てくれ」

「わかった、準備は任せよう」


 ローエングリンと執事に見送られ、二人は手鏡を使ってメイジーの家へと帰っていった。


 ◇◇◇◇◇◇


 メイジーの家の暖炉も焚き火という認識をされるのかと驚いているルイスに、メイジーが微笑みかける。


「ね? だから消さないでいいって言ったでしょ?」

「そういうことだったんだな」


 手近な椅子に身を投げ出すように腰を下ろすと、メイジーはその椅子の隣にちょこんと座る。そのまま気分良さそうに目を細め、ふふっと笑った。


「どうした? 何がおかしいんだ?」

「ううん、今度のあなたは記憶を失わないんだって思って」

「君が記憶を引き継ぐのも、俺からしたら驚きだがな」


 ルイスはメイジーを疑ってはいない。不気味だとも思ってはいない。とはいえ、疑問はある。なぜメイジーが自分と同じように記憶を引き継ぐのか、そして何よりなぜ自分が起点で時が繰り返すのか。

 わからないことが多すぎて、ただでさえ体を覆い尽くすかのように襲っている疲労感がより重々しく存在感を増すようだった。


「私は闇鍋童話物語の登場人物、そのままの存在なの」

「そうなのか」

「うん、それであなたは物語の人物じゃないでしょう? 異端者なのよ、私達」


 つまり、異端者同士同じような境遇であってもおかしくはないということを言いたいのだろう。ルイスはため息をつき、今はその答えだけでよしとした。

 ただ隣で微笑みながら自分の座る椅子に体を預けてくる少女を、信じたい。信じなければならない。そんな確信がルイスの心を満たしている。


「エルザの物語も改変がひどいわね」

「そうなのか?」

「そうなの、あんな狂愛の殺戮者じゃなかったわ」


 寂しそうに呟くメイジーの頭を、ルイスは自分でも気が付かない内に撫でていた。気付いた瞬間メイジーは冷ややかな視線を向けるかと思ったが、意外にも目を細めて心地よさそうに微笑んでいる。


 ――自分と同じ世界にいた人間が、ある日突然別人になっていたら、俺はどういう気持ちになるのだろう。


 そんなことを考えながらメイジーの頭から手を離した瞬間、外が妙に騒がしいことに気がついた。悲鳴とうめき声のようなものが、断続的に聞こえてくる。鉈を手に立ち上がるメイジーにつられるように、ルイスもまた立ち上がり家を出た。


「なんで……」


 外には、幾人かの女性がうめき声をあげながら這いつくばり、住人たちを襲っていた。襲われた住人は肉体を噛みちぎられ、捕食されている。助けようにも既に息絶えており、直にソルトと空中に浮遊する光の珠・ソウルに変換された。

 そして今まさに、ルイス達の目の前で少女が一人襲われている。まだ助けられる。そう思うと同時に、ルイスは少女の前に飛び出し、飛びかかってきた女性を横に殴り飛ばした。


「大丈夫か?」

「う、うん……」

「メイジー、あれは魔物か?」

「うん、魔物だよ。姿が同じなのを見るにみんな似たような……いや、みんな娼婦なのかも」


 言われて見てみると、這いつくばって蠢いている魔物は皆、ベビードールや下着など際どい格好をしているようだった。メイジーが言うにはこの街にも娼婦街があり、娼婦はソルト不足に喘ぐ人が多いのだという。同時に、娼婦にソルトを注ぎ込むことでソルト不足になる男性も多いのだとか。

 娼婦街で魔物化した娼婦が、ここまで溢れてきたのだろうと。


「だけど、こんなことこれまでなかったわ」

「普段は魔物化した娼婦はどうしてたんだ?」

「娼婦街の魔物は娼婦街に押し込めて、処理してたのよ」


 言いながら、街にあふれる魔物を鉈で殺していくメイジー。ルイスは怯える少女の肩を抱き隠しながら、襲いかかってくる魔物を剣で斬り払った。

 震える少女の手が、ルイスの左腕を掴んでいる。片手で剣を振るい、何度か迎撃していると魔物騒ぎはおさまったようだ。少なくとも、目に見える範囲の魔物は全てソルトとソウルに変換され、メイジーが回収している。


 いやに白い肌に、生気を感じさせない薄い唇。ボサボサの栗色の髪に、ボロ布のようなものを羽織っているだけの服装。よく見ると、少女は酷く見窄らしかった。


「メイジー、ひとまずこの子を家で休ませたい」


 ソルトとソウルを回収し終えて戻ってきたメイジーに言うと、メイジーはコクリと頷いた。

 家の中に少女を入れると、少女は安心して力が抜けたのか、床にへたり込む。メイジーは椅子にかけてあったブランケットを彼女の肩にかけ、ゆっくりと立ち上がらせて暖炉のそばの椅子に座らせた。

 二人も手近な椅子を引っ張ってきて少女の近くに座ると、彼女はルイスとメイジーの顔を何度も見比べ、一筋の涙を流す。


「怖かった……」

「今温かい飲み物でも持ってくるわ」

「ああ、頼む」


 メイジーがリビングを出て台所へと向かうのを見届けてから、ルイスは少女に自分の名前を名乗った。少女は名前を聞いて安心したのか、弱々しく微笑む。


「君の名前は?」

「私、アンナっていうの」

「アンナか、いい名だな」

「本当に怖くて……あんなこと初めてで……」


 言いながら、アンナは何かを取り出した。魔物騒ぎで気が付かなかったが、アンナはずっとカゴを手にしていた。そのカゴから取り出した棒状の袋には、細かく白い粉末が詰められている。


「なんだ、それは」

「マッチ……だよ」


 しかし、ルイスの知識にあるマッチとは明らかに異なっていた。アンナは血走った目でそれを見つめ、自身の服で力強く擦る。

 すると、マッチに火が吐き煙をあげていた。アンナは火がついたのとは逆の端を口に咥えようとしている。ルイスは反射的にマッチを取り上げ、床に投げ捨ててから足で火を揉み消した。なぜだかわからないが、そうしなければならないような気がしたのだ。


「な、なんで……?」

「すまない、だがこれは、良くないように思う」


 アンナはなんでと何度も口走りながら、火が消えてしわくちゃになったマッチを拾い上げようと椅子から身を乗り出し、床に倒れた。そのままマッチを拾い上げ、大事そうに胸の前で抱え、何度も何度も「なんでなんでなんでどうして」と狂ったように泣いている。


「何があったのよ?」


 マグカップを手に戻ってきたメイジーが、アンナの様子を見て一瞬首を傾げた。

 しかし、すぐにメイジーは必死の形相になり、アンナが抱きかかえる物を暴こうとアンナの腕を開かせる。止めるべきか一瞬迷っていると、メイジーはアンナが大事そうに抱えていた物の正体を暴いた。


「これ……危険な薬物よ」

「なんだって?」

「マッチ、マッチだもん! 幸せな夢を見せてくれるの! 返してよ!」


 アンナは必死に訴えかけているが、手を伸ばす動きが緩慢で、メイジーにさらりと躱される。ルイスはふと、アンナが持っていたカゴに目をやった。布で覆われているカゴの中身は、全て彼女の言う”マッチ”だった。

 全身の毛穴が開いていくような気色の悪い感覚を覚えながら、ルイスは床で倒れている少女の肩を抱く。少女が爪で鎧を引っ掻いているのを感じながら、優しく背中を叩いた。

 しばらくするとアンナは落ち着きを取り戻し、ルイスの腕の中でしくしくと泣いている。


「これ、どこで手に入れたの?」


 これまで聞いたことのないほどに優しい声色のメイジーに、アンナはさらに瞳を潤ませた。


「売ってるの……私が、お母さんに売れって言われて」


 ルイスは自身の目が見開かれるのを感じた。視界が開けていくはずなのに、視界はどんどん狭くなり、自分の腕の中で力なく涙を流すアンナの顔がぼやけていく。霞む視界と少女の温かさを感じながら、ルイスはアンナの頭を優しく撫でた。


「……そう、そうなの、お母さんはどこに?」

「お店、娼婦街の、男の人の相手してる」

「お父さんはどうしたんだ?」

「家を出て行っちゃったの」


 なんてことだ、とルイスは息を吐いた。腕の中で震える少女は、娼婦の母親に命じられるがまま危険薬物をマッチと称して売っている。父親はそれを知ってか知らずかはわからないが、既に家を出てしまい、アンナには頼れる大人が母親の他にいないのだ。

 それなのに、母親は娘に危険な薬物を夢を見せるマッチと騙り売らせている。そのことに、ルイスは激しい憤りを感じた。自分を頼る幼気な娘を、薬物の売人として利用する悍ましい行為に激怒した。


「メイジー、アンナを頼む」


 無意識の内に、ルイスはアンナをメイジーに託し立ち上がっていた。その拳は、強く強く握られている。


「場所、わかるの?」

「方角さえ教えてくれればなんとかなる」

「家を出てまっすぐ東に行ったところに十字路があって、そこを南に進むと鉄格子に囲まれた扉があるわ」


 西に行くときは家を出て右に歩いたことを思い出し、すぐに方角の感覚を掴んだ。ルイスはメイジーに礼を言って、家を飛び出す。なんとしてでも、アンナにマッチ売りを辞めさせなくてはと意気込みながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

素人作家、改変された自作ダーク童話の世界に転生する。 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画