第4話:白鳥の騎士ローエングリン

 街をしばらく進むと、城が見えてきた。エルザ曰く、あの城に白鳥の騎士ローエングリンが居るのだという。きっと今頃は自分を殺すために戦いの準備を始めているでしょう、と震えながら言う彼女がルイスにはなぜだか酷く滑稽なように思えた。そう感じるのは、自分が醜い人間だからなのではないかと考えそうになったが、すぐに思考は打ち切られる。

 城に、到着したのだ。


「ルイス、いつでも剣を抜けるようにしておいて」

「わかった」


 剣の柄に手をかけるルイスを見て、メイジーはくすりと微笑む。


「心構えってことよ」

「それなら大丈夫だ、旅立ったときから出来ている」

「ならよかったわ」


 二人でエルザを庇うように、城門の前に立つ。ルイスはすぐに「奇妙だ」と、思ったままのことを口にしていた。メイジーもそれに同意する。今まさに城門の重厚な扉に手をかけようとしているルイス達だが、門兵の姿がどこにも見当たらない。領主の城という重要な施設であるにも関わらず、また、騎士という者がいるにも関わらず誰もいないのだ。


「罠かもしれないわね」

「妻に罠を張るなど……ローエングリン……」

「行くしかないだろう」


 ルイスの言葉に、こくりと頷くメイジー。

 そう、罠だろうと行くしかないのだ。素性を聞かれただけで乱心したという、ローエングリンを討つためには。そう思った直後、脳内に勝手に言葉が浮かんだ。果たして本当にそうだろうか、と。その言葉を振り払うべく頭を振り、ルイスはとうとうメイジーと一緒に城の扉を押し開けた。

 中に入ると即座に兵士が飛んでくるか、矢の一本か二本でも飛んでくるかと思いきや、しんと静まり返っている。それどころか、燕尾服を着た壮年の男性が丁寧な所作で一礼した。


「エルザ様、お客人方どうぞ、中へ。ローエングリン様がお待ちでおいでです」

「どういうこと?」

「わからん」

「安心めされよ、お客人方、彼の者は決して罠や策略などは張り巡らさえておりませぬ故。違うところにあるのです、そう違うところに彼の者の誇りは信念は疑念はあるのです」


 そう言って先導する執事風の男の背を追うと、大広間の前に辿り着いた。足元に、二つの血文字がある。


『世間というものはいつも虚飾に欺かれる』

『選択を誤るな』


 相変わらず何のことだかわからないが、ルイスはひとまず心に留めておき、目の前の扉を注視する。この先にいるのは、白鳥の騎士と呼ばれる者。会ったことのない人物だが、騎士というからには強いのだろうということは想像できた。戦いの経験のない自分は果たしてこの先生き残れるだろうか、役に立てるだろうか。

 考えても答えが出なかった。

 メイジーが扉を開ける。

 心臓が早鐘を打つ。大きなプレッシャーを感じ、背筋が冷気を帯びる。扉の隙間から漏れる冷ややかな空気を感じながら、ルイスはメイジーと共に扉に手をかけ――思いきり押し開けた。

 大きな音を鳴らしながら、扉が開く。向こう側にいるのは、白銀の鎧に身を包んだ騎士。鎧にはところどころ、白い羽があしらわれている。彼の顔は、ひどく憔悴しているようにルイスには見えた。


「やあエルザ、俺を殺しに来たのかい?」


 彼から放たれた言葉は、離れたところにいるルイスにはほんの僅かにしか聞こえないほどに小さく、弱々しい。後方にいるエルザの顔はルイスからは見られなかったが、彼女の震える息遣いが聞こえた。


「何を仰っているの? 貴方が私を殺すのでしょう?」

「……客人よ、俺を殺すかい?」

「油断させて襲ってくる心算ですわ! 早く夫を殺して!」


 ルイスはメイジーの目を見た。彼女はふうと息を吐き、首を横に振っている。ルイスも彼女に同意見だった。背後から聞こえる声と言葉は、徐々に熱を帯びていき、過激になっている。殺して、殺すのよ、殺せ、殺せと喚いている。目の前の騎士は、それをただ目を細めて見ているだけ。

 ルイスは意を決し、剣を抜いた。


「何をしているの! 早く!」

「彼は殺せない」


 ルイスが剣を向けた相手は、エルザだった。隣で、メイジーも鉈を手に構えている。剣を突きつけられたエルザの顔は、まるで愛しい我が子が元気よく遊んでいるのを眺めるかのように、満面の笑みを張り付けていた。背後から聞こえた彼女の震える声は、泣き声でも怯えた声でもない。笑いを堪える声だったのだろう。


「貴方がたが私を殺すあいすというのなら、私も貴方がたを殺しあいしましょう」


 エルザに向けて剣を振り上げた瞬間、グシャリ、と何かが潰れる音がした。グニャリ、と視界が歪む。色が失われていく。世界から自分自身が切り離されていく。

 最後に視界に映ったのは、驚いたような顔をして手を伸ばすメイジーの姿と、自分を殺した醜悪な魔物の姿だった。漆黒の翼の生えた恐ろしい巨鳥の姿だ。



 ◇◇◇◇◇◇



 世界が、再び像を結ぶ。隔絶された意識が、再び自分へ回帰する。

 自分は死んだのではなかったか。訝しむと同時に、目の前の人物が目に映った。白兎だ。真っ白な毛皮のコートに身を包んだ、白いウサギの耳を生やした女性が本を片手にルイスを見つめている。周囲は、夢で見た書庫にそっくりだったが、本棚の所々から本が抜け落ちているのが気にかかった。

 目の前の人物は、本を広げたまま目の前のテーブルに置く。


「なぜ、という顔ですね」

「死んだはずだ」

「はい、貴方様は確かに亡くなられました――が、世界は流転するのです。回帰するのです。おわかりになられますか? 貴方が死ぬ度、望まぬ結末にたどり着く度、この世界の時間は回帰しているのです」


 彼女の言葉は不思議と、メイジーと同じようにすんなりと理解できた。

 しかし、解せない。ルイス自身には、繰り返してきたという記憶はないのだ。


「これまでは記憶を消されたうえで回帰していましたが、この箱庭の創造者が設定を書き換えたのです。貴方様が記憶を持ち越して回帰できるように」


 彼女は立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出した。赤い表紙に金文字で書かれている題名は、『闇鍋童話物語・改』という聞き馴染みがあるようでないものだった。彼女はそれを半ば乱雑に、しかしどこか丁寧に開く。


「はじまりは一つの物語でした。或る素人作家が書いた『闇鍋童話物語』という物語でした。支配者はそれを作者から奪い去り、物語に無数の改変を加え箱庭を作りました」


 たまったものじゃないだろう、とルイスは思った。自分の作った物語を勝手に持ち出され、好き勝手に改変されるということはルイスにとって、酷く気分を害する行為のように思えた。無論、自分はその物語の作者ではないだろうと理解しているが、なぜか他人事のようには思えず、言葉に詰まる。

 彼女はまたルイスの目の前に腰を下ろすと、本を置いた。


「お願いです、物語を集めてください。闇鍋童話物語から望まぬ改変をされた登場人物の物語を集め、ここに持ってきてください」

「どうすればいい」

「貴方様がアリスを見つけたとき、わかりますよ」


 彼女は懐から懐中時計を取り出し、チャキリと小気味いい音を響かせた。


「直に目が覚めます。赤ずきんも記憶を持ち越しているはずなので、まずは彼女と協力して切り抜けてください」


 なぜ彼女も、と口から出かかった言葉は奇妙な抵抗感により阻害された。彼女はパタリと懐中時計の蓋を閉じ、にっこりと柔和な笑みを浮かべる。

 口から出なかった疑問の代わりに、一つの疑問が浮かんだ。


「君は?」

「アリスを導く白兎、あるいは因幡の白兎……名前はリィゼリンです。リィゼとでもお呼びくださいな」


 リィゼが言うと、ぐらりと足元が覚束なくなった。



 ◇◇◇◇◇◇


 意識が戻ると、大広間の扉の前にいた。メイジーに目配せをすると、彼女は一瞬驚いたように目を丸くして、すぐに普段通りの鋭く冷たい目つきに変わった。ルイスは剣を抜いて、メイジーと共に扉を押し開く。

 同じように悲しげに佇む白鳥の騎士は、全く同じ言葉を呟いた。「何を言っているの?」と同じ言葉を吐くエルザに、ルイスは一呼吸に剣を突き刺す。「何を!?」とローエングリンの声を背中に浴びながら、彼の妻の鮮血を正面から浴びた。


 剣を引き抜くと、エルザは口角を吊り上げる。


「ふっ、ふふふ……アハハハハハ! これが貴方の愛なのですね! ああ、愛が溢れて……! 私が愛しい人に捧げる愛を貴方が私に!」


 笑い声と嗤い声が入り混じった音が木霊する。狂ったように嗤いながら、彼女の姿は前回最後に見た姿に変わっていった。黒い翼が生え、黒い体毛に包まれた巨鳥が天井を突き破っていく。その胸からは、血が流れていた。なおも響き続ける声に精神を揺さぶられながら、ルイスは剣を再び構える。

 気がつくと、ローエングリンが隣に来て剣を抜いていた。


「ローエングリン? 私を本当に愛しているのなら、追ってきなさいな。そして殺し合いあいしあいましょう?」


 言って、黒鳥は突き破った天井から大空へと飛び立っていった。ルイスはため息を吐いて剣に付着した血を振り払い、鞘に収める。震える手をすかさずメイジーが握った。その温かさに包まれている内、手の震えがおさまっていく。

 ローエングリンの手もまた、ルイスと同じように震えていた。


「客人、貴方がたはエルザと共に私を殺しに来たのではないのか?」


 震える手を見つめて言葉を零す彼が、ルイスには酷く小さく見えた。


「殺してほしかったのか?」

「……否だ」

「ならいいでしょう? それより、詳しく話を聞かせてほしいんだけど」


 メイジーのぶっきらぼうな言葉に、ローエングリンは静かに頷き、何があったのかを語り始めた。

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