第3話 勇輝の秘密

 ショッピングモール内のムーンバックスコーヒーのスペースはシックな家具でまとめられ落ち着いた雰囲気を感じさせた。そんな雰囲気に合わせたゆったりとした音楽が客の心を和ませる。


 客はまばらで全体的に空いていた。力弥はこの店の看板商品であるフラッペ状の飲み物を注文すると、明星の姿を探した。明星は店内奥の隅の席にいた。飲み物に手をつけず、椅子のひじ掛けに肘をついて頬杖をついていた。少し怒っているようにも見えた。


「ちょっと馴れ馴れしかったかな」


 力弥は明星の方へ小走りに近寄ると、無遠慮に彼の正面の椅子に腰かけた。そして、外の暑さで火照った体を冷ますようにフラッペ状の飲み物を喉の奥に送り込んだ。体の中心にわだかまる熱が雲散していくのを感じた。


「生き返るな。お前は何を頼んだの」


 明星は力弥の問いかけに答えることなく、小さくため息をついた。そして「他に聞くことがあるんじゃないのか」と再び小馬鹿にしたような目で力弥を見つめた。よく見ると、力弥は明星の頼んだ夏季限定の看板商品に手を付けようとしていた。それはメロンベースの飛び切り甘い飲み物だった。


「おい、勝手に飲むなよ」


 そう言って、明星は力弥の手から飲み物を取り返した。力弥は「悪い悪い」と全く悪びれる様子もなく謝った。そのまま、力弥は自分の飲み物をまた一口飲んだ。こうして悪ふざけをするのが力弥なりの心を落ち着ける方法なのだ。そうして、落ち着いて明星の全身を見た。そして、真面目な口調で話しかけた。


「昨日のあれは、俺の見間違いじゃないんだよな」


 明星はストローを咥えながら小さく頷いた。力弥は境内の隅で黒い男が光の粒子とともに消え、その中から明星が現れるのを思い出した。それはつまり、あの怪物と戦っていたのが目の前にいるクラスメイトであることを意味しているのだ。


「あの・・・。あれと戦っていたのもお前なんだな」


 言葉がうまく出ない。ただ、伝えたいことは伝えられたと思う。明星は「うん」と軽く答えると、飲み物をローテーブルに置いた。力弥の顔を見ず、飲み物の方を見つめている。


「たださ、その、ネットやテレビを見ても誰もそのことを知らないっていうか、あれはバスの横転事故ってことになってるんだけど」


 力弥は明星に詰め寄るように問いかけ、少し前のめりになった。明星はどう答えたものかと言いにくそうにしていると、不意に二人の横に一人の女性が立っていた。その女性はどこからか椅子を持ってきて、二人の間のローテーブルを囲むように座った。


 「明星勇輝の代わりに、自分が答えましょう」


 女性はきびきびとした声で力弥の方を見つめながら話した。まだまだ外は暑いというのにその女性はロングコートを纏っている。年齢的には二十代だろうか、ショートヘアーで化粧が薄く、落ち着いた外見の人だ。


 すると力弥は恐る恐る「あの、どちら様ですか」と姿勢よく腰掛けているその女性に問いかけた。女性は明星の方に視線を移すと、明星は女性の方を見ながら頷いた。


「私は、明星勇輝に力を与えた、言うなればこの星の秩序を守る存在からの使いのようなものです」


 力弥には彼女の言っている意味がほぼ理解できず、唖然としてしまった。ただ、この事態を理解している人物であることは間違いないようだ。とりあえず力弥は全てを理解しようとせず、分かる範囲で彼女から情報を聞きだすことにした。


「名前とかはないんすか」


「名前は与えられていませんが、皆さん名前がないと不便だとおっしゃるので、便宜上ヒバリとお呼びください。燕谷力弥さん、何を聞きたいのでしょうか」


 見知らぬ女性から不意にフルネームで呼びかけられ、心臓をつかまれるような思いがした。星の秩序からの使いというのもあながち嘘でもないのだろうかと、力弥は女性の言葉を信じようとしていた。


「それじゃあ、あの… あれは何なんですか」


 昨日の駅前で暴れていた怪物のことを思い出しながら聞いた。


「昨日、駅前で暴れていた存在ですね。我々はこの星の歪みだと考えています」


「歪み?」


「この星全体には人の手による世界が広がり、人のことわりにおける秩序をもたらしています」


 ヒバリはそう言いながらテーブルの上に紙ナプキンを一枚敷いた。


「この秩序が守られていれば、このように皺もなく平らなままです。それに対して歪みというのは」


 そう言いかけると、紙ナプキンの真ん中を摘まんで見せた。


「平らなテーブルクロスの上に現れた皺のようなものです」


 力弥はヒバリの手元を見て、軽く頷いた。


「小さな皺だけであれば世界の秩序は乱されません。しかし、放っておけば皺は徐々に広がり、テーブル全体に及びます」


 そう言ってヒバリは摘まんだ部分をねじった。すると小さな皺は紙ナプキン全体に広がった。


「それはこの星全体の秩序を揺るがします。何としても防がねばなりません」


 ヒバリは摘まんだ指を離し、紙ナプキンの皺を伸ばした。


「その歪みを俺が直してるんだ」


 ふいに明星が口を開いた。力弥は少し驚いて明星の顔を見た。彼は相変わらず下を向いている。色々聞きたいことが力弥の頭の中には溢れたが、不意に力弥の口から出たのは「でも、誰も覚えてない」という言葉だった。


「はい。あの異形の存在も、それを抑制する彼の力も、星の秩序を乱します」


「どういう意味ですか」


「逆に聞きますが、あなたはあの異形の存在やそれに対抗していた力を、あなた方が信奉する『現代科学』で説明できますか」


 そう聞かれて力弥は閉口した。もちろん、彼の知識は高校生で習う物理や生物の範囲でしかない。それでも、あれらの存在が現代科学で到底説明できるものではないことぐらいは分かる。それが世間の知るところになれば混乱するのは間違いない。力弥が口を開けたまま、答えあぐねているのを見て、ヒバリは話を続けた。


「ですから、秩序を守るものとして、対処しました」


「対処したというのは」


力弥は静かに聞いた。


「異形のものも、それを抑制するものも、等しく人々の記憶から消し、あらゆる記録にも残らないようにしました」


 ヒバリは淡々と答えた。そこには一切の感情も込められず、彼女の声は事実を伝える機械音声のようだった。しかし、それとは裏腹に言葉の重みは力弥に強くのしかかったように感じられた。


 誰の記憶にも残らない、どこにも記録されない戦い。昨日の駅前バスロータリーで起きた巨大な蛇女と黒い男の死闘を力弥は思い出した。飛び散る鮮血、怖ろしく轟く叫び声、そして自分を庇ってくれたあの力強く優しい背中。


 力弥は無意識のうちに椅子から立ち上がっていた。


 己の身を挺して危険な存在と戦ったとしても、誰からの感謝も賞賛もない。それどころか、世界はそれを知らないまま回り続けている、明星はそこにいるのに。自分を含めた多くの人々が無事に過ごせているのも、そこで項垂れている一人の高校生のおかげだというのに。誰も彼に見向きもしないのだ。


 力弥は明星の方を見た。そして両手をローテーブルについて、さらに前のめりになった。そして、昨日感じた心の奥底から溢れる感情を口に出さずにはいられなかった。その気持ちを言葉にして明星に聞いてほしいと思った。



 勇輝には悲しさも虚しさもない。そんな感情は少し前に置いてきた。きっと燕谷は憐みの表情を浮かべて自分を見ているのだろう。そんな同情なんて何の意味もないのに。


 でも、虚しさはないが、寂しさはあったのかもしれない。一人でいるのは慣れているし、誰にも気にされないなんていつものことだけど、それでも怪物と戦った後の寂しさはぬぐい切れない。


 自分はどうしたかったのだろうか。ただ人を守りたいと思い込んで、ガムシャラに戦ってきた。そうして終わった後に、何もなかったように毎日は進んでいく。夢だったのかと思ったこともあった。でも、手に残る怪物を斬った感触は消えることはない。


 夢ではないなら、やはり誰も覚えていてくれないのは少し寂しいような気がする。そうか、本当は誰かと何かを共有したかったんだなと勇輝は気が付いた。そう思いながらテーブルの上の飲み物に手を伸ばした。


「なにそれ、すっげーカッコイイじゃん!」


 店中に響くような声で燕谷は叫んだ。「え」と勇輝は思わず口から声が漏れた。そして勇輝は顔を上げると、自分の眼前で目をキラキラさせている燕谷の顔を見つめた。燕谷の顔には悲哀も憐憫もない。ヒーローに憧れる子供のような眼差しがあった。


 勇輝は燕谷の顔を見た瞬間、時が止まったような感覚に陥った。彼の声や表情は澄み切った青空に浮かぶ太陽のように眩しく、嘘や欺瞞は欠片も感じなかった。その笑顔が自分の中の何かを開いてくれるそんな予感がした。


 一方で、勇輝は顔を上げた際に周囲の光景も同時に目に入った。周りの客が全員自分たちの方を見つめていることに気付いた。すると、勇輝はあまりの恥ずかしさに再び俯いて、ローテーブルを見つめることしかできなくなった。そして、蚊の鳴くような声で「こ、声が大きい」と言ったが、興奮している燕谷には聞こえていない。


「だってさ、誰に気付かれることなく、悪を倒すってさ、今時流行らないかもしれないけど、なんか、こうグッと来ない?」


 燕谷は立ち上がったまま、両手を強く握りながら声量を押さえることなく語り始めた。


「誰にも褒められないし、認められないけど、悪を倒すために命がけで戦う。これがヒーローだよな。孤高のヒーローってやつ? いやマジかっこいいな」


 タガが外れたように燕谷の独自のヒーロー論か語られ続ける。とうとう、店員までが彼らのテーブルを遠巻きに見ている。勇輝は恥ずかしさのあまりに顔が真っ赤になって空調が聞いている店内にも関わらず滝のように汗が流れている。しまいには涙が出そうだった。


「燕谷力弥、声が大きいですよ。あと、座ってください」


 感情のないヒバリの声はこの時の燕谷には効果覿面だった。そう言われて、燕谷は自分が立ち上がっていることに気付いたようだった。そして周囲の客の視線にも気が付くと、周りの客にへこへこと頭を下げて、ちょこんと席についた。


 燕谷は喉の渇きを覚えて、自分の飲み物に口をつけながら、勇輝がさっきと比べて小さくなってしまっていることに気が付いた。燕谷はヒバリの方に視線を移すと、ヒバリは肩をすくめた。そして、燕谷は自分のせいだと悟ると声をかけた。


「あの、明星クン、大丈夫ですかー」


 勇輝は小さく何度も頷いた。恥ずかしさで今にも飛び出したい気持ちを押し殺して、虚勢を張っているように見える。すると燕谷は「その、ごめんな。俺、勝手に熱くなって」と付け加えた。


「だだだ、だ、大丈夫」


 そう言って、勇輝は汗だくで赤面した顔を持ち上げた。目からは僅かに涙が見える。燕谷もヒバリも大丈夫だとは微塵も思っていない。勇輝は余裕だと言わんばかりに、夏季限定のフラッペドリンクを口にするが、全く味を感じられなかった。


 勇輝が気を落ち着かせようとしているのを燕谷とヒバリは黙って見守っていた。彼を放っておいて二人で話すことも可能だったが、さすがに当人を差し置いて込み入った話をするのは気が引けたのだ。


 勇輝は飲み物を飲み切って、そこで大きく深呼吸をすると、ようやく汗が引いて、落ち着きを取り戻した。そして、「他に聞きたいことはある?」と冷静さを装いながら、燕谷に聞いた。


「ん、じゃあ、どうして俺だけがお前のことを覚えているの」


 何気ない口調で燕谷はそう言うと、勇輝とヒバリの表情が少し硬くなった。それに対してヒバリが答えようとするのを勇輝は制した。それには自分が答えると表情で伝えると、勇輝は静かに口を開いた。


「お前は、俺があの姿から今の姿に戻るところを見ただろ。異常と正常のはざまを見た人間は記憶の改ざんから逃れられるんだよ」


「へー、そういうもんなんだ。そういう人は他にいないの?」


「いない。少なくとも俺の知る限りでは」


 それだけ言うと、勇輝は口を閉じた。この話題について他に語るところはないと言いたげだ。燕谷は少々不服そうだが、すぐに気持ちを切り替えて、次の質問を投げかけたが、それは勇輝とヒバリにとって意外なものだった。


「あの姿のさ、名前とかないの?」


「名前? どういう意味?」


 勇輝は混乱した。確かに姿が変わっているが、自分であることには変わりはない。名前を付けるなら自分の名前しかないのではないか。勇輝はヒバリに助けを求めたが、ヒバリはすました顔で、肩をすくめている。分からないし、考えないと言いたげだ。


「ほら、ヒーローとかだと変身するとさ、仮面ナントカみたいな名前になるじゃん。そういう名前はないの?」


 そういうことかと勇輝は思わず声が漏れた。そういえば変身した姿に名前を付けようという発想自体がなかったなと思い返した。というより、そもそもあれをヒーローだと勇輝は認識すらしていなかった。


「一応、我々は明星勇輝のことを『星の戦士』と呼んでいます」


 ヒバリは仕方ないと言った表情で助け舟を出した。勇輝もその言い方は知っていた。


「星の戦士か、それはそれでカッコいいけど、固有名詞が欲しいよな」


 力弥は名前にこだわって食い下がる。『星の戦士』でいいじゃないかと思った勇輝はぶっきらぼうに言葉を返した。


「別にないよ」


「へー、じゃあ、名前つけようぜ。何がいいかな」


 そう言うと燕谷はバッグから紙とボールペンを取り出した。そして、勇輝にもボールペンを差し出した。自分にも考えろということかと察するも、勇輝は面倒さが勝って、ボールペンを受け取ろうとしない。


「俺が決めていいの?」


「それはダメだ」


 そう言うと勇輝はボールペンと紙を受け取った。二人が紙と格闘をしている間に、ヒバリは姿を消していた。自らの役割を果たした、あるいはこれは自分の仕事ではないと思ったのか、彼女は変身名決定会議には不参加を表明した。


「ブラックマンとかどうよ」


「安直、却下」


「ダークウルフ」


「それだと悪役みたいだろ」


「そんなに言うなら、お前が考えろよ」


 その時、勇輝はガラス窓に映る自分の姿を見た。そして変身後の黒い体に赤い目を思い浮かべた。何かの本で読んだ黒い犬の伝承を思い出した。そう、あの不吉な存在は。


「・・・じゃあ、ブラックドッグ・・・とか」


「カッコいいな。犬っていうよりも狼っぽいけど」


 燕谷はそういうと、更にカッコいい名前を付けようと、紙に何かを書こうとした。勇輝はボールペンをローテーブルの上に転がすと、転がるボールペンを見つめながらブラックドッグについて語り始めた。


「イギリスに伝わる妖怪みたいなもんなんだ。お墓を守る役割がある黒い犬で、基本的にはいいやつみたいだけど、死の先触れなんだって」


 燕谷は手を止めて、勇輝の言葉に耳を傾けた。勇輝はこちらの問いに答えるばかりで自分から率先して語ろうとしない。その彼が自分から話をしてくれるのが、なんだか嬉しい気がしたのだ。


「あの姿は、墓じゃないけど、人を守るための姿なんだよ。だけど、武器を持っているし、あれを殺せる力を持っている。だから、あの姿は死を連想させるんだ。だから、あの姿はブラックドッグ、なんだよ」


 勇輝はそこまで語ると最後に「うまく言えないけど」と付け加えた。そして、少し恥ずかしそうに俯いた。勇輝自身、どうして自分の考えをすらすら言えたのか分からなかった。ただ、スッキリしたなぁと感じた。


「そっか、じゃあ、ブラックドッグって呼ぼうぜ」


 燕谷がそう言って勇輝に笑いかけると、勇輝もつられて笑いそうになった。先ほどの褒め殺しの責め苦以来、勇輝は燕谷との距離を感じ取れるようになっていた。彼との距離をどうするべきか、勇輝は答えを出せていないが。


「じゃあ、俺は帰る」


 そう言って勇輝は立ち上がった。外を見ると、道行く人の影が伸びていて、夕方が近いことが分かる。「俺も帰らないとなぁ」燕谷はそう言うと、テーブルの上に散らかした紙とボールペンをバッグに無造作に詰め込んだ。そして、一人でショッピングモールから出ようとしている勇輝に駆け寄った。


「じゃあ、また学校でな」


 屈託のない笑顔と爽やかな掛け声に、勇輝は一瞬ドギマギしたが、すぐに「うん」と返事をすると、軽く手を振って家路についた。燕谷は勇輝の背中をしばらく眺めると自転車に跨って、彼もまた自宅に向かった。

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2025年1月11日 20:00
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