ネホリハホリ

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ネホリハホリ

 一月二日、わたしは田舎の実家を目指して二時間以上も車を走らせていた。

 実に三年ぶりだ。今年も帰るつもりはなかった。

 けれど、実家のほうに私の予定が割れており、年の近い甥っ子夫婦がいわば人質になっていた。


 ――予定が割れたのは、その甥っ子夫婦のせいなのだが。


 年末、仕事の都合で最後の一日まで駆けずり回っていた私を、夕食がまだのようならと、甥っ子夫婦が誘ってきたのだ。判断力が鈍っていたのはあると思う。私の後を追うように都会に出てきて嫁をもらった甥っ子が、面倒にならない程度に懐いてくれていたのもあるだろう。


 うっかり、年明けから一週間はのんびりできると漏らしてしまった。


 私が実家の様子を聞かなかったからだろう、甥っ子もまた私の話を実家にしていないようだった。だからこそ、油断していた。甥っ子夫婦が毎年のように実家に帰省しているのは知っていたし、渡すように頼まれたからと実家ちかくの神社で仕入れた土産物を渡されてもいた。なのに、甥っ子が私の予定を漏らすはずがないと思い込んでいたのだ。


「――いや、だから、年明けは忙しいから」


 実家からの電話にそう答えると、母が言った。


「またそんなこと言って。聞いているよ」


 私の甥っ子から。

 次にかかってきたのは甥っ子からの電話だった。


「ごめんなさい、先輩! うっかりしてた!」


 年が近いこともあり、甥っ子は私を都会暮らしの先輩と呼んでいた。


「今回だけ! 今回だけでいいんで、俺の顔を立てると思って!」

「……分かったよ。けど、本当に今回だけにしてくれよ?」


 他に答えようがなかった。

 実家に帰る気のない私にとってはどうでもいいが、きちんと帰省する甥っ子の面子を潰してしまうと、彼も彼の妻も長々と嫌な思いをさせられる。


 私が実家に帰らない様々な理由の一つだ。

 

 朝早くから車を走らせ半日、ようやく見たくもない田舎道に入った。普段は寂れた街としか思えないのに、田舎らしく盆暮れ正月だけはやたらと車が混み合う。地元を離れる若い者が多く、車社会で、親戚縁者をもうでるのが嗜みになっているからだ。


 私は実家から少し離れたコインパーキングに車を停め、長旅に凝り固まった背筋を伸ばした。またこれから、すぐに凝ってくるのだが。


「――まあまあまあ! おかえりなさい。本当に久しぶりねえ!」


 そう軒先で声を甲高くする母、会わなかった三年で急に老けたようにも思えた。

 すでに集まっているらしい親戚たちに声をかけつつ、母は振り向きざまに言った。


「ね、今日は泊っていくんでしょう?」


 予想通りの展開だった。

 私は答えた。


「無理だよ。車だし、コインパーキングだからそんな長いあいだ停めてられない」

「車!? なんで車で来たのよお……だから電車にしなさいって――」


 言いつつ、母が襖を開くと、声を聞いていたのだろう赤ら顔の叔父が笑った。


「何だあ、お前、車で来たんけえ」


 もう出来上がってやがる、と私は舌打ちをこらえた。

 十人以上が楽に座れる無駄に大きな座敷には、他に叔父の家族と、叔母の家族の姿があった。婿養子の叔母の夫は心なしか小さくなっていて、私の人質になっていた甥っ子夫婦の姿は見えなかった。


「バッカだなあ、お前……アレだ。ウチん前に停めちまえよ。したら飲めるだろ?」

「いえ。そうもいかないんですよ」


 私は下座で手酌している父に目礼を送り、叔父のはす向かいで膝を揃えた。


「前に寄ったとき家の前に停めたら駐禁食らっちゃいまして。これならコインパーキングの方がマシだなって感じで」

「なぁんだお前、そんなら電車で来いよお。――なあ、兄ちゃん」


 と叔父が父に水を向けると、父は頷きながら言った。


「まあしょうがないんだよ、こいつは昔っから要領が悪いから」

「なんだいそりゃあ。親にも諦められてんじゃ調子悪いなあ。なあ、お前!」


 そう笑いかけられ、私は無理矢理に口角を吊った。

 私が実家に寄りつかない様々な理由の一つだ。

 奥の席から、叔母が私をフォローするように声をあげた。


「ちょっと! お兄さん! 甥っ子いじめてどうすんのよ。じゅんちゃんがお世話になってんでしょ?」


 純ちゃん、というのが甥っ子の名だ。最後にそう呼んだのはいつだったのかは覚えていない。

 私は両手を膝に置いて頭を垂れた。


「おひさしぶりです、叔母さん」

「やだもう、そんなかしこまってぇ、ねえ、おひさしぶりねえ、立派になってえ」


 どうでもいい挨拶に、どうでもいい話。だがこれは前振りでしかない。

 元を正せば純ちゃん――甥っ子夫婦を人質に取られたから来たようなものだ。


「二人が戻ってきたらお暇させてもらいますので」

「なんだあ、お前!」

 

 斜向かいのおじが声を大きくした。怒っているのではなく荒っぽいだけなのだが、都会に慣れるとそれだけで気に障った。


「お暇ってお前、正月だろお? ゆっくりしてけ。聞きゃあ爺様の墓にも手え合わせてねえってんだから、お前、跡取りだろお? 駐車代が気になるなら俺が払ってやるよケチくせえ。泊まって兄貴と姉さんに孝行してけよ、お前」

 

 もちろん、金の問題で泊まりたくないわけではない。

 泊まれない理由が、酒を飲まずにすむ理由が欲しくて、わざわざ車で来たのだ。

 とはいえ、そう正直に申告できるはずもない。


「急な仕事が入ってきまして」

「仕事お? お前、正月だぞ?」


 そう来るのは分かっていた。

 叔母が目を輝かせて私の横に座った。


「大変なのねえ。どんなお仕事してるんだっけ?」


 そう問いかけながら、叔母は私のコップにビールを注ごうと試み、私は手で蓋をして車ですからと応じた。

 私が実家に――特に親戚が集まる場に来たくない、様々な理由の一つだ。

 酒を勧められること、ではない。

 一つ答えれば十も二十も、あることないこと、根掘り葉掘り聞かれるからだ。


「まあまあ、忙しいばっかりで。最近じゃ人手は足りないし、物は高くなるしで」


 唯一の対抗手段は、答えた風で濁すこと。

 とにかく躱す。ひらり、ひらりと。のらり、くらりと。


「貧乏暇なしか! ならこっちに戻ってくりゃいいじゃねえか、なあ、お前!」

 

 そう言って、叔父がゲラゲラと笑った。

 だから帰ってきたくなかったのだ。

 いつボロを出し、執拗な詮索を受けるか分かったものではない。

 買い出しとやらに追い出されたらしい甥っ子夫婦を恨みつ、同情しつつ、私は叔父や叔母の誘い水を徹底してかわし続ける。


「――にしても、どうなの? そろそろ結婚とかしないの?」

「ああ、まあ、いい人がいれば、とは思うんですが」

「いい人ったって」


 と叔母が言葉を切ると、叔父がいつの間にか手にしていた日本酒をコップで呷って熟柿の匂いを振りまきながら笑った。


「そらお前、お前の年まできたら、いい子なんか残っちゃいねえだろ!」

「――ちょっと、お兄ちゃん!」


 と叔父と叔母は二人して大声で笑いあった。加えて父も、母も苦笑していた。止める気はないのだろう。そんな私を哀れんだのか、隅で居心地悪そうにしていた叔母の夫――婿入りした叔父が、手を挙げていった。


「でもほら、あの子は。ほら、叔父さんの」


 笑い声が急速に萎び、叔母が赤ら顔の叔父を見て言った。


「そういえば、どうなの? ちいちゃん、まだ連絡つかないの?」

「――ああ、あいつはまあ……どこほっつき歩いてるんだか」


 ちいちゃん、というのは甥っ子の妹、つまり私にとっての姪にあたる子で、この三年ほど叔父にも甥っ子にも連絡を取っていなかった。

 

「なあ、お前、なんか知らないか?」

 

 叔父が寂しげな声で言い、日本酒をチビりとやった。

 放っておけよと私は思った。

 私が実家に帰りたくない様々な理由の一つだ。

 叔母がため息交じりにいった。


「本当にもう、そんなに気になるなら警察に行けばって言ったじゃない」

「しょうがないだろ」


 横から父が言った。


「最後は喧嘩して飛び出したんだろ? 取りあっちゃくれないよ」

「でも、お兄ちゃん」

 

 食い下がる叔母に私は言った。


「ちいちゃんはもう大人なんだし、もう無理ですよ」

「無理ってそんな」

「一般家出人っていうんです。捜索願を出して見つかったとしても、成人の場合は本人が家族に伝えないでくれって言えるんだそうですよ」


 私の言葉を、母が引き取って言った。


「最後に喧嘩したんじゃ、ねえ――?」


 叔父が低く唸り日本酒を呷った。

 流れ始めた重い空気を払うように玄関の扉が開かれ、甥っ子夫婦が戻ってきた。手に近所の寿司屋から引き取ってきたらしい寿司桶を吊るしていた。

 

「あー! せんぱ――じゃない、叔父さん! もう帰って来てたんですか!?」

「まあね。とりあえず挨拶だけでも思って」


 私は甥っ子夫婦に躰を向け、深く頭を下げた。


「明けましておめでとうございます」

「ちょ、ちょ、ちょ、やめてくださいよそんな畏まって!」


 と甥っ子夫婦が慌てて寿司桶を置いて膝を揃えた。叔父の寿司を床に置くなという怒号とも冗談ともつかない無理をして張ったような声が響き、ようやく場の空気が和んだ。頃合いだった。私は用意してきた小袋を出し、甥っ子夫婦に差し出した。


「はいこれ。少なくて悪いけど、お年玉ね」

「えー!? ちょ、勘弁してくださいよ! こんなの!」


 そんなお決まりのやりとりに、


「なんだよ、偉くなったなあ、おい! なあ、兄ちゃん!」


 そう叔父が笑った。

 叔母も笑い、父と母が苦し気に口角を吊った。


「まああれだよ、じきに子供もできるだろうし、もらえるものはもらっときなよ」


 私はほとんど押し付けるようにして小袋を渡して席を立った。


「んじゃ用は済んだし、俺は帰るよ、親父」

「え!? これだけ!? もう帰るの!? だって寿司――」

「悪いな。車だし、コインパーキングに停めちゃったから。そいじゃ」


 私は父と母にもう一度だけ頭を下げ、家を出た。

 そのときだった。


「待って! 待ってください、あの――」


 なんとも歯切れの悪い声に振り向くと、甥っ子の妻が手に紙袋を持っていた。

 

「あのこれ、お義父さんのところのお漬物と、いつもの――」

「ああ、神社の?」


 面倒くさい、と私は思った。

 実家に帰りたくない様々な理由の一つだ。

 住所を教えていない様々な理由の一つでもある。

 けれど、断っても面倒なことになる。

 仕方なく、私は紙袋を受け取った。


「ありがとう。それじゃあまた……大変だろうけど頑張って。あいつ――純ちゃんにもよろしく伝えといてよ」

「はい。ではあの、また、後ほど――」


 私は手に重たい紙袋をぶら下げ、甥っ子の妻に見送られて家を立ち去った。

 車に乗って、また長い長い帰路につく。正月らしい喧しく騒ぎ立てるカーラジオに嫌気が差してスイッチを切ると、車内をエンジン音と走行音だけが満たした。


 ――


 どういう意味だろうか。

 都会に戻ってから慰労会でもやる気でいるのか。だとしたら面倒だ。去年は最後まで働いていて、私は一日でも長く一人になりたかった。

 

 どう断るか。面倒だ。だから実家に帰るのは嫌なんだ。

 くさくさした気分のまま自宅に戻り、そのままゴミ捨て場に置きたくなる田舎土産を部屋に持ち込み、中身を検めた。


 田舎仕込みの沢庵漬けに、田舎で突かれたであろう餅。手作りの味噌に、懇意の神社で仕入れてきたであろう寿の文字と紅白幕に飾られた小さな箱。


 私は餅をトースターに放り込み、沢庵漬けのパウチを開けた。都会では嗅げない強烈な匂い。ため息交じりにシンクで洗い、絞って、薄切りにする。面倒は面倒だが非常食に便利なのも事実だ。口に合わなくなってきたけれど。


 餅をかじりつ、シャツを脱ぎつ、小箱の蓋を止めるセロハンテープに親指の爪を立てた。粘り、なかなか剝がれてくれない。私は舌打ちし、ペーパーナイフで切った。


 出てきたのは、蛇の形をした白い土鈴どれいだった。

 土で作った純白の、素朴な質感の鈴だ。


 毎年、干支に応じたものを渡されるため、私の家には六体も並んでいた。実家近くでは可愛いと女性に評判らしく、実際に欲しいと言われたこともある。あげられないけど見に来るのはいいと、ご利益に預かったことさえあった。


 私は昔を懐かしみながら土鈴を棚に並べようと持ち上げ、一つ振った。


――コ、コン。コロン。


 と、いつもとは少し違う音がした。

 何か、たとえるなら鈴を鳴らすためのぜつが二つ入っているような。

 もしや、と私は思った。

 

「そこまでやるか」


 私は思わず呟いた。

 小箱を見ると、私が切ったセロハンのすぐ横に、テープらしきものを剥がした跡が残っていた。やられた。きっと何かを仕込んだのだ。GPSか。盗聴器か。


 実家に寄りつかない私の居場所を探る気か。

 それとも、話してもらえない話を盗聴する気か。

 まったく面倒な連中だ。

 

 ――となれば、明日にでも、


 一応は縁起物だから近所の神社に持って行きお祓いくらいするべきかもしれない。

 とんでもない奴らだと思いつつ、私は白蛇の土鈴を逆さにし、中を覗いた。

 

「……何だ?」

 

 聞かれているかもしれないというのに、声に出ていた。

 鈴を鳴らすための透明の小さな円柱。これはガラスの塊だろうか。それともう一つ。白い粒が入っていた。GPSにも盗聴器にも見えない。

 

 光を当てようにも隙間が狭く見通せない。

 かくなる上は。


「おっと!」


 私はわざとに声を出し、土鈴を床に落とした。

 クシャンと欠ける白蛇と、入っていた舌。それと、もう一つ。

 乳白色をした丸っこい三角形。底辺がギザギザした何か。


「これは……前歯、か?」


 気づいた途端、私は背筋に蛇が這うような冷気を感じた。

 歯だ。人の、若い女性の歯だ。

 なぜこんなものが入れられている?

 

「ああ、そうか……嫁さん、ちいちゃんと仲良かったんだっけ?」


 私は歯をつまんだまま箱を開いて紙を取り出す。例年、由来や縁起について書かれている紙は今年に限って白くザラザラしており、手書きの電話番号が並んでいた。


 ――


 根掘り葉掘り聞かれるのだろうか。

 それとも。

 

 私が根掘り葉掘りながら聞く番か。

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