第5話 娘に捨てられる不倫妻と本当の家族

―α世界線(ミヤビ視点)―


「なんで⁉」

 娘の愛璃あいりは、私に向かって大きな声を上げた。こんなこと今までなかったのに。この子は、真面目な良い子で、私といつも一緒だったのに。大好きっていつも言ってくれたのに。まるで、別人のように反発を始めた。


「だって、私のお父さんは矢口道隆だもん。こんな人知らない。いきなり、お父さんなんて呼べない」

 道隆が死んで、ショックを受けている娘に、説明してしまったのがまずかったのかもしれない。もう少し時間を置く必要があった。失敗した、後悔が心に突き刺さる。


 道隆の会社の人からも彼の妹からもまるでごみを見るかのように、罵詈雑言を浴びた。妹からは、平手打ちも浴びた。このままでは、近所の人に誰かが告げ口するんじゃないかとびくびくしながら、なんとか状況を打開しようと、早く彼と一緒になるために、今日、愛璃との初顔合わせとなった。でも、愛璃は見たこともないくらい反発し、小学校高学年とは思えないほど敵意をむき出しにした。


「愛璃ちゃん。心配なのはわかるけど、大丈夫だよ。僕が新しいお父さんになるからね。おじさんは、前のお父さんよりもお金持ちだから、好きなもの何でも買ってあげるよ」

 彼の言葉を聞いて、娘はまるで絶望したように、言葉主をにらみつけた。そして、怒りを爆発させた。


「ふざけないで。前のお父さんなんて、あなたに言われる筋合いない。私のお父さんは、世界中でたった一人しかいないもん。お金なんていらない。この家にずっと住みたい。引っ越しなんて嫌だ」

 聞き分けの悪い娘に、彼は少しだけイライラしているように見えた。でも、そんなに怒っているなんて思わなかった。だから、次に出る言葉は予想に反していた。彼の言葉が私の心を絶望に突き落とす。


「矢口道隆なんて、お前の本当の親じゃない。俺が本当の親だ」

 娘には絶対に隠さないといけないと思っていた嘘が伝えられてしまった。だめだよ、どうして言っちゃうの⁉ それは秘密にするって約束だったじゃない。


 秘密を無理やり教えられた娘は、ピクリとも動かずに、崩れ落ちて叫んだ。真実を否定するために。


「そんなの嘘だよ、私のお父さんはたったひとりだけ」

 目の前で娘は、痛々しいほどの叫んでいた。それは、そうしなければ心が持たないとばかりに、必死に否定する。だが、彼は冷静に、娘の心を踏みにじっていく。


「嘘じゃない‼ だから、俺の言うことを聞け。父親の言うことが聞けないのか」

 血の気が引いてしまう。やめて、これ以上、私たち親子の絆を壊さないで。

 愛璃は、私の方をにらんだ。怒りや絶望を通り越した憎しみすら伝わってくるほどに激しくにらまれる。


「お母さん、最低っ」 

 彼女の歳になれば、自分の立場がよくわかるのだろう。普通の子よりも賢い愛璃であれば尚更だ。


「親に向かって、なんて口を利くんだ」

 彼は私に代わって怒った。でも、いいの、本当のことだから。その言葉も怖くて口に出せなかった。それを言ってしまえば、私と愛璃は二度と親子に戻らなくなってしまうというのがわかっていた。


「親? 血が繋がっていたら、親なの? 家族ってそういうものじゃないよね。私を小さいころから可愛がってくれて、たくさん愛を注いでくれた人をお父さんって呼んじゃいけないの。その大恩人を裏切ったお母さんや今まで一度も会ったことない人をお父さんって、敬わなくちゃいけないの?」

 娘は涙ながらに抗議していた。そして、それは私にも向けられた言葉の凶器だ。お互いに後ろめたいことがあるから、その鋭利な言葉のナイフは否応なしに私たちの心をずたずたにした。正論を言われて、論破されたからか、それとも言うことを聞かないからか。愛璃に対して、イライラが募っている彼は露骨に不機嫌になっていく。


「うっせぇんだよ、このガキが‼ 殴られたくなかったらいうことを聞け。怖いだろう。さあ、呼んでみろよ」

 彼の力を込めた平手が、愛璃に突き出された。

 

「おら」

 脅すようにこぶしを見せつける。


「いやだ、いやだ、いやだ‼ お父さんは暴力なんて絶対に振るわなかった。お父さんを返してよ。いくらお金を持っていたって、暴力で子供を脅すような心が貧しい人は絶対に嫌。尊敬なんかできない」

 流されるまま生きてきた自分が産んだ娘が、汚れた自分よりも正しく生きようとしていた。それにどうしようもないくらい嫉妬してしまう。愛璃は、私を罰しようとしている。


 そんなことされたら、私の心が持たない。


「愛璃、いい加減にしなさい。言えばいいの。いつか、あの人のことなんて忘れるわ」

 私も絶叫して、愛璃の手の甲を何度もたたいた。


「絶対に嫌‼」

 その暴力に、愛璃は絶望したのか見下したような侮蔑の表情を見せる。愛娘のその絶望した顔を見て、やってしまったという後悔とどうして言うことを聞いてくれないのという怒り、2つの相反する感情がせめぎ合う。悩んでいる間に、彼は暴走した。


「なら、教えてやるよ、ガキが!」

 彼の力がこもった平手が愛璃に向かっていく。

 誰かが玄関を開けた音がした。女性が慌てて、愛璃を守るために二人の間に入って、娘を抱きかかえた。彼は止めることができずに、玄関から入ってきた女性を殴ってしまう。


 大きな音がした。酷い暴力をされても、彼女は愛璃のことを離そうとしない。とつぜん、自分の暴力現場を見られたことで、彼は立ちすくんでしまう。


 女性は、そんな彼のことをにらんだ。美里さんだ。近くに住んでいる道隆の妹の……


「愛璃ちゃん、大丈夫⁉ 何をやっているんですか、あなたたちは‼ 近所の人が家の中から女の子の悲鳴が聞こえるって教えてくれて。手もこんなに腫れて……あなたたちがやったの⁉」

 突然現れた人物による追及に、彼は凍り付いていた。私も何も言えなくなってしまう。

 外からパトカーの音が聞こえた。


 ※


 二人は大した抵抗もなくパトカーに乗せられて警察へと連れていかれた。近所の人があまりにも異常な悲鳴や鳴き声を聞いてすぐに通報してくれたようだ。ほどなく、救急車もやってきて、私は姪と一緒に病院に急行した。ふたりとも、検査の結果は異状なし。


 でも、愛璃ちゃんはしばらく様子見で入院することになった。

 そして、警察が病室にやってきて、事情を聴かれた。身内として、私は愛璃ちゃんの聴取に一緒に参加した。


「……これですべてわかると思う」


 愛璃ちゃんは、持っていたスマホから録音アプリを起動して、全員に聞かせてくれた。あの事件の時、ポケットにスマホを仕込んでいたようだ。お兄ちゃんから誕生日プレゼントにもらったスマホだったらしい。あの人たちの会話を証拠として残していたらしい。聞くにも堪えない最低の会話と暴力だった。


 ミヤビさんが浮気して、それにショックでお兄ちゃんが倒れたのは葬儀の時に、兄の同僚から教えてもらった。副社長さんが厳しく問いただしたところで白状したらしい。もう、あんな女とは会えない。会いたくない。その話を聞いて拒絶感をあらわにした。葬儀の後で、私は大切な兄を裏切った女に平手を浴びせて、汚くののしって、絶縁した。


 警察の後に、住んでいる市の児童相談所職員がやってきた。彼らは、私に今後の愛璃ちゃんのことを相談してきた。


「かなり複雑な事情があるとお聞きしたので、申し訳ないのですが……こんなことがあれば、お母さんの親権は停止せざるを得ません。あんなひどい暴力を振るったのですから」


「それで愛璃ちゃんは今後どうなるのでしょうか」


「引き取り手がいなければ、施設で預かるということも選択せざるを得ません。今回の件は、近所の肩が早く通報してくださったからこそ発覚しました。お恥ずかしい話ですが、現行犯でもなければ、我々が家族関係に介入するのは、とてもハードルが高いのです。最悪の場合が起きる前に、彼女を保護できて本当に良かった」


「……もし、このままDVが発覚しなかったら……」

 あんなに明るくて良い子だったはずが、痛々しいほど傷ついている。おもわず泣きそうになるが、もしこれで発覚が遅かったとなるとゾッとする。


「私たちも証拠を集めて、お子さんを助けようと頑張りますが、仮に転居などされてしまうと、まずは家族がどこに移ったのかを確認し、転居先の行政に連絡し引継ぎを行うなど、時間がかなり消費されてしまいます。手遅れになってしまうことも……愛璃ちゃんをいかがなさいますか。簡単に決められることではないと思います。あなたにも生活がある。引き取ることができる身内は、たぶん叔母様であるあなたしかおりません。相談があれば、いつでもご連絡ください」

 愛璃ちゃんも、私と同じで親をどちらも失うんだ。それも、あんな最低な形で。

 でも、私一人で決めることはできない。夫にも相談をしなくてはいけない。


 返事を保留し、私は一度、家に帰ることにする。



 ※


 すべての状況を説明し、私は夫に恐る恐る相談する。


「ねぇ、私、愛璃ちゃんを引き取ろうと思うの。もし、嫌だったら離婚してください。悪いのは私だから、ちゃんと慰謝料払います。お兄ちゃんはさ、お母さんが死んじゃった後、お金が払えなくて大学を辞めようと思っていた私のために、自分名義で学資ローンまで借りてくれて、私を支援してくれたから。それに、あのままじゃ愛璃ちゃんがかわいそうすぎる。勝手言ってほんとうにごめんなさい」


 たとえ、血が繋がっていないとしても、愛璃ちゃんがお兄ちゃんの娘であることに変わりはないと思う。


 あのいまいましい録音音声で、愛璃ちゃんがどんなにお兄ちゃんが好きだったのかよくわかった。


 彼女が言うように、血が繋がっていることが家族の条件なのか。じゃあ、私のお母さんとお兄ちゃんは家族じゃなかったのか。そんなわけはなかった。そう言う人がいるなら、そんな暴言、私が否定する。


 夫は一瞬固まって「何を言っているんだ、ふざけるな‼」と大きな声を上げた。当たり前だ、これは私の完全なわがまま。いくら、夫が愛璃ちゃんを姪としてかわいがっていたとしても、あんな事件が起きたのだ。誰もが嫌がるはずだ。


 でも、私が選んだ彼は違った。


「当り前のことを聞くなよ、そんなの当然だろ。お前が言わなくちゃ、俺が言おうと思っていたんだ。安心しろ、愛璃ちゃんなんて良い子は、目に入れても痛くないんだぞ。あの子はただの迷子みたいものだよ。生まれてくる母親を間違えただけさ」

 私は、彼の腕を握って、泣き崩れた。


 ※


 施設に保護されていた愛璃ちゃんに、すぐに連絡する。

 すでに、彼女を養うことができる唯一の身内として役所からは打診されていたこともあって、とんとん拍子に話は進んだ。そして、我が家にやってくる日。彼女は泣きながら、施設に迎えに来た私たちに謝った。


「ごめんなさい。いっぱい、迷惑かけちゃうよね。お父さんの本当の子供じゃないのに、無理しなくていいよ。美里叔母ちゃんのこと大好きだけど、大好きだから、これ以上、迷惑かけられない」

 彼女はそう言って泣きじゃくった。

 私は彼女を抱きしめる。


「大丈夫だよ、愛璃ちゃんのお父さんは、間違いなく道隆お兄ちゃんだから。血が繋がっているかどうかなんて、家族になるには些細なことだよ。あなたのおばあちゃんはね、お兄ちゃんと血は繋がっていなかったけど、実の娘である私が嫉妬しちゃうくらい仲良しだったんだよ。愛璃ちゃん、帰ったら一緒に道隆お兄ちゃんのカレー食べよう。好きでしょ? 私、妹だから、再現できちゃうんだ、ね?」


 夫も続ける。


「そうだよ、叔父さんや叔母さんのことはそのままでいいからさ。愛璃ちゃんにとって、お父さんは道隆さんだけだもんな。だから、ちょっと変わっているけど、俺たち家族になろうよ。そのほうが叔父さん嬉しいな」

 この人と結婚してよかったと心の底からそう思った。


 愛璃ちゃんは、泣きながら「うん」と言ってくれた。

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