第29話
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翌日の新聞記事は、王都を代表する二社がこの演奏会の事を取り上げた。
両誌とも共通しているのが、まるで語彙を喪失したかのような絶賛記事だった事だ。
『良かった』、『素晴らしかった』、『美しかった』などという表現が並ぶが、具体的な所となるとどちらの記事も全く要領を得ない。
そのため舞台を見もしない記者の書いた提灯記事と思われてしまう。
継戦派の諸氏にしてみれば、この演奏会が終戦派の画策する和平実現のための安いプロパガンダの産物と判断して、冷笑を浴びせた。
だがその様相が一変するのは三日後、やはり発端は演奏会の事を取り上げた二社の新聞記事だった。
一社は一面全てをこの演奏会の詳報に当て、演奏会実施の経緯から出演者の人選にまつわるエピソードや、当日の演奏前に出現した天恵の門について教会の奇跡認定局が動き出したこと、そして本番の演奏を詳細に記述し、舞台に立った歌姫シルヴァーナの悲壮な決意と孫娘の非業の死まで、余すところなく伝えるものだった。
もう一社も社説でこの演奏会に触れ、演奏された曲の意義を解説した。また、あの日遺族として客席にいた人々の元を訪れ、その後長期に取材を重ねて彼らの心情を代弁してゆくこととなる。
そして得られるものより失うものの方がはるかに大きいこの戦争を、もう終わらせるべきではないかという論陣を張った。
日が経つにつれて、当日の演奏が客席にいた人々から世の中にその模様が語り継がれていく。
程なくして新聞記事の影響もあり、世間はこの演奏会の話題で持ちきりとなる。
やがて北の隣国にもこの演奏会の話題が宮中に奏上される。
自分たちの国で頻繁に演奏されていた『レクイエム』が交戦相手の国で歌われ、ソリストに国際的な知名度をもつ歌姫シルヴァーナが舞台に立った――――
それだけでも十分センセ―ショナルだったが、演奏会が先の大攻勢で犠牲になった遺族への慰問だった事や、敢えて選曲が自分たちの国の大作曲家が作り上げた鎮魂の歌だった事に、休戦や終戦へのメッセージがあるだろう事も察せられた。
継戦か休戦か、列席の大臣たちがざわつく中、回覧されていた書類を見ていた皇太子妃が突如立ち上がり、そのまま堪え切れないかのように膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らす。
何事かと慌てた皇太子が背中を支え再び椅子に座らせるが、いったん落ち着かせるため中座する事態となる。そのため一時御前は何が起こったのかと大騒動となった。
その後容態の落ち着いた皇太子妃から事情を聴き、皇太子が御前に戻って事情を報告した。
報告内容に誰もが居た堪れない思いに駆られ、この日御前会議は早々に切り上げられた。
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最初に異変に気が付いたのはアンナ・ギルバートだった。
「先生、馬車の手配が出来ました。到着まで一時間ほどあるようですので、着替えもそんなに急がなくても大丈夫です」
楽屋に帰ってきたアンナはにこやかにそう告げると、シルヴァーナの着替えをクローゼットから出し、着替えを手伝うべく背中に回った。
舞台衣装を手早く脱がし、固く結った髪を少し緩め、師匠が少しでもリラックスできるように気を配る。
着替える間中、アンナが方々で関係者に掴まって賞賛の言葉を掛けられ、覚えきれないほど言伝を預かってきた話を楽しくしていたが、シルヴァーナは満足そうな顔でアンナに微笑みかけるだけで、何も話す事は無かった。
楽屋から関係者のエントランスに向かう道すがら、オーケストラと合唱団は全員が残り、劇場を後にするシルヴァーナの両脇に人垣を作った。
誰もが歌姫の花道に惜しみない拍手を贈り、何十人という人たちが目に涙すら浮かべていた。
シルヴァーナは歓声に手を振って答え、握手を求められれば快く応じた。
涙と鼻水で見れたものでない姿になっていた男からは、感涙に震える手で名刺を渡され、ぜひ後日取材させてくれと懇願され、シルヴァーナはにこやかに頷いた。
車廻しに停まっていた馬車に乗り込み、御者がドアを閉じるその後も、拍手や歓声は途切れることなく続き、見えなくなるまで馬車を見送った一同は、その後深々と頭を下げて世紀の歌姫に敬意を示した――――
熱狂が去った馬車の中で、アンナは口に出すのを何度もためらいながら、それでも聞かざるを得ないと思い口を開く。
「先生、もしかして、声が出ないのですか?」
シルヴァーナは小さな窓の向こうを眺めたまま、何かを悟ったように微笑みを口元で作る。
アンナに向き直った彼女は、声にならず口を動かす。
『帰ってから、お話ししましょうか……』
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皇太子妃ヴィンフリーデ・アイセンアクスが留学中師事したのは歌姫シルヴァーナだった。世界の歌姫の下で過ごした三年間は彼女にとって宝物であったが、二年目に転がり込んできた孫娘のロゼッタ・サルヴィーニはとりわけ印象深い妹弟子であり、また、親友と呼べる存在だった。
ヴィンフリーデから見たロゼッタは、本当に歌う事が好きな女の子だった。
兎角そそっかしい、考えるより先に体が動く性質のようで、シルヴァーナの指示や指導を早とちりや勘違いで返す事が日常となっていた。
決して要領は良くないし、譜面通りに歌うのも苦手でしょっちゅうシルヴァーナに説教を食らっていた。
だが要領は悪くても、決して努力する事に手は抜かない。
人より出来が悪いのを、人の何倍の努力で返せと言うシルヴァーナの無茶ぶりを真に受け、しかし実践して結果を出す事ができていた。
自他共に認める良家の子女たるヴィンフリーデとはこの対極にいる二つ下の妹弟子は、不思議と反発する事無くすんなり仲良しになった。
たまに理不尽な物言いや行動で翻弄してくる師匠の愚痴を言い合い、ベッドで将来の夢や男の子の事を語って夜更かしをし、師匠の前で互いの技量を磨き合うライバルでもあった。
ヴィンフリーデが結婚するため国に帰る頃には、楽譜の読み方も知らなかった親友は、初見の楽譜を難なく自分の物にしてしまい、相手に合わせて力加減する事すらできるようになっていた。
そんなロゼッタを師匠のシルヴァーナは『傲慢』と一刀両断していたが、当人は笑い飛ばして真面目に聞かず、歌姫シルヴァーナを呆れさせていた――――
「ロゼは先生の若いころによく似ていたそうです。『無鉄砲で怖いもの知らずな所は私そっくり。それ以外は私以下』と仰ってもいましたが」
「前から思っていたんだが、歌姫シルヴァーナ様は、結構な毒舌家なのか?」
「ふふふ、直截な物言いをされますから、気位の高い方々からは嫌われていたようです……」
皇太子は寝込んでしまった愛妻が元気になればと思い出話をねだっていたが、思った以上に面白い歌姫とその孫の話に、身を乗り出して続き話をせがむ。
ヴィンフリーデも夫の楽しそうな姿に癒されながら、会えなくなった親友の面影を偲んだ。
「いつかこの国にロゼを呼んで、陛下や臣下の皆様に紹介したかったんです。歌姫シルヴァーナの孫という肩書が無くても、あの子はきっと皆さんの心を掴んで虜にしてしまったでしょう……」
皇太子はそこで項垂れる。大攻勢後の反撃で、自国の兵士も数多戦場の塵芥となった。
「すまない……大攻勢の判断は、陛下だけの責ではない。私も……」
「殿下、そこは謝らないでください。殿下と陛下の裁断に、臣下は納得しているのですから。私もですが、きっとロゼも納得しているのです。あの子の事ですから、きっと今頃『まあこれはこれでしょうがない』くらい思っているでしょう」
「そんなに……割り切れる物なのかい?」
皇太子にとって、ここまで重い決断は人生で初めての経験だった。だから日々桁を増す死傷者の累計に、目の前に積み上がる死体の山を幻視するほどに病んでもいた。
「私は割り切る事なんて無理ですが、先生やロゼは…………不思議なくらい、この世への執着が薄いように見受けましたので……ただそれは、諦めているとか他人事にしているというのではなく、目の前にやって来た運命にじたばたしないというか、自分の使命と感じた事をただ淡々とこなすというか……そういった一面を持ちながら燃やすのです……自分の、魂を」
上の空で語るようであって、確信と慈愛を口元に浮かべヴィンフリーデは語る……愛おしそうに。
皇太子は妻の懐かしさに浸りつつ悲しみにも沈む妻の表情を眺め、何もできない自分に忸怩たる思いを抱く。
もう、いいのではないだろうか?
国同士の意地の張り合いも、互いの国体を維持できてこその物だ。
今や両国とも戦費にとんでもない額をつぎ込み、借金の額に追い立てられ、破れかぶれの勝負に出たギャンブラーとなっている。
自分の国も交戦国も、周辺の国に借りた金からそろそろ首が回らなくなる段階に来ていた。
このまま戦い続ければ、たとえ勝ちを得たとしても勝利の名誉以外に得る果実も少ない。戦争が外交の延長とするなら、すでに勝ちを拾っても大赤字必至となる状況に陥っている。
目の前の利権のために周辺国から好き放題介入を招く状況を作るのは愚の骨頂だ。
起死回生の大攻勢の頓挫は、見えない深刻なダメージを国内に残した。
皇太子は戦争の勝利のみが解決という価値観に改めて疑いの火が灯り、それ以外の最適解は何かについて高速で計算を始める。
「殿下、報告書に書いてあった内容で、もう一つ気になる事が……」
「何だい?言ってごらん」
「はい。その……先生は……本当に天恵の門を潜ったのでしょうか?」
「報告では……そう言われているようだ。奇跡認定局も審査官を派遣したと聞いているから、確度は高いのではないだろうか」
時折その噂が聞こえてくる天恵の門。皇太子もまさか自分の関係する事態に発現するとは思っても見なかった。
「先生の負った使命とは、何なんでしょうね?」
「私のその……思った事でも構わないだろうか?」
「ぜひ、聞かせてください」
微笑むヴィンフリーデの真心に皇太子は相好を崩す。
「ありがとうヴィン。思った事を言える機会をくれる君は、本当にありがたいよ。――――ええとそうだな、歌姫の使命か……天恵の門の奇跡は解釈が本当に難しいのだよな……でも、きっと、使命の一つはヴィンの望みだと思う。歌姫の孫娘の……」
「ロゼッタ、ですわ」
「ああ、ロゼッタ嬢のお弔いも使命の一つだろう」
皇太子はそこで一区切りつけ、サイドテーブルの水を半分飲み干す。
「そして本人は意識しているかは知らないが、この戦争を終わらせる事も、きっと使命としていると思うよ」
ヴィンフリーデはそれにすぐ答えようとして逡巡し、意を決して言葉にする。
「そうですね、私はそうであって欲しいと思います。私たちは、頂いた好機を生かすべき時だと思います」
かなり踏み込んだヴィンフリーデの言葉に皇太子はハッとする。
そして皇帝陛下も説得し、停戦すべき時期に来ているのではないかと改めて思った。
△
その報道は訃報よりもある意味衝撃的と言えた。
単独取材を果たしたとある記者は、歌姫の現状に激しい衝撃を受ける。彼は普段の容赦なく事実を書き立てる信条を捻じ曲げて、報道しても良いのかと、三度もシルヴァーナに聞き返したほどだった。
報じられた内容は、シルヴァーナが話す事が出来なくなった事だ。
天恵の門の奇跡が周知されつつあった中での報道で、神が代償を求めるのかと言わんばかりの状況が、世間に先日の演奏会の意義と、戦争の継続へのハードルを上げる事となる。
結果戦争の継続など不可能と、早々に両国とも方針は定めることが出来た。しかしその後の細々とした取り決めや擦り合わせには、やはりかなりの時間を労する事になる。
なにせこのままではどちらも何の利権も得ることなく、ただ首が廻らない借金を積み上げ、数多の未亡人や身寄りのない老人や子供を量産するだけで終わる。
互いに少しでも元手を取ろうと藻掻いた結果が三か月の時間の浪費となる。
休戦協定はさらにその後三カ月たってようやく調印する事となる。
その席には歌姫シルヴァーナが是非にともと懇願されて同席した。
彼女を見るなり泣き崩れるヴィンフリーデを、シルヴァーナが子供をあやすように抱き留める。
この出来事で調印式が遅延するハプニングはあったが、皇太子妃の涙が、平和裏に調印を執り行う大きな力にもなった。
ちなみにこの調印式にはアンナ・ギルバートも付き添いで出席していた。
この日をきっかけとしてヴィンフリーデとアンナの親交がはじまり、シルヴァーナ・ラディーバ・デルバルとロゼッタ・サルヴィーニという、厄介で愛らしい共通の知り合いへの愚痴と称賛を交わす間柄となる。
アンナも調印式の一年後に母国に帰り、歌姫最後の弟子として母国で実績を積み上げ大成する。
ヴィンフリーデは皇后となって皇帝を支え、二児の母となって国の形を変える激動期を真摯な姿勢で采配していった。
そんな二人は南方の島で一人静かに余生を過ごしていた師匠の死を八年後に知る事となる。
アンナはヴィンフリーデの元を訪れ、故人を偲び思い出話に花を咲かせた。
そこで提案された内容に驚きつつも、快諾してロゼッタの終焉の地に二人で向かった。
▲
――――そこに観客は、いない。
数多くの犠牲者が出た地には武骨な石柱が立てられ、降り注いだ砲弾が炸裂し、地面を抉った痕跡もそのままに、形の整った水たまりをあちこちに形成している。
吹き抜ける風は丈の低い草原を揺らし、まだまだここで起こった出来事の記憶を持つ人々の心情を、昏い影で覆ってしまう。
時折雲間から太陽の光が差し込み、あちこちに光の庭を形作る――――
寂寞たる風景の中でヴィンフリーデとアンナは立ち、各国を流浪する民の演奏家がそこに二人控えていた。
演奏家たちは一息吸うと、確かな指さばきでギターを奏で始める。
哀愁漂うギターの音色が響き渡り、二人の歌声が荒涼とした地に染みてゆく――――
その歌は二人が師事した先生が、余生を過ごす間に手慰みで書き残した歌だった。
この演奏家たちは、彼女の住む町で収穫祭の余興として舞台に立った人たちらしかった。
彼らの音楽を気に入ったシルヴァーナは、いつかロゼッタへの弔いとしてこの曲を捧げてくれると嬉しいと書き残し、ヴィンフリーデに書き送っていたものだ。
国家という化け物に翻弄される人間の、熱狂が過ぎた後に訪れる空虚と寂寥を載せた歌は、数少ない観客であった両国のトップの心も大きく揺さぶる。
その後二つの国は形を変え、より民衆が主体となった国家に生まれ変わっていった。
両国もその周辺国も、相変わらずの権謀術数が政治を翻弄し、鉄の暴力が大陸を何度も更地にしてゆく。
だが両国が接する国境では、国境の封鎖や経済的ないざこざは引き起こされたが、双方の軍隊が会敵するような戦争が起こる事は無かった――――
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シルヴァーナ・ラディーバ・デルバルは、聖人とされる事は無かった。
『自分は成すべき事を私情を挟んで行っただけ』とは、彼女が生前繰り返し話していた事だ。ゆえに自分は聖人などではないとその後話し続け、奇跡認定局は渋々引き下がる事となる。
故人となったのち、再び奇跡認定局は聖人認定の働きかけを遺族や関係者に行ったが、総じて否定的な見解と回答を示される羽目になる。
そのため歌姫シルヴァーナは教会に記録されるようになってから初めて、天恵の門を潜ったのちに聖人と認定されなかった人物となった。
彼女は自身の銅像も功績を称える碑文も、都合の悪い事を書き忘れたような伝記も望まなかった。
彼女はただ、後進を初舞台に送り出すときに伝える言葉を残し、それを彼ら彼女らに伝える事を望んだ…………
そのことばとは、こんな形で舞台に立つ新人に伝えられている。
『一人の音楽家は無力でも、奏でる音は願いを叶える力を持つ。あなた方は舞台で自らの力を信じ、神の奇跡を示せ。客席に集うものを目撃者にせよ。あなたの舞台を歴史にせよ。ここは神の奇跡の顕現の地、だれもが顕現者となり、だれでも目撃者に成り得る』
おしまい
天恵の門 夕凪沖見 @yunagi4812
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