第5話 真実と新年の朝

里奈は旅館「玉菊」の大広間の隅から、準備が進むステージを見つめていた。

畳敷きの床の中央には小さな演奏スペースが設置され、舞台裏では下地ショウが声出しをしている。

女将の三浦つや子は着物をすそさばきしながら、振る舞い酒の器を並べるスタッフに細かい指示を飛ばしていた。


賑やかなはずの会場は、どこか落ち着かない雰囲気を含んでいる。

門松、鏡餅、お節と連続して起きた奇妙な殺人事件の影響は大きい。

にもかかわらず、この新年メインイベントを強行する背景には、昨年の中止で被った損失を挽回したいという思惑があるのだろう。


「ごめんなさいね、警察に言われて準備を縮小しようかと思ったんですが、もうここまで動いてしまっているんです」

三浦が小声で釈明するように言う。

里奈は表向き笑顔をつくったまま、スタッフの動きを視線で追った。

高屋敷はいつものスーツ姿で壁際に立ち、ポケットに片手を入れたまま周囲を観察している。


人々が大広間へ入ってくる。

下地ショウのファンだと名乗る中年女性が、彼の歌を心待ちにしているらしく、袖口をそわそわと弄んでいる。

地元の商店主らしき姿や観光客も混じっており、ざわめきが徐々に広がっていく。

その光景の中で、里奈はなぜかアルコールの匂いを強く感じた。

振る舞い酒用に選ばれた大瓶が、台車に載せられて中央へ運ばれていく。


「ここで酒を振る舞うなんて、本当に大丈夫かしら。

おせちに毒が仕込まれたばかりなのに」

里奈が呟くと、高屋敷が緩い調子で返す。

「なにしろ犯人は、正月の象徴を利用している。

酒も立派な正月の演出だろう。

ここを狙うにはうってつけだ」


女将の三浦が客席を回っていたとき、下地ショウが控室から姿を現した。

鼻筋が通った顔に薄化粧が映え、声量の豊かさを思わせる張りのある喉が目を引く。

ただ、その表情には険がある。


ステージに上がる直前、下地ショウは振る舞い酒の準備をしている若いスタッフを呼び止めた。

里奈と高屋敷は、何か引っかかるものを感じて舞台裏へ回る。

そのスタッフが持ち上げた大瓶には、既に封が切られた形跡がある。

中身がほんの少し減っているようにも見えた。

下地ショウがそれを確かめるように瓶を覗き込む様子は、不自然なくらい神経質だ。


「さあ、本番まであと少しよ」

三浦が忙しく声をかけた瞬間、下地ショウは慌てて大瓶をスタッフの手から離した。

その際、里奈の目に瓶のラベルの一部に濃いインクのようなシミが映る。

高屋敷も同じものを見ていたのか、小さく息を呑む。


「これ、酒に何か混ぜられたかもしれないな」

高屋敷が囁く。

瓶の口元からは通常の清酒とは違う匂いがかすかに漂っている。

里奈はそれを嗅いだ瞬間、どこか記憶にある薬品系のにおいと似ていると感じた。

実際に瓶の色を確認すると、微妙に黄みがかって見えた。


下地ショウはスタッフに向かって何か言い訳を口にしているが、もうその様子は誤魔化しきれていない。

高屋敷がそっと袖に手を入れてスマホを取り出し、菊池に連絡を入れようとする。

その動きを察したのか、下地ショウは思いつめた表情で口を開いた。


「仕方ないんだ。

こうでもしなければ、自分の演歌を広める機会なんてもう二度と戻ってこない」

震える声でそう言った途端、里奈の頭の中でこれまでの点が線につながる気配がした。

門松、鏡餅、お節に続く犯行の締めくくりとして、酒を使った毒殺を考えていた。

目的は、再び開催されるはずの新年イベントを滅茶苦茶にすること。


「やっぱり、あなたが犯人だったのね」

里奈がそう言うのと同時に、下地ショウは必死に首を振る。

「誰もわかってくれないんだ。

去年、イベントが中止になった時にかかった借金は、結局僕が被ることになった。

正月の行事がちゃんと行われていれば、スポンサーもついてくれたかもしれないのに。

あの連中は自分たちの利益しか考えていない」


演歌を披露するはずだった本番のステージに目をやりながら、下地ショウは顔を歪めた。

すぐそばに置かれた大瓶には、ダジャレめいた一文が小さな紙に書き添えられていた。

「酒(さけ)だけに 運命を裂(さ)け…なんちゃって」

高屋敷がそれを読み上げる。


「こんなことをしても、誰も喜ばない」

里奈が言葉を絞り出す。

下地ショウは瓶を奪うように引き寄せたが、菊池がそこに踏み込んで腕を押さえた。

駆けつけた警官たちが周囲を囲み、下地ショウは観念したように肩を落とす。


こうして新年のメインイベントは、別の意味で騒ぎになった。

下地ショウは酒に毒を仕込んで複数の客を巻き添えにしようとした疑いで拘束される。

正月を台無しにされ、追い詰められた復讐心が、彼にあの連続殺人を決意させたのだろう。

門松や鏡餅を使った殺害方法、そして悪趣味なダジャレは、正月を憎む歪んだ思いが形になったものだった。


会場に落ちていた紙切れと酒瓶のラベルが決定的な証拠になったと、菊池が教えてくれた。

前の被害者たちにも下地ショウが何らかの形で接触していたことが判明し、すべてがつながっていく。


事件が収まり、人々の動揺も少しずつ鎮まった。

旅館の女将の三浦は、ほっと胸をなでおろしながら客を見送る。

里奈はその光景を眺めながら、取材ノートをそっと閉じる。


「こんな皮肉な正月騒動は滅多にないわね」

高屋敷が隣で軽く肩をすくめる。

里奈は息を吐いて笑った。

入れ替わるように大広間で流れ始める演歌の伴奏には、どこか切なさと安堵が混ざり合っているようだった。


下地ショウの代役が急遽歌い始めたらしく、新年を祝う空気が再び戻ってきつつある。

里奈は高屋敷と顔を見合わせ、旅館の玄関へ足を向けた。

スーツケースの引き手を握ると、雪で冷えた手が少しだけ温まる気がする。


この街の正月は、奇妙なかたちで一区切りを迎えた。

だが、里奈はノートの最後のページにさらりと書きつける。

「まだ世の中には不思議な事件があるだろう。

きっと、また首を突っ込むことになる」


高屋敷がパイプをくわえながら微かに微笑む。

二人は足音を揃え、澄んだ冬空の下へと歩き出す

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謹賀新年殺人事件 三坂鳴 @strapyoung

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