──季節は夏になり、試練に挑んでいた神獣達が帰ってきた。魏仙ウェイシェンは彼らを眺めながら、手元の筆を動かす。宛名は李娘リーニャン。春の始まり、共に傀勿原かいなはらを下ったあの狸娘である。

 現在、魏仙は秀仙殿シゥシェンでんという場所で修行をしている。ここは秀仙将軍に仕える神獣達が集まる場所であり……魏仙は秀仙に仕えているわけではないが、魏仙の帰還を知っている人物は彼と麒麟真君だけ。だから、秀仙に匿われていた。


 魏仙は自力で霊獣になったが、試練は合格していない。試練に合格することは一種の『箔』であり、合格した方が神達の印象は良い。

 確か、李娘も箔をつけるために参加していたはずだ。彼女は報告のため、試練を放り出して仙楽へ帰ってしまったけれど。それを機に善風シャンフォン将軍と出会い、翼下よっかに入れたと聞いている。


 手紙の内容は善風の翼下に入ったことを言祝ことほぐもの。

 書きながら、こちらの現状を綴るか迷った。だが李娘の庇護者である善風と、魏仙を匿っている秀仙の仲はあまり良くない。それを考えれば、何も書かないのが正解だろう。


 大陸の勢力図を見れば分かることだが、風神姉弟(毛稟マオビンと秀仙)と善風将軍は、同じ『韋国』を治める神だった。

 この大陸、最西に仙楽があり、その隣に韋国、さらに魅国、迅国と続く。そしてその更に向こう側。海の上には神界があるとされている。

 逆に鬼界きかいはどこにあるか判明しておらず、ただ入り口は三国の至るところにあった。

 将軍、軍師と呼ばれる神は国を守っており、全部で八人いる。韋国に三人、魅国に二人、迅国に二人。最後に仙楽の麒麟真君を含めた八人だ。

 数々の同期が高位神官に拾われていく中、魏仙だけは落ちこぼれのままだった。誰も……魏仙を翼下に入れたがらなかったのだ。そして知り合ったばかりの李娘も、善風に拾われた。


「少しだけ、羨ましいのかも」


 ぽつりと零しながら、筆を置く。墨が乾いたのを確認すると、紙を折って龍の形にしてみせた。法力を少し込めれば、紙の龍はふわりと飛ぶ。

 肘をついて空を眺める。視界の端でいちょうの葉が舞うのが見えた。季節外れな緑のいちょうは、卓の上に落ちてくる。


「押し花にでもしよう」


 そうと決めた魏仙は、早速、葉を持ってその場を後にするのだった。



   ✥ ✥ ✥



 ある日のこと。魏仙の住んでいる宿舎に、魏仙宛の書簡が届いた。

 李娘からの返事が届いた! と喜ぶ魏仙だったが、書かれている名前は鍾秀しょうしゅう、つまり麒麟真君の名であった。


「なんだろう? 少し重い」


 疑問を口にしながら、その膨らんだ書簡を開く。

 カシャリという金属の擦れる音と共に出てきたのは、この大陸に伝わる伝統的な暗器、匕首あいくちつばのない短剣のことであり、刃の部分には空飛ぶ燕が彫られていた。鈴を背負った燕は、まるで自分とそっくりだ。

 どんな意図があるのか、と考えながら刃に触れると、彫られた部分が薄く光ったような気がした。なんだろうか、酷く身体に馴染んでいるような気がする。

 不思議に思いながらも、一度、匕首をさやに仕舞う。そして同封されていた手紙を読んでみる。

 どうやら、この匕首は霊獣になった祝いにくれた物のようだ。麒麟真君は、己の力で霊獣になった神獣に武器を渡して回っているとか。

 魏仙が受け取ったのは、少し大きめの匕首だった。

 音の出る鈴を身につけた魏仙に、暗器──暗殺者が使う得物──を渡す意図は分からない。でも、祝いの品を貰えたという事実に、思わず顔がほころんだ。

 これからも精進しよう。そう決意を改めたその時、宿舎の入り口が音を立てた。魏仙は慌て、己の黒髪を高く結い上げる。それから卓の上にあった真白い仮面を着け、入り口に向かった。


燕燕エンエン!! そろそろ素振りの時間ですよー」


 燕燕、と呼ばれた魏仙は笑顔で手を振ってくる神獣に頭を下げた。

 言い忘れていたが、今の魏仙は燕燕という名を名乗っている。名を偽っているのは、魏仙に逆賊の疑惑があるからだ。声を低くする必要もあるし、厄介だと思う。

 でもそれは、魏仙が衣張に流されたのが悪い。溜め息を吐きたくなるけれど、それでも突き進むしかないのだ。魏仙は頭を切り替え、呼びにきてくれた神獣と共に修行の場に行った。




 魏仙──燕燕は力がない。

 それはもう、びっくりするほど弱い。瞬発力と速さは自慢だが、基本的に力不足な面が否めない。

 それを素早さで補うのが修行の目的なのに、そう上手くいってくれない。速さはあっても、相手が硬すぎて傷を負わせられないのだ。

 現在、素振りを終えた神獣達は、竹刀を交える修行をしている。


「燕燕、頑張るんだ!」

「そこだ、もっと切り込め!!」


 野次を聞きながら、燕燕は一気に踏み込む。相手の神獣は猪であり、猪突猛進。突っ込むことしか能がない。それでも燕燕の竹刀は届かない。少し焦りながらも、竹刀をぐっと握りしめた。

 服の下に隠している鈴が出てきてしまうから、燕の姿になることはできない。ならば、人像のままどうにかするしかない!

 集中して、燕燕は竹刀を振りかざした。その瞬間、猪の姿になった神獣が懐に入り、燕燕の体が思い切り浮く。馬鹿力で吹き飛ばされたのだ。


「燕燕が、依夏イーシァの宿舎の方に!!」

「綺麗に吹っ飛んだなぁ」

「言ってる場合か!!」


 どんどん遠のいていく神獣達の声。その中の一人が『依夏』と呼んだような。勢いよく目を開いた燕燕は、慌てて体を燕に変えようとした。だが、木の横すれすれを通った瞬間──何者かに首根っこを掴まれた。

 頭の向きを変えると、そこには赤毛の青年がいた。意思のある金色の瞳。その目に見覚えがあった燕燕は、一瞬で顔をしかめる。


「嗅ぎ覚えのある匂いだ。夏の香り、空高くを飛んだことがない小鳥の香り。だが少し変わったか。まるで高い空を知ったような──ああそうか、お前、逆賊と言われた魏仙だな?」


 燕燕を掴んでいたのは、彼の同期である一角獣。喧嘩別れをした依夏だった。

 燕燕と魏仙が同一人物だとバレるのはまずい。特に、依夏なんか口が緩いのだから、一番バレてはいけない存在だ。魏仙は仮面の下で目を泳がせながら「魏仙ではないので、離してください」と言った。依夏は酷く不服そうだったが、直後、にやにやと笑いながら「お望み通り」と言った。


「それは良かった──ってわああああ!」


 ここは一本杉の上、依夏が止まっているのは高い位置にある横枝。依夏が嬉々として羽織を離せば、当たり前だが、垂直落下する。

 歯を食いしばった燕燕。これだから性悪は! と顔をしかめつつ、魏仙は鍾秀から頂いた匕首を杉の木に立てた。切れ味の良い匕首は、杉の木に刺さる。そこから体を起こし、横枝に乗って枝が折れないことを確認すると、匕首を引き抜いた。


「……麒麟真君、すみません。大事なものをこのようなことに使って」


 燕燕が泣きそうな声で言った直後、杉の木を旋回するように、大きな一角獣が降りてきた。噂を信じるのなら、現在の依夏は幻獣。それなりに強いということになる。仕えているのは毛稟マオビン軍師、文官の神であるが、昔の依夏を知っている燕燕が言うとしたら、あれは文官なんかに収まる存在ではない。

 鬼も泣く、正真正銘の怪物だ!

 一角獣は燕燕を咥えると、そのまま地面すれすれを走った。地獄の急降下に目を回した燕燕。このまま匕首を突き立ててやりたい──と考えた直後、ぽつんと建てられた宿舎に投げ捨てられた。窓を打ち破る形で部屋に突っ込む。壊れた建物に埋まりつつ。起き上がると、目の前には依夏がいた。


「やはり、子燕だったか」

「っ!!」


 仮面は依夏の手の中にあった。いつの間に取られたのだろうか。まあ、バレたのなら仕方ない。そう諦めた魏仙は髪紐を解いた。いつもの姿に戻ると、赤橙色の目で依夏を見上げる。


「毛稟軍師にでも突き出すのか」

「いいや。俺はお前を疑っていない。面白いとは思っているがな」


 嬉しそうな顔は相変わらず。性格の悪さは変わっていないようで、魏仙は静かに息を漏らした。


「そうしてもらえると助かるけど。依夏は口が緩いだろう。あまり信用できないな」

「……そんなことないと思うが」

「私の鈴が『やすらぎ』を与えることを仙楽中に教え、そして疲れ果てた文官の行列を見て大笑いをしたことを忘れたとでも?」


 ──あれは何百年前の話だったか。魏仙が首から提げている鈴。依夏はそれの効果を言いふらしたのだ。

 あの時は、本当に大変だった。連日連夜、書簡と巻物に追われた文官が押し寄せ、口を揃えて『やすらぎ』をくれ! と訴えかけてくる。魏仙も鬼ではないので、疲れた神獣を前に断ることができず……仕方がなく鈴を鳴らした。

 術者という立場上、魏仙は鈴の効果を得られない。だから、文官が押し寄せれば押し寄せるほど、魏仙の疲労は溜まっていく。

 最終的には倒れるまで鳴らし続けた。

 当時は頭も回らなくて、鍾秀から『褒美を』と言われたとき、せっかくの機会だというのに『文官がやって来ないよう仕事内容を見直してほしい』と願ってしまった。文官からは崇められたのだが、それも数百年後には水の泡。

 結局、仕事量は年々増えていき、魏仙の功績はないものとなった。


「善行を積めたんだからいいだろう?」

「良くない。あれからも何人かやって来ているんだ」

「悪気はなかった。はい、話は終わり。さて魏仙、今度は何をやらかしたんだ?」


 依夏は笑顔で話を切り上げた。全く聞く気がない依夏に呆れつつ、仕方がなさそうに返事をする。


「鬼疑惑のある男性と韋国を見て回った」

「ふむ。それでこんなにも俗世の臭いがしているのか」


 依夏も鍾秀と同じで分かるたちらしい。余計に不都合だな、なんて目を細めると、依夏はある提案をしてきた。


「……毛稟軍師なら、清め石まで行くことを許してくれる可能性がある」


 清め石の元へ行くには、麒麟真君──鍾秀の許可がいる。だが、彼は誰も味方してくれない状況で魏仙を清め石に連れていくのは嫌だと言った。それが理由で秀仙の元に身を寄せた魏仙だったが、もし毛稟が鍾秀の味方をするのなら、魏仙は清め石のある池に入ることができるのかもしれない。


「……もし断られたら?」

「毛稟軍師は秀仙将軍の姉だ。彼女もまた、匿うのに賛成するだろう」


 ──にわかには信じられない言葉。だが、と魏仙は目を瞑った。

 このまま匿われていたとしても、何か変わるとは思えない。鍾秀はほとぼりが冷めるまで隠れていて欲しいそうだが。魏仙はこれ以上隠れるのは無理があると思っている。

 李娘にも、法力を使って連絡を入れてしまったし。遠回りするように指示したから、居場所がバレることはないだろうけど。時間の問題にも思える。


「分かった。毛稟軍師に会おう」


 魏仙が頷くと、依夏は悪い笑みを浮かべたまま手を差し伸べてきた。

 結果から言うと毛稟は快く受けてくれ、さらに『保身的な弟がすまなかったね』と謝られもした。そうして二日後、魏仙は麒麟宮に向かったのだった。



   ✥ ✥ ✥



 二日後の早朝。

 魏仙は、麒麟真君の手で仙楽の地下奥深くにある洞窟まで飛ばされていた。麒麟宮に入ってすぐのことだ。驚きすぎて声も出なかったが、気を取り直した魏仙は、足を踏み出そうとする。

 ──だが、目の前にあるのは複雑に絡み合った洞窟。


「困ったな」


 魏仙は、道順が分からないことに頭を悩ませた。燕の姿になって探せば早いのでは? と思うかもしれないが、燕は夜行性の鳥ではない。鳥目という言葉があるぐらいだ、暗闇に弱いのは一目瞭然。薄暗い洞窟を飛ぶのは難しいだろう。

 となると、人の足で歩いていくしかなくなる。仕方がないので、目印を付けながら壁沿いを歩いた。


「足が棒になりそうだ」


 そう口にしてからさらに時間が経った頃。ようやく、広々とした空洞に繋がった。吹き抜けた空間からは、風の音もする。どこかの道が外に繋がっているのかもしれない。

 目の前には澄んだ池があり、その中心には小さな岩が置かれていた。魏仙はそっと手と拳を合わせると、羽織だけ脱いで、爪先から水に入る。深さは腰の辺り程度で、寝転がってやっと全身を浸からせることができた。

 その時、痛みは全くなかった。むしろ、心が洗われるような感覚に目を細める。気持ちが良くて、思わず眠ってしまいそうなぐらいだ。

 聞いていた話と違うな、と首をかしげたところ。ひらり。緑のいちょうが舞い込んできた。

 惚けていた魏仙は、慌てて手を伸ばす。いちょうの葉を手に取ったその時──低く唸るような声が聞こえてきた。


「なぜ、ここにいる」


 その声は、まるでいちょうの葉のように凛としている。声に触れた瞬間、魏仙の手の中にあった葉が、緑から黄色へと変わっていく。どうしてか、その変化は彼の気持ちを表しているように思えた。

 魏仙がゆっくり振り返ると、黄色の目と自分のそれが交差した。どこまでも美しい男。魏仙が三ヶ月を共にした男。彼は、池の縁からこちらを覗き込んでいた──。


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