三
「その後は
「はい。三ヶ月ほど」
報告書を読み上げていた茶髪の男は、
目の前の武神、
そんな彼だが、現在は
怒られる理由に心当たりのある
「彼は位、『
神獣に位があるように、鬼にだって位がある。鬼の場合は下から『
実際、今回の李娘と魏仙はたまたま助かっただけであり、他の捕まった神獣は……既に食われた後だったそうだ。
「あの暮を同時に倒した男、私なりに観察をしてみました」
「何か判明したことでも」
般若のような形相で言われ、魏仙は慌てて胸に抱いた巻物を床に流した。
ここは
今のところ、落ちこぼれの魏仙が地上から舞い戻ってきたことを知っているのは、たまたま彼を見かけた秀仙と麒麟真君だけ。そして麒麟真君には、極力、神獣や神に見つからないよう気をつけろと言われている。
さっさとこの場を後にしたい魏仙は、手短に要件を話した。
「鬼の特徴と結果をまとめました」
「読んでみろ」
「その一、腐敗臭。これは全くしませんでした。その二、焦げたような臭い。こちらは僅かに香ったような気もしますが、人間の香りと大差ないかと。その三、爪や髪の成長が早い。三ヶ月観察してみましたが、特には。その四、加虐心を持つ。むしろ私には優しく丁寧に接してくれましたね。
「魏仙」
「失礼……」
話が逸れたことを指摘され、魏仙は頭を掻いた。それから巻物が終わるまで読み上げ続けたが、要するに鬼らしき特徴は一切見受けられなかった、というわけだ。長々とそれを伝えたのは、命の恩人が疑われるのは不快だったから……なのだろうか。
秀仙は溜め息と共に「結構」と言う。退出を促された魏仙は、自分の気持ちに首をかしげながらも、別れの挨拶をした。
「
「……そなたに
両手を合わせると、魏仙はその場を後にした。
✥ ✥ ✥
吹き抜けた廊下を子燕の姿で飛んでいく。
疑獣から霊獣に昇華したお陰で、魏仙は高く飛べるようになったのだ。
恩恵はそれだけではない。
扱える法術が増え、じきに麒麟真君から器──神獣の持つ、核となる部分のこと。力の増強になるが、同時に弱点にもなり得る物──を受けることもできるだろう。
そうは言っても、魏仙が帰還したことは未だ報告されていないから、器を受けられるのはまだ先の話だと思うけど。
考えていたところで、仙楽の高台にある一本松に辿り着いた。木の上に留まると、仙楽から
右から左へと抜ける金色屋根の宿舎。それから大きな
こうして見ると、仙楽も美しいな──なんて考えていたその時、頭の中に声が響く。脳に直接話しかけてくるこれは、幻仙節の神獣か、神しか扱えない法術だ。受ける側なら、少しの負担で済むのに。そう考えながらも、応答に答える。
『魏仙、今、どこにいますか』
「
『至急、麒麟宮までお越しください。麒麟真君がお呼びです』
文城はそれだけ言うと、法術を解いた。
そんなに急ぎなのかと疑問に思ったが、用事があるわけでもない魏仙は、松から飛び立って行った。
シャラシャラと鈴の音を鳴らしながら、麒麟宮に入る。
最初はこそこそ動いていた魏仙だったが、神獣や神がびっくりするほどいないのだ。
普段は麒麟真君に仕える神獣で溢れ返っているのに……なんて拍子抜けしながらも、大広間の前に立つ。
魏仙が両手を合わせて掲げると、門番の神獣が部屋の中にいる麒麟真君へ声を掛けた。しばらく待った後に『入りなさい』という声が聞こえてくる。
入室後、大広間の扉はすぐに閉じた。完全に二人きりの状況で、魏仙は壇の上にいる男を見上げる。
「魏仙、随分と派手に遊んだそうじゃないか」
そう言った彼は、背中から腰にかけた緩やかな曲線を隠すことなく見せびらかしている。
彼の人物こそが麒麟真君──
元は節獣だった鍾秀。それがさらなる昇華の末、神にまで上り詰めた。彼は紛れもなく歴史的な人物と言えるだろう。
この話をすると、鍾秀は必ず『運が良かっただけ』と口にするのだが、運だけでなく、実力も持った男である。
魏仙が
「面をあげなさい。人像が保てるようになったと聞いていたが、本当か」
「ええ、はい。事件を機に霊獣へ昇華しました」
良い知らせを言えば、鍾秀は
彼は、魏仙がずっと幼い頃からこの地にいた。そして魏仙のことが心配で心配で仕方がなかった。昔から、魏仙とその同期を
「魏仙。それで、例の男はどうだったのかな」
「……」
魏仙はそっと目を逸らした。
例の男。それは、鬼疑惑のある衣張のことを指しているのだろう。魏仙は『
「彼は……鬼とも人とも言えない、変わった人物でしたよ」
衣張と過ごした三ヶ月は、魏仙にとって良い経験だったと思う。ずっと仙楽にいた魏仙は、地上の知識に詳しくない。そんな彼に様々なことを教えてくれたのが、衣張という男だ。
饅頭には何をいれても合う。
武芸の神を信仰する人間は総じて変わっている。
さらに、人間は道端の草を煎じて飲まない(仙楽のものと違って汚いからである)と聞いたときには驚きで目が溢れ落ちそうだった。それらを思い出したところで、鍾秀が咳払いをした。
「ゴホン、結局のところ、魏仙にも分からなかったのだな」
「申し訳ありません」
魏仙は誤魔化すように頷く。すると彼は「時に魏仙、己が穢れているとは思わないか」と言った。
穢れとは、人間や鬼が持っている邪気のことである。
まさか、昇華した(神に近づいた)自分が穢れているわけない。そう胸を張って答えた魏仙だったが、直後、鍾秀に言われた言葉に動きを止める。
「魏仙、そなたから俗世の匂いがする」
「……それは」
人間の世界に長く居すぎたのだろうか。確かに人間臭くなった気もする。これといって確かな確証はないが、現世に浮かれていたのかもしれない──と、己に恥じた。魏仙はこうべを垂れて反省すると、鍾秀に願いを述べることにする。
「
「ふぅむ」
清め石というのは、この仙楽の地下奥深くにある池とその中心にある石のことである。
その石には、穢れや俗物を祓う力があるため、穢れに侵された神獣はそこで修行を積み直すのだ。
だがしかし、この仙楽の地下にある石は壊れており、穢れや俗物を持った存在は、入ると激痛に襲われる。いわゆる不良品なのだ。
転じて、ここにある清め石の力がこもった水は、鬼を討伐するときにに使われるのだが──それはまたの機会で話そう。今は、魏仙が入る入らないの話である。
石のある洞窟へ立ち入るには、鍾秀……つまり麒麟真君の許可がいる。魏仙が懇願するように頭を下げると、彼は呻り声を上げた。
「困ったな。私個人としては行かせてやりたい。だが、行かせたら
善風将軍は、秀仙将軍と肩を並べる大将軍だ。彼らがいるお陰で、
「とはいえ、使わなければ魏仙の印象は払拭できない」
魏仙が不思議そうに聞き返すと、鍾秀は「実は」と口にする。どうやら、魏仙が穢れていると、何か不都合なことがあるらしい。魏仙が聞く態度に入れば、鍾秀は困ったように話し始めた。
✥ ✥ ✥
──数週間前、法力陣にて。
法力陣に集まったのは五名の神と、数名の神獣。話し合いをするために集まった彼らは、挨拶もそこそこに各々の意見を言い始める。文城から向かって右側に立つ男──
「うちの末端の者が、『獄』の鬼らしき存在と接触したそうだが」
こちらを見下ろす善風の、長い長い髪がさらりと揺れた。それに対して、相変わらず見えるか見えないか危険なラインの服を着た麒麟真君──鍾秀は肩をすくめる。
「善風のところの狐だったのか」
「狸だ」
「おっと、失礼した。にしても、噂の広がりようが酷いな。疑獣の魏仙、鬼の手を借りる──とは」
けろりと言ってのけるところが鍾秀の強みである。苦虫を噛み潰したような善風に、向かって左手にいる男がせせら笑う。この男は
神獣にも当たりが強いお陰で、嫌われている神のランキングでは堂々の一位を取っている。
「何が言いたい、仁明」
「何も」
「まあまあ、静かにしてくださいな」
割って入ったのは、
「毛稟軍師、どうか鎮めてください」
文城が口の形だけで言と、毛稟は目を閉じて風を消した。その場にいた全員が、髪の乱れや捲れた裾を直す。その姿を見ながら、文城の隣にいた記録係は『嵐、早速、吹き荒れたり』と記した。
──ここに集まるは、文武の上位神たち。
仙楽の麒麟真君。
西韋国の
東韋国の
魅国の
あとは文城と、下位武官の神が三名。彼らが集まったのは、他でもない。『暮』の鬼二体を同時に倒した謎の男の正体、それからその男と共にふらりと消えてしまった問題児について話し合うためだった。
最初に口を開いたのは、善風。彼はまず、責任を押し付ける先を考えた。
「魏仙の所属はどこだ」
「まだ決まっていない。お前のところの口が軽い狸だって、数日前に決まっただろう」
善風は、思わず腕を振り上げそうになった。善風は自分と部下が馬鹿にされることを酷く嫌う。それは過去のある事件が原因なのだが、ここでは割愛させてもらう。
どれほど大事にしているかといえば、傘下に入ったばかりの李娘のことで怒るぐらいだ。馬鹿にするつもりなどなかった鍾秀は、逆にムッと顔をしかめた。
二人を諌めるような声を上げたのは、意外にも仁明である。
「静かにしろ。それで、獄と小燕の行方はどうなんだ」
聞かれた文城は、巻物をしゅるしゅると開いた。そこに記されているのは、魏仙の居場所だった。まだ弱い疑獣には麒麟真君の印が付けられており、基本的に目の届かないところに行くことはない。危険があれば、神や高位神獣が助けに向かえるようになっているのだ。
その印も、魏仙が霊獣になったことで薄れている。
「早めに回収したいところですが……」
「魏仙、確実に遊んでいるな」
「見せてみろ」
仁明の言葉で、絵巻が全員の手に渡った。黒い点は韋国を横断しており、危険なところに向かっている様子はない。ただ、全員で見た瞬間、その点は不自然に途切れた。
「……気づかれたか」
「自然と消えただけではないかしら」
「毛稟、そうとも言っていられなさそうだ」
皆が手にしていた絵巻は、ジュッと燃え落ちた。誰かが意図的にやったとしか思えない行為。それを神のお膝元でやるとは。
仁明は黒髪を逆立てて怒ったが、逆に、その地を管理している秀仙達は冷静だった。
「喧嘩を売っているのか?」
「お前の管轄じゃない。黙っていろ」
「うるさい」
仁明と善風が言い争っていると、鍾秀が口を開く。
「魏仙は寝返ったのか……?」
その言葉に、全員が口をつぐむ。根っからのお人好しと呼ばれた魏仙のことだ、寝返ったとしても騙されているに違いない。哀れなり──と、全員が思い思いの感情を送ったところで、毛稟と秀仙が息の合った会話をする。
「聞き取り調査をしなければ」
「このまま鬼に落ちるかもしれないわ」
「それはいけない」
「兄上に相談するべきじゃないかしら」
彼らの兄神は、この神界でも大きな力を持つ存在だった。全員が頷いたところで、最後に魏仙を見つけたらどうするかで揉めた。
「隠すべきだ」「公表するべきです」「魏仙のために」「仙楽のために」色々な意見が飛び交う中で、善風がある提案をした。
「最初に見つけた者がどうにかすればいいのでは」
満場一致。という言葉が正しいだろう──記録係の男はそう考える。全ての考えがまとまると、彼らはふらりと水鏡から立ち去った。
それから数週間後、何も知らない魏仙は帰ってきた。それを運悪く見つけてしまった秀仙。彼の意向の結果、魏仙はしばらくの間、息を潜めることになったのだった。
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