●第5章:『新しい世界の作り方』
それから一週間後、霜月アサギの介護施設「しもつき」の一室で、彼女は窓の外を見つめていた。朝日が、かつての工場地帯に降り注いでいる。
「社長、おはようございます」
ノックの後、ミチルが入ってくる。彼女は今や、この施設の介護主任として働いている。
「ミチル、今日のお客様は?」
「ええ、もうすぐ到着します」
アサギは深く息を吸う。今日は特別な日だ。あの事件の後、思いがけない申し出があったのだ。
「社長! 来ましたよ!」
職員が駆け込んでくる。アサギは立ち上がり、エントランスに向かう。
そこには見覚えのある顔があった。あの日、ブラッディ・イーグル社のビルで出会った警備員の一人だ。今日は私服姿で、高齢の女性を車椅子に乗せて連れてきていた。
「母です」
警備員が深々と頭を下げる。
「実は、ずっと母の介護で悩んでいて。でも、まさか、あの時の……」
彼は言葉を詰まらせる。
「いいんですよ」
アサギが優しく言う。
「私たちの施設は、どなたでも受け入れます。それが、私たちの理念ですから」
車椅子の女性が、不安そうな表情を浮かべる。しかし、アサギが笑顔で手を差し出すと、おずおずと、その手を取った。
その光景を見ながら、アサギは思い出していた。二十年前、彼女が介護の道を選んだ理由を。
母が病気で倒れた時、周りには頼れる人も施設もなかった。不良仲間と必死で介護を続けながら、彼女は誓ったのだ。いつか必ず、誰もが安心して暮らせる場所を作ると。
「ミチル、案内をお願い」
「はい!」
ミチルが車椅子を押し始める。その後ろ姿を見送りながら、アサギのスマートフォンが鳴る。
「もしもし、タケル?」
『おう、アサギ! 実は相談があってさ』
「どうしたの?」
『いや、実はさ。うちの葬儀屋、介護施設との提携を考えてるんだ。こう、終活から看取りまでの一貫したサービスっていうか』
「それ、いいアイデアね」
『だろ? カズマも乗り気でさ。不動産の方からも、高齢者向けの物件を紹介できるって』
アサギは笑みを浮かべる。
「ユウも誘ってみたら? システム面でのサポートが必要になるはずだから」
『おう、それがいい考えだ! じゃあ、今度みんなで集まって、企画会議してみっか?』
「ええ、是非」
電話を切ると、アサギは再び窓の外を見る。
廃墟のように見えた工場地帯に、今、新しい命が芽吹き始めていた。介護施設に通うお年寄りたち、その家族たち、働く職員たち。様々な人々の想いが、この街に新しい物語を紡ぎ出そうとしている。
「社長、お客様が来られました」
職員が声をかける。
「ええ、行くわ」
アサギは立ち上がる。彼女の瞳に、朝日が眩しく反射していた。
かつて不良だった彼女たちは、確かに変わった。しかし、大切なものは何も失っていなかった。仲間を想う気持ち、弱い者を守る勇気、そして、この街への愛。
むしろ、それらは二十年の時を経て、さらに強く、深いものになっていた。
アサギは、颯爽と廊下を歩き始める。
施設の中からは、お年寄りたちの笑い声が聞こえてくる。デイサービスのレクリエーションが始まったのだろう。その声に混ざって、懐かしい歌が流れてきた。
かつてこの街で、工場で働く人々が口ずさんでいた歌。アサギの父も、よく歌っていた。
(そうね、父さん)
アサギは心の中で呟く。
(この街は、まだ終わっちゃいない。これからよ)
施設の窓から差し込む朝日が、彼女の背中を優しく照らしていた。
* * *
その日の夕方、アサギは一人、かつての工場の屋上に立っていた。
夕陽が地平線に沈もうとしている。その赤い光が、工場の錆びた鉄骨を黄金色に染め上げていく。
「ここで待ってると思った」
背後から声がする。振り返ると、ミチルが立っていた。
「みんなも来てるわよ」
彼女が指さす方向には、タケル、カズマ、ユウの姿があった。
「どうしたの? こんな時間に」
「いや」
カズマが前に出る。
「実は、みんなで話し合ったんだ。この工場、買い取ろうって」
「え?」
アサギが驚いて声を上げる。
「そうよ」
ミチルが説明を続ける。
「ここを、私たちの新しい拠点にしない? 介護施設も、葬儀場も、高齢者向けの住宅も。全部ここにまとめて」
「システム管理室も作れます」
ユウが付け加える。
「このあたりなら、光ファイバーの回線も通ってるし」
「でも、改修費用が……」
「そこは俺が調べたよ」
カズマが得意げに言う。
「補助金が使える。この地域は再開発特区に指定されてるからね」
アサギは息を呑む。夕陽に照らされた工場が、急に違って見えてきた。
錆びついた鉄骨は、新しい命を宿す骨組みに。
壊れた窓ガラスは、人々の笑顔を映す鏡に。
埃っぽい床は、たくさんの足跡が刻まれる大地に。
「どう?」
タケルが声をかける。
「俺たちの、新しい戦場になりそうじゃないか?」
アサギは、ゆっくりと頷く。
「ええ……」
彼女の目に、涙が光った。
「私ね、ずっと気になってたの。あの時、行方不明になった二人のこと」
高校時代の仲間の中で、連絡が取れなくなったコウジとケンジ。彼らは、どこで何をしているのだろう。
「だからさ」
ミチルが言う。
「ここを、迷子の仲間が帰ってこれる場所にしない? かつての不良たちの、新しいたまり場」
「ばっかじゃないの」
アサギが笑う。でも、その声は温かい。
「私たちもう、不良じゃないのよ」
「そうだな」
タケルが頷く。
「俺たちは今、この街の……」
「用心棒ってところかな」
カズマが言葉を継ぐ。
「守り神、かもね」
ミチルが付け加える。
全員が笑う。その笑い声が、夕暮れの空に溶けていく。
「よし」
アサギが声を上げる。
「やりましょう。でも、一つ条件があるわ」
「なんだ?」
「この建物の名前は、『ヤンキーズ・ビレッジ』にしない」
全員が大笑いする。
「じゃあ、『廃工場の女王』は?」
ミチルが冗談めかして言う。
「それも没ね」
アサギはふと、遠くを見つめる。
「ここは……『明日工場』。どう?」
誰も即答しなかった。でも、それは言葉が見つからないほど、その名前が相応しかったからだ。
やがて、タケルが静かに言う。
「いいな。明日を作る場所か」
「うん」
カズマも頷く。
「気に入った」
夕陽が完全に沈み、街灯が一斉に灯り始める。工場の影が、徐々に闇に溶けていく。
しかし、アサギたちの目には、既にその建物が新しい姿で輝いて見えていた。
人々の笑顔が行き交い、希望が生まれ育つ場所。
迷子の魂が、帰るべき場所を見つけられる場所。
そして、この街の新しい物語が始まる場所。
「さあ」
アサギが仲間たちに向き直る。
「私たちの、本当の戦いは、これからよ」
五人は、固く握手を交わした。
その手の中に、彼らの新しい未来が、確かな重みとなって宿っていた。
(了)
【元ヤンキー企業戦争短編小説】霜月アサギは諦めない ~廃工場のレジスタンス~(約16,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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