●第4章:『最後の反抗』

 サーバールームに、黒服の警備員たちが押し寄せてくる。その数は優に十人を超えていた。


「観念しろ!」


 先頭の男が叫ぶ。


「へえ、随分と大人数ね」


 アサギが冷静に状況を観察する。


「まさか、たかが介護施設の経営者一人に、これだけの人数を割くなんて」


「黙れ!」


 警備員の一人が前に出る。しかし、その瞬間。


「どりゃあ!」


 タケルが動いた。巨体を活かした渾身の突進で、三人の警備員を一気に吹き飛ばす。


「へっ、相変わらずケンカは強いな!」


 カズマが叫ぶ。


「当たり前だ。今じゃ、葬式の準備で、毎日重い棺桶担いでんだぞ!」


 タケルは豪快に笑う。その体格と怪力は、二十年前と変わっていなかった。むしろ、仕事で鍛えられ、さらに逞しくなっていた。


「私たちも負けてられないわね」


 ミチルが言う。彼女は素早い動きで警備員の間を縫い、正確な関節技を決めていく。介護の仕事で培った体さばきが、ここで活きていた。


「おい、女に気を取られるな!」


 警備員の一人が叫ぶ。しかし、その背後からカズマが現れる。


「そうそう、目の前のことに集中しないとね」


 カズマの動きは無駄がない。不動産業で培った営業スマイルを浮かべながら、的確に相手の急所を突いていく。


「くそっ、なんなんだこいつら!」


 警備員たちが混乱し始める。素人相手のはずが、予想以上の強さに戸惑っているようだ。


 その間にも、ユウはサーバーのデータ解析を続けている。


「あと三分……いや、二分あれば」


 彼の指が、キーボードの上を踊るように動く。


「時間を稼ぐわよ!」


 アサギが叫ぶ。


「任せろ!」


 タケルが応じる。彼は今や完全に戦闘モードに入っていた。


「なあ、お前ら」


 タケルが警備員たちに向かって言う。


「葬式って、生きてる間にやっとくもんなんだぜ。今のうちに、自分の葬式の相談に来ないか?」


「な、なにを……」


「葬儀屋の経営者だからって舐めてかかると、痛い目見るぞ!」


 タケルの威圧的な態度に、警備員たちが一歩後ずさる。


 その隙を突いて、ミチルが別の警備員に組み付く。


「私も言っておくわ。お年寄りの体、毎日お世話してると、人の急所なんて、手に取るように分かるのよ」


 彼女の技は正確だった。警備員は悲鳴を上げることもできず、その場に崩れ落ちる。


「おっと、商談成立ってところかな?」


 カズマが軽口を叩きながら、さらに二人の警備員を倒す。


「てめえら、なめやがって!」


 残りの警備員が一斉に押し寄せる。


「アサギさん!」


 ユウが叫ぶ。


「データ、見つけました!」


「よし、ダウンロードを!」


 アサギが応じる。しかし、その時。


「何が起きている!」


 低い声が響き渡る。全員の動きが止まる。


 扉の向こうに、一人の男が立っていた。背の高い、痩せぎすの中年男性。ブラッディ・イーグル社の社長、鷹島(たかしま)誠だ。


「まさか、こんな所に潜り込んでくるとは思わなかったよ、霜月さん」


 男は冷ややかな笑みを浮かべる。


「さすが、かつての不良のアタマというところかな」


「ご丁寧にどうも」


 アサギも冷静に応じる。


「でも、今更現れて何になるの? もう、証拠は手に入れたわ」


「そうかな?」


 鷹島が携帯電話を取り出す。


「確かに、君たちは見事にここまで潜入した。でも、その証拠が警察に届く前に、君たちは不法侵入の現行犯で逮捕される。そうなれば、その証拠の信憑性も疑われることになる」


 アサギの表情が変わる。確かに、そうなった場合、たとえ証拠を手に入れても、それを活用することは難しくなる。


「さあ、どうする?」


 鷹島が携帯を耳に当てる。


「警察を呼ぶ前に、取引をしないか? 君の施設の土地を、適正価格で買い取ろう。そうすれば、この一件は無かったことにする」


 重苦しい空気が流れる。


 しかし。


「ふふっ」


 アサギが笑い出す。


「何が可笑しい?」


「あなた、本当に分かってないわね」


 アサギがゆっくりと前に進む。


「あなたは、私たちのことを甘く見すぎよ。たかが田舎者の不良上がりだって? 違うわ」


 彼女の目が鋭く光る。


「私たちは、二十年間、それぞれの道を必死に生きてきた。介護に、不動産に、葬儀に、システムに……プロとして、人の役に立つ仕事をしてきたのよ」


 アサギの声が響く。


「そして、何より――」


 彼女は鷹島の目をまっすぐ見つめる。


「警察に通報する前に、ちゃんと確認したほうがいいわ。あなたの電話、本当に繋がるかしら?」


「何?」


 鷹島が慌てて携帯を見る。画面には「圏外」の表示。


「まさか……」


「そう。ユウが最初にやったのは、この建物の通信を全て遮断することよ。外部との連絡は、完全に途絶えてる」


 鷹島の顔が青ざめる。


「し、しかし、それだけじゃ……」


「ああ、もちろん。通信の遮断は、序の口さ」


 カズマが言う。


「実は、この数ヶ月、僕らはちゃんと準備してたんですよ」


「な、何を……」


「不動産のプロとして言わせてもらえば」


 カズマが意味ありげに笑う。


「この建物、所有権の移転登記に、かなり怪しい部分があるんですよね。本来、この土地は地域の再開発組合が管理すべきものなのに、どういうわけか、ブラッディ・イーグル社の所有になってる」


「そ、それは正当な手続きを……」


「本当にそうかしら?」


 ミチルが口を挟む。


「介護の現場で感じたんだけど、この地域の高齢者たちが、妙に不安げだったの。土地を売る時に、何か変なことがあったって」


「証拠が、あるわけじゃ……」


「いいえ、ありますよ」


 ユウが端末から顔を上げる。


「今、このサーバーから見つけたデータの中に、全部記録が残ってます。不正な価格操作、脅迫まがいの買収……これ、全部内部文書ですから、信憑性は高いはずです」


 鷹島の表情が歪む。


「くっ……警備員! 何をしている! 彼らを取り押さえろ!」


 しかし、警備員たちは動かない。


「無駄よ」


 アサギが言う。


「彼らだって、あなたの会社の正社員じゃない。ただの派遣の警備員でしょう? 自分の身の安全と、あなたの違法行為に加担するの、どっちを取るか、考えるくらいのことは出来るはずよ」


 警備員たちは、互いの顔を見合わせる。そして、ゆっくりと後ずさり始めた。


「ち、違法だって? 私のやったことが? 笑わせるな!」


 鷹島が叫ぶ。


「これは、すべて適正な企業活動だ! 時代遅れの施設を淘汰して、新しい価値を創造する。それが、企業の使命じゃないか!」


「違うわ」


 アサギの声は、静かながら力強い。


「企業の使命は、人々の暮らしをより良くすること。私の介護施設には、二十年以上通ってくださってるお年寄りがいる。その方々が、住み慣れた場所で、安心して暮らせる。それこそが、本当の価値よ」


 アサギはゆっくりと歩み寄る。


「あなたは、この街のことを何も知らない。工場が閉鎖された時の人々の苦しみも、それでも必死に生きてきた誇りも」


 鷹島が後ずさる。


「だ、だから何だと言うんだ! 所詮、田舎者の戯言じゃないか!」


「そう、私たちは田舎者よ。でも――」


 アサギは仲間たちを見る。皆が頷く。


「田舎者には、田舎者の強さがある。地域のために働き、人々の暮らしを支える。そういう生き方を、私たちは選んだの」


 その時、遠くでサイレンの音が聞こえ始めた。


「あ、あれは警察か! 私の勝ちだ!」


 鷹島が勝ち誇ったように笑う。しかし。


「違いますよ」


 タケルが言う。


「あれは、私の会社の霊柩車です。このビルの前に待機するように頼んでおいたんです。さすがに、警察には通報してませんよ。いくら何でも、そんな露骨なことはしません」


「なっ……」


「でも、あのサイレンのおかげで、このビルの警備員たちは、さぞかし慌てふためいてることでしょうね」


 カズマが言う。


「こうなったら……!」


 鷹島が、突然アサギに向かって突進してきた。しかし。


「甘いわ」


 アサギは、実に自然な動きで身をかわす。そのまま、鷹島の腕を取り、背後に回る。


「昔から思ってたんだけど」


 アサギが言う。


「暴力って、最後の手段よね。でも時には、それも必要になる。特に――」


 彼女は鷹島の耳元で囁く。


「弱い者いじめには、これくらいの力で制する必要があるってね!」


 アサギの技が決まる。鷹島は、綺麗な放物線を描いて宙を舞い、床に叩きつけられた。


「げぶっ……」


 つぶれたカエルのような声を上げ、鷹島は動かなくなる。気絶したようだ。


「ふう……」


 アサギが深いため息をつく。


「お見事」


 ミチルが感心したように言う。


「いやあ、久しぶりに技かけたら、ちょっと肩が痛くなっちゃった」


 アサギが首を回す。


「歳には勝てんな」


 タケルが笑う。


「で、データの方は?」


「バッチリです」


 ユウが端末を見せる。


「これだけあれば、奴らの違法行為は明白。しかも、これ、同時に国税庁のサーバーにも送信完了してます」


「国税庁!?」


 全員が驚く。


「ああ、実は、この会社、脱税の疑いも……」


「さすが」


 カズマが笑う。


「元ハッカーは伊達じゃないな」


「まあ、今は普通のSEですけどね」


 ユウが照れくさそうに答える。


「よし、じゃあ帰りましょう」


 アサギが言う。


「タケルの霊柩車で?」


 ミチルが冗談めかして聞く。


「いや、さすがにそれは」


 全員が笑う。その時、アサギのスマートフォンが鳴った。


「はい、霜月です」


 アサギが電話に出る。しばらく聞き入った後、彼女は満足げに頷いた。


「ありがとうございます。はい、すぐに戻ります」


 電話を切ると、アサギは皆に向き直る。


「行政からよ。うちの施設の営業停止処分は、証拠不十分で取り下げになったって」


 歓声が上がる。


「やった!」


「これで一件落着ね!」


 皆が喜ぶ中、アサギはふと、気絶している鷹島を見た。


(これで、父さんの借りも返せたかな)


 彼女は心の中で呟く。かつての工場、そして失踪した父への想いが、今、ようやく区切りを迎えようとしていた。

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