●第3章:『地下迷宮の攻防』
ブラッディ・イーグル社の地下駐車場は、深夜にもかかわらず蛍光灯が明々と照らしていた。防犯カメラが規則正しく配置され、死角はほとんどない。
地下通路の出口近くで、アサギたちは身を潜めていた。
「カメラの死角まで、十秒くらいのスキがあります」
ユウがスマートフォンで監視カメラの動きを解析しながら言う。
「十秒か……」
タケルが唸る。
「一人ずつなら行けるな」
カズマが判断を下す。
「じゃあ、順番を決めましょう」
アサギが言う。
「まず私が行って、様子を見る。次にユウ。サーバールームの場所を特定するのが最優先だから」
皆が頷く。
「その後、タケルとカズマ。最後にミチル」
「了解」
全員が応じる。
「合図は私の携帯のライト。三回点滅したら、次の人」
アサギは深く息を吸い、通路の出口に身を寄せる。カメラの動きを確認し、タイミングを見計らう。
そして――。
「行くわ!」
アサギは影から飛び出す。カメラの死角を縫うように、駐車場の柱の陰に素早く移動する。動きは無駄がなく、まるでダンスのように優雅だ。
目的の場所に着くと、アサギは携帯のライトを三回点滅させる。
次はユウの番だ。彼もまた、素早く移動を開始する。プログラマーとは思えない身のこなしで、見事にカメラの死角を突いていく。
残りのメンバーも、次々と無事に移動を完了する。
「さすがね、みんな。体は覚えてるみたいよ」
アサギが小声で言う。
「それより、サーバールームはどこ?」
カズマが尋ねる。
ユウはスマートフォンを操作しながら答える。
「建物の設計図によると、地下一階の奥……あそこです」
彼が指さす方向には、重厚な扉が見える。
「あれが防犯区画の入り口。その先にサーバールームがあるはずです」
「セキュリティは?」
「カードキーとパスワード。両方必要みたいですね」
全員が考え込む。しかし、アサギはすでに答えを用意していた。
「カードキーなら、用意してあるわ」
アサギがスーツの内ポケットから一枚のカードを取り出す。
「これ、どうやって?」
ミチルが驚いて尋ねる。
「昨日、奴らが私の施設に査察に来た時よ。担当者が不注意で落としたの。拾って返そうと思ったんだけど……」
アサギが意味ありげに笑う。
「なるほど。だから夜間の潜入を選んだのか」
カズマが感心したように呟く。
「でも、パスワードは?」
タケルが不安そうに言う。
「それも、ある程度目星はついてるわ」
アサギはユウの方を向く。
「多分、創業者の誕生日か何かでしょう? このビルの前身である自動車部品工場の社長、確か五月生まれだったはず」
「へぇ、よく知ってるな」
「ええ。だって、私の父が、その工場で働いてたから」
その言葉に、皆が驚いた表情を見せる。
「知らなかった」
ミチルが言う。
「ああ。父は工場が潰れた後、借金を残したまま失踪したわ。母は必死に働いて、私を育ててくれた」
アサギの表情が一瞬曇る。
「……だから、この街に介護施設を作ったの。お年寄りが安心して暮らせる場所を」
静寂が流れる。皆、アサギの決意の深さを、改めて理解した瞬間だった。
「よし、行こう」
タケルが前に出る。
五人は素早く、しかし慎重に防犯区画の扉に近づく。アサギがカードキーをかざすと、小さな電子音とともにランプが緑に変わる。
「パスワードは……」
ユウが端末を操作する。
「0529……違います」
「0515……これも違う」
「あ、こっちかも。0505」
扉から小さな音が響き、ロックが解除された。
「やった!」
ミチルが小声で喜ぶ。
「流石、ユウ」
「いえ、アサギさんのヒントがあったから」
中に入ると、そこは無機質な廊下が続いていた。壁は真っ白で、床は濃紺のカーペットが敷かれている。
「サーバールームは……」
ユウが周囲を確認する。
「あそこです」
廊下の突き当たりに、大きな扉が見える。ガラス越しに、無数のサーバーラックが並んでいるのが確認できた。
その時、突然、遠くでエレベーターの到着を告げる音が響く。
「誰か来る!」
カズマが警告する。
とっさにアサギは周囲を見回す。目についたのは、廊下の途中にある清掃用具入れだ。
「こっち!」
五人は急いで中に身を潜める。狭い空間に五人が押し込められ、息苦しい状態だ。
足音が近づいてくる。会話する声も聞こえる。
「本当に工場の方は大丈夫なのか?」
「ああ、あいつら、まだうろうろしてるみたいだぞ。バカどもめ」
二人の警備員らしき男たちが、清掃用具入れの前を通り過ぎていく。
「でも、社長の指示がよく分からねえよ。なんで、あんなボロ工場を見張らなきゃいけないんだ?」
「いいから言われた通りにしろよ。余計なことを考えるな」
声は次第に遠ざかっていく。
「ふう……」
全員が安堵の息を吐く。
「今のうちよ」
アサギが扉を開け、素早く外に出る。他のメンバーも続く。
サーバールームの前で、再びユウが端末を操作する。今度は時間がかかった。
「どう?」
「このセキュリティ、なかなかの代物です。でも……」
ユウの指が素早く動く。
「やれないことはない」
彼の口元に自信に満ちた笑みが浮かぶ。
「昔は、ゲームセンターの景品交換機をハックしてたのが、こんな風に役に立つとは」
「おい、そんなことしてたのか」
タケルが驚いて言う。
「まあもう、時効、時効」
ユウが答える。その瞬間、扉のロックが解除された。
「よーし!」
タケルが喜びかけるが、ミチルに口を押さえられる。
五人はサーバールームに入る。室内は、サーバーの動作音と空調の音だけが響いていた。
「で、どうやって証拠を探すの?」
ミチルが尋ねる。
「このサーバーの中から?」
「いいえ」
アサギが首を振る。
「探すのは、これ」
彼女がスーツの内ポケットから取り出したのは、小さなUSBメモリだった。
「これは?」
「昨日の査察の時に使われていたものよ。担当者が『データをコピーさせてください』って言って、これを差し込んだの。その時、私、気付いたのよ」
「気付いた?」
「ええ。あの担当者、明らかにデータをコピーする素振りをしていたけど、実は何かをインストールしていた。恐らく、悪意のあるプログラムね」
「なるほど」
ユウが理解したように頷く。
「つまり、このUSBには、証拠が残ってる?」
「その通り。でも、このUSBを差し込んだ記録は、このサーバーにも残ってるはずよ。両方の証拠が揃えば、奴らの仕掛けた罠だってことが、はっきりする」
「それとね……」
アサギはそこで顎に手を当てて少し考える。
「私、思うんだけど、あの査察って、それ自体が目的でじゃなくて、手段だったんじゃないかって思ってるの」
「つまり、あの査察は口実だったってこと?」
「ええ。監査内容の書類データを見ていて、ある不自然な点に気付いたの。監査日の指定が、あまりにも強引だった。普通、介護施設の監査なら、入居者の生活リズムを考慮して日程を決めるはずよ。でも奴らは、まるで急いでるみたいに、この日にこだわった」
「それで、このサーバーを?」
「そう。このサーバーのアクセス記録と照合すれば、この日に奴らが何をしていたのか、全部分かるはず。恐らく、介護施設だけじゃない。この街の他の不動産取引にも、同じような不正があったんじゃないかと睨んでるの」
「なるほど」
「そういうことよ。彼らの本当の狙いは、もっと大きいはずなの」
「よし、任せて」
ユウが端末を取り出す。
「ログを探しますから、ちょっと時間を……」
その時、突然警報が鳴り響いた。
「しまった!」
ユウが叫ぶ。
「何かトリガーを仕掛けられてた!」
廊下から、大勢の足音が近づいてくる。
「くそっ、包囲される!」
タケルが唸る。
アサギは一瞬で状況を判断する。
「ユウ、あなたはそのままデータ回収を続けて。タケル、扉の前を死守。カズマとミチルは私と一緒に、別の退路を探す」
全員が頷く。
静寂は破られ、戦いの時が始まった。しかし、アサギの表情は、むしろ晴れやかだった。
「さあ、昔を思い出して。私たちの番よ」
その瞬間、扉が大きな音を立てて開かれる。
戦いが、始まろうとしていた。
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