●第2章:『反逆者たちの夜』

 工場の廃墟に、懐中電灯の光が走る。ブラッディ・イーグル社の保安要員たちが、組織的に建物を捜索し始めていた。その数はゆうに三十人を超える。全員が黒いコンバットスーツに身を包み、無線機を装備している。まるで特殊部隊のような装いだ。


「こちらA班、一階東側クリア」

「B班、西側も異常なし」

「C班、二階へ移動開始」


 無線から次々と報告が入る。しかし、アサギたちの姿は見つからない。


 一方、工場の別の場所で、アサギたちは素早く、しかし慎重に移動を続けていた。


「あのさ、アサギ」


 ユウが小声で呼びかける。


「昔の通路って、本当にあるの?」


「ええ。でも、入り口の場所は、まだ見つけられてないわ」


 その言葉に、全員が足を止める。


「はあ!?」


 思わずタケルの声が大きくなる。ミチルが慌てて彼の口を押さえる。


「だから、みんなで手分けして探すの。この工場のどこかに、必ずあるはず」


 アサギは冷静に説明を続ける。


「でも、時間がないんじゃ……」


 カズマが懸念を示す。


「大丈夫。奴らが来てくれて、かえって助かったわ」


「どういうこと?」


「今、工場の外は奴らの部下で一杯よ。つまり、本社の方は手薄なはず。時間さえあれば、必ず通路は見つかる」


 アサギの説明に、全員が納得の表情を見せる。確かに、これだけの人数が工場に集中している以上、本社の警備は手薄になっているはずだ。


「じゃあ、手分けして探すか」


 カズマが提案する。


「ああ。でも、バラバラになるのは危険ね。二人一組で行動しましょう」


 アサギが言う。


「俺とユウで一組な」


 タケルが即座に言う。二人は高校時代から名コンビとして知られていた。タケルの腕力とユウの頭脳が、絶妙なバランスを保っていたのだ。


「じゃあ、私はカズマと」


 ミチルが言う。


「了解。私は一人で大丈夫」


 アサギがそう言った瞬間、全員が反対の声を上げようとする。しかし、彼女の鋭い視線に押し切られ、結局誰も何も言えなかった。


「十五分後、ここに集合。何か見つけたら、すぐにLINEで連絡」


 アサギの指示に全員が頷く。


「あ、そうそう。昔のこと、覚えてる?」


 突然、ミチルが言う。


「なんのこと?」


「この工場で試験勉強したじゃない。アサギが教えてくれて」


 その言葉に、皆の表情が柔らかくなる。確かに、高校三年の終わり頃、アサギは不良仲間たちに勉強を教えていた。彼女の指導のおかげで、全員が無事に高校を卒業できたのだ。


「あの時も、こんな風に手分けして問題集解いたよな」


 タケルが懐かしそうに言う。


「ああ。お前、数学だけは異常に出来良かったもんな」


 カズマが続ける。


「みんな、昔話は後にしましょう」


 アサギが静かに言う。しかし、その目は少しだけ笑っていた。


「じゃ、行くぞ!」


 タケルの掛け声とともに、三組は別々の方向へと散っていった。


 アサギは一人、工場の最も古い区画へと向かう。彼女には、ある確信があった。地下通路があるとすれば、それは工場が最初に建設された場所、つまりこの区画のはずだ。


 懐中電灯の光を床に這わせながら、彼女は慎重に進む。錆びついた機械の影が、不気味な形を壁に投げかける。その光景は、まるで二十年前の記憶が具現化したかのようだった。


(ここで、私たちは何を学んだんだろう?)


 アサギは考える。確かに彼女たちは不良だった。素行も悪く、先生たちを困らせ、親を心配させた。しかし、その時期があったからこそ、今の自分たちがある。


 タケルは、仲間の突然の死をきっかけに葬儀社を始めた。カズマは、住む場所に困っている若者たちを見て、不動産業を志した。ミチルは、介護の仕事を通じて人の役に立つ喜びを知った。ユウは、自分の得意分野を活かしてシステムエンジニアになった。


 そして彼女自身は……。


 考えに耽っていたアサギの足が、突然何かに引っかかる。危うく転びそうになり、彼女は反射的に壁に手をつく。


 その瞬間。


 ゴトン、という低い音が響き、壁の一部が内側に動いた。


「見つけた……!」


 アサギは思わず声を上げそうになる。壁の向こうには、黒々とした通路が口を開けていた。


 すぐさまアサギはLINEでメッセージを送信する。


「地下通路発見。B棟旧組立エリアの北壁」


 返信を待つ間もなく、足音が近づいてくるのが聞こえた。アサギは素早く通路の中に身を隠す。壁を元の位置に戻すと、外の音は遠くなった。


 暗闇の中で、携帯の画面が青白く光る。


「了解。向かいます」

「あと2分で合流」

「気をつけて、姫様」


 次々とメッセージが届く。


 アサギは懐中電灯で通路内を照らした。コンクリートの壁には無数のヒビが入り、床には小さな水たまりが点在している。天井からは、細い配管が何本も走っているのが見える。


「意外と状態がいいわね」


 アサギは呟く。二十年以上放置されていたとは思えないほど、通路の構造はしっかりしていた。


 五分もしないうちに、仲間たちが続々と合流する。


「すげぇな、これ」


 タケルが感嘆の声を上げる。


「でも、この先どうなってるんだ?」


 カズマが懐中電灯で通路の奥を照らす。光は闇の中に吸い込まれていく。


「この通路は本社ビルの地下駐車場に繋がってるはず」


 アサギが記憶を辿る。


「よし、行こう」


 ミチルが前に出る。しかし、アサギが手を上げて制止した。


「待って。この通路、絶対に罠がしかけられてるわ」


「どういうこと?」


 ユウが聞く。


「考えてみて。奴らがこの通路の存在を知らないはずがない。むしろ、私たちがここを使うことを見越して、何か仕掛けているはず」


 全員が緊張する。確かにその可能性は高い。


「じゃあ、どうする?」


「ユウ、あなたのスキルが必要よ」


 アサギはユウを見る。彼は首を傾げる。


「私のスキル?」


「ええ。覚えてる? 高校の時、みんなでゲームセンターに入り浸ってた時のこと」


 ユウの目が輝く。


「ああ、あの『地下迷宮2』ってゲーム?」


「そう。あなた、罠を見破るの、すごく上手だったわよね」


 高校時代、彼らの溜まり場の一つがゲームセンターだった。特にユウは、迷宮探索型のゲームで頭角を現していた。罠を見破り、最短ルートを見つけ出す才能があったのだ。


「まさか、そんな経験が役に立つとはな」


 カズマが笑う。


「実際のところ、システムエンジニアの仕事も似たようなものよ。バグを見つけ出して、最適な解決策を探る」


 アサギが言う。その言葉に、ユウは自信に満ちた表情を見せる。


「任せてください」


 ユウは懐中電灯を手に取り、慎重に前進し始める。他のメンバーも、彼の後に続く。


 通路は緩やかに下っていく。途中で何度か分岐があったが、ユウは迷うことなく進路を選んでいく。


「どうやって判断してるの?」


 ミチルが小声で尋ねる。


「壁の汚れ方とか、床の擦れ具合を見てるんです。人が通った跡って、必ず残るんですよ」


 ユウが説明する。彼の観察眼は、ゲームの経験とシステムエンジニアとしての職業病が合わさって、驚くほど鋭くなっていた。


 突然、前を歩くユウが立ち止まる。


「これは……」


 彼は床を指さす。一見何もないように見えるが、よく見ると微かな金属の光が確認できる。


「センサーですね。これを踏むと、多分警報が鳴る」


「回避できる?」


「ええ。でも……」


 ユウは天井を見上げる。


「上にも仕掛けがある。赤外線センサーでしょう。これを回避するには、体を低く保ったまま進まないと」


「つまり、這って行けってことか」


 タケルが言う。


「そうですね。でも、これくらいなら……」


 ユウは床に這いつくばり、センサーの位置を確認しながら、慎重に前進する。他のメンバーも、彼の動きを真似て這いずり始めた。


「なんか、懐かしいな」


 カズマが呟く。


「ああ。体育館の窓から忍び込んだ時みたいだ」


 タケルが答える。


「あの時は、先生に見つかって大目玉食らったけどな」


「今度は見つかったら、警察のお世話になるわよ」


 ミチルが冗談めかして言う。


「だったら、見つからないようにするしかないわね」


 アサギが答える。その声には、かつての不良の頭領としての威厳が滲んでいた。


 一行は十メートルほど這いずって進んだ後、ようやく立ち上がることができた。全員、薄っすらと汗を浮かべている。


「あと、どれくらい?」


 アサギがユウに尋ねる。


「このペースだと、二十分くらいでしょうか」


「了解。じゃあ、作戦の確認をしましょう」


 アサギは立ち止まり、皆を集める。


「本社に着いたら、まずサーバールームを探す。そこに、奴らが仕組んだ証拠が残ってるはず」


「でも、パスワードとか必要じゃないの?」


 ミチルが不安そうに言う。


「それはユウに任せる。あなたなら、なんとかできるでしょ?」


 アサギがユウを見る。彼は自信ありげに頷く。


「システムをハックするのは得意分野。まあ、会社のセキュリティなんて、たいしたことないでしょ」


「随分と余裕だな」


 カズマが笑う。


「いいえ。むしろ必死ですよ」


 ユウは真剣な表情で答える。


「昔、アサギさんに教えてもらった恩があるんです。あの時、勉強を教えてもらえなかったら、今の仕事には就けてなかった」


 その言葉に、皆が黙り込む。確かに、彼らは皆、アサギに何かしらの恩がある。だからこそ、今回の作戦に躊躇なく参加したのだ。


「……そういえば」


 タケルが静かに言う。


「俺が葬儀屋を始めたのも、アサギの一言がきっかけだったんだよな」


「え? 私の?」


「ああ。あの時、仲間が亡くなって、みんなで葬式に行った時。お前が言ったんだ。『最期くらい、俺たちが責任持って見送ってやりたいよな』って」


 アサギは、その時のことを思い出す。確かに、そんな言葉を口にした記憶がある。しかし、それがタケルの人生を変えることになるとは、思ってもみなかった。


「私も覚えてます」


 今度はカズマが口を開く。


「不動産屋を始めたのは、アサギさんの介護施設を見て、刺激を受けたからです。人の役に立ちながら、ビジネスとしても成り立つ。そんな仕事をしたいと思って」


「あのさぁ……」


 アサギが困ったように言う。


「私、そんなに偉い存在じゃないわよ。ただの不良のアタマだっただけ」


「違うよ」


 ミチルが強い口調で言う。


「あんたは、私たちに夢を見せてくれた。不良でも、ちゃんと生きていけるって」


 全員が頷く。


「だから、今度は私たちが」


 タケルが拳を握る。


「アサギの夢を守る番なんだ」


 その言葉に、アサギは思わず目を潤ませる。しかし、すぐに気を取り直した。


「……ありがとう、みんな。でも、泣いてる場合じゃないわ」


 アサギは前を向く。通路の先には、まだ長い道のりが待っている。


「さあ、行きましょう。私たちの戦いは、ここからが本番よ」


 一行は再び歩き始める。暗い通路の中、彼らの決意だけが、確かな光となって道を照らしていた。

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