【元ヤンキー企業戦争短編小説】霜月アサギは諦めない ~廃工場のレジスタンス~(約16,000字)
藍埜佑(あいのたすく)
●第1章:『懐かしき戦場』
霜月アサギの革靴が、廃工場の錆びついた床を打つ。カツン、カツンと響く足音が、静寂を切り裂いていく。
四十歳の誕生日を三日後に控えた彼女は、かつて不良として恐れられた面影など微塵も感じさせない、凛とした佇まいで歩を進めていた。ネイビーのパンツスーツに身を包み、肩までの黒髪を後ろで一つに束ねている。しかし、その切れ長の目には、二十年以上前のあの頃の鋭さが今も宿っていた。
「社長、こっちです!」
前方から声が響く。薄暗い廃工場の中で、一条の光が差し込む場所へと誘うように、かつての親友である城崎ミチルが手招きしていた。
「まさか、こんな形で母校に帰ることになるとはな」
工場へ向かう途中、アサギは古びた写真を取り出していた。二十年前の卒業式の日に撮ったもの。当時の不良グループのメンバー全員が写っている。
「また見てるの? その写真」
ミチルが運転しながら声をかける。
「ごめんなさい。でも今日は、なんだか特別な気がして」
アサギは七人が写る写真を見つめる。今日集まるのは五人。残りの二人――天城(あまぎ)コウジと桜井ケンジは、行方不明となっている。
「コウジとケンジのこと?」
「ええ。あの二人だけは、どうしても連絡が取れなくて……。たまに思うの。もし私たちが、あの時もっと声をかけていれば」
「自分を責めないで」
ミチルの声は優しかった。
「私たちだって、紆余曲折があったでしょう? きっと二人も、自分なりの道を……」
「そうね」
アサギは写真をしまう。しかし胸の奥で、二人の面影が消えることはなかった。
◆
アサギは苦笑する。彼女たちが今いるのは、かつて自動車部品を製造していた工場。二十年前、彼女たちが暴れまわっていた高校のすぐ隣にあった場所だ。当時は毎日のように、この工場からけたたましい機械音が響いていた。今はその音も消え、錆びついた機械の残骸だけが、往時の繁栄を物語っている。
「まあ、追い詰められたらここしかないって思ったのは、アンタの読みどおりだけどさ」
ミチルが言う。彼女は派手な金髪を振り乱しながら、工場の奥へと案内していく。年齢はアサギと同じだが、今も若々しい雰囲気を漂わせている。しかしその表情は真剣そのものだった。
「他のみんなは?」
「もう集まってる。相変わらず速かったわ、あいつら」
二人は工場の最奥、かつて事務所として使われていた場所へとたどり着いた。扉を開けると、そこには懐かしい顔ぶれが待っていた。
まず目に入ったのは、大柄な体格の男・轟(とどろき)タケル。高校時代は喧嘩の際の切り札として恐れられた存在だが、今は地元で葬儀社を営んでいる。その隣で腕を組んでいるのは、不動産会社を経営する風間カズマ。そして少し離れた場所で、携帯電話を操作しているのは、システムエンジニアの桐生ユウだ。
「おっせーよ、姫様」
タケルが冗談めかして言う。その言葉に皆が笑みを浮かべる。「姫様」――それは高校時代、アサギの異名だった。容姿端麗で成績優秀、しかも喧嘩も強かった彼女は、男女問わず多くの不良たちの憧れの的だった。
「久しぶりね、みんな。でも、こんな形で再会することになるとは思わなかったわ」
アサギは一同を見渡しながら言う。その表情は厳しく、今や彼女が一介の不良娘ではなく、介護施設チェーン「しもつき」の経営者であることを物語っていた。
「まあ、こうなることは予想してたけどな」
カズマが言う。彼は高校時代から頭の回転が速く、抜け目のない性格だった。今でもその特徴は変わっていない。
「ブラッディ・イーグル社の狙いは明確よ。私たちの施設を潰して、土地を買い叩こうとしている」
アサギは説明を始める。ブラッディ・イーグル社――新興の不動産開発会社だ。最近、この地方都市で精力的に土地を買収し、大規模な再開発を進めている企業。その手法は強引で、時には違法すれすれのものもあると噂されていた。
「奴ら、最初は普通に買収を持ちかけてきたのよ。断ったら、今度は融資先の銀行に圧力をかけ始めた。そして昨日、ついに……」
アサギの言葉が途切れる。昨日、彼女の介護施設に対して、明らかに仕組まれた虐待の告発があった。それを理由に、行政から営業停止の仮処分が下される可能性が出てきたのだ。
「つまり、今夜中に証拠を見つけ出して、奴らの嘘を暴かないと、アサギの施設が終わるってことだな」
タケルが状況を整理する。
「ああ。でも、相手の本拠地に忍び込むなんて無理に決まってる。だから……」
「ここに集まったってわけか」
ユウが携帯から顔を上げて言う。彼は高校時代、不良グループの中で唯一パソコンを使いこなせる存在として重宝されていた。
「ああ。この工場には、奴らの本社に通じる地下通路があるはずよ」
アサギの言葉に、全員が驚きの表情を見せる。
「かつて、この工場と奴らが今使ってる建物は、同じ企業のものだった。物流のために地下通路で繋がっていたの。その通路は、今でも残ってるはず」
「それを向こうが気付いていないってわけ?」
ミチルが不安そうに言う。
「ええ、もちろん。だからこそ、あえてそこを使うの」
アサギの目が鋭く光る。
「奴らは私たちのことを、ただの田舎者だと思ってる。高い教育も受けてない、世間知らずの連中だってバカにしてる。だから、こんな昔の通路のことなんて、知るはずがないって思ってるはず」
その瞬間、遠くで物音が聞こえた。全員が一瞬で緊張する。
「来たみたいね」
アサギが言う。予想通り、ブラッディ・イーグル社の私設保安部隊が動き始めたようだ。
「みんな、昔を思い出して。あの頃と同じように、私についてきて」
アサギの言葉に、全員が頷く。二十年以上前、彼らは共に戦い、共に笑い、そして共に成長した。今、再びその絆が試される時が来たのだ。
「作戦開始!」
アサギの号令とともに、五人は暗闇の中へと消えていった。今夜、この廃工場で、彼らの新たな戦いが始まろうとしていた。
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