1ミリも意味がわからない話

一石月下

アイス温めますか?

「ありがとうございます。お会計、1370円になります」

「クレジットで」

 家の近所にあるコンビニで、適当に買い物をしていた。酒のつまみとか、スナック菓子とか、カップラーメンとか。

 それから、アイスを一つ。


「クレジットですね。こちらの端末にタッチか差し込みをお願いします」

「はい」

「袋はどうされますか?」

「あ、お願いします」


 俺はICチップの付いたクレジットカードを端末にかざした。ピッと音がして、会計が終了する。


 20代後半くらいのさわやかな男性店員は手際よくレジ袋を取り出し、商品を袋の中に詰めていたが——ふと、その手が止まった。


「アイス、温めますか?」


 ……ん?

 店員の言葉に、俺は耳を疑った。

 聞き間違いだろうか、と一瞬思った。

 だが店員の表情は変わらない。いたって穏やかな表情で、彼はもう一度言った。


「アイス、温めますか?」


 ぼんやりと聞きながら、俺は端的に思った。

 ――何言ってんだこいつ。


「……いや、大丈夫です。そのままで」


 普通、アイスは温めない。

 溶けたらアイスの意味がなくなるだろ。


 あ、もしかしてこの店員、働きすぎて疲れてるのか?

 だったら仕方ない。お互いなんとかこの狂った現代社会を生き残ろうぜ。

 増税も物価高も知らねえ、俺たちは波乗りジョニーだ。真夏のサーフィンみたいに乗りこなしてやろうじゃねえか。

 ロックなリズムに身を任せていたとき。


「かしこまりました。ではそのままで」


 店員はアイスを端末の上にかざした。ピッと音が鳴り、店員の後ろにある電子レンジの扉がガシャンと開いた。


「え?」


 これにはさすがに、目を疑った。

 頭の中のロックは鳴りやんだ。

 もう一度目の前の光景に集中する。

 なんだ今のは。まるで、アイスと端末と電子レンジが連動しているみたいだったが。


「アイスを温めなかったので、レンジが開きました」


 なにもなかったかのように、店員は言った。


「レンジは開きましたが、クレジットカードにはICチップが付いているので、アイスを食べることができます。クレジットカードはスプーン代わりになります」


 …………。

 俺は言葉を完全に失った。


「しかしスプーン代わりに使用したクレジットカードは破損します。破損した箇所から電子レンジが発生する場合がございますので、どうぞご注意ください」


 俺は黙った。

 そして考えた。

 これはなんだ。

 どういう状況だ。

 もしかしてこいつ狂ったのか。やっぱ働きすぎだったか。

 いや、それとも世界が狂ったのか。

 量子のもつれがなんだとか、パラレルワールドとか、そういうやつってよく聞くよな。こう、世界の摂理が変化して、物事の味方が歪になるみたいなやつ。

 もしかしたら、俺が時代の波にサーフィンしようとしたのが悪かったのかのかもしれない。

 だったらどうする。どうしたらいい。


 しばらく考え、答えを得た。

 俺の答えは――こうだった。


「俺はレジ袋の方がいいと思う」

「え?」


 店員は不思議そうな顔をした。


「アイスを食べるのにはレジ袋の方が向いている。レジ袋はいろんな形になるからだ。空気を入れてバルーン状にしてもいいし、火で温めて固めてもいい。温めて変形させたら、それこそスプーンが作れるかもしれない。ならその方がいいだろ。燃やしたプラスチックを口に入れるってのは、ちょっと体に悪そうだけどな」


 何を言っているのか、そんなことは知らない。だが言葉を紡ぐたび、これでいいという自信が湧いてきた。

 俺は社会人五年目。ようやく常識が身についてきた頃だ。上司と飲みに行ったときの席順だって、乾杯の仕方だってよくわかっている。

 最近は家のエアコンのフィルターだって掃除した。フィルターの上で焼いた目玉焼きはゴムみたいな噛み応えで、とてもおいしかった。もうエアコン掃除はお手のものだ。

 バイクだって買った。タイヤが少しでかいので、自転車の車輪を取って付け替えた。サイズは全然合わなかったので全く動かないが、両手で引きずればなんとか移動はできる。これでヒッチハイカーも夢じゃない。

 そう、今の俺はのびしろしかないんだ。

 だから俺の言っていることは正しい。


「それは、スプーンが最善であるという前提の話では?」


 店員はすぐさま言い返してきた。

 これには俺も少し怯んだ。


「どういうことだ?」

「アイスを食べるのに、果たしてスプーンは最善でしょうか。クレジットカードの方がいいという見方もできるかと思いますが」


 俺は再び黙った。

 ……そうか。その視点はなかった。

 よくよく考えれば、確かにアイスを食べるのにスプーンである必要はない。むしろクレジットカードなら、ICチップが付いている分、慎重にならざるを得ない。ICチップが汚れて使い物にならなくなったら困るからだ。

 それにICチップは多分、アイスに突っ込めばキンキンに冷えるだろう。それは結構、居酒屋の生ビールみたいでおいしそうだ。

 結果的に、俺は店員に同意することにした。


「じゃあクレジットで」

「かしこまりました。では端末にかざしてください」


 もう一度クレジットカードを端末にかざすと、電子レンジの扉がガシャン! と閉まった。

 俺の手のひらのうえには、どろどろに溶けたアイスがあった。

 やった。これでアイスを買うことができた。家に帰ってスプーンを壊そう。


「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」


 店員の親切な態度に、微笑みを返した。

 俺はアイスの温かみを手のひらで感じながら、笑顔で家へと帰った。

 キンキンに冷えたクレジットカードと、どろっとしたアイスの温かさ。それらはまるで電池のプラスとマイナスのように引き合い、俺の心に温かなLEDを灯した。


 ああ……とても満ち足りた気分だ。

 明日もまた、あのコンビニに行くとしよう。

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