蛇の爪先(つまさき)

土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)

プロレスのお話から

 2024年の12月27日、温泉旅館の朝。


「悪役レスラーのタイガー・ジェット・シンってもう80歳だって。でもシンって本当にいい人なのね。慈善活動の成果の報告と年末の挨拶をわざわざ日本のプロレス雑誌に写真付きで投稿してるわ」


 インターネットでニュースを見ていたチカがしみじみと言う。


 チカは元女子プロレスラーだ。サブロウのところでマンガ家のアシスタントをする前は弱小団体でリングに上がり虎の仮面をつけてリングに上がっていた。それほど大柄ではないが、メキシコ仕込みの飛び技、関節技に加えて多彩な蹴り技で活躍していた。ある日の負傷でMRI検査をした際に脳に未破裂の動脈瘤がみつかり、無事に治療処置はできたのだが、それをきっかけにプロレスを引退した。それでもプロレス愛はかわらないので、プロレス関係の情報はいまだに追いかけている。 


「悪役レスラーって、本人は律儀な人が多いさかいな。"狂える虎"タイガー・ジェット・シンはいろんな意味でレジェンドや。プロレスと東日本大震災における日本の被災児童への支援の慈善活動とで今年は旭日双光章きょくじつ そうこうしょうまでもろうとるさかい、ホンマもんやで」


 そう語るカズマもプロレス大好きで、実はごく短期間だが選手の経験がある。元々関西の試合を中心にさまざまな格闘団体の試合には出ていたし、チカの団体のプロレスを観戦もしていた。チカが当時所属していたプロレス団体の選手が離脱して興行がピンチになった際に、チカにガタイの大きさを見込まれてスカウトされ、助っ人として馬のラバーマスクをかぶり「Mr.バトウ」を名乗ってリングに上がってその力強いファイトで離脱選手の穴を埋めた。それがチカとカズマの二人の交際のきっかけでもあった。


「たしかに悪役レスラーって、リングの外では真面目な人が多いね。そう言えばサブロウ先生も悪役マネジャーやってたね(笑)」


 チカやカズマの雇用主であるマンガ家一色サブロウも、カズマがスカウトされた際に「おれにもやらせろ! それが条件だ!」とノリノリで参戦した。なにを考えたか競馬の騎手のコスプレで「KY騎馬大将イッシキ」と名乗り、カズマが扮する「Mr.バトウ」の悪役マネージャーを演じた。ムチ(どう見ても競馬ではなくSMで使うものだったが)を振り回したり、毒霧を吹いたり、大きな水鉄砲で怪しい色付きの液体を噴出したり、メントスコーラをぶっかけたり、大きな風船を背後で破裂させたり、と言った姑息な攻撃で相手の邪魔をしては、ボディスラム一発であっさり退治されていた。


「サブロウ先生センセはある意味、例外やな(笑)! ほんでヨシノさんも、おもろい覆面レスラーやったな」


 サブロウの恋人でアシスタントであるヨシノも同時期に、助っ人としてチカの団体に参戦していた。目のところを大きくあけたモコモコしたモモンガのマスクをかぶった。リングネームは「アスラ・モモンガール」、通称・阿修羅モモンガだ。187㎝の長身とカポエラで培ったアクロバットで空中戦もこなせる身体能力で、登場当初は「女子最強か?」とも言われたが、マットに転がされるとなにもできないことがあっという間にバレた。小柄な前座の選手にも寝技でコロコロと負けて「立てば最強。寝たらザコ」と言われていた。


「そうそう、ヨシノさんもあの落差が面白かった。懐かしいわね。あの頃」


「せやな。何年まえになるんやろ。もうじき、2025年やもんな。あっちゅう間や」


「来年はヘビ年だよね?」


「せやで。ヘビっちゅうたら、さっきのタイガー・ジェット・シンの決め技『コブラクロー』って無茶苦茶やと思わへんか?」


「たしかに。正面からの片手での頸動脈つかみといいつつも、実態はただの首めで、反則の窒息チョーク攻撃だからね」


「ちゃうちゃう。そこやのうて技のネーミングや。『鉄の爪アイアンクロー』の一種やからって、コブラにクローってなんやねん。コブラにあんのは毒ときばやで。コブラにツメなんかあるかいな」


「なにそれ、考えたことなかったわ。たしかにコブラもヘビだから、ツメどころか手足ないもんね」


「せやろ、せやろ?」


「ちょっと待ったー! 話は聞かせてもらった!」


「ただいまー! ああ冷たい!」


 サブロウとヨシノが体中雪まみれで戻ってきた。


「うわっ、ふたりとも雪だらけじゃない! なにやってたのよ」


「へへへー。雪だるまを作った後で、サブロウ先生と雪合戦をやってましたぁ」


「こいつガチなんだ。この身長でいいフォームで投げおろしてくるし、コントロールもいいから顔面に当たると痛いのなんの。いや、そんなことよりさっきの話だ。コブラにはたしかにツメはないし、ヘビにはそもそも手足はないけど、ツメが生えているヘビならいるぞ」


「「「ええ?」」」


 サブロウの発言に皆が驚く。


「いや、手足がなくてツメなんてどこに生えるのよ!」


「センセ、ツメやで。キバやトゲとちゃうで!」


「それくらい、わかってる! ブラジルにも雪が降る地域があるように、ヘビだってツメがあるのもいるんだ」


「へえ、ブラジルにも雪が降るんだ」


「そうなんです。ヤシの葉っぱに雪が積もったこともあります」


「ホンマか! いや、それも驚きやけど、いまはヘビのツメの話や。センセ、ヘビのツメって具体的にはどんなん?」


「ニシキヘビのたぐいには総排泄口と言って肛門も尿道口も性器も一緒になっているトコロだが、そこの近くに蹴爪けづめというツメが生えている」


「要はお尻のところね」


「なんでお尻に爪が生えているんですか?」


「退化していった足の名残なごりだそうだ。ツメの先にはちゃんと指の名なごりの骨もあるらしいぞ。だから、トゲじゃなくて間違いなくツメなんだ」


「足が退化して文字通り『爪先つまさき』だけが残ってるんやなあ」


「というわけで、ニシキヘビは英語でPythonパイソンだから、『コブラクロー』はありえなくても『パイソンクロ―』ならば成立する」


「「なるほど」」


「でもサブロウ先生! ニシキヘビのツメってお尻のトコロなんですよね。じゃあ、『パイソンクロ―』ってどんな技になるんですか?」


「そりゃ、お尻で相手の顔面をはさみつけて窒息させる技になるんじゃないか?」


「サブロウ先生! 下品過ぎます!」


 ヨシノが顔を真っ赤にして言う。


「センセ、そりゃアカンて!」


「そうね、絵面が完全にアウトね」


 カズマとチカもあきれて言う。


「そうかあ? コミカルな試合をする、あの人たちなら使いこなせるはずだぞ、ほら……」


 温泉旅館で四人のプロレス談義は続く。






おしまい

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蛇の爪先(つまさき) 土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり) @TokiYorinori

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