第8話 Crazy Little Thing Called Love

 「で」

憲悟けんごは訊く。

 「お前さんは、どうするんだい?」

 春菜はるなは、その問いに、

弥生やよいだい高校を受けますけど」

と答え、にっこりと、すまして笑った。

 「なんと、ま」

 この近くでは、都立の名門、少なくとも伝統校だ。

 そして、それが、憲悟の訊きたかったことへの答えにもなっている。

 そのつもりだろう。

 「つまり、千愛ちあいとおんなじ道には進まない、ってことか」

 「そんなの、無理ですよ」

 春菜は答えた。

 「そうか」

 憲悟は、それだけ言う。

 春菜は、サイダーを吸ってしまうと、口をすぼめたまま、うん、と笑って見せた。

 「では、ごちそうさまでした。わたしはこれで」

と立ち上がる。

 「お。外は寒いから、ここで着て行ってくれ」

と言うと、春菜は隣の席に置いていたコートとマフラーを手際よく身につけた。

 「入れ物は置いておいてください。母に言われたら取りに来ますし、もし母の気が変われば自分で取りに来るかも知れませんから」

と言い、お辞儀をして、春菜は店を出て階段を上がって行った。

 残された憲悟は、独り言で、繰り返した。

 「おんなじ道には進まない、か」

 音楽家になるつもりはない。

 男にたぶらかされて狂わされるばかりの人生を送ることもしない。

 横手よこて春菜が、その両方をわかって「そんなの、無理」と言ったのは、憲悟にはよくわかる。

 利発な子だ。

 だが、と思う。

 人が人を好きになる、っていうやつは、それでも、クレイジーなんだ。

 春菜ちゃんがどんなにしっかりした女の子だとしても、やっぱり、耐えられるかどうか。

 そのクレイジーな相手が襲いかかって来たときに。

 千愛のときには、憲悟は守ってやることができなかった。

 だったら。

 老いたりとは言え、この坂村さかむら憲悟、今度は春菜ちゃんを守り切ってやろうじゃないか。

 そのクレイジーなやつから。

 憲悟は、不敵な笑いを浮かべると、一月一日の日射しの間接照明だけで照らされた店で、ピアノのふたを開いた。

 また、年越しのすぐ後に弾いたあの曲を弾き始める。

 Crazyクレイジー・ Littleリトル・ Thingシング・ Calledコールド・ Loveラヴ

 今度は、だれにもじゃまされず、ゆっくりと。

 しっとりと。


 (終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋という名のクレイジーなやつ 清瀬 六朗 @r_kiyose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画