マニキュア
青切 吉利
マニキュア
美術部のぼくは手先が器用だった。だから、毎回、隣に住む幼馴染のケイちゃんのマニキュアを、不器用な彼女に代わり、ぼくが塗っていた。
夏が近づくころ、いつものようにケイちゃんが突然部屋にやって来て、マニキュアを塗ってとお願いしてきた。
ぼくは別に嫌がることもなく、素直に部屋の中から道具箱を取り出して、準備をはじめた。
ケイちゃんはその間、ぼくの椅子に坐りながら、スマホをながめていた。
「今回はどうなさいますか。お客さま?」とぼくが冗談めいた口調でたずねたところ、ケイちゃんがにこりともせず、「青系がいいわ。グラデーションをかけて」と言ってきたので、「グラデーション? めんどうくさいな」とぼくは答えた。
すると、ケイちゃんが抑揚なく、「だって、海に行くんだもの」と応じた。
ぼくは「海?」と言ったのち、無言のまま、ケイちゃんの手の爪に除光液をぬった。
それから、ぼくは、ケイちゃんの靴下を脱がせた。すると、整った爪先が現れた。ほかの女性の素足なんて見たことはないけれど、こんなにきれいな楕円形の爪の持ち主はあんまりいないんじゃないかな。
ぼくがそんなことを考えていると、ケイちゃんが「どうしたの?」と声をかけてきたので、ぼくは「何でもない」と、彼女のスキニーパンツの裾をまくってから、足の爪にも除光液を塗った。
それから、ぼくは作業を進めながら、恐るおそるたずねた。「海はだれと行くの?」と。
するとケイちゃんは「だれでしょう。当ててみてよ」と笑った。
ぼくは知っているケイちゃんの女友達のなまえを挙げて行ったが、正解は出なかった。
「正解は、きみの知らない男の子です。サッカー部のね……」
ケイちゃんが男の子の細かい情報をぼくに伝えてきたが、うまく頭に入ってこなかった。
ぼくは頭を下げて、ケイちゃんの足の爪を磨きながらぼそりとたずねた。
「……付き合ってるの?」
そう、ぼくが言うと、ケイちゃんが抑揚なく、「告白はされたけど、保留中。海に行ったあとに返事をする約束」と答えた。
ぼくが「そうなんだ」と言った切り、部屋には、ぼくが、ケイちゃんの爪を磨く音だけが響いた。
足の爪を整え終えたので、ぼくは頭を上げて、ケイちゃんの手の爪に、ベースコートを塗りはじめた。
そのとき、ちらりとケイちゃんと視線があった。ケイちゃんが冷めた目で言った。
「きみはそれでいいの?」
ぼくは答えた。「……それは、ケイちゃんの決めることだから」
「その割には、気にしているようだけれど」とケイちゃん。
ぼくは彼女の言葉に返事をせず、ケイちゃんの足の爪にベースコートを塗るため、姿勢を変えた。
手の爪にマニキュアを塗っていると、すこし呆れた声でケイちゃんが口を開いた。
「わたしがだれかのものになってもいいのね?」
どうしても勇気の出なかったぼくは、「それはケイちゃんの決めることだよ」と繰り返した。
手のマニキュアが塗り終わると、ケイちゃんは、服にマニキュアがつかないようにしながら、自分の胸を掌で持ち上げて、「このおっぱいも触られちゃうかもしれないんだよ。きみ以外の男に」と言った。
「そんなこと、言わないでよ」と言いながら、ぼくは下を向いて、ケイちゃんの足に左手を添えて、親指からマニキュアを塗りはじめた。
「どうして、そんなことを言っちゃだめなの?」とケイちゃんが煽ってきた。
ほかにしようがなかったので、ぼくは無言でマニキュアを塗り続けた。ケイちゃんから言ってくれればいいのにと思いながら。
「そんなに顔をあかくしなくてもいいのに。あれ、もしかして泣いてない?」
ケイちゃんが顔をのぞきこんできた。ぼくはマニキュアを塗る手を止めずに、「泣いてないよ」と答えた。
ぼくが、もうケイちゃんの言うことは無視して、さっさと作業を終わらせようと、彼女の小指の丸い爪にマニキュアを塗りかけたとき、ケイちゃんが言った。
「きみ、わたしの足の指好きだよね。これも他人のものになっちゃうけど、いいのかな?」
ケイちゃんを見上げると、今まで見たことのない、妖しげな微笑を浮かべた彼女が、ぼくの髪の毛を撫でながらたずねてきた。一歳、年がちがうだけなのに、きょうの彼女はとくにおとなびていた。
「サッカー部の子と、海に行っていいの?」
ぼくは首を振りながら言った。「行かないで」と。
すると、ケイちゃんが、首を横に傾けながら、次の問いかけをしてきた。
「なんで、行って欲しくないの?」
「ケイちゃんが、……好きだから」
「だれが?」
「……ぼくが」
そのようにぼくが言うと、ケイちゃんは満足そうに笑った。つづいて、「わたしも好きよ」と言ってから、ぼくに口づけをしてきた。そして、言った。
「マニキュアが乾いたらエッチしようね。それに飽きたら、海にも行きましょうか。せっかく、きみが、海に合う色に塗ってくれたんだもの」
マニキュア 青切 吉利 @aogiri
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