黄泉の国から還ってきた男

風馬

第1話

静かで冷ややかな朝。

「RRRRR!」

目覚まし時計の音にびっくりして目が覚めた。

今朝は、何だか曇り空のような気持ちで目が覚めた。胸の奥に重たいものがひっかかっている感じだ。

私は毎朝と変わらず、弁当の支度にかかった。手慣れた作業で、無意識に包丁を動かし、材料を切り分けていく。だが、今日は少し違う。

今朝の朝食は、あまり食欲が湧かなかった。手にした新聞をただ流し読みしながら、少しぼんやりとしていた。


仕事がうまくいかない。以前は、熱心に取り組んでいたが、今ではどこか無気力に感じる。上司からの圧力、同僚との微妙な距離感、そして何より、自分がどこに向かっているのか分からないという不安。これまで築き上げたキャリアが、一瞬で崩れてしまうんじゃないかという恐怖が、心の奥で膨らんでいる。

私の人生、少なくとも今年は辛い年になるだろう。いや、もしかしたら、もっと長い間、何もかもがうまくいかないのかもしれない。そんな漠然とした不安が胸を締め付ける。


ふと、冷たいコーヒーを啜ると、考えが頭の中で乱れ始めた。

借金、ローン、家族に対する責任……。思えば、両親はいつも私に期待していた。でも、私にはその期待に応える力がない。

母の顔が浮かぶ。私が死んだら、母はどう思うだろう。彼女はいつも私に優しく、でも、どこかで期待をかけているように感じる。弟もそうだろう。きっと、私が死んだら悲しむに違いない。

その時、また考えが押し寄せる。「じゃあ、やめる?」と自問する。だが、もう後戻りはできないと思う自分がいる。


駅に向かう途中、ふと思った。「今日で、この駅に来るのも最後かもしれない。」

電車の中で、私は自殺を決意したわけではなかったが、その考えは次第に強くなり、現実から逃げる方法として頭を占めるようになった。駅のホームで、競馬新聞を目にした。普段は平日に競馬をしないが、その日は何故か目に入った。


その瞬間、何かがひらめいた。「競馬場だ。中山競馬場なら、死ぬには良い場所かもしれない。」

私はすぐにその決断を下し、競馬場に向かうことにした。


競馬場に向かう電車の中で、気持ちは不安と興奮が入り混じっていた。黄色い靄のような視界の中で、死の決断が間近に迫っているように感じる。だが、そんな時、ふと過去のことが頭をよぎった。父の死を思い出す。

父は、肝癌で苦しみながら亡くなった。あの時、私の心はすでに半分死んでいたような気がする。それから何年経っても、その痛みは癒えることがなかった。


中山競馬場に着いた時、私は迷いながらもトイレに向かい、そこで遺書を綴り始めた。

「遺作」として、何かを残したいという衝動が私を突き動かした。そしてそのまま、ハンドヘルドPCに向かって記し続けた。競馬場の中、周囲は賑やかな声で溢れているが、私はそれとは無縁の世界にいるような気分だった。


ふと、遺書を打ちながら感じた。もし、私が死んだ後、誰かがこれを読んだら、どんな気持ちになるだろうか。

そう思った瞬間、急に気分が変わった。死に対する恐怖が、少しずつ解けていくのを感じた。


その時、目の前に一つの考えが現れた。「もし、私が本当に死んだら、残される人たちがどう思うだろう?」

母や弟の顔が浮かぶ。彼らの悲しむ顔が目に浮かび、私の心に何かが引っかかる。死んだとしても、それが解決にならないことを、少しずつ実感していく。


そして、気づくと私は最終レースが始まる前に立ち上がっていた。

「やめろ。」

その声が、私の心に響いた。自分の中から、強く叫ぶような感覚が湧き上がった。


「自殺なんてしても、何も解決しない。」

その瞬間、心が軽くなった。私は、遺書を保存し、再びPCの画面に向かい直した。今度は、新たなタイトルを思いついた。「黄泉の国から還ってきた男」と。


そうだ、私は生きるんだ。

そして、この物語は、私がこれから生きていくための証として残すことにした。死に対する思いから生きる力に変わった瞬間、私は何かを取り戻した気がした。


私の命は、まだ終わっていない。

そして、この物語も、未だ終わることはない。


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黄泉の国から還ってきた男 風馬 @pervect0731

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