0-3…
響く笛の音。
甲高くとも濁った旋律が清廉さを突き放し、悲鳴を模した悪趣味な芸術だと表現するなら納得できるほど。
太鼓の振動。
愉快で豪快な雰囲気は鳴りを潜め、悪夢の恐怖を彩り緊張感を与えるような音が肌を叩き脳を揺らす。
奇怪にして不愉快。
口にするにも躊躇われる罵詈雑言をもって称えられるべき負の方向に振りきった音楽が、絶えず空間を占領して止まない。
演者達もまた奇妙極まる格好をしている。
顔の全面を覆う黒い布、に見える何かが貼り付き、その輪郭さえ朧げだ。
男性であるか、女性であるか。
はたまた幼児か、大人か。
背丈や体格にも違いは見受けられず、皆一様に同じ衣服を纏うことで個々を判別する要素の全てが失われていた。
そんな彼等が、踊っている。
酷く不気味で不自然な、しかし規則正しいリズムで踊り続けている。
声も出さず、青年の四方を囲む形で、さながら歓迎の意を示すように。
しかし、当の青年は別の感想を持ったらしい。
「単調でつまらない音楽だ」
音楽を愛するものにとっては最大限の侮辱だろう言葉を吐き捨てて、なお彼等は踊り奏でることをやめなかった。
どころか、言語そのものを認識していないかと錯覚するほどに行動は何も変わらない。
一切の乱れもなく、淡々と。
同じ過程を繰り返す。
優れた人間だと表すには、あまりに完璧で。
壊れた機械だと表すには、あまりに精密で。
彼等に適した表現を探すなら、あまりに出来が良い人形、だろうか。
それ故に、青年の言葉へ同意する反応が返ってきたのは必然と言えたかもしれない。
『だろうな。もう彼等は擦りきれてしまった。抜け殻か、亡者か。表現は自由さ』
“コツリ”コツリ”
異様に反響する鮮明な足音を伴って現れた、偉丈夫とでも呼びたくなる長身の男。
青年の身長が170cm前後であることを思えば、その男は確実に2mを超えているだろう。
民族衣装じみた白い衣服には複雑な意匠が施されているが、生地そのものが薄いのか、その向こうで褐色の肌を覗かせる。
膨れた身体は脂肪と無縁。
その身を覆う筋肉の鎧が機能美を体現していた。
しかし威圧的な印象は与えず、奇跡的なバランスで見る者をひたすらに圧倒させる。
背中でまとめた金の髪が揺れ、黄金の絨毯とも称された稲穂を連想するだろう。
どれだけ綺麗に染めても演出できない自然な色がとても美しい。
何より、褐色の肌と白い服、長い金髪はそれぞれの長所を主張しながらも邪魔せず、博物館に飾られた名画の如き調和を魅せた。
けれど、不思議なことに。
これほど特徴的な人物が踊る彼等の合間を抜けてくるまで、青年はその存在を欠片とて認識していなかった。
彼等より余程高い身長も。
彼等とは明確に違う格好も。
随分と目立つ要素だ。
しかし、記憶の中に彼はいない。
だが問答を行うにも躊躇われる理由があった。
嘲笑と落胆。
先の発言に込められた感情の様相。
大多数の人間が思い描く理想的な容姿から放たれた重圧が、意味を強める。
音楽に魂を捧げた青年だ。
萎縮はしない。魅了もされない。
それでも、第一声に迷う程度に心が震えた。
『今から3つ質問に答えよう。あぁ、何も言わなくていい。私が予測し、私が話す。黙って聞いてくれ』
2度目の発声。
そこでようやく違和感を覚えた。
男の口元は微笑みを携えたまま動かず、青年の鼓膜に届いた音は一体何処からやってきたのか。
腹話術にしては高すぎる完成度に気味の悪さすら感じる。
ただ、そもそもが現在進行形で理解の及ばない体験だと言えばそこまでの話。
有無を言わせぬ態度と、対話を拒絶する姿勢。
わざわざ何かしら情報をくれると宣言した相手の機嫌を損ねてまで解消したい疑問ではない以上、気にするだけ無駄。
青年は黙り、男は語る。
『1つ、私は誰か。そうだな、神様ということにしておこう。そのほうがスムーズだ』
あえて、なのだろう。
それが暗に自分と違う存在だと示しながら、神を騙る男。
死後の世界で、出会う貴人。
端的に要素だけを抜き出せば辿り着いても何らおかしくない結論を、自ら崩す思惑は不明。
不明瞭な目的に沿って行われる独り語り。
そこから推測に推測を重ねても、やはり手元には黒塗の手札があるだけ。
青年にできるのは、理解した様を装って続きを求めるくらいだ。
『2つ、此処は何処か。死後の世界?それもまた正しい』
目を細め、瞳を横に流す男。
極めて些細な行動だが、青年の視線が向かう先を把握しているという前提が加わることで話は変わる。
それが気障ったらしく格好を付ける目的でないなら、此度の意図は大変に分かりやすかった。
かっちりと合わせていた両者の視線。
勿論偶然ではなく、意識下のもの。
その片方が動いた場合、当然もう片方も動く。
反射的に、鏡映しのように。
そうして青年の視界は誘導された。
あるいは促されたと表現するべきか。
気付いたのは、丁度その時。
今の今まで音楽や人物にばかり注目して、空間の様相など微塵も理解が及んでいなかった。
いや、本当は理解していたかもしれない。
しかし無意識下で直視する行為を避けていた可能性が十二分で。
つまり、気分は良くない。
そもそも、人間が認識できる範囲は狭いものだ。
五感しかり。細分化した、色しかり。
虹を見て、雨粒を認識できるだろうか。
できると答えた9割9分は事前に知識を得ている。
彼等は虹が全く別の原理で発生して、そこに雨粒などなくとも認識できると嘯くはずだ。
だからこそ、最初は暗闇だと思った。
一寸先も見通せない光景、ではなく。
どういう仕組みか踊る彼等の細部に至るまでくっきりと照らしてはいるが、不可思議な物事も自分が死した現実から目を背けない限り納得できる範疇。
おかしい。
そう感じたのは一瞬。
最初に青が見えた。
次に白が見えて。
更に赤が見えた。
果てに色が見えて。
無数の色が、色が……
空間を埋めつくしていた。
人間が認識できるものから、人間に認識できないものまで。
多種多様で雑多極まる色彩を重ねた末に。
暗闇、人間の視点では黒としか思えない空間が構築されていた。
「……」
息が苦しい。
胸が痛む。
手が震える。
足が折れそう。
目を、抉りたくなった。
1度自覚してしまえば、混沌を煮詰めた景色が延々と思考に負担を強いる。
そうして巡った思考が精神を蝕み、明確な異常として全身に表れていた。
死後の世界、なるほど、地獄の意味では良くできた言い回しだろう。
素晴らしいほどに酷く、赦し難いほどに醜い。
苛立ちすら覚えない純然たる憎悪が身を焦がすまで、残るピースは時間だけ。
けれど、そうはならなかった。
青年は目を閉じ、深く息を吸って、長く息を吐き出す。
それだけで冷静さを取り戻せはしないが、音楽に耳を傾ける程度の余裕ができた。
それが何より大きい。
『もう、いいか』
そこに疑問はなく、確信が、もしくは断定があった。
事実、青年から問題は取り除かれている。
煩わしかった音楽が、その心を安定させる楔の機能を担うとは誰が想像できただろう。
きっと男には想像できたんだろう。
どうにも作為的な配置と人為的な誘導。
もはや碌でもない本性を隠す気などないらしい。
「ようこそ、宮殿へ。招待状は返却不可だ」
ゆったりとした動作で両の腕を広げ、本当の意味で口を開く男。
招待状の作成者にして宮殿の案内役。
嘲笑と落胆を存在意義に匿うソレが、ありえざる歓喜を滲ませて歓待の合図を鳴らしたのだ。
その偉業を讃えるものは此処におらず、しかし決して意味が薄れることはない。
招待状を受け取った、というより拾った青年に与えられる報酬は、1つの権利。
「最後、これからどうなるか。コンティニュー、周回プレイ。いいや、最近なら転生でいいか」
男は常に貼り付けていた微笑を深めた。
「さて、何が欲しい?そうか、音楽の才能だな。くれてやる。ほら、もう行け」
「は?待っ」
男(神)に不手際はない。
男(神)に不都合はない。
男(神)に事情はなく、思惑もない。
男(私)は、ただ……
ただ気紛れに、原石が輝けるように、少しだけ手を加える。
傲慢かつ身勝手な存在は始めから対話など求めていない。
故に、形式上やっておくべきかと用意した場も面倒だからか彼方に放り捨て、青年を舞台へ送る。
言葉を遮られ、姿を消した青年は、最後の最後まで不満を募らせていた。
それはそうだろう。哀れ。
さて、主役が会場へ降り立った。
あとはパーティを始めるだけ。
けれど、その前に。
「彼がいるなら、お前達は要らないな」
不要なゴミは捨てれるときに捨てておくべき。
でないと溜まる一方だ。
男が指を“パチンッ”と鳴らせば、空間が捻じれて歪み、その場にあるものを悉く巻き込んでは崩れ落ちていく。
踊る彼等は抵抗もせず、消えゆく未来を淡々と受け入れた。
それでも踊り、踊り、踊り続ける。
その姿にある種の矜持が垣間見えたのは、きっと錯覚ではないのだろう。
「まあ、どうでもいいか」
やはり男は、笑っていた。
奏者は終末のラッパを鳴らさない 和菓子パフェ @hakuaisyugi
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