第2話 痛いの痛いの、飛んでいけー
――――⭐︎
梓弓に連れられやっとの思いで辿り着いたのは、佃煮屋さんの梓弓んち。
「いや遠く無いし、うち、神社の三軒となりだよ?」
「あら、いらっしゃい春霞ちゃん……、ん? 珍しく元気ないのね」
梓弓のお母さんが迎えてくれる。いつもニコニコしてて優しいひとだ。
――もう、思い残すことはない。店の奥、玄関で倒れ込むと、玄関マットに描かれたケモ耳戦隊ケモミンジャーが、わたしに諦めるなと笑いかけてくれている。――でも、
「もう無理……、わたし、このまま一生『青つま先の女』として語り継がれるのかな……」
「いやいや、誰も語り継いだりしないから」
梓弓の精一杯の励ましが心に染みる。たとえそれが、根拠のない慰めだとしても、やっぱ持つべきものは親友。思わず涙が溢れそうになった。
そんな時、アイツの声が聞こえた気がした。
「やはり、ここにいたか。入るぞ、七草梓弓」
――いや、こんな青つま先のわたしの姿、アイツに見られたくない。
それでも、あらわれた藤波は店に入り、一直線にわたしの前に立つと、白いボトルを静かに差し出した。
「これを使え。キミのために調合してきた」
「わたしの、ため?」
――そう……、これで、ひと思いに楽になれるのね。思い返せばコイツとは会うたび、言い合いばかりしてきたけど、その分気持ちがわかるのかな。
「あの状況下でのキミの動きを計算し、キミのつま先の状況を導き出した。――それがこの答えだ」
藤波はいつになく真剣な表情でわたしを見ている。梓弓に言わせると、いつも真面目くさった顔だと言うけれど、アイツの眉尻と目尻の間隔は通常28mm。それを基準にみれば、表情豊かなことが分かるわ。
「そうね、こんなつま先で生き恥を晒すぐらいなら、ひと思いに――」
わたしは藤波から白いボトルを受け取り、口へと運ぼうとした。しかし、彼の手がそれをさせなかった。
「――キミはバカか?」
藤波はわたしから取り上げた白いボトルを握り、目元をグッと抑える。そして――、
「わかった、オレがやる。渡瀬春霞、脱げ」
「え、えぇーー?! なに、なに?」
「あらあら、まぁまぁ、いまどきの子は積極的なのね……」
梓弓が驚き、梓弓のお母さんが戸惑うなか、藤波はピクリとも表情を変えずに返した。
「はい、こうでもしないと、彼女は過ちをおかしますので」
――何言ってんの? 言い返してやりたいけどダメ。こんなつま先じゃ、どんな言葉を投げかけても相手に届く前に闇に飲み込まれてしまうわ。そう考えると、抵抗する気力すら無くなっていった。
「ほら、いいから脱げ」
――あぁ、わたしは、もう他人に良いように扱われるだけの存在。拒否権なんてないのよ。
ぷるぷると産まれたての子鹿みたいに震えながら、思い切って靴下を脱ぎ、つま先を差し出した。
すると、藤波のメガネ越しの瞳が驚きに見開かれる。
「こ、これはっ?!」
藤波はわたしの足を掴み、顔をぐっと近づけてきた。あと少しで……ちゅーされちゃいそう。
――青いつま先を抜きにしても、こんなふうにじーっと見られると……どうしたらいいのか、正直困る。わたしのため……か。
真剣な眼差し。ふーん、メガネの奥……結構まつ毛、長いんだ。
彼の顔を見ていると、胸がドクンと跳ねた。聞き慣れない鼓動が耳の奥で響き、体の隅々にまでじんわりと広がっていく。
まるで、体の中で何かが変わり始めたみたいに――。
……なんだろ、これ……?
自分の中の違和感に気がつくと、胸の奥がキュッと締め付けられ、息が詰まるような感覚に身動きが取れない。全身を駆け抜ける、なんだかくすぐったい胸騒ぎ――こんな気持ち、初めてだ。
自分の心が自分のものじゃないみたいで、思考が追いつかない。アイツがメガネをクイッて押し上げたときに受けた、あの感覚とは違う。――心地、いいのかな? このあったかさ、一体なんだろう?
「春霞ぁーー、聞いてる? あとさ、藤波くんも動きが止まってるよーー」
「あらあら、まぁまぁ」
――あ、梓弓と梓弓のお母さんだ。ちょっとぼーっとしてた。えっと、なんだっけ? まだ思考が追いつかない。
「……いや、すまない。あまりにも美し過ぎて見惚れてしまっていた」
藤波は手にしていた白いボトルの蓋を開け、綿棒を使って、わたしの青いつま先にボトルの中身の液体をポンポンと優しく載せていく。
――すると、つま先の青さが徐々に薄れ、周りの肌色に馴染んでいった。
その間、コイツは「この爪の横縦比は1:1.618、そして親指までの長さは……、あぁ、なんと――」などと呟きながら、まるでわたしのつま先を宝物みたいに見つめている。
彼の呟きを聞くたび変なヤツって思うだけだったはずなのに、なんだろう。この視線が、ちょっとだけ心地いい――。ちょっとゴツゴツしてる長い指は、優しくわたしのつま先を癒してくれていて。
つま先の青が薄れていくのに合わせて、わたしの心を覆っていた闇も少しずつ払われていくようだった。
藤波の手が作る『ポン、ポン』というリズムに合わせるように、わたしの気持ちもゆっくりと浮かび上がっていき、
「おぉーー! キタァァ!」
完全復活ぅーーっ! さよなら、青つま先のわたし。
「春霞、よかったねー。青じんでたところ、すっかり綺麗になってるよ」
「うん、うん、ありがと梓弓。梓弓が居なかったら、もう完全に折れてたよ」
「いやいや、折れてたよね、なーんて。でも、良かった、いつもの春霞だよー」
そう言う梓弓は、満面の笑みをわたしに見せてくれる。その顔を見るだけで、こころがあったかくなるよー。
「よし、これで良いだろう。キミの色だ」
わたしの足を丁寧に床に戻した藤波は白いボトルの蓋をきゅっと閉め、ひとつ頷く。
そんな、目の前にいる藤波に、わたしは心の中から自然に言葉が溢れてきた。素直に言えた。
「ありがと、藤波」
笑顔で――あ、嬉しくって、ちょっと涙が……。
そんなわたしを見て、藤波は一瞬、はっとしたような顔を見せた。わたしが今まで見たことのない表情だった。――お、やってやった。ざまあみろ。なんて、ちょーっと得意気に思ってしまうわたし。
だけど、何事もなかったかのように、アイツはいつもの言葉を投げかけてくる。
「キミは……バカか。ボクは研究の結果を確認しに来ただけだ」
そう言って、藤波はメガネをクイッと押し上げた。いつもの仕草のはずなのに、どこかぎこちなくて。わたしの計算と、藤波の動きに少しズレが生じていた。
――ホントなら、わたしが何か言い返すパターンなのに。
そんなことを考えながら、挨拶をして帰るアイツの横顔を眺めていると、心地のよいあたたかさと、胸が締め付けられるような切なさが同時に訪れた。
そして、気づいてしまう。
「……アイツ、わたしのこと、どう思ってるんだろう」
こんなふうに思うなんて、自分でも信じられなかった。これまでずーっと言い合いばかりしてきたのに――。
藤波の背中が遠ざかるたび、胸の中のドキドキはどんどん大きくなっていく。
……次は何を話そう? 普段のわたしで居られるのかな。うん、何を言われても、今度は負けないくらいの言葉を用意しておかないと――。
心の中で小さな決意を抱きながら、わたしは藤波の姿が見えなくなるまで見送った。
ふと見上げると、澄んだ青。太陽から送られるいろんな色が、空気とぶつかって一気に空に散りばめられるんだよね。
地上からは神社の鈴の音が、胸の中の高鳴りを連れて澄んだ青空へと送られる。どこかでぶつかり合って、混ざり合って、拡散されて――何事もなかったかのように散りばめられていく。
でもさ、こんな青空の下に立つたびに……またこの胸に帰ってくるのかな、この気持ち。
ちょっと胸がチクッとするんだけど……悪くないかも、なーんて。――アイツは、この空を見て何を思うんだろうかな。
「春霞ー、早く来てよ! お団子、買うんでしょ?」
梓弓の声にハッとして振り返ると、いつもの笑顔が見えた。
「今行くー! 首を洗って待ってろー」
「いや、首は洗わないから」
「あらあら、じゃあ、おいしい昆布茶、用意しとくわね」
わたしは小走りで駆け寄りながら、お団子の美味しさを頭の中に浮かばせた。胸の奥に残るこのドキドキは、――そっと抱えたままで。
つま先ブルーは恋のはじまり 矢口こんた @konta_ya
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