子供騙しではない。名作です☆
- ★★★ Excellent!!!
カクヨムでは兎角、SNS使いに対応した作品が有利である。利用者の殆どが求めているものが小説ではないからだ。
ここで利用者が求めているのは小説でも物語でも芸術でも文芸でもない。それらを理解するにはある程度の才覚が必要だが、才覚を持つ者はそう多くはない。僅かに居るとしても、本物に触れるにはエネルギーが要る。コンディションが悪ければ素養のある人ですらも読まない。
結果として、小説投稿サイトでは本物の小説は読まれない。利用者は、感覚的に小説投稿サイトを小説投稿サイトとは感じていない。SNSや掲示板サイトとの差別化(切り替え)ができない。だからSNSのお題やネタの延長線上にあるような〝なにか〟を求める。ここで勝つのはその手の作品である。
そこで仕方なく、web小説作家の殆どは、読まれる為に必死にSNS使いに対応した作風を模索する。文体をweb小説化(SNS使い)して、ストーリーを、キャラクターを、モチーフを、世界観を、テーマをweb小説化して、泣く泣く流行を取り入れたり、テンプレートを踏襲してでも戦う。
そして作品が出来上がる。
ランキング上位に並ぶのは、そういった戦いと創意工夫の結果である。
だが、それは本当に小説なのだろうか?
魂が籠っていれば関係ない?
自分が小説と思えば小説?
読まれさえすれば良い?
読まれさえすれば勝ち?
本当にそういうのが好きなんだ?
好きを形にした?
意見はそれぞれあるだろう。
でも、全ての書き手が密かに無意識に自問する。
本当に?
本当に、一作たりとも自分自身の「本物」と向き合わなくていいの?
そんな自問を嘲笑うかのように、たまに、流行ってやつを平気で蹴り飛ばして本物をぶっ込んでくる書き手がいる。読まれない? 流行に逆らっている? だから?
そう言わんばかりの軽やかさで、自分らしさで、世界観で、テーマで、味わいで唯一無二を突きつける。
それで良いのだと思う。
そういう作品がなければ小説投稿サイトとは言えない。例え本物の読者がいなかったとしても本物の作品はあるべきだし、本物の書き手はいるべきなのだ。
勿論、いつ何時も本物だけをゴリ押しすべきって話じゃない。webに特化した作品があってもいい。読まれることを最重要で追求したっていい。でも、一作ぐらい、いや二作ぐらい、いやいや三作品ぐらい……。
そうやって、自作の並びに本物を紛れ込ませることだって悪くないし、自由なのだ。
これは恐らく、様々な創意工夫を凝らして小説投稿サイトと向き合ってきた作家が、自作の本棚の並びにひっそりと忍び込ませた幾つかの本物の一つ。
そういう作品です。
「いやいや、本物の読者だっているぞ!」
もしもそんな風に腹を立てた人がいたならば、その人にこそ是非読んで欲しい。