septet 02 白い箱

palomino4th

白い箱

白く、陰影のニュアンスが拭い去られた眺めの中に、コントラストで強調された黒く炭のような見え方の木々の幹。

四曲一隻の屏風一面に水墨画の雪景色が広がる。

どこまでも純粋な白と黒の幻想的な光景は、しかし全身凍てつかせる寒さで今の彼には紛れもない現実だと知らしめる。

彼は自分の頭の中で復唱する。

『……1013、Bの1013。これが僕の番号。だが何の?』

彼は何かを掴みかけて、しかし積雪が隠した地形に足を取られないように注意を向けざるを得ない。

今は歩くのに集中しなくては。

彼は自分の前の背中に付き従い、付けられたばかりの足跡を踏みしめながら慎重に下りの道を降りていく。

道路から枝分かれし伸びたこの道は平時ならば小ぶりな車両はぎりぎり入れられたが、積雪で脱輪するだろうし、そもそもの車道までの啓開はここまで届いていない。

降雪は止んだが空は雲が覆い、地面には雪が広がっている。

都内だが西端で山に囲まれた地形の中のこの集落は孤立してしまった中で、予想を超える豪雪によって道路の寸断と停電に見舞われている。

近隣の住民のうち、先んじて自主的に避難所に退避した住民の確認は取れ、彼らは既に市民センターなどの施設に退避している。

今、彼らが向かっているのは独居の高齢者の自宅だった。


住人は沢田美鈴という老婆で、十年以上前に夫と死別してからはその家に一人生活していた。

肉親は娘が一人いたが結婚し現在は隣市に暮らしていたそうだが交流はあまり頻繁ではなかったようだ。

自治会の役員の話では数日前、豪雪予報ので始めた頃に「雪が降り始めたらもう身動きが取れなくなるので先に避難所に来るんだよ」と声がけはしていたが「大丈夫大丈夫」と笑っていた、その後降り始めても避難所に現れず、居宅に確認にいくにも自分たちも身動きが取れなくなった。

やがて地域そのもので停電が起こり、連絡のとりようが無くなった沢田家へ確認が必要になった。


彼ら自体は隣市の消防団で応援としてこの地区に入っているが、今、一団の先頭に立って歩いているのは、メンバーの一人・水野であり、彼は沢田美鈴の娘婿に当たっていた。

「降雪の始まる前日、一度訪れてました」水野は話していた。「嫁からの伝言も含めて今回の雪は大変になる可能性があるとは話していたのですが、笑って取り合わずそれでも食い下がると次第に起こり始めて意固地になってしまった。言い方次第で異種的に避難所にいってたのではないかと悔やんでいます」


『……1013、1013』

彼は呪文のように数字を唱えながら、先頭の水野の足跡をなぞって歩いた。

木々を抜けて開けた場所に目指していた民家が現れた。

敷地も家屋も全て雪に覆われている。

「大体玄関までの道筋は足跡を辿れば大丈夫です。途中、敷石などは滑りやすいので気をつけてください」

水野は皆に声をかけると民家の玄関に向かった。

屋内に灯りが見えない。

「義母さん、義母さん。いますか?僕です」

玄関の引き戸のガラスを叩きながら水野が中に呼びかけていたが返事がない。

「……では開けます」水野は嫁から預かった鍵を取り出して玄関を解錠した。

屋内に入ると土間には靴が揃えて置かれている。

彼らはそれぞれ雪を払いながらブーツに使い捨てのビニールを被せて家の中に上がった。

返事がない事で、既に悪い予想が浮かんでいた。

水野が声がけしながら先に立ち、家主の姿を探しそれぞれの部屋を開けたが姿は見当たらない。

浴室、トイレも無人のままだ。

彼は炬燵のある居間に入った。

念のために炬燵布団をめくり中を改めたが無論、無人だった。

家電類が停電まで使われていたのかどうか、まだ復旧していない今の時点では見た目では分からない。

同じ部屋の中に灯油ストーブが置かれている。

換気をしつつ、電気がとぎれている間はこちらを使っていたようだ。

タイマー式で時間が来れば火が消える仕様だ。

上には薬缶が乗せてある。

彼はじっと見ている。炬燵テーブルの上に菓子盆があり、蜜柑が乗せてある、そして急須と湯呑みが置いてある。

彼はじっと湯飲みの口を見つめる。

彼は片方の手袋を外し掌で湯飲みを握った。

「……暖かい」

呟いてから声を上げた。

水野が顔を出した。

「湯飲みがまだ暖かいんだ。かすかに湯気が出ていた」

「さっきまで部屋にいたのか」

皆が再び家中を探したが、やはりどこにも沢田美鈴の姿は無かった。

彼は注意深く観察をした。

台所に入りシンクの中に少しだけ水の痕跡があった。

水切りのカゴに逆さまの茶碗と皿、携帯のボトルが干してある。

『タッチの差で彼女は家の中にいた。それが自分たちが入ったと同時に姿が掻き消えた。……開けたと同時に消えてしまった。シュレーディンガーの猫……』

台所から外に続く勝手口のドアを見た。

ノブを回すと鍵はかかっておらず、外側に開いた。

だが途中までで止まった。

家の裏手に庇で区切られた隙間があったが、下に落ちた積雪がドアを途中で堰き止めていた。

「勝手口のドアが開いてた。ここから外にでたんじゃないか」

皆に声をかけると捜索は自宅の外側周縁に移った。

「……雪に邪魔されてここからは出れない。美鈴さんは抜けられたのか」

「出られたけれども戻れなくなったんじゃないか」団員の一人が言った。

彼らの到着寸前まで居間にいて、開ける前に外に出た。

一旦外に出たが、落ちてきた雪で勝手口から戻れなくなり、表側から入ろうとしたか、それとも雪を除けるスコップをどこからか取り出そうとしたのか。

まだ救命の余地があるだろうと皆は外側を廻ったがやはり姿が見えない。

彼らの足跡以外に雪上に人の歩いた痕跡が無い。


『……1013、1013』

彼は数字を唱えながら周りを見る。

彼は敷地の一角から行きを被った家屋全体を見る。

一刻も早く美鈴さんを探さなければならないのに、頭が別のことを考えている。

違和感はどこにあるのか。

頭の中に薔薇の花が揺らめき上がる。

薔薇の花。

冬に薔薇が咲くわけない。

ついさっき見かけたのはシンクの脇だ。

逆さになった食器類に紛れた携帯のボトル。

外側にプリントされた柄に薔薇が咲いていた。

あれを調べたら。

きっと保温機能のあるものだったのじゃないか。

熱湯を注いで蓋を閉じれば一定の時間、お湯のまま持ち運べる。

もし、仮にだが。

誰かの企んだこととして。

彼らが到着する寸前まで美鈴さんがそこに生きていた、という状況を偽装するとして。

まだ冷め切らない湯を置くことで周りの皆全てを巻き込むことができたら。

家に入った後で他の団員の目を盗み隠して持ち込んだボトルから仕込んでおいた湯飲みに湯を開けておいて、冷める前までに皆の注意を引いたら。

彼は家の周りで捜索している水野の姿を見た。

水野が降雪の前日に訪れ、そこから帰った時、美鈴さんが既に亡き者にされていた、という可能性はないか。

どこか家の周りで、倒れている美鈴の姿が発見されたとして、この有事の中、雪の降る前に死んでいたことをごまかせるか、と考えていた可能性は?

まず、ボトルを確かめないと、保温機能があるものなのかどうか。

彼は玄関から再び中に入った。

台所に入りシンクを見た。

食器たちの中、ボトルの姿が見えなかった。

『……さっきはあった筈だ。回収されたのか』

再び玄関から外を、その先の雪景色を見る。

彼の頭の中に薔薇の花の形が浮かんで広がる。

全ての情報が薔薇に浸食される……こんな時に。

『落ち着け、落ち着くんだ』強制的にこの場所から引き剥がそうとする何かに抗うために彼は唱えた。『……1013、Bの1013、1013。これが僕の番号……』

彼は唱える、だが何の番号なのだろう?

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