水底のパウダー・スノー

鱗青

水底のパウダー・スノー

 誰か普段しないような行動をすると「明日は雨が降るな」という言い方をする。って、こないだ学校で教わった。遠い日本の諺?らしい。

 日曜日の朝。久しぶりに参加できた教会のミサの後。僕、レトリバー系犬人のサルバトーレ=コッレオーニが長い坂道を空き缶を蹴りつつ『レグルス探偵事務所』の鋳物の看板を提げた自宅兼用のビルに帰るなり、二階の応接室から何かを叩く物凄い音がガレージまで落ちてきた。

 急いで階段を上がる。ドアを開けると、そこには…

「おうトト、早いじゃねえか」

 凶悪な顔つきのハスキー系犬人がソファからこちらを見た。拱いた腕が樵のように逞しい、ザンパノおじさん。僕を引き取ってくれたパパの親友。

 対面したソファには漆黒の毛並みの熊みたいに太った豹人が、ガラステーブルに両手をつき頭を下げていた。さっきのはガラスの天板が立てた音か。

「これこの通りだ。ワシの全財産をかけて頼む。あの子の願いを叶えるのに力を貸してくれ」

 その黒豹人に見覚えがあった。というか忘れようがなかった。

「ボルヘスさん?」

 僕の呼びかけに相手がのっそりと背を起こす。おじさんにも負けてない悪役顔。間違いなくこの春に僕とおじさんが解決した事件の依頼人、この島で一番の富豪かつオリーブ農園の経営者。そんで僕のクラスで一番可愛い女の子のパパだ。

 お城みたいな家に遊びに行っても普段物凄い偉そうで、それこそ悪い王様みたいな人が頭を下げるなんて。珍しいなあ。

「うむ。先日は世話になったな、少年ラガッツォ

「こんにちは。今日は依頼?どんな内容ですか?」

 ムッツリした顔でボルヘスさんは、自分の娘…エウリディーチェの為に雪を降らせたいのだ、と告げた。僕は一瞬言葉が出なかった。だって…

「あのなボルヘスさんよ。今は六月なんだが」

「知っとる」

「そりゃシチリアここにだって稀に雪ァ降るぜ。でもそりゃ冬の話だ。雨すら降らねえこのカンカン照り続きの中、奇跡でも起きなけりゃ雪なんか見られるもんか」

「分かっとる。だからこうして頼んでおるのだ、恥も外聞もなくな」

「ヘッ。そいつが分かってんなら観念して娘にでも何でも嫌われるんだな。第一俺は探偵で、便利屋じゃあねぇし───」

 黒豹人は懐からおもむろに札束を三つ取り出すと無造作にドサ、とテーブルに積んだ。

「へいへいへへいへいへへい!何だってやりやすよ旦那!雪でも雹でも降らしてみせやしょう‼︎」

 途端に顔も目つきも口ぶりも変える。調子チョーシいいなあ。

 呆れていると、黒豹人の脂肪でギチギチなズボンの内で携帯が鳴った。

「会議の時間だ。済まんが宜しくな」

「へぇーい!ま、大船に乗ったつもりでお待ちくだせぇや」

 舌なめずりして札束の枚数を数えるおじさんに、ボルヘスさんは剃刀カミソリみたいな視線を投げる。

「もし失敗して娘を悲しませる結果を招いた時には、君の胴に七つほど新しい呼吸の穴を開けてやろう」

 部屋の温度が3℃くらい下がったみたい。

 ボルヘスさんのいなくなったあと、僕はソファで床に届かない足をぶらぶらさせながら尋ねる。

「息するのって口と鼻だよね。なんであんなおかしなこと言うのかな」

「いや〜おっとろしいぜ。ま、心当たりはあるしなんとかなんだろ」

 ホクホク顔で札束を

「ていうかなんで雪?理由は?」

 最近は煙草代わりに噛んでいるガムを口に放り込み、おじさんは盛大に小馬鹿にした調子で吐き捨てた。

ボルヘスおっさんの娘が和解する条件なんだと」

わかい・・・?」

 はー…と地球の底にまで届きそうな溜息をし、おじさんは分かりやすく説明した。

 ボルヘスさんは一人娘のエウリディーチェと、昨日の夜に外食をする約束をしていた。しかし世界最大手の食品会社メーカートップCEOが突然アポ無しで商談に訪ねてきた為、対応に追われてすっぽかし・・・・・てしまった…

「オッサンは平謝りしたが臍曲げた娘の機嫌は治らず、なんとか引き出した条件が“雪を見せる”だとよ」

「フ〜ン?それくらいのことで怒るの?仕事なんだからしょうがないと思うけど」

「まぁな。下らねぇセレブの親子喧嘩だが貴重な大口案件だ。取り敢えず早速行くぞ」

 どこへ?とか、今?という質問なんかしない。僕は二階に駆け上がって勉強机からヨーヨーを引っ掴み、ガレージの中古の日産の助手席へ飛び乗った。

 おじさんの急発進と荒い運転にも慣れたもの。車は肉屋、パン屋、居酒屋などを猛スピードでまわり、一軒ごとにおじさんの懐にあった札束が減ってゆく。

 あらかたの店のツケ・・を払い終わったあと、最後に街の中心地にある警察署の裏庭に着いた。

 勝手知ったる元職場とばかり、おじさんは裏口からズカズカと建物に入る。外で待つことしばし、眠たげな目の背の低い首元にマフラーを巻いたペンギン人を伴って戻ってきた。

「やあ小さな大将。休日にも助手を務めるとは感心だ」

「こんにちは、ブルーノさん。いつもザンおじさんがお世話になってます」

 ペンギン人は相好を崩す。昔パパとおじさんの上司だった警部さん。

ナマ・・垂れんじゃねぇ!お前が俺に世話されてんだろが」

「互いに薫陶を与える。万事流転。うまくやっているようだな二人共」

「相変わらずわけ分かんねぇなおやっさん。ンなことよりホレ、例のブツを頼むぜ」

 ゆったりとした歩調でペンギン人は僕達を署に併設された三角屋根の煉瓦の建物に導く。錆の浮いたシャッターを、おじさんが片足の爪先を引っ掛けてから片手で軽々と押し上げた。天井の高い倉庫で、シートや麻布を被せたものがうず高く置かれている。

「これこれ。押収品に珍しいモンがあったからおぼえてたんだ」

 右の方に進んだおじさんが、自分の身長くらいある荷物の前に立ち、かけられた緑のシートの端を思い切り引っ張った。

 バサ!と気持ちの良い音と共に、黒い巨大な筒の片方にフェンスをつけたような機械が現れた。

 ふおおお?と見上げる僕の隣でブルーノさんがボソリ呟く。

「数年前に港で押収した密輸品。人口降雪機というやつだ」

「コイツさえありゃ依頼は完了だ!よし祝杯!おやっさんも呑むかい?」

 両手を握り合わせて既に勝利宣言をするおじさん。僕は慌ててその裾を捕まえる。

「ねえコレちゃんと動くの?試運転した方がいいよ絶対」

 面倒臭ぇなあと言いつつも、機械についた車輪のストッパーを外してゴロゴロと裏庭へと転がした。なんだなんだと見物人が集まってくる。あらかたは警察官で、中には手錠をかけられた逮捕ホヤホヤの人までいる。

「うっし、いったれや‼︎」

 散水用の蛇口にホースを繋いだ警部が黒い両腕でまるを作ると、おじさんは得意満面にレバーを引いた。

 キュゥゥゥゥ…という始動音。うるさいモーター音。次いで、カンカンという金属的な響きの後に、黒い大筒は純白の雪の花を噴き出した。

 おおー‼︎

 集まった群衆の感嘆。

 だけど。

 ブスンブス、バスススガタン、ギコギコ…耳障りな音をたてて機械の振動が止まった。雪も途切れた。

 あぁ〜…

 今度は群衆の落胆。

「あらら、止まっ…ちゃっ…た。これ大丈夫なの?」

 僕の言葉に警部がポンと両掌を打ち合わせる。

「大事なことを言うのを忘れていた」

「ななな何だおやっさん⁉︎こいつぁどういうわけだ⁉︎」

 警部は渋い苦笑を嘴に絡めつつ、伊達な仕草でマフラーを直した。

「このワシとてもペンギン人の端くれ。偶に野生を発揮して狂ったように雪とたわむれたいもの。ついでにちょいと悪戯心を催したまで。最遊記の猿のように」

「はぁ⁉︎分かるように言えって!」

「つまりな。このマシンに牛乳と、どうせなので練乳など混ぜ込んで巨大なアイスジェラートを作ったのだ。その後掃除するのを忘れていた」

 しれっと告げる警部はむしろ堂々としてカッコいい。巨大アイスなんて、まさに子供の夢だもんね!

 反対に、さっきまで得意満面、ドヤの極みという顔をしていたおじさんはみるみる青くなった。尻尾が痙攣みたいに細かく震え出したのがカッコ悪い。

 そのまま何もかもほったらかして車で事務所に戻り、おじさんはあちこち電話をかけたり相談に出かけたりしていた。数日間はそんな調子で過ぎていった。

 水曜日の午後。学校から帰ってきた僕は友達とサッカーをしに出かける前に牛乳を飲もうと冷蔵庫を開けた。

 電気をつけていないリビングの椅子の上で、ゾンビのように憔悴したおじさんが冷蔵庫のライトで照らされた。ホラーすぎる光景で思わず叫んでパックを落としかけた。

「何やってんのおじさん⁉︎ビックリするじゃん!」

「…ああ〜トトか…」

 ドロンとした目で僕を見て、おじさんはガックリ頭を垂れた。おしまいだ、俺の命もこれまでだ…とか不吉な言葉を口の中で噛んでいる。

「だめだったの?雪を降らせる話」

 ああその通りだ、と肩をすくめるおじさん。ふーん。

「なんだ。それでピンチになっちゃってるんだ」

「笑いごっちゃねぇ…どうすっかな…いっそ高飛びでも…」

「方法ならあるのに?」

 間。

 ごくごくごく。パックに口をつけて直接喉に流し込む牛乳は、最高!

「な、な、なんつったトト‼︎」

 おじさんが椅子を蹴ってジャンプ、僕の前に着地。首の根本に爪が食い込む勢いで掴んでグラグラ揺する。

「だーかーらー、方法ほーほーなーらーあーるーよー」

「それを言え!すぐにちょくに迅速に‼︎」

 ちょっと意地悪な考えが頭をもたげた。

「人に頼みごとをするなら、もっと丁寧にするもんじゃない?」

 おじさんはヒラリと身を翻し、アニメで観た日本の侍そのままに跪いたドゲザした

「どーかお願いしますぜ!トト、いやトト、いやトト大聖人様グラン・セイント・トト‼︎」

「むふふふ苦しゅうない。望みを言うてみい…って何やらせるのさ。勝手に序列なんかしたら警察だけじゃなくて、教会からも破門クビにされちゃうよ?ザンおじさん」

 おじさんはピッツァやパスタのソースがこびりついて取れない床の上で胡座をかきつつ、傲然とふんぞりかえる。

「フン!教会なんざ結婚と葬式だけ行きゃあいい。それに俺ァ警察マッポは自分から辞めたんだ」

 まともな大人が大威張りで子供に言うことじゃないと思う。けど、おじさんは普通・・とはちょっと違うからなあ。

「一応聞くけど、人工の雪を降らせる案は他に無かったんだ?」

「そりゃあ考えたぜ。低反発マットなんかの中身ビーズをばら撒くとか、ウレタン綿わたをそれっぽく飾りつけるとか」

「うわぁ環境に悪そう…やらなくて正解だよそれ。余計に女の子を怒らせそうだもん」

「るっせぇ!…で?早くお前のアイデアを言えよ」

「別にそんな大したものじゃないよ。理科の授業で教わった自然の話だもん。あのね──」

 僕はおじさんの耳に口を寄せて、わざと大袈裟に声をひそめて教えてあげた。

 はじめは胡散臭そうに聞いていたおじさんの灰青ブルーグレーの瞳に活力が宿り、へタれていた尻尾がむくむく起き上がる。

「…よし!それでいこう!俺はダイビングショップに行ってくら」

「うん。じゃあ僕、ラウロのパパの船に乗せてくれるよう頼んでくる!」

 じゃあ後で!僕はサッカーボールを持って、おじさんは日産のエンジンをかけて、それぞれ行動開始!

 数日後。

「夜のデートなんて素敵ね、トト」

「そうだねエウリディーチェ」

「見て!お月様も船になってる。ロマンチックねえ」

「そうだねエウリディーチェ」

「ねえトト」

「何?エウリディーチェ」

「…何でさっきからこっち向かないで虚ろな返事するの?」

 左に座る白猫人の女の子。ダイバースーツにほっそりした身を包んだ彼女の黄金きん綿飴ズッケェロ・フィラートみたいな髪の毛が頬にまとわりつく。それをくすぐったく感じながら、僕は右の方に目玉を動かす。

 そこには、女の子つまりエウリディーチェのパパ、つまりボルヘスさんがいた。やはりダイバースーツだけど、太りじしにミッチリとスーツがきつそうだ。首から下がオットセイみたい。こんなときじゃなきゃ指差して笑い転げるんだけど…

 ボルヘスさんは、その辺のマフィアでもビビり散らかしそうな眼光でひた・・と僕を見据えている。僕が出来心で彼女にキスでもしようもんなら、心臓を抉り取られてしまいそうな凶悪なオーラだ。

 考えるのはやめておこう。そして多分、この予想は実行される確率が高い。きっと。いや、間違いなく。

 ということで、僕自身もダイバースーツ。お揃いの格好をして二人並んでいると巨大ロボに乗るパイロットみたいだ。

 ──怖い顔のボルヘスさんと、その更に向こうで神妙な顔で腕組みしてるおじさん(やはりダイバースーツ)が邪魔っけだけど。

「もーそろそろ狙いの場所ポイントだぜ!準備はいいか⁉︎トトにエウリディーチェにオッサン達‼︎」

 シチリアの漁師のうちで一番立派な漁船『世界一のかかあマンマ・デル・モンド』号の操舵室から陽に焼けた毛並みの獅子人が顔を出してがなる・・・。僕のクラスメイトでサッカー仲間のラウロ。この船は彼のパパの船で、頼み込んで今夜はプライヴェートなダイビングという名目で借り上げてある。

「俺はまだ三十代だ!オッサン呼ばわりすんじゃねぇ‼︎」

 おじさんが牙を剥いて叫び返す。

「私はOKだ」

 エウリディーチェの隣にいる僕を注視したまま答えるボルヘスさん。

「大丈夫よ、ラウロ!」

 エウリディーチェはそう返事しながら、きゅっと僕の手を握る。少し怖くて緊張もしてるんだ。夜の海、それも沖合に潜るなんてしたことないし、そもそも本格的なダイビング自体が生まれて初めてだ。

 シチリアの港の灯りが滲むぐらいに遠くなった場所で船が停留したら、ボンベを背負っておじさんを先頭に海に入る。

 海の中は、思いの外賑やかだった。僕達が肩につけたライトに寄ってくる魚達。さらにそれを追いかける大きな魚達。明かりを反射する極彩色の珊瑚の群生。漂うクラゲ。

 発声は無論できない。ので、おじさんが持ってきた水中でも使えるホワイトボードでの会話になった。

『この先に開けた場所がある。そこで待つ』

 横泳ぎで器用にボードを掲げるおじさんの指示通り、皆で後についていく。

 ちょうど帆立貝の殻の形にできた岩礁の窪みがあって、そこで僕達は着地。

 エウリディーチェが僕の手を引いた。指差すほう、上を見て僕は大きく泡を吐いた。

 海面が生きたガラスの天井みたいに美しく煌めいて、その上に三日月と銀河が揺蕩たゆたってる…

 なんて綺麗なんだろう!

 ゴボゴボ、シュゴーというボンベでの呼吸音。岩礁と波がぶつかる音。あらゆる音がさざめき合う。

 ──それがピタリと止まった。

 幻覚かと思った。深海みたいに静かになった。海流が、波の動きが──無い。

 完全な、なぎ

 ゴーグルの視界に何か小さな仄白ほのしろい軽いものがよぎった。

 思わず目で追うとライトのビームの彼方に吸い込まれるように消えていく。

 二つ、三つ。それは数を急激に増していく。

 わあ!というエウリディーチェの歓声が聴こえた気がした。

 海の中。透明度の高い海水の満たす空間に、海面方向から絶え間なく降り注いでくる銀色の雪。

 間違いなく雪。雪そのもの。掌でそっと受け止める。顔を近づけて目を凝らしてようやく、繊毛の生えた球だと判るほど、小さくて小さな物体…

 なんなの、これ⁉︎そういうジェスチャーの彼女に教えてあげるため、僕はおじさんからボードをひったくる。

『これはサンゴのタマゴだよ。新月から数えて三日目になると起こるサンゴしょうの大産らん・・・なんだって』

 ゴーグルの中で、エウリディーチェのアクアマリンの瞳が見開かれた。

 親友のラウロが漁師の息子じゃなかったらとても考えつかなかった。ある日学校の理科の授業で様々な海の生き物の動画を見させられた時、あいつが自慢げに僕の脇腹を小突いて囁いたのだ。

 ──俺知ってんだ。海ん中でサンゴのタマゴが雪みてえに降る場所とこ。年に一回だけだけど、父ちゃんが見つけて去年連れてってくれたんだぜ。ま、お前がどーしてもっつーんなら?教えてやらなくもねーけど?

 その時は何をバカなこと言ってるんだと思ったけど。今は感謝しかないや。

 だって…だってだって、海の底に降りしきる雪の中、両手を広げてくるりくるりと回り泳ぐエウリディーチェがあんまり可愛くて綺麗だから。人魚姫の子供の頃って、こんな感じだったんじゃないかな?

 気がついたらボルヘスさんが横にいた。渡せという仕草をするのでボードを預けた。

 太い体がぶわりぶわり、と娘に寄っていく。

 動きを止めた彼女に、太い文字をボードに書き付けていく。なんとなくそれが見える位置まで僕とおじさんは移動。

『私は確かに約束を破った。それは済まないと思う』

 エウリディーチェが頷く。

『しかしやむをえなかった。これからもきっと多くの約束を破るだろう』

 また頷く。

『けれど私がそうするのはお前の為だ。究極嫌われても構わん。覚悟がある』

 動かない。

『お前に憎まれても仕方がない。しかし私は、お前を愛し続ける』

 彼女の手が伸びた。今度は細いけれどしっかりした文字が書き付けられる。

『お父様、全然分かってない!』

 ボルヘスさんがたじろぐ。滑稽なほどワタワタして、じゃあ何が気に入らない?という仕草をする。『この前の外食の予定が何の日だったと思うのですか?』

 うーん?と首を傾げる。そして、ママの誕生日か?命日か?というジェスチャーをする(器用だなあ!)。

お父様の誕生日・・・・・・・‼︎』

 あー…そういえばそうか…?と言いたげな雰囲気のボルヘスさん。

『私の為に。従業員のために。粉骨砕身されるお父様は素敵です。誇りです。大好きです‼︎』

 おお、ストレート。ボルヘスさんが不器用に照れてる。

『でも、ご自身の健康のことも考えてください。無理をして倒れるなどもってのほかです』

 お、うなだれた。ぐうのね・・・・も出ないってやつかな。

『私は、お父様が大好きです。でも、ご自身を大切にできないお父様は嫌い。分かりましたか?』

 ここでボードを返す。ボルヘスさんの肩が苦笑してる。

『分かった。徹夜も深酒も考え直す。それでいいか』

 エウリディーチェはちっとも怖くない腕組み姿でん〜…と字面を眺め、ゆっくりと首肯した。

 それから、今度は打って変わって幼い感じでボルヘスさんにしがみついた。ボルヘスさんもエウリディーチェの腰を支え、高く持ち上げてぐるーりぐるり。

 仲直りしたらしい二人に、僕は心底ホッとした。これでダメだったらエウリディーチェの家の庭にく砂糖の雪アイシングするしかないかなと思ってたから。アリンコ地獄になるだろうから本当の最終手段だけどね!

 心温まる風景にぼんやりしていたら、頭を小突かれた。

 おじさんだった。

『今回の経費やら何やらさっ引いたらオッサンにもらった分が無くなった』

 そりゃ、あれだけツケを溜めてたし、相殺しちゃうよね。

 おじさんは無言で書いて、僕に渡すとそっぽを向いた。変なのと思ってボードを覗き込む。

『前に欲しいつってたプレステだっけか?オモチャ屋の売れ残り押し付けられた。事務所にある』

 僕はガボッと泡を撒き散らして顔を上げた。おじさんは面白くもなさそうに海面に浮かび出した。

 あの人気のゲーム機が売れ残ってるわけがない。それを押し付けられるなんて、もっとありえない。

 嬉しかった。ゴーグルの中で鼻の奥がツンとなる。

 僕はニヒッと片方の口の端を持ち上げる。足ヒレフィンをバタバタさせて急上昇!照れ隠しに逃げるおじさんを追いかけ、そのお尻にキックをお見舞いした。

 海面に出るやおじさんが吠える。

「こっんの野郎、ぶっ殺してやる!」

「やだー!殺されたらゲームできないじゃん‼︎」

 空の上でアイスクリームの色に海を照らす三日月。それは僕達を見下ろして、まるで笑っている唇のようだった。

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