でんしょく

香久山 ゆみ

でんしょく

 遊園地の七不思議を解決しに来た俺は、観覧車へ向かう。

 観覧車のゲートでは、居残った職員がぺこりと頭を下げる。閉園後にも関わらず、園内には未だ電飾が点っており、色とりどりの観覧車のゴンドラもゆっくり回っている。

「次に来る白いゴンドラが、お化けが出ると噂のものです」

 説明を受けている間に、白いゴンドラが目の前に流れてくる。職員がドアを開け、俺は考える間もなく乗り込む。なにせ、これを乗り過ごせば寒空の下ゴンドラが戻ってくるのをまた十分以上待たねばならないのだから。

 座席に座る。

 観覧車は円を描きながらゆっくりと上昇して行く。何の変哲もない。乗り物の中へ入れば外より暖かいだろうと踏んでいたが、古い遊園地の古い観覧車に暖房装置はついておらず、底冷えする。ダウンコートのポケットに手を突っ込み、首を埋める。

 何も起こらない。

 ちらと窓の外を見遣ると、さすが山の上の遊園地、満天の星空が見える。

 思わず出た溜め息は、真っ白に浮かぶ。

 いい齢した男が一人、観覧車に乗っている。なんと虚しいことか。どうせ何もないのなら、詩織さんを誘えばよかった。クリスマスの夜に、閉園後の遊園地貸切りデートなんて最高じゃないか。

 むふふと妄想を膨らませていると、ガコン、と観覧車が止まった。

 地上に還ってきたわけではない。

 ゴンドラは観覧車の頂点に達したところで止まってしまったようだ。

 地上に連絡を取ろうとスマホを取り出すも、圏外となっている。下を見ると、操作室から職員が手を振っているのが見える。まあ人がいるなら大丈夫だろう。遅くとも、朝になれば解消するだろう。寒いが、さっきトイレに行ったところだし十分待てる。

 ちら。

 ちらちらちら。

 と、雪が降ってきた。

 は?

 思わず背凭れに預けていた体を起こす。外じゃない。

 気付けば、対面のシートに女が座っている。

 白い女。

 黒髪から覗く白い肌。白いコート、白いブーツ、白いマフラー、白い手袋、白いニット帽。あったかそうだな、おい。

 女は恨めしそうな顔で俯くばかりで、何も言わない。まあ言われたところで聞き取れないのだが。俺は視えるだけで、聞こえないから。見えるものから汲み取るしかない。

 汲み取るといったって。

 女はただじっと俯いて座るだけだ。

 いくらか話し掛けてみるが、まるで反応しない。どうしたものか。たぶん、この女を成仏させないと観覧車は動かない。

 リリリリ。

 突然鳴った着信音に、ビクッと肩を竦める。女は微動だにしない。

 出ると、友人の遥斗からだ。遊園地職員や詩織さんからでないことにガッカリするが、繋がらないよりましだ。遥斗から遊園地へ掛け直してもらえばいい。

「メッリィィークリスマァース!!」

 したたか酔っ払った声が聞こえる。遊園地の電話番号を調べてくれと頼むも、「なにぃ? わかんなぁい」と相手にならない。第一子が生まれたばかりの彼は、楽しい家族パーティーの真っ最中のようだ。繋がらない方がましだった。

「お前は何してんのぉ」

 間延びした問いに、「女と観覧車で二人きりだ」と答える。嘘ではない。

「ふへーいいじゃん。いちゃいちゃしてるぅ?」

「してねーよ。彼女ずっと俯いたままだし」

「あーお前、女心わかんないもんねぇ」

 むかつく。が、確かに図星なのでぐうの音も出ない。

「なら、遥斗はどうしたら彼女の機嫌が直るのか分かるのかよ」

 電話の向こうで、ふっと鼻で笑う音がする。むかつく。

「キッスだよ」

「はぁ?」

「キッス待ちだよ。女の子は、観覧車の頂上でキッスすることに憧れてんだよ。でも自分から言えないから、お前から来るのを待ってんだよ。なのに察しが悪いから、ご機嫌斜めちゃんなんだろ」

「いや、彼女とは初対面だし、俺のこと全然好きじゃないと思うけど」

「ばぁ~か。ほんと女心わかんねえ奴だなぁ。好きでもない男と二人きりで観覧車に乗るかよ。脈ありだよ。お前のキッスで万事解決すんだよ。女に恥かかせんじゃないよ」

 電話の向こうで赤ん坊の泣き声が聞こえて、「じゃーな」と唐突に電話は切れた。

 キッス。

 正面に座る女を見る。電話の声は聞こえていなかったのか、じっと俯いたままだ。

 ゴンドラ内にしんしんと雪が降り積もる。

 観覧車での死亡事故は聞かないから、彼女は生霊だろうか。想像してみる。

 好きな男とクリスマスの日に遊園地デートすることになった。二人きりで乗った観覧車の外では雪が降り始める。ホワイトクリスマス。とてもロマンティックなシチュエーションだ。交際がまだの二人なら告白、交際中のカップルならプロポーズなんて期待するかもしれない。観覧車が頂上に至る。てっぺんでキスした二人は永遠に結ばれるなんてジンクスさえあるかもしれない。彼女の期待は最高潮だ。――なのに、フラれてしまった。そのあと地上に戻るまでの気まずい沈黙。

 想像すると、ずいぶん気の毒になる。モテない者として、妙な共感をしてしまう。

 彼女に視線を向けると、俯く姿は確かに恥らっているように見える。両想いにはなれなかったが、せめて思い出が欲しい。いじらしいではないか。よく見れば、どことなく詩織さんに似ている気がする。

 ギシッ。

 俺は席を立ち、彼女の前に進む。彼女がはっと顔を上げる。長い睫毛、愛らしい。彼女の青紫色の唇に向かって、そっと顔を近付ける。

 バンッ!

 と照明が割れ、何かすごい力で弾き飛ばされて座席に背中を打ち付ける。

 いてて。見上げると、もう少しで唇が触れそうな距離にいた彼女は、恐怖に慄く表情を残してすーっと消えた。

 ガコンと音がしてゴンドラが動き出す。

 地上に到着すると、冷え切ってふらつく体を職員に支えられながらゴンドラを降りる。

 手渡された熱い缶コーヒーを飲みながら、白いゴンドラの白い女の話をすると、職員は「ああ!」と声を上げた。心当たりがあるらしい。

 数年前のクリスマスの日、白いゴンドラに乗ろうとしたが、乗れなかったカップルがいた。その女性がちょうど白い格好をしていたと。

 女性の両親は白いゴンドラでプロポーズし、結婚した。幼い頃からその話を聞き、ずっと憧れていた。そうしてついに。適齢期になった彼女に、結婚を考える恋人ができた。

 クリスマスにあの遊園地へ行く約束をした。はっきりプロポーズを匂わす発言があったわけではないが、彼には両親の結婚話をしたこともある。これは間違いないはずだ。遊園地の施設はずいぶん年季が入ったものになっていたが、当時の観覧車がそのまま現役で動いているだけで十分だった。お誂え向きに当日はホワイトクリスマスとなった。

 閉園前、日が落ちた頃に二人は観覧車へ向かった。しかし、そこで悲劇は起きた。

 雪が激しくなっていた。視界は白く、とても景色を楽しむどころではない。彼女はそれでも構わなかった。けれど。

 観覧車は動いていた。しかし、肝心の白いゴンドラだけが使用不可となっていた。

 白いゴンドラは吹雪に紛れて職員がドアの開閉を誤る可能性があるから。彼女は熱意を込めて食い下がったが、過去に一度白いゴンドラのドアを開けそびれて寒空の中お客さんを二周させてしまった事例があったため、決定は覆らなかった。

 それで、閉園時間も迫る中、カップルはしぶしぶ赤いゴンドラに乗っていった。

 頂上でプロポーズされた。視界不良で遠くの景色はまるで見えなかったが、遊園地のイルミネーションが雪に乱反射してそれはそれで美しかった。

 二人はご結婚されて、お子さんを連れて時々来園されます。二人の娘さんはそれぞれ白いゴンドラと赤いゴンドラがお気に入りで、いつもどちらに乗るかケンカするんですが、必ず家族四人一緒に白と赤それぞれ一周ずつ乗るんです。いやー本当しあわせそうで。

 だけど、奥様は夢見ていた白いゴンドラでのプロポーズでなかったのが余程悔しかったんですねえ。探偵さん、どうやって解決したんですか?

 と、話を振られて口ごもる。

「いや……、ただ時間が解決したのさ。今では白と赤どちらにも幸せが詰まっているから、思い出も二倍になったのだから」

 早口で述べる。なかなかそれっぽい理由になった。

「そうですかー」と職員が感慨深そうに頷く。ほっと息を吐く。

 とてもじゃないが、同意のない相手にキスしようとして、恐怖を感じた女性が逃げて消えたなど言えない。冷静に考えればとんでもない。彼女が生身の人間なら通報されているところだ。幽霊とはいえ、未遂で済んでよかった。寒さで思考能力が低下していたところに、変なそそのかしを受けたから。

 なにが「キッス」だ、くそ。酔っ払いめ。小さい「ッ」がむかつく。

 スマホの電波も戻ったので、遥斗に怒りの電話を掛けようかと思ったが、団欒に水を差すのも野暮なので我慢した。

 クリスマスの夜、俺は一人で仕事中なのだ。一滴の酒も飲まず。

 えらい! と、詩織さんからメールの一つでも入っていないかと確認するが、一件の着信さえなかった。

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