ゾンビ孔明
阿弥陀乃トンマージ
蘇る孔明
序
「ふう……」
ため息をついて、椅子の背もたれに寄りかかった男性は、鶴の羽毛が織り込まれた衣も身に纏い、頭には青い絹の組みひもで作った頭巾を被っている。頭巾から覗く髪や、立派に貯えた髭には、所々白いものが目立つ。男性がこれまで相当な苦労をしてきたことが伺える。男性は鷹の羽で作られた、大きな羽扇を自らの胸元にそっと置く。
「丞相、只今参りました」
凛とした青年が男性のいる帷幕に入ってくる。丞相と呼ばれた男性が青年を見て頷く。
「ああ、
「じょ、丞相?」
姜維と呼ばれた青年が戸惑う。丞相の声がひどく弱々しかった為だ。
「……お察しの通り、私の天命は間もなく尽きようとしています……」
「そ、そのようなことは……!」
「自分のことは自分がよく分かります……しかし惜しむらくは、この北伐……今回もさしたる成果を挙げられなかったこと、国の……我が蜀の帝や民に顔向け出来ません……」
この頃の――紀元3世紀の――中国大陸はいわゆる『三国時代』であった。大陸の北部と中部の大半を有する『魏』が圧倒的な優勢で、南西部に領する『蜀』は年々苦しい立場に立たされていた。蜀の国政の最高責任者である丞相は、状況を打破すべく――もちろん、大義名分としては、魏を打倒しての蜀による漢王朝復興だったが――魏領への侵攻、つまり『北伐』を敢行した。228年から234年にかけて5度に渡って行われたこの北伐であったが、丞相の言葉通り、さしたる成果を挙げられないままであった。
「こ、今回の北伐は長期戦です! まだ答えを出すのは早いかと……!」
「指揮を執る私の命が尽きれば、戦いの継続は困難です。魏の国力はやはり大きい……」
「むっ……」
「姜維、私が死んでからの策を授けます……」
「な、なにを縁起でもないことをおっしゃるのです!」
「聞いてください……うっ」
丞相が胸を抑えてうずくまる。
「じょ、丞相! 孔明さま!」
「……はい?」
孔明が顔をバッと上げる。顔色がやや土気色になっているが、目に輝きは戻った。
「うわっ⁉」
「……この
自らを孔明と名乗った男性は、自身が生き返ったことをすぐに察する。
「……」
蜀の軍と対峙する魏の軍勢、それらを束ねる指揮官が、夜の空にひときわ大きな流れ星が流れるのを見て頷き、どこか寂しそうに呟いた。
「巨星墜つ……陣中で没したか、諸葛亮孔明」
「司馬懿大将軍……」
「ああ」
「ひっ⁉」
司馬懿と呼ばれた男が首を百八十度回転させて応えたため、呼びかけたものは驚きのあまり、腰を抜かしそうになる。これが、この戦いで魏の軍勢を率いる司馬懿という男の特技というか、なんとも不可思議な体の仕組みである。司馬懿は淡々と命じる。
「……兵に準備させろ、夜が明け次第仕掛ける」
「は? こ、こちらから仕掛けるのですか? この戦いは持久戦だとおっしゃっていたではありませんか。百日もにらみ合いを続けてきて、ここで……」
「臨機応変に動け。状況が変わった」
「ど、どういうことでございましょうか?」
「……蜀の陣内にほんの一部であるが、変わった動きが見られた。これまで見られなかった動きだ。おそらく撤退を始めるだろう」
「な、なんという観察眼……分かりました、準備を始めます」
部下が去り、司馬懿は首を元に戻して呟く。
「この『五丈原の戦い』もこれで決着か。つまらぬものだ……」
夜明けより少し早く、蜀軍が撤退の動きを見せる。部下が司馬懿に伝える。
「しょ、蜀軍、撤退を開始しました!」
「慌てるな、もうすぐ夜明けだ、夜明けとともに連中を仕留めろ……」
「はっ!」
それからすぐに夜が明ける。魏の軍勢が声を上げる。
「うおおっ!」
「……かかりましたね」
「⁉」
魏軍は驚く。撤退していた蜀軍が反転して、攻撃してきたからではない。それくらいの奇策は予想していた。驚いたのは、蜀軍の先頭を土気色の顔をした孔明が猛然と走っていたからである。馬車にも乗らず、自分の足で。
「て、撤退だ!」
司馬懿はすぐさま撤退を命じる。孔明は走るのをやめ、その場に立ち止まって呟く。
「
「じょ、丞相……今さらなのですが、一体どうされたのですか?」
「ふむ、我が天命は尽きたと思いましたが……そうですね、いわば地生が私を新たに生かしてくれたのでしょう」
「地生?」
「例えばの話です。天から授かる命もあれば、地によって生かされる生もまたあるのでしょう。まあ、脈は止まってしまっていますし、体も冷たい、顔色は土気色……ほとんど死んだようなものなのですが……世の中にはまだまだ不思議なことがあるものですね……ふふっ」
「はあ……」
笑みを浮かべる孔明を姜維は戸惑い気味に見つめる。五丈原の戦いは、思わぬ形で幕引きとなった。この場面は後世でことわざとなった。『走る孔明、生ける仲達を焦らす』と……。
ゾンビ孔明 阿弥陀乃トンマージ @amidanotonmaji
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