第3話

(こうなったら、アーサーの家に行くしかないわね)


 アーサーはリズより三つ年上の売れっ子小説家だ。数年前、彼がカフェのコーヒーをテイクアウトしに来ていたところで出会い、何故か気に入られ、今では親密な仲になっている。

 ちなみに、彼の小説はまだ一冊しか読んだことがない。


 リズはマスターに礼を言って、透明なままアーサーの屋敷にやってきた。草臥れた古い屋敷の前に着くと同時に魔法が切れ、リズの姿が可視化される。


 コンコンコン、と崩れそうな木製のドアを優しく叩くと、中から眠たげな男がふああ……と欠伸をしながら出てきた。白髪はぼさぼさで服もよれよれだ。

 男──アーサーは、生まれ持った容姿は申し分ないのに、いつもこうなのである。


「リズ、俺のこんなボロ家にまでやってきてどーしたの。また家出? エリク様泣くよ? てか、俺の新作面白かった?」

「もう、いきなり質問が多いわね……。コホンッ──そう、家出よ。もちろんお義兄様は泣いてたわ、号泣ね。ちなみに、あなたに貰った新作まだ読んでないわよ。レインにあげちゃった」


 リズはアーサーの質問に対して、ひとつずつ丁寧に答える。そうしてやらないとしつこく聞いてくるのだ。


「もー、リズはいっつも読んでくれないじゃんか。まぁ、レインくんが気に入ってくれてるならいいけど。なんなら、彼にも俺が直接あげるのに」

「ダメ! そんなことしたら、レインを手懐けられないじゃない!」

「リズは策士だねぇ」


 ムキになるリズに、アーサーはにやにやと笑う。


「エリク様、号泣しながら探してるなんて、リズのことが本当に大切なんだよ。毎月家出してるけど、それでもちゃんと追いかけてきてくれるんだから。リズはエリク様のことが嫌いなの?」

「嫌いなわけないじゃない……分かってるわよ、お義兄様が私のことを大切に想ってくれてることも、愛してくれていることも」


 そんなこと、身に染みて分かっている。エリクは重いところもあるけれど、リズにいつも優しくて、甘くて……本当に可愛がってくれている。

 そこにはきっと、親愛だけじゃなくて、恋情も含まれている。……それはリズも同じ。


(私がいたら、お義兄様は幸せになれないわ)


 公爵家の嫡男であるエリクに相応しいのは、捨て子であり義妹のリズなんかじゃなくて、その名に釣り合う名家のご令嬢だ。

 リズは目頭が熱くなるのを感じながら、弱々しく吐き出す。


「でも、私はお義兄様と結婚できない……"兄妹"だもの」

「そんなことないよ。リズたちは実の兄妹じゃないんでしょ。エリク様の本心は聞いてみたの?」

「き、ききき聞けるわけないじゃないっ! 恥ずかしいわよ!」

「もー、そういうとこだよ。一回、ちゃんと二人で腹割って話しなよ」


 アーサーは腰に手を当ててそう言い、突然、リズの背後を指した。リズはその指に釣られて、後ろを振り向く。


「なっ、お義兄様……!?」


 すると、そこにはうっとりと微笑んだエリクが立っていた。


(うそ! ここはバレないと思ったのにっ!)


 リズは愕然として、エリクを見つめたままその場に固まってしまう。


「僕はリズのお義兄様だから、すぐに見つけられるんだよ。さあ、はやく戻っておいで。美味しいトルテをいくらでも用意するから」


 エリクは少し悲しそうな表情を浮かべながら、優しい声色でリズに語りかける。

 そして、リズの小さな手をそっと掴み、ぐいっと自分の胸へと引き寄せた。


「またいつでもおいで〜」


 アーサーは開いたドアの端に体重をかけながら、気だるげな様子でこちらに手を振る。

 対して、エリクはそんなアーサーをキッと睨み、リズはエリクに手を引かれながら、ど、どうしよう……とぐるぐる頭を回転させていた。


 そうしているうちに、二人はアーサーの屋敷を離れて、人通りのない小道にたどり着く。いつの間にか日が暮れかけてきて、橙の空には濃紺が混ざっている。

 そこでようやく、エリクはリズの手を解放した。


「リズ」


 エリクはリズと向き合い、憂い気な表情でリズを見つめる。


「……本当に僕のことが嫌いなのか?」

「うっ、」


 面と向かって問われ、リズは言葉に詰まった。屋敷を飛び出す前に言ってしまった『大嫌い』という言葉が頭に蘇ってくる。

 リズはその罪悪感に耐えきれず、俯きながら小さな声で答える。


「嫌いじゃないわ……す、すす好きよ……? でも──」

「リズ、それはただの兄として? それとも、恋愛的に?」

「お、お義兄様のことは、義兄としても好きだけれど……お嫁さんになれたらどんなに嬉しいことか」

 

 エリクの直接的な質問に驚きつつも、リズは無意識のうちに本音を吐露していた。こんなこと言うつもりはなかったのに、まさか……。


(お義兄様ったら、魔法を使ったんだわ! 私には使わないでっていったのに……!!)


 エリクの能力のひとつに告白魔法コンフェッションがある。魔法をかけた相手に、思ったことや本音を口に出させる能力である。

 エリクはその能力を活かして、国軍の保安部隊に所属している。


「そ、そうか……」


 リズの答えに、エリクは顔を赤く染め、狼狽えたようにサファイアの瞳を揺らし、口元を手で覆う。


(お義兄様、そんな顔しないで……)


 愛情を感じるが故に堪らなくなり、リズが逃げ出そうとした、そのとき。

 エリクがリズを真っ直ぐ見つめて、「ずっと考えていたんだが……」と話し始める。


「リズ、僕と結婚してくれないか」

「へ……?」


 今、なんと。

 あまりに突然の言葉に、リズは唖然として瞬きを繰り返す。

 そんなリズにエリクは優しく微笑みかけ、片膝を地について、白手袋を着けたその手でリズの手を取る。


「僕と結婚して欲しい。一緒にシーモア家を支えてくれ」

「うそ……」


 予期しなかったプロポーズに、リズの目からはらはらと涙が零れ落ちる。抱え込んできたものが全て溢れるようで、止まらない。

 リズはぐす、と鼻をすすりながら、エリクに問いかける。

 

「で、でも……私はお義兄様の妹なのよ……?」

「そんなの関係ないよ。僕はリズが好きだ、愛してる。妹としてもだけれど、一人の女性として。その気持ちがあれば、どんな壁だって乗り越えられるはずだ」


 エリクは本気で言っているようだった。こんなに真剣な表情は初めて見た。

 リズはエリクの言葉に胸を打たれ、今までくよくよと葛藤していた自分が馬鹿らしく思えてくる。


「ずっと前から考えていたんだ。お父様の許しも得た。リズが気にすることはなにもない」


 養父も認めてくれている。エリクも本気でプロポーズしてくれている。ならば、リズが断る理由など……。

 リズはおずおずとエリクが差し出した手のひらの上に自分の手を乗せて、呟く。


「私、お義兄様と結婚できたらどんなに幸せだろうって、ずっと考えてたの……。嬉しい……っ! 私、本当に幸せだわ……!」


 花が咲くようにふわりと顔を綻ばせたリズを、エリクがぎゅっと抱き寄せる。いつもの抱擁よりも温かくて、ドキドキする。


「僕も嬉しい……幸せだ」


 リズの耳元で、少し震えた囁きが聞こえた。その言葉にリズの胸も温かくなる。

 二人はしばらく抱き合った後、エリクがそっと身体を離して、リズに問いかける。


「リズ、僕のこと好きかい?」

「ええ、大好きですわ!」


 リズは満面の笑みで答える。

 先程かけられた告白魔法コンフェッションは、もう消えている。"大好き"の言葉は、リズが伝えたくて声に出した本音だ。

 

「僕も好きだよ」


 エリクは頬を緩ませ、リズの唇に口付ける。

 初めてのキスはとても甘くて、少しだけ紅茶の香りがした。



 その後も、シーモア伯爵家の義兄妹二人、否、新婚夫婦の痴話喧嘩は、レインやアーサー、そして町全体を巻き込みながら続いていくのであった。



Fin

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シーモア公爵家義兄妹の恋模様 祈月 酔 @kidukisui

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