第2話
「わっ……もう着いた。相変わらず便利ね、この魔法」
ヒールの下に確かな大地を感じて、リズはほっと息を吐き出す。転送魔法は非常に便利だが、この瞬間は何回やっても慣れない。
「うおっ!?」
裾に付いた砂埃を払っていると、背後から野太い声が聞こえてくる。
リズが振り向くと、そこには筋肉ムキムキの浅黒い男が立っていた。
「ってなんだ、シーモア家のお嬢様かい。また魔法で逃げてきたのか? あんまり年寄りを驚かせないでくれよ」
「マスター、ごめんなさい。またここを借りるわね」
ここは屋外オープン型のカフェで、カラフルなパラソルの下にテーブルセットが並べられていた。
そして、この厳つい男こそカフェのマスターである。ピチピチのシャツの上に青いエプロンを付けて、顔にはサングラスをかけている。
少々個性的だが、この人の淹れるコーヒーは極上だ。
リズはマスターにお気に入りの紅茶を頼み、淹れたてのものをゲットすると、一番通りから見えにくい席に着いた。パラソルが影になり姿を隠してくれるので、リズはここの席を気に入っている。
「レインはちゃんと誤魔化してくれてるかしら」
リズは甘めの紅茶を飲みながら、レインの屋敷に思いを馳せる。
「よし、魔法で見ちゃおう」
非常に疲れるため、魔法はあまり使いたくないのだが、背に腹はかえられない。
リズが生得している魔法は、
「"
リズが魔法を唱えると、ポンっと軽い音を立てて金のルーペがその場に現われた。
リズはふよふよと宙に浮いているそのルーペを掴み、目の前にかざしてレンズを覗く。
すると、そこに渦巻くようにして徐々にレインの姿が浮かび上がってきた。
背景はリズが先程までいた彼の屋敷のロビーである。リズの予想通り、そこには息を切らしたエリクの姿があった。
すらりと高い背丈に透けるような金髪、輝かしいサファイアの瞳……。リズが言うのもなんだが、義兄はとても美しいのだ。
レンズの中のエリクはその端正な顔を歪ませて、レインに詰め寄る。
『レイン・ハーヴェスト。ここにリズが来なかったか』
『いえ、見かけませんでしたよ』
『本当か? 嘘じゃないだろうな』
『嘘じゃないです』
『ふうん……屋敷を調べさせてもらおう』
『ええー、別にいいですけど……本当にいませんからねぇ』
『どうだかな』
エリクは屋敷の中へ立ち入り、一階から二階までどの部屋ももれなく隅々探していく。
しかし、どこにもリズの姿はなく、レインのうんざりとした視線が向けられるだけである。
『そんな……っ、リズがいないだと……? 俺ではない他所の軟弱男の屋敷なのが悔しいが、真っ先にここに隠れると思っていたのに!』
再びロビーに戻ってきたエリクは愕然として、地面に崩れ落ちる。そして、そのまま地に手を付き、項垂れながら嘆いた。
(ふふ、可哀想なお義兄様。私はここよ)
無様な義兄の姿を覗き見ながら、リズは優雅にティーカップを傾ける。
『もう、軟弱じゃないですよ! 最近は僕も鍛えてるんです』
対して、エリクの言い分にレインは頬を膨らませて怒ってみせる。
『君の鍛錬事情はどうでもいい。はやくリズの居場所を吐け。知ってるんだろう?』
『僕は何も知りませんよー。本当に何も知りませんったら、知りませんー!』
『ふん、役立たずめ。リズに口止めされたのか』
そして、エリクは額に手を当てて『ああ、僕のリズ……どこに行ってしまったんだ……』と呟きながら、レインの屋敷を出ていった。
『お嬢様、どうせ
レンズの中のレインが天井の辺りを見上げて叫んだ。
(ちょっとズレてるけど、見てるのは合ってるわ。流石、幼馴染ね)
幼馴染の警告を有難く受けとり、リズは
「ふぅ……レインにしてはいい演技だったわね」
事の一部始終を見ていたリズは、ひとまずエリクを躱せたことに、安堵の息を零す。
「これからどうしようかなぁ……いつもみたいに勢いに任せて家出しちゃったけど、先のことなんてなにも考えてなかったわ」
しばらく屋敷を開ければ、エリクもリズに飽きるはずだ。その頃に屋敷に戻ろう。リズ自身もシーモア家が嫌いなわけではない。
それに、「殿方と結婚する!」と言ったのはいいが、そんな素敵な殿方なんて知らない。第一、エリクより素敵な方など──。
「ダメダメ! 今はそんなこと考えない!」
リズは頭を振りかぶり、おかしな方向へ傾きそうだった思考を引き戻す。なんのために家を出てきたというのだ。エリクから距離を置くためだろう。
「ううん……アーサーのところは狭いし、なんだか面倒そうだわ」
このままこっそりレインの屋敷に戻ろう。一度来たのだから、しばらくはあそこには来ないはず。
「よし、歩いてかえ───はっ!? お義兄様の気配!」
再び、己の勘がエリクが傍に迫っていると言っている。間違いない、エリクはこのカフェに向かってきているのだ。
(隣町とはいえ、あまりにも早すぎるわ。さては、従者の
エリクの従者には移動速度を速くする魔法を持つ男がいる。その者の魔法を借りてあちこち駆け回っているのだろう。
リズは立ち上がり、カフェのカウンターまで押しかける。そして、コーヒーを煎じていたマスターに向かって手を合わせ、お願いする。
「マスター、私をしばらく透明にしてちょうだい!」
「またかい? 懲りないなあ」
マスターはやれやれと呆れた様子で言葉を返す。もう何年も通っていることもあり、リズの対応に慣れているのだ。
「今回は一番重要なの! お願い、私に魔法をかけて!」
マスターは
エリクは、リズがここに通ってるのを知ってるが、マスターの能力ことは知らない。彼がこのカフェを探しに来たとしても、リズが透明になって潜んでいればスルーするだろう。
「仕方ないな。でも、誰かさんのせいで魔力があんまり溜まってないから、二十分くらいしか持たねえよ」
「大丈夫、ありがとう! たくさん紅茶を飲みに来るわ!」
実は数日前にも
「いくぞ、"
マスターはリズの肩に手を置いて、魔法を唱える。すると、見る見るうちにリズの身体が半透明になっていった。こうなれば、マスター以外の人間はリズの姿を見ることはできない。
リズは物陰に潜み、義兄の到来を待ち構える。
すると、数分も経たずにエリクがカフェにやってきた。急いできたにしては疲れが見えない。やはり、
「おかしいな。リズが家出した時に来るのは、あの眼鏡の屋敷かここのはずなのに……」
当たりだ。怖いくらいに全て見透かされている。しかし、今のリズは透明だ。気づくはずがない。
「あれ、リズの匂いがする」
エリクは訝しげな表情で、リズが隠れる方へと歩いてくる。
(近い……っ!!)
突然、義兄の綺麗な顔が近くに迫ってきて、リズの鼓動が速くなる。エリクの中身も好きだが、外見もリズのタイプなのだ。心臓が持たない。
リズはすぐ傍にいるが、残念ながらエリクの目にはその姿が見えない。
「ううん、いないのか? また後で見に来るか……」
エリクは気を落としながらそう言って、来た道を戻っていく。かと思えば立ち止まり、近くの店を見つめたりしている。
(退路を塞がれてるわ! このままじゃ、レインの屋敷に戻れない……!)
少しすれば、エリクは再びカフェに戻ってくるだろう。透過魔法の制限時間からして、それまでは持たない。どこか、エリクとは反対の方へ移動しなければ……。
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