今は遠き、あの星のあなたへ。

駒鳥なごみ

「ほしに帰ることになりました」

 ふいをつくようにそう言われて、私は一瞬、その意味をはかりかねて顔を上げた。

 そのとき私はボンゴレビアンコのなかのアサリから中身を取り出すのに夢中になっていて、うっかりといくつかの単語を聞き逃したのかと思ったのだ。

「ごめん、なんて?」

「ほしに帰ることにしたんです」

 私の不躾な受け答えにも、彼女はあきれも笑いもせず誠実に答えてくれた。

 ほし。そう口のなかで繰り返しながら、私は手にしていたフォークを置いた。ようやくその意味が胸に降りてくる。宇宙人だと言う彼女が言うほしは、ひとつしかないのだ。

 目の前で一緒にランチをしていた友だちは、その黒くてつぶらな瞳をほそめて困ったように首を傾げて見せた。

 私の目の前に座り、ミートソースドリアとじゃがいものポタージュを前にしているのは……大きなクマだ。まんまるの大きな身体に、ふかふかしたぬいぐるみのようなまんまるの頭。まんまるの右耳には水玉模様の赤いリボンを結んでいて、すずらん袖のブラウスに黒のジャンパースカートを合わせている。今日も今日とてかわいいコーデである。

 彼女はナナコさん。私の友だちで……遠い星からやって来た、異星人、である。

「帰る……って、いつ?」

「来月です」

 思いのほか、急な話であった。食べかけのボンゴレビアンコも温野菜サラダもトマトスープも放りだしてぼうぜんとした私を見て、ナナコさんはやさしく微笑んで言った。

「急な話でごめんなさい。エミさんにはいちばんに言っておかなくちゃ、と思ったから」

 ナナコさんは誠実なひとだ。こんな私のことも気づかって、こう言ってくれたのだろう。フォークを持ち直すこともままならないまま、私はおそるおそる尋ねた。

「どうして……? 地球に住むの、やになっちゃった?」

「いいえ、そういうわけではありませんよ」

 ナナコさんは静かに首を振って、それから、私にことのあらましを説明してくれた。

 いわく、ナナコさんの生まれた星は太陽系外のずっとずっと向こう、何万光年も先にある恒星系の、大きな惑星であるらしい(前から話には聞いていたけど、中学校理科から若干怪しい私は、このへんからよくわからなくなっていた)。彼女の両親はその惑星で大規模な農園を営んでいるらしく、このたびその運営を引き継ぐことになったのだと言う。

「わたし、大学で農学を修めたでしょう? あの勉強は、将来農園の経営に役立てるためだったんです。両親は事業を拡大して育てる植物を増やしていましたから、少しでも多くの知識を学ぼうと思っていました」

 それはかねて聞いていたことだった。ナナコさんは勉強をしてお金を貯めて、将来は農業の仕事をしたいのだ、ということを。

 でもそれは、地球のどこかでの話だと思っていた。

「地球に来たのは、この星における多様な植物と農業の種類と、この星の社会や文化を学ぶためでした。母星における農園経営の資格試験の勉強も続けていたんです。半年ほど前にようやく、故郷の惑星における農業資格免許を取得できました」

 ……聞いてはいたけれど、そんなに話が進んでいたなんて。三ヶ月ほどの就活であっさり手にした優良企業の椅子を後生大事に抱えている、消極的でのんきものの私とは大違いだ。まさに天と地ほどの差がある。

「そうだったんだ。おめでとう!」

「ありがとうございます。ほんとうはもっと早くに言いたかったんですけど、農園のほうの引き継ぎがまだ決まっていなかったから……」

「そうだったんだ。でも、ご両親がやってるところなんでしょ? そのままもらえるんじゃないの?」

「ふふ、わたしの故郷ではそういう世襲制度はないんです。身内であれ誰であれ、きちんと精査して試験をして、認められてはじめてそのお仕事をもらえるんですよ。わたしの他にも、ライバルの受験者はたくさんいましたからね」

 そういうことらしい。まるで大学の入学試験だ。なかなか厳しい話である。

 ナナコさんの説明を聞きながら、徐々にその事実が現実味を帯びてゆっくりと胸に降りてきた。ナナコさんが、自分の星に帰ってしまう。そうしたら、ちょっと一緒にランチでも行こうよ、なんてお誘いは、今ほど気軽にはできなくなってしまうのだ。

「そっかあ……じゃあ、もう会えなくなっちゃうんだね」

 大学で出会って、もう十年近く。お互いに社会に出てからも、ナナコさんとはたびたび買い物に行ったり、ちょっとした旅行に行ったりと、ずっと仲良く過ごしていた。

 それが、もうお別れだなんて。そう考えただけで、すでにものすごく寂しくなっていた。

「ええ……ごめんなさい。エミさんにはこれまで、すごくよくしてもらってきたから。それだけがすごく悲しいんです」

 私がつい零したひとことにそう返されて、思わずはっとした。

 これは、ナナコさんが決めたことなのだ。ずっと夢だったという農園の経営ができるのだから、私の感情なんかで邪魔してはいけない。むしろ、あたたかく送り出して応援すべきことだ。そう思って、私は暗くなりかけた頭を振って、つとめて明るく言った。

「やだ、謝らないでよ。良かったじゃん、やっと夢が叶ったんでしょ? ナナコさんずっと頑張ってきたんだもん、胸張って帰りなよ」

「ありがとうございます、エミさん」

 ナナコさんはそう言ってから、ふと、神妙な口調でこう続けた。

「帰る前に、ひとつだけお願いがあるんです」

 おねがい? ふたたびほうけたような顔になったであろう私を見て、ナナコさんはようやくいつもみたいに、やわらかく微笑んだ。





 ナナコさんに出会ったのは、もうずいぶん前のことだ。

 最初の出会いは大学のキャンパスで、ナナコさんは私と同じ新入生だった。どでかい大学の講堂の中、かっちりとした、だけれどおしゃれなスーツに身を包んだ同期生たちと一緒に群れをなして進んでいた。そんな中、ふと私の目に留まったのは、おおきくてふわふわのクマの着ぐるみだった。焦げ茶色のふかふかの毛並みに、まるい耳。

 すごいスーツだなあ、大学に入ったらああいうのもありなんだな、なんてのんきなことを考えていた私の前で、クマさんがどうしてか振り返って、私のほうを見た。

 そのまるい耳もとに、かわいいピンクのリボンが結んであったのを今でも覚えている。

 そのまま目を合わせて、すぐにお互いに目を逸らした。会場に入って、自分の席を探さなくてはならなかったからだ。

 入学式が終わって、声をかけてくれたのはナナコさんのほうだったと思う。地方から出てきて知り合いすらいなかった私は、なんて優しい人なんだろうと感動したものだった。

 今思えばとても不思議な見た目だった彼女が、一切不審な目を向けられていないことに、そのときはまだ気づいていなかった。

 ナナコさんが、地球ではない遠い星からやってきたひとなのだと知るのは、もっとずっとあとのことである。

 そして……ナナコさんの『ほんとうのすがた』は、どうやら私にしか見えないらしい、ということも。





 次の週末、私とナナコさんは電車を乗り継いで、郊外の山林地帯に向かっていた。

「帰る前に、いっしょに三野山みのやまへ行きませんか」

 ナナコさんのお願いとは、私と一緒にちょっとした旅行に出かけることだった。

 さいわいなことにゆるやかな勤務形態の会社に勤めているおかげで、難なく週末に休みをとることができた。私とナナコさんは最寄り駅に集合して、つつがなく小旅行は始まった。

 ナナコさんとは良くこうやって、近場の温泉や観光地に旅行に出かけたものだった。それも今回で終わり。寂しさを募らせつつも、私たちはいつもどおりに何くれとなく話をしながら目的地へ向かった。

 三野山は、私たちの住む街から電車で一時間ちょっとのところにある山だ。山とはいえそこまで標高は高くなく、麓には温泉があって、ハイキングや川遊びなどのアクティビティも楽しめる。周辺では有名な観光地で、宿泊施設もそれなりに多いのだった。

 近場で温泉にも入れるという理由から、ナナコさんとはよく遊びに来たものだった。最近はお互いの都合で足が遠のいていたけれど、最後なので記念にと二人でやってきた。

「ひさしぶりだねえ、三野山まで来たの」

「二年前の冬以来ですね」

 山の麓にある駅で降り、私たちはさっそく駅前の広場でソフトクリームを買って食べた。季節のフルーツソースがかかったソフトクリームは、初冬の風には少し冷たかったけど、やっぱり甘くて美味しかった。

 宿のチェックインまでにはまだ時間があったので、二人で周辺の観光地を巡ることにした。

 土産物屋が建ち並ぶ街道で、かわいいお菓子や塗り箸なんかの工芸品を見て回ったり、道行きに誂えられた足湯に浸かったり、ナナコさんの農園経営の成功と商売繁盛を願って、街道の奥にある神社にお参りに行ったりした。ナナコさんとおそろいのお守りを買って、それぞれの鞄につけて笑いあった。もうナナコさんが帰っちゃうことなんて忘れてしまうくらい、いつもどおりの楽しい旅行だと思った。

 あちこち巡ってから向かった宿は、土産物屋が並ぶ温泉街をずっと登っていった先にある、レトロモダンな雰囲気の旅館だった。お風呂がひろくてごはんが美味しいお宿で、たしか何年か前にナナコさんが見つけてくれた旅館だったと思う。以来、二人でご贔屓ひいきにしている旅館だった。

 チェックインを済ませると、まずは二人でお風呂に入りに行った。

 大浴場の露天風呂に並んで入って、思わずだらけきったため息を吐いてしまう。

「あー、きもちいいねえ……」

「この季節の温泉は心地よいものですね」

 ナナコさんは相づちを打ちつつ、ふわふわの手でぱしゃぱしゃと顔にお湯をあてていた。最初の頃は、お湯にクマのぬいぐるみが浸かっているみたいでちょっとひやひやしたけど、今はもう慣れた。こうしているのを見ていると、正直、かわいいと思う。

 温泉でふやふやになりながら、ナナコさんが感慨深げに言った。

「地球の温泉も、これではいりおさめだと思うと寂しいですねえ……」

 しみじみとそう言われて、私は首を傾げた。

「ナナコさんの星には、こういう温泉ってないの?」

「ないことはないんですけど、どちらかというと温泉プールみたいな感じなんですよ。身体の汚れを落とすにはクリーンルームがあるので、入浴という概念がないんですよね」

「そうなんだ。私はお風呂ないと寂しいなあ、気持ちいいし」

「私もです。地球でお風呂の良さも学びましたから、お風呂がない生活はもう考えづらいです」

 だよねえ、と私たちは頷きあった。お風呂がない生活なんて、とても考えられない。

「そしたら楽しんでおきなよ、いまのうちだよ」

 私がそう言うと、ナナコさんはくすくす笑ってうなずいた。

「農園につくってしまいましょうかね、温泉を」

「え、いいじゃん。こんな感じでさ、でっかい岩風呂にしなよ。外につくってさ」

「サウナなんかもつけたりして」

「いいじゃん、自分の露天風呂! めちゃくちゃうらやましい。いいなあ、私も入りに行きたいよ」

 露天風呂に浸かってそんなことを話しながら、二人で笑い声をそろえて立てた。

 お風呂から上がってしばらくお部屋でごろごろしたあと、夕食を食べに食堂へ行った。お部屋ごとにテーブルが用意されているスタイルで、和洋折衷のお料理はどれも美味しかった。

 夕食を終えて、部屋に戻る。畳のお座敷にはすでにお布団が敷かれていて、私は勢いよくふかふかの敷き布団にダイブした。

「わあいお布団だあ」

 ごろごろし始めた私の隣に、ナナコさんがちょんと座った。

「エミさん、ごろごろを楽しんでいるところ申し訳ないんですけど」

「うん?」

 枕に押し付けていた顔を上げると、ナナコさんが静かに言った。

「ちょっと、外へ散歩に行きませんか」





 ナナコさん、というのは、じつは彼女の本名ではないらしい。

 考えてみれば当然のことだけれど、彼女の惑星の公用語は地球のどの言語とも違っていた。とくに日本語の響きに合わせると『ナナコ』と言うのが一番近い、ということだった。一度だけ、ナナコさんの星のことばで名前を聞いたことがある。今まで聞いたことのない不思議な響きで、その中に『ななこ』と言うのがかろうじて聞こえた気がした。

 何度か練習してみたけど、結局発音することはかなわなかった。

「ごめんね、これからもナナコさんって呼んでもいい?」

 私が言うと、ナナコさんはいつもどおりに微笑んでから言った。

「もちろんです。わたし、エミさんにそう呼ばれるのがとても好きなんですよ」





 ナナコさんに連れられて、夜の温泉街に出た。

 夕食は終えたけれど、まだまだ宵の口。周辺のお店や外湯には、それなりに観光客たちがうろうろしている。黄みがかったやわらかい光をたたえた街道には目もくれず、ナナコさんは昼間に参拝した神社への道を歩き始めた。

 神社は雑木林に囲まれた小高い丘の道行きにあって、じつはもう少し登るとちょっとした展望台がある。道がわかりづらいのと、この時間でも夜景がそんなに見えないこともあって、あんまり登っていく人を見たことがない。

 あと、道のりに灯りがあんまりない。小さいスポットライトが階段沿いにてんてんとあるくらいで、雑木林に囲まれていることもあってかなり暗いのだ。

「足もとが悪いので気をつけて」

 木の階段をちょっとつまずきながらわたわた登っていると、ナナコさんが手を引いてくれた。ふかふかの手に引かれて、ゆっくりと階段を上っていく。

 到着した展望台は、やっぱり暗かった。木々の葉が邪魔して、温泉街の明かりなんかもほとんど見えない。夏だったら虫がたいへんなことになっていただろう。ちょっとした登りにぜいぜいしながらそんなことを考えていると、ナナコさんが近くのベンチに連れて行ってくれた。

「ごめんなさい、ちょっと疲れちゃいましたね」

「んん、いいよ……またあとでお風呂入ればいいし、お布団も敷いてあるし」

 私が言うと、ナナコさんは小さくお礼を言った。そして、夜空を見上げた。私もつられるようにして空を見上げる。

「ここ、覚えてますか。学生時代、一緒にはじめて旅行に来たときに、こうして夜に来たんです」

 ナナコさんにそう言われて、ああ、と思い出す。そうだった。

 はじめて下の神社にお参りに行ったときに見つけて、夜景とか見えるんじゃない? 登ってみようよ、と、そんなふうに話した。いざ夜になって、意気揚々と展望台まで登ってみたら、夜景なんか全然見えなくて、二人で笑ってしまったのだった。

「でも、代わりにめっちゃ星が見えたんだよね、ここ」

 夜景はさっぱりだったけど、ここからはものすごく星がよく見えるのだ。街明かりが届かないことと、山もあって暗いことが大きいのだろう。

「そうなんです」ナナコさんもそう言って頷いて、私を見て微笑んだ。

「だから、最後にエミさんと一緒に、またここの星を見たくて」

 それから、と付け足すように言って、ナナコさんは浴衣のたもとから何かを取り出した。硝子玉がらすだまを、金属の細いフレームで幾重にも囲ったような、不思議なかたちのペンダントトップだった。

「きれいだね」

「ふふ、これ、ただのペンダントじゃないんですよ」

 ナナコさんが言うと、つま先で器用に金色のフレームを動かした。ちりちりと軽い音がしたかと思うと、ややってかちりと小さな音を立てて、重なっていたフレームが広がって硝子玉のまわりをくるくる回り始めた。

「わ」

 思わず声を上げた私の前で、ナナコさんがゆっくりとペンダントトップから指先をはなす。すると、くるくるとフレームが不規則に回転しながら、ゆっくりと空中を昇っていった。

 ペンダントトップは少し上昇して、私たちの頭上で止まる。よく見ればフレームの中の硝子玉は淡い光を放っていて、まるで星みたいに瞬いているようだった。

「これは、星影収容器ほしかげしゅうようきという道具なんです。今、この中にここから見える星空のデータを写し取って、記録化しているところなんですよ」

「ふわあ……そんなことできるの」

 ナナコさんは微笑みながらうなずいて、淡く瞬くペンダントトップを見上げた。

「これはこのまま投影機として使えます。地球で言うところの、プラネタリウムですね」

「このままでもすっごくきれいだよ」

 私が言うと、ナナコさんはやわらかく微笑んでこうつづけた。

「これで、自分の星に帰っても、ここに来たことを思い出せます。地球の星空のことだけじゃありません。あなたと会ったこと、友だちでいられたこと、一緒にここに来て、この星を見上げたこと。全部思い出せます」

 ナナコさんは言って、私のほうへ視線を戻した。まっくろな、つぶらな瞳。入学式で会ったときと、はじめて会ったときと同じ瞳。

「エミさん、地球であなたに出会えて、ほんとうによかった。あなたと友だちになれたこと、一生の誇りです」

 鼻の奥がつんとした。冷たい風のせいばかりではないことはわかっていて、私は懸命に涙声をこらえてようやく言った。

「こっちこそだよ。私、ナナコさんと仲良くなれて、すごく嬉しかった」

 ナナコさんは私を見てぱちりとまばたきをして、やっぱり笑った。私も笑って、今度は二人で夜空を見上げた。




 お別れの日は、果たしてあっさりとやってきた。

 そういえば、ナナコさんはどうやって星まで帰るのだろう。疑問に思っていたのだが、なんと地球の国際空港に宇宙航行のための専用ゲートが設置されているらしい。地球のひとびとには内緒というか、そもそも設置していることを気づかれていないのだとか。私ももちろんその例に漏れない。空港に宇宙への港が開かれているなんて知らなかったから、聞いたときはずいぶん驚いた。

 そういうわけで、私はナナコさんを空港まで見送りに行った。地球の旅行者でごったがえす空港のターミナルでハグを交わして、ナナコさんはふわふわの手で私の手を握ってくれた。

「どうか元気でいてくださいね、エミさん」

「うう……ナナコさんも元気で……農園も、いろいろがんばってね」

 この時点で涙腺が決壊していて、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらもどうにか言うと、ナナコさんは優しく微笑んでくれた。

「母星に帰り着いたら、またメッセージを送りますから」

「うう……ぜったいして……ぜったいだよ」

「ええ、約束です」

 うなずいたナナコさんと、私はもう一回ハグを交わす。何度も振り返りながらターミナルの向こうへ歩いていくナナコさんの背中に、何度も手を振った。




 ナナコさんからメッセージが届いたのは、それから一月くらいが過ぎた頃だった。

 しょぼしょぼに落ち込んだ一週間から、あっという間に一ヶ月が過ぎて、なんとなくさびしさはありつつも、日常に慣れてきた。そんなある日、ふとメッセージアプリの着信があった。スマホのモニタを見ると、ナナコさんの名前で新着メッセージがポップアップされていて、私は思わず飛び上がってしまった。

 メッセージには何枚も画像が貼られていて、どうやらそれはナナコさんが引き継いだ農園のものらしかった。びっくりするくらい大きな果物と並んで笑っているナナコさんや、毛玉の塊にしか見えないなぞの生き物の毛を刈っているナナコさんの姿などが並んでいて、思わず顔がほころんだ。うまくいっているようで、私も嬉しくなった。

 メッセージには近況がさまざまに記されていた。無事に両親の農園を引き継ぎ、経営を任されていること。植物や動物の世話はそれはもうたいへんだけれど、今のところ楽しくやれていること……いろいろなことが書かれているさいごに、こんなメッセージがあった。

『さびしくなったら、あのとき渡したプラネタリウムを見てみてくださいね』

 あのとき。

 お別れの日、私はあの日見たペンダントをナナコさんからもらっていた。

「え? いいの? これ、ナナコさんのなんでしょ?」

「これは二対あるんですよ、もうひとつは今つけています」

 ほら、と襟もとから出されたのは、同じデザインのペンダントだった。ナナコさんはやわらかく笑って、それから言った。

「エミさんも、いつでもあの夜の星空を見て、あの夜のことを思い出してみてくださいね」

 そんなふうに言われて、やっぱりぐしゃぐしゃに泣き出してしまったことを覚えている。

 あの日もらったペンダントは、デスクの上の壁にお守りと一緒にかけてあった。そういえばあの日以来、手にとってみていなかった。

 その夜、ペンダントを持ってベッドに寝転がった。部屋の電気をぜんぶ消して、ナナコさんが教えてくれたとおりに硝子玉のまわりのフレームを動かしてみる。どうやらうまくいったらしく、金のフレームがひらいて、くるくる回りながらペンダントトップが宙に浮かんだ。

 少しだけ間があって、ふいに室内が真っ暗になった。電化製品の小さなランプも、外の街明かりも見えない。

 ただ、私の部屋が、あの日見た星空の中に浮かんでいた。

 いつか見た博物館のプラネタリウムもメじゃないくらい、まるで星空に放り出されたみたいだった。いっぱいの星の中に、ふわふわと身体を投げ出して、たゆたうような心地になる。真っ暗なのに不思議と恐怖感はなくて、それどころか、瞬く星空がひたすらにきれいで、見惚れてしまっていた。

「ふわあ……」

 思わずあの夜と同じような、ほうけたような声が出て、自分で笑ってしまう。

 ナナコさんと一緒に最初に見たあの星空も、最後に一緒に見たあの星空も、こんなにきれいだったのだ。それを今、はっきりと思い出した。

 このたくさんの星の中に、ナナコさんがいる星もあるのだろうか。

 きっと私の目にはその光が届かないだろうことはわかりつつも、また泣きだしてしまわないように、今はひたすらに目を凝らすことにした。

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今は遠き、あの星のあなたへ。 駒鳥なごみ @tsugumi16

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