フローライト ―胡乱な運び屋と訳あり少女、荒野を駆る―

青柴織部

本文

 アメリクァ合衆国、中西部。

 クソデカプレーンズと呼ばれる大平原を、一台のジープが砂埃をたてながら凄まじい速さで進んでいた。

 運転手の男、スギはバックミラーをちらりと見ると舌打ちをする。アクセルを踏む力を強めつつ、白髪交じりの黒髪をかきあげた。


「フローライト、何台いる?」


 スギは隣に向かって言葉を投げかけた。

 助手席にはフローライトと呼ばれた少女――のすらりと伸びた足が立っている。そこに繋がる上半身は開け放たれたルーフをくぐり抜けた外にあった。

 陽の光にきらめく金髪を容赦のない風圧で乱しながらフローライトは進行方向とは逆を向き双眼鏡を覗いている。


「6台。あんなにお別れ会フェアウェルパーティーをしたのにまだ名残惜しいみたい」


 彼女は双眼鏡を下ろす。薄い黄緑の瞳が愉快そうに細められていた。その胸元には同じ色の蛍石のペンダントが揺れている。

 風切り音の中で聞こえた報告にスギは苦笑する。


「多いな。手を取ってダンスでもしてやりゃよかったか?」

「22ロングライフル弾じゃ満足できなかったのかも?」

「爆弾でもプレゼントしてやりゃあよかったか。景気よく破壊されたら寂しい気分も吹っ飛んだだろうし」

「そしたら顔が分からなくなっちゃうでしょ。キャンザス州のやつら、ケチなんだからあの手この手で報酬金を下げに来るわよ」

「それは言えてる」


 スギは過去の苦々しいあれこれを思い出し渋い顔をした。対して少女のけらけらと軽い笑い声が風に飛ばされていく。

 しばらく頬杖をついて後続の車を眺めていたフローライトは、後続車が表立った動きをしないために一度助手席に座る。そして後部座席へ身を乗り出してカバンを手にした。

 中から防音用イヤーマフをふたつ取り出すとひとつをスギに渡す。


「……試作品を実戦で使うな」

「使用感を報告しなきゃならないでしょう? あのうさんくさい武器商人に」


 ゴーグルを目元に、イヤーマフを首にかける。足元にあったネイビーカラーのカバーを持ち上げると苦労しながら屋根に載せた。

 カバー下から現れたのはFN MAGに酷似した機関銃だ。

 落ちてしまわないように片手で押さえながら簡単に動作確認をしたあと、弾帯になった7.62mmの銃弾を機関銃に取り付ける。

 それから雑にダクトテープで屋根と固定した。

 

「フローライト、そいつの射程範囲は?」

「800。もう範囲内だよ」

「じゃあこのままでいいんだな」

「うん。安全運転よろしくね」

「バカ野郎、いつも俺は安全運転だろうが」


 答えずにフローライトはイヤーマフをつける。スギも倣ってしっかりと耳を覆った。

 スコープを覗く。先頭車両に標準を合わせた。 

 引き金を引く。

 タタタンと軽い音とともに弾がバレルから吐き出され、標的となった車の窓ガラスを突き抜けて運転席の人間の頭蓋骨に穴を開けた。

 制御を失った車は後ろについてきていた仲間の車を巻き込みながら減速し、あっという間に視界から消える。

 次に隣の車両を狙うが察したのか左右に揺れ始め標準を捉えにくくされる。

 フローライトは目を凝らし、おおよその位置に撃ち込みボンネットに当てた。だが被弾時に火花を散らしているが決定的なダメージを与えてはいないようだ。

 集中的に射撃するとボンネットから煙をあげ、後ろへ下がっていった。四台目となる後続車が躍り出る。右サイドミラーを跳ね飛ばし、助手席に撃ち込めたが四台目を完全に停止はさせられない。

 後部座席の窓から短機関銃がにゅっと生えてきた。冷静に腕ごと跳ね飛ばす。

 そうしているうちに弾が無くなり、しかも他の車がスピードを上げてきた。


「バレルの交換は良いとして、軽量化したせいで反動が酷いなあ……」


 しびれた手を振り、ぼやきながら助手席に座る。

 降り注いできた空薬莢を窓の外に捨てているスギへ「追いつかれそう」と話しかけるも反応がない。彼のイヤーマフをずらしもう一度同じことを言う。


「追いつかれそうだよ、スギ」

「結局こうなるのか……」

「好きでしょ? カーチェイス」

「街なら楽しいが平原じゃどうもな……」


 パーッと大きなクラクション音を耳にしふたりはぎょっとした表情で振り向いた。


「おっきなトラック!」

「大盛況で泣けてくるぜ。奴らの仲間かちょっと確認してくれ」

「あいあい」


 双眼鏡を覗き込む。

 すぐに分かったのかフローライトは笑いながら座り直した。


「誰だった?」

「キャンザス州に来たとき、喧嘩売ってきたからしばき倒した連中いたよね。あいつらだった」


 つまり今、ふたつのグループに追われていることになる。


「モテる男というのは困るな……。むさい男より艷やかなブルネットで真っ赤なルージュが似合う女に言い寄られたいもんだが」

「ブロンドで青いワンピースが似合う可愛らしい女の子ならここにいるけど?」

「色付き薬用リップでも塗っとけ」


 素っ気なく言われフローライトは頬を膨らませる。

 膨らませながら足元にあった硬質素材の楽器ケースを開ける。中にはP90が収まっていた。ところどころになんとも言い難いキャラクターシールが貼られている。


「何もなければ弾代も浮いて、わたしは分厚いステーキと巨大なチョコレートサンデーを食べられたのに」

「試作品撃った時点でステーキ100枚分は吹き飛んだだろ。やっすくて薄いハンバーガーで我慢しろ」

「酸っぱいピクルスはもう嫌だよぉ」


 ルームミラーに目を移せば、どれほどの勢いなのかぐんぐんとトラックが追いついてくる。

 負けじと他の車もついてくるのでちょっとしたレースだ。ゴールはスギたちの命であるが。


「フローライト、試作品を降ろしておけ。無くしたらあの武器商人になに吹っ掛けられるか分からん」

「はぁい」


 大人しく指示に従い、機関銃にカバーをかけあまり丁寧とはいえない所作で後ろの席に転がす。

 シートベルトをしっかりと締め、安全装置をかけたP90をテディベアのように抱きしめた。

 シフトレバーをやや乱暴に操作しハイトップにする。エンジンが唸り声を上げ、ガクンと車体が揺れた。


「ねえ! このまま引き離すの!?」


 エンジン音にかき消されないようにフローライトは大声をあげる。


「無理だ!」

「じゃあどうすんのー!?」


 ニヤリとスギは凶悪な笑みを浮かべる。


「ニポーン人のオモイヤリ精神だ。先に行ってもらう」


 言うが否やハンドルを一気に右へ切った。

 勢いづいた中での方向転換だ。車体が追いつかず、左側のタイヤが浮いた。まだ足元にあった空薬莢がジャラジャラと音を立てる。

 そのままUターンし、数メートルも走ると右タイヤは地面と再会した。横を彼らを追いかけていた車たちが走り抜けていく。

 スギはゆるゆるとハンドルを右に切ったまま前進させると元通りの進行方向に戻った。


「で、どうするの?」

「トラックの運転手を狙ってくれ」


 ゆっくりとペタルを踏んでいく。文字通り熱を持ったままのエンジンは再びダカダカと音を立てスピードを高めていった。

 思ったよりすぐに追いついた。さすがに標的が消えたことには気がついたらしい。

 トラックの運転手と他の車の運転手が並行して走りながらなにやら怒鳴り合っているようだ。その間に割り込むとさすがに両者はギョッとした表情になる。

 フローライトは驚いたままこちらを見下ろすトラックの運転手に笑いかけながらその顔面に穴を開けた。

 銃声が止むよりも早くスギはシフトレバーを操作してスピードを下げた。突然のことに高まりつつあったエンジンは非難するように大きな音をたてる。

 一秒後には制御を失ったトラックが時計の針のようにその車体を傾けたと思うと、周りの車を巻き込んで横転した。

 ついでのように爆発し、さらに引火して惨事と化しているのをスギとフローライトは停車した車内から遠巻きに眺めていた。

 座席や座席下に残る空薬莢を、スギは車体を拭くためのタオルで、フローライトはあらかじめ用意していた軍手で掴みながら外へぽいぽいと投げていく。再利用のために丁寧に保管できるほどふたりの生活は落ち着いていない。


「互いに潰し合ってくれるなら世話ねぇや」

「あのトラック、荷台になにか積んでたりするのかな」

「さあ。重いものは詰め込んでなさそうだが……仮にあるとするなら、人とか?」

「どうする?」

「放置でいいだろ。パンドラの箱だって開けないほうが良かったんだ」


 本来ならこのまままっすぐ行きたいものだが生き残りに襲われたり爆発にあうのは避けたいために大回りする。

 舗装された道から外れ、石やぬかるみのある平原に入るとがたがたと尻に振動が伝わる。

 今しがた作られた地獄を横目に、フローライトはため息をつく。


「次の街、せめて肉汁たっぷりのハンバーグがあればなあ。ポテトもついていて、薄めていないコーラがある店」

「なら俺はまずくないビールのある店だな。カウンターに寂しそうな美女がいればなおいい」

「そしてビンタを食らうと」

「お、嫉妬か?」

「どうぞご勝手にご想像くださいな」


 フローライトは頬杖をついた。


「どちらにしろ、明日の朝ごはんが終わったら車をピカピカにしてあげる。まっくろけだもの」

「頼んだ」


 鉄の塊と死体を置き去りに、ジープは去っていく。



 1年と2ヶ月前の、路地裏。

 華やかなネオンの光から隠れるようにしてネズミが這い回り、その中でスギはごみ袋をクッションに深々と息を吐いた。

 生ゴミと、嘔吐臭と、それから自分の血の匂いが鼻孔に停滞していた。吐き気はあったがもう何日も食べていないせいで胃からは何もせり上がらない。

 運び屋の末路なんざこんなものだ。何を運んだか知らされていないのに勝手に命を狙われて、覚えのない情報を吐けと殴られる。

 拷問から逃げ出せたのは幸運であったが、ゴミのように死んでいく未来だけは避けられないようだ。


「ま、そういうもんか」


 軽くつぶやき、ポケットを探ろうとしてタバコを切らしていたことを思い出す。

 舌打ちをして壁に寄りかかる。このまま眠気に意識を委ねてもいいな、とうつらうつら考え出したころだ。


「こんばんは、ヒカル・スギ。これをお探し?」


 いつからいたのかワンピースを着た少女が目の前に立っていた。十代半ばだろう、幼さのある顔立ちだ。胸元には蛍石のペンダントが下げられている。

 突き出された手にはスギの車のキーがつままれていた。


「まだ車もスクラップされてない。倉庫の鍵はアナログだから私が開けてあげる」

「……お名前は? レディ」

「あら、まずお礼からじゃない? でもサービスで教えてあげる。私はアリス。アリス・マリア・ベルトリアン」

「……」


 スギは息を吐いた。


「麻薬王と同姓だな」

「パパよ」

「……ハッ。ずいぶんな出自で。――それで、俺にどうしろっていうんだ」

「私を連れていって」


 顔をあげる。

 薄い黄緑の目が夜の中でも輝いていた。


「いずれ私は跡目争いのどさくさで殺される。なら、自分から出ていってやるわ。あなた運び屋でしょう? 私を連れていってよ」

「……どこに」

「楽しくて退屈しないところ」

「難題だな。場所が多くて」


 スギは前髪をかきあげた。

 別に、連れ出す分にはいい。だが覚悟がなければ困る。帰りたいと泣かれても面倒だ。


「前払いが必要だ。お前は何を払える?」

「……」


 ぼそぼそと彼女は所持金を口にした。

 子供の数日の家出には足りるだろうが、生きるには少なすぎる。


「金じゃなくても、他になにか対価は?」

「……身体?」

「乳とケツがでっかくなってから言え」

「じゃあ、銃が使える。命中率はいいわよ。鉛玉も作れる」

「俺も使える」

「4ヵ国語喋れる」

「7カ国は話せる」


 ぐぎぎ、と少女は悔しそうな顔をした。

 その年でずいぶんハイスペックなものだとスギは思う。だからこそ跡目争いとやらに巻き込まれそうなのか。

 少女は必死に知恵を絞り出そうとして顔を真赤にし、やけくそ気味に叫んだ。


「……車をピカピカに洗える!」


 スギは笑った。

 彼女の必死さが伝わったし、何よりスギは洗車の必要性は分かっていてもそこまで好きではなかったから。


「いいぜ。乗れよ――まあ無事ここから逃げれたらだがな」

「このあたりは私の庭よ。大人しくついてきて」

「頼りになるねえ、アリス」


 少女はすこし考えたあとに言う。


「アリスはここでおしまいにするわ。こんな美人な女の子がアリスと名乗っていたらすぐにバレちゃう」

「殊勝な心がけだ。で、次の名前は?」


 最初から決めていたのだろう。

 少女は勝ち気な笑みを浮かべて、言った。


「フローライト」



 ランチタイムを少し過ぎたバーガー屋。

 窓辺に置かれたカウンターチェアに座り、足をブラブラとさせながらフローライトはポテトをつまんでいた。少ししなびたそれを食べていると対面の椅子にスギが座る。

 紙コップに淹れられたコーヒーを一口飲むと彼は「泥水」と呟いた。だいたいコーヒーを飲んだ感想はそれなのでフローライトは気にせず問いかける。


「商人のサムとボブはなんて?」

「あー……一度顧客サービスについて勉強させる必要があるな。まあ、あとで使用感を言ってやれ」

「うん」

「あとフローライト、外に面した場所は危ないから店の奥で食えって言ってるだろ」

「大丈夫だよ。危険なことになる前にスギがなんとかしてくれるでしょ」

「とんだお姫様だな」


 バーガーに齧り付いたフローライトを横目で見ながらスギはタバコに火をつける。

 ゆるゆると紫煙が立ち上り、停滞した空気に混じっていった。


「味は?」

「65点」

「まあまあか」

「まあまあね」


 スギが2本目のタバコを吸い終わり、フローライトがバーガーの包み紙を丁寧に折りたたんでいたときだ。

 スギの持っている折りたたみケータイが古めかしい曲を流した。一瞬店内中の視線が彼らに集まり、そして何事もなかったかのように戻る。


「俺。生きてたのかよババア。……ああ。そうだな。は? 今から? 今って、今かよ」


 フローライトは立ち上がりスカートのシワを伸ばす。それから足元のガンケースを抱えた。

 話しながらスギが口元を指差すので彼女は紙ナフキンで自分の口をぬぐうとソースがついていた。少しだけ顔を赤らめながら片付ける。


「あー、分かった分かった。クソッタレが」


 電話を乱暴に切り、コーヒーを飲み干してカップを握りつぶす。


「仕事だ、フローライト」

「面白い仕事だといいわね、スギ」


 ふたりは店を出て、街の喧騒にまぎれていく。

 ほんのわずか店内の客たちはふたりの関係について噂をしたが、それも数分後には忘れ去られた。


 まだ、『スギとフローライト』ではなく『どこにでもいる運び屋』だった頃の話だ。



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フローライト ―胡乱な運び屋と訳あり少女、荒野を駆る― 青柴織部 @aoshiba01

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