残った一枚

塩海苔めい

残った一枚

寂れた遊園地の昼下がり。



かえでは一人、カメラを提げて、剥げた「ようこそ」の看板をくぐった。



あいにくの曇りで写真映えはよくないが、仕事の合間を縫って確保した、趣味を満喫する数少ない機会だ。



写真は被写体にスポットライトを当てて、輝かせる芸術作品である。



周りのものや人がいかに美しく調和を保っているかを常に気にする楓にとって、写真を撮ることは自分の生き様であると感じていた。



しかし、最近はこの写真を撮るという行為を、楓はあまり好きになれなくなっていた。



休日だというのに1組の家族と入違いになった他誰もおらず、それをかき消すようにスピーカーからくぐもったオーケストラの叫びが聞こえる。



そんな中、メリーゴーランドの馬を柵越しに撮ろうとしていると、不意に楓を呼ぶ声がした。



「ねえお姉さん、もっとこっちに来た方が私を綺麗に撮れると思うよ。」



顔を上げると、その馬の上では、先ほどまでいなかった中学生くらいの黒髪の少女が、楓の方に首を傾けていた。



「え?」



「だからー、中に入って来てよ。柵、邪魔でしょ?」



少女の純粋な微笑みに面食らった楓は、メリーゴーランドの中に入り、彼女に歩み寄った。



「あなた、親の人はどうしたの?友達は?それとも迷子?」



「うるさいなあ。とにかく撮ってよ、ほら。」



そう言うと少女はポニーテールをなびかせて、手を振っているようなポーズをした。



おそらく馬が動いている想定なのだろう。



わがままな彼女のために、楓は仕方なくシャッターを切った。



「ねえ、見せて見せて……えっ!素敵!すごく綺麗に撮れてる!」



少女は馬から降りてはしゃぎ回った後、ようやく楓の質問に答えた。



「私は一人でここに来たの。暇だったけど、お姉さんが私を写真に撮ってくれるんでしょ?嬉しいなあ。」



「ちょっと待って、私そんなこと言ってな…」



「いいから早く!次はコーヒーカップだよ!」



少女は楓の腕を掴んで走り出した。



楓は渋々ながら少女に付き合い、アトラクションごとに数枚の写真を撮った。



少女はあれに乗りたいこれがしたいと、楓になんでも付き合うよう要求した。



最初は面倒くさいと思っていたものの、彼女はその愛らしい顔立ちに加えて、古びて動こうともしない物に対しても生き生きとした笑顔を見せるので、楓は被写体の優秀さとその写真の出来栄えに惚れ惚れした。



狭い園内の中で一通り写真を撮り終えた二人は、ベンチに座って休息を取った。



「ねえ、いい写真撮れたでしょ?」



「…まあそうね。」



少女は不満そうに顔を膨らませた。



「お姉さん、ずーっとムスッとした顔してるよ。なんで?何かあったの?」



初対面の人に本音を打ち明けるなど今までしたことのない楓だったが、自分勝手でわがままな彼女には、なぜか膨らんでいた劣等感が吹き出してしまった。



「…辛いことがあったの。」



「え?どういうこと?」



「あなたみたいな子供にはまだ分からないことかもしれないけれど…。私は他の人が幸せになるように、ずっと願ってきたのよ。周りの人が不快にならないように、空気を読んで、思いやって…。」



「うん。」



「それで、会社員としてずっと真面目に空気を読んで働いてきたのよ。でも、人生で成功するのは、ある程度空気を読まない人ばかりなの。仕事の役職も、恋愛も、何もかもね。」



蘇ってくる記憶に涙の筋が一つ、また一つと増えていく。



「だから、周りの物が嫌いになって、もう写真を撮るのも好きじゃなくなってきたのよ。みんなみんな、あなたみたいに子供だから…。私だって、子供になりたいわ……。」



涙が止まらず嗚咽する楓に、少女は優しく背中をさすった。



しばらくすると、彼女は楓の手を握って話しかけた。



「ねえ、お姉さんはさっき、自分は空気を読んで、でも成功する人は空気を読まないって言ってたよね。」



「……」



「でも、お姉さんも十分成功してると思うけどなあ。」



「…え?」



「だって、お姉さんは他の人と違って大人なんでしょ。だったら人生大成功じゃん!」



少女はカメラの前で見せていたあのキラキラとした笑みを、今度は直接楓にぶつけた。



楓は無邪気なその顔に思わず見惚れて言葉を失う。



「お姉さんが気づいてないだけで、本当は、お姉さんは幸せなんじゃない?」



少女は楓の手を離してふふっと笑った。



「そうは言っても今日、私を盗撮してたんだから、元々空気なんて全然読んでないけどねー。」



「いや、それは誤解よ!」



楓が慌ててした訂正に少女は悪戯っぽく笑った。



それを見て楓も思わず笑い返すと、不意にシャッターを切る音が鳴った。







カシャッ







少女は楓のカメラを返すと、勢いよく立ち上がった。



「じゃあ、私そろそろ帰るね。」



「え?今なんで私のこと撮ったのよ!?」



「あははっ。お姉さんも気をつけて帰るんだよー。」



その場に取り残された楓は、いつの間にか重く垂れていた雲の隙間から自分めがけて、一直線に夕陽が差していることに気づいた。



まるで、楓にだけスポットライトを当てるように。



「本当は、お姉さんは幸せなんじゃない?」という言葉と少女の姿とがぐるぐると頭を巡る中、ふと思い出してカメラを取り出した。



…そこには、今まで見たことがないほど眩い笑顔で笑う自分が、夕日をバックにして写っていた。



少女の写真の腕に感動しながらボタンを押し、今日の写真を古い順の表示に切り替えると、画面には錆びて薄汚い馬の乗り物だけが表示された。





「……え?」





それはあのメリーゴーランドの馬だった。



楓は何枚も何枚も写真を確認したが、どの写真にも少女の姿などなかった。



あるのは曇天に似合う古びた乗り物たちだけ。



しかし、楓の、あの泣き笑いの一枚だけは残り続けていた。



疲れている楓の前に現れた、自分勝手な少女。



彼女は楓の命の核を、確かに変えた。



周りにスポットライトを当てるのもいいが、たまには自分にそれを当ててみるのもどうだろう。



だって、あなたはこんな輝きを持っているのだから。



楓はその後も、休みの日になればまたカメラを構えるようになった。



自分の中の輝きを、被写体から見出すように。



そして、それを少女に届けるように。

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